荒寥原野に月ふたつ・剣士魔道士用心棒

矢芝フルカ

第1章 温泉町の用心棒

第1話 ふたりの用心棒

 その世界の夜空には、大小ふたつの月があった。

 大きな月は赤みを帯びて煌々と輝き、小さな月は黒味を帯びて薄暗く仄かに光る。


 ふたつの月の下に広がる大陸ジェミニード。

 はるか昔、人間と魔族はジェミニードの大地の支配を巡って争いを起こした。

 武力で戦うしかない人間に対して、様々な魔力を駆使する魔族の圧勝と思われた。

 だが、魔族の中でも最強の魔力を有しているレスネイル族が人間側に付いた事で、戦力は拮抗する。

 幾年にも及ぶ激しい攻防の末、勝利したのは人間であった。


 滅びに瀕した魔族たちは、種の存続のため人間との間に子孫を残す事を選択する。

 長い年月、その血は次第に薄められて、かつての種族の特徴を身体に受け継ぐ者は、ごくわずかとなって行った。

 しかし、身体や能力に現れなくても、その情報だけは確実に血統に残り、世代を超えて受け継がれていた。


 ヒト族(人間)と魔族、人のことわりと魔のことわりが混在する世界。

 それが現在のジェミニードの姿だった。



 草原を貫く街道を、一台の馬車が疾走していた。

 その後ろを、何頭もの馬が追いかけている。

 馬が背に乗せているのは、いずれも筋骨隆々の大きな体格をした者らだが、その肌は青黒く、ヒト族では無い事は明白であった。


 馬車の御者台には、必死の表情で馬を駆る御者と、その横に剣士らしき青年の姿があった。

 青年は上背があり、腰にいた大剣の使い手として相応しい精悍な体格を備えていた。

 だが目を奪うのは、その端正な顔立ちである。

 日に焼けた色の肌に、鉱石を思わせるような濃い青の瞳は凛々しく力強い。引き締まった口元に形良く通った鼻。無造作に束ねた濃い紅色の長い髪が、疾走する馬車が巻き起こす風にたなびいている。

 剣士らしく、革のマントの下は、厚手の長い胴衣をベルトで締めるという素っ気無い格好であるが、錦糸をあしらった騎士用の軍服など着せたのなら、若い娘の熱い視線を集めそうな壮麗な姿となるであろうと思えるほどの、整った顔であった。


「ロニエス!状況は!?」

 馬車の車室から声が上がる。

「来るな、これは。準備しろファリー」

 ロニエスと呼ばれた剣士は、追っ手に苦々しい視線を向けながら答えた。

「分かった」

 短い返事を聞いた後、ロニエスは腰を浮かして馬車の屋根越しに後ろを見る。

 追ってくる馬は、すでに馬車に並ぶほどに近かった。


 馬車の中では、身なりの良い初老の夫人が、恐怖に顔を強張らせて、激しく揺れる座席から落とされないように必死につかまっていた。

「奥様、ご安心下さい。相棒のロニエスはそれは腕の立つ剣士ですので」

 隣から宥めるような声がする。


 少年とも少女ともつかないその声の主は、華奢な身体を魔道士が着用する長衣ローブに包んでいる。

 だが、腰のベルトで裾を短く端折はしょっていて、すねまでの編み上げの革靴と黒いズボンが見えていた。

 短く切った柔らかそうな黒のくせっ毛は、陽光に透けると暗く深い緑と分かり、長い睫毛に縁取られた瞳の色は、光線の加減なのか淡い桃色をしていた。

 ベルトに挟んでいるのは、剣ではなく杖だ。


 剣士の名はロニエス。

 魔道士の名はファリー。

 ふたりは雇われ用心棒を生業なりわいとしている。

 今回の顧客はこの初老の夫人であり、この街道にある温泉町ネハーコまでの護衛を請け負っていた。

 たかだか半日たらずの馬車の旅、真っ昼間の街道を行くだけの、気楽な仕事と思っていたのだが・・・どうも雲行きが怪しくなってきたようだ。


「ファリー!来たぞっ!」

 ロニエスの鋭い声が飛び、馬車の天井にダンッ!と衝撃があった。

「伏せてっ!」

 ファリーの手が、夫人の頭を下げさせる。

 前屈みの苦しい姿勢ながら夫人が窓を見ると、図太い青黒い指が、がっちりと窓枠に掛かっていた。

 思わず上げた夫人の悲鳴は、他の野太い叫び声にかき消される。

 同時に窓枠の指が、力無く落ちて行った。

 頭上では絶えず、ダンダンと天井を踏みしめる音が聞こえ、ガン!と鈍い金属音が上がるたびにあの叫び声が響いた。

 馬車に取り付こうとする何かを、天井に上がったロニエスが防いでいるのだろう。


「大丈夫ですからね、心配なさらないで」

 ファリーの声は続いて短い呪文を紡いだ。

 すると、夫人は柔らかい毛布にでもくるまれたような感じに包まれる。

 不思議な安心感に顔を上げると、目に入ったのは、窓枠を隙間無く掴んでいる青黒い指の列だ。

 途端、馬車は激しく横に揺れて、窓の方へと傾き出す。


「倒れるぞっ!」

「こっちは準備できてるよ!」

 あっという間に馬車は片輪が浮き上がってしまい、夫人の身体は転がるように側面へ落下する。

 馬車が地面に叩き付けられる轟音と、馬の悲壮ないななきが、あたり一面響き渡った。


「奥様、奥様、大丈夫ですか?」

 聞かれて、恐る恐る夫人は目を開く。どうやらまだ生きているらしい。

 夫人は起き上がろうと手を付いた時、自分の状態に仰天した。まるで強い風にでも押し上げられているように、夫人の身体は宙に浮いている。

 それで馬車が倒されても、衝撃を受けないで済んだようだ。

「良かった大丈夫なようですね、決してここから出ないで下さい、すぐに済ませますから」

 その声のする方へ夫人が顔を上げると、上になった扉の窓枠にしがみついていたファリーが、その細っこい小さな身体を、窓から外へ押し出しているところだった。


 馬車の外では、抜き身の大剣を肩に担いだロニエスの姿があった。

 対峙している連中は、青黒い肌をして小山のような体躯の男らだ。

 全部で九人。それぞれ短刀や棒などの武器を握っていた。


「お前らよぉ、このばあさん、大した金は持って無ぇぞ。身ぐるみ剥いだところで、労力が報われるだけの稼ぎにはならねえよ」

 その端正な顔つきからは想像つかない粗暴な口調で、ロニエスは言い放つ。

 大きな身体を揺すりながら、男らはロニエスの提案を笑い飛ばした。


「少ない稼ぎったって、酒代ぐらいにはなるだろうよ」

「用心棒の日当も、そのでかい剣も、ひっくるめてこっちのモンだしなぁ」

 声を揃えて笑う連中に、ロニエスは大きく舌打ちする。


「巨人族ドロフの血統だね。走る馬車を横倒しにする馬鹿力は、魔族の血がなせる技か」

 ロニエスの脇に立ったファリーが、腰に差していた杖を構えた。

「魔族の血統なら封魔が効くか?ファリー」

「どうかな。魔力はほとんど感じられない」

「じゃ、ぶった切るしか無えな」

 ロニエスは担いでいた剣を正面に下ろす。そこにファリーの杖が重なった。


「正義なる刃に神の加護を与えん。ニルキヨウレ!」

 呪文の成立とともに、大きな剣は青白い光を放つ。

「死にたい奴からかかってきな!」

 ロニエスの挑発に、ドロフ族の連中は雄叫びを上げて突進した。


To be continued.

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