寄り添うフリージア

宇ノ花LABO

第一話 Dear My Hero

 もう空も昼間のような澄んだ青空では無くなり、夕焼けの濃い橙色を僅かに残した黒に近い藍色になってしまっていた。そんな暗い世界の中で私は、独りドーム状の遊具の中で隠れるようにしゃがみこむ。

 何故こんなことをしているかなんて経緯を思い出そうとしても、もう既に朧気になってしまっていた。

 ただ私は何かにすがるように涙を流しながら、何処にも届かないような小さく掠れた声で、

「助けてよ……ヒーロー」

 そう呟いて、俯いたまま時間だけが消費されていく。

 

 どれくらい時間が経ったかもわからなくなった頃、私が隠れる遊具に一つの足音が近付いてくる。

 そのまま数秒。遂に私の元へと辿り着いたその足音は目の前でピタリと鳴り止み、

「何してんの」

 だなんて呆れたような声と共に私に差し出された手、顔を上げその手の主を見ればそこには……。


 唐突に意識は覚醒する。目を開ければ見慣れた私の部屋の天井。

「夢……か」

 そう声に出して頭を無理矢理理解させる。どれだけ綺麗な思い出だったとしても、先ほど見ていたそれは現実ではなく夢なのだと。……過去の事なのだと。

「乃恵、起きた?ご飯出来てるって」

 不意に聞こえた澄んだ声、それはどこか夢で聞いたあの声に似ていた。

 いや、当たり前か。だってその声の主である彼女こそ、あの夢に出てきた……。私が夢を見る程までに恋焦がれた人なのだから。

 平静を装う為にひとつ息を吐き、高鳴りを見せていた心臓が安定してから声の主の方へと目を向ける。寝起き故に霞がかった視界の中に夜を思わせるような艶やかな黒髪と、澄んだ彼女の瞳が映り込んだ。慈愛に満ちた微笑みを私に向け、そのまま十数秒私を見詰め続けると、

「ほら、起きて。遅刻するわよ?」

 急かすようにそう言って私の上にかかった布団を剥ぎ取った。

「んん……おはよ……菜穂さん……」

 そう言っ手を伸ばせば、彼女はいつものように私の手を取り上半身を起き上がらせる。

 触れ合った手の温もり。日常のようにこんな行為が出来るほどに彼女と私の距離は近く、心の通いあった存在なのだ。

 だけれど悲しいかな。私達は親友で、こんなにも距離は近いのに私が望む存在からは一番遠いのだから。

「早く着替えて下に降りるわよ。おばさん待ってるから」

 私に笑いかける彼女にそれと同等以上の笑みを返して朝の用意を始める。いつも通り、なんの代わり映えのない歪な日常を始めるための準備を。


 さて、何から話したものか。先程述べたように私こと市ノ川乃恵と彼女、峰岸菜穂は親友だ。それも、幼稚園の時から高校二年生である今まで続く幼馴染と言えるであろう関係。

 ふと朝食を食べながら隣を見れば、母親と楽しそうに談笑する彼女の姿が目に入る。中学生の時から彼女はどちらかと言うと朝に弱い私が毎日遅刻しないように家まで迎えに来てくれていた。


 正直今の状況は幸せではあるが、今となってはこの幼馴染という関係がどれだけ忌々しいものかと恨むだけなのだ。

 何故かといえば……、まずはそうだ。夢の話をしよう。あの夢の詳しい話を。

 あの夢は限りなく現実に起きたことそのもので、私が過去に体験した事実だ。もう十年前の事だと言うのに色褪せず記憶の中に留まり続けているのだから私の執念という物に恐ろしさを感じる。

 さて、そんな過去のフラッシュバックとも言えるあの夢、厳密に言えば十年前のあの日、私はその頃は友人だと思っていた数人と公園でかくれんぼをしていたのだ。

 そう、確かに思い出した。彼女の事以外不確かではあったが思い返してみれば案外直ぐに答えは出るらしい。

 そうしてかくれんぼが開始すると同時に私はドーム状の遊具の中に隠れ、それから三十分程が経って流石にそろそろ見付けてもいい頃だろうと外を見れば、そこには誰も居なくなっていた。

 後で知った話だがどうにも私はその友人だと思っていた数名全員からよく思われていなかったらしい。子供とは怖いもので、私は少しばかり他の子に比べて気弱で、周囲の中でリーダー的存在にその事を疎まれていた。そんな理由だけで皆は私の事を嫌っていたのだという。

 まあ、幼心でそんな事を理解出来るはずもなく、独りぼっちになってしまったという現実を受け入れたくなくてまたドーム状の遊具に隠れたのだ。

 ドームの中はただただ暗かった。辺りも段々と暗くなり、いつの間にか夕日は沈んでしまった頃に私はあの言葉を呟いた。

「助けてよ……ヒーロー」

 あの頃大好きだったアニメの台詞。ピンチの度にそう呼べば誰か助けに来てくれるんじゃないかと、そう信じていた。

 思い出せば少し恥ずかしい思い出ではあるけれどそれもあながち間違えではなかったのかもしれない。実際にヒーローは私の元へとやって来たのだから。

 近付く足音と共に、しばらくしてから聞こえてきた呆れたような、それでいて優しさに溢れた彼女の声。それと共に差し出された手を私は取ったのだ。

 嬉しかった。そして恥ずかしいかな、彼女の胸元でわんわんと泣いた。それから二人で手を繋いで私の家へと帰ったのだ。

 あの日から彼女は私にとってヒーローだった。そしてその姿を今に至るまでずっと追い続けた私は、女同士で、それも親友である彼女にいつの間にか恋をしてしまっていた。

 こんなにも長々と話をしたが結局の所、ただ私が彼女の親友なのにも関わらず恋をしてしまった。ただそれだけの話。


「乃恵?朝からずーっと上の空だけど……大丈夫?体調悪い?」

 唐突に聞こえた彼女の言葉。思考だけを回していたせいで反応が遅れてしまい、苦笑いを彼女に向けながら、

「あー、いや……大丈夫」

 そう答えると、

「ならいいけど……無理しちゃダメよ?」

 だなんて彼女も返して、いつものように通学路を二人で歩き続ける。どうにも考え事をしていながらも無意識のうちに朝の準備やらは終わり、彼女と登校を始めていたらしい。色々と思う所はあるが、無意識の一言で片付けていい話なのかどうかは置いておくことにしよう。


 程なくして私達は学校へと到着し、隣のクラスの生徒である彼女とはここで一旦のお別れ。

 今生の別れのような感覚に陥りながらも、何度か手を振り彼女を見送るまでが私の朝の一連の動作だ。

 それからはもう私にとってはなんの価値も無いただの時間の浪費であり、休み時間に時折彼女が私の所へ来てくれる以外は、これといって何か楽しみがある訳でも無い。


 保身の為に言っておくが別段私は友達が居ない訳では無いのだ。話が合う人間も居れば、何も考えずに話が出来る人間も居る。だけれどそれ以上に私にとって彼女の存在が大きいものなのだという事だ。

 

 朝のホームルームが終わればすぐに一時限目の授業が始まる。授業は確か現国だった筈。

 既に予習を済ませ、聞く価値の無くなった授業をBGMにしながら、また少しの間思考を回す事にしよう。

 

 あの日、彼女が私のヒーローとなった日から私にとって彼女は失ってはいけない存在になっていた。

 だからこそ私は高校への進学は彼女と同じ所を目指したし、高校二年となった今でも彼女の隣に居続けている。

 いつからか進学先の高校内で定着したあだ名は、姫と騎士。察しの通り私が騎士なんてことはなく、もう高校二年生だと言うのに、姫と呼ばれているのは私の方だった。

 だが現実に目を向ければ、確実に私達は姫と騎士と言うより主人公とその親友と言った方が正しいのだろう。私はヒロインでは無いのだ。そう、親友。

 恋愛漫画での主人公の親友ポジションという物は悲しい事に、親友が居たであろう場所にいつの間にかヒロインが居ることが多い。それに準えると彼女の隣にいる私のこの場所も、いつかはヒロインなのであろう誰かに入れ替わられてしまうのだろう。そんな事を考え始めると涙が零れそうになってしまい嫌になる。

 そろそろ思考を止めなければいけない頃だ。


 ふと外を見れば隣のクラスの生徒達が体育の授業を受けているようで、その様子をぼんやりと見て暇を潰すことにする。

 矢張りというかなんというか、私の視線の先には彼女の姿があった。

 朝とは違う体育用に髪型をポニーテールにした彼女、それに惹き付けられるように自然と彼女を目で追っていれば、あっという間に時間は過ぎて気が付けば授業終わりのチャイムが鳴り響く。

 授業だけを受けていればこれ程までに五十分が長く感じることはないと思えていたが、彼女の存在があるだけで五十分なんて秒で消え去ってしまうのだ。

 これじゃあまるで、私はストーカーだな。

 自嘲気味にそんな事が頭に浮かんでケラケラと乾いた笑いが込み上げ、辛くなって机に突っ伏した。


 それからはまた授業を受けたふりをして、何か考え事をしたり授業を寝過ごしたり。気が付けば一日はもう少しで終わりそうになっていた。

 高校に通わせて貰っている身分なのに申し訳ないという気持ちは山々なのだが、テストで悪い点を取っている訳では無いのだからこの位は許して欲しい。

 丁度五時限目が終わり、最後の休み時間に差し掛かったその時、教室の扉が開いた音が聞こえる。もう既に色々と考え尽くし、寝ることしか考えていなかった私は何も見ずに机に突っ伏していると、不意に正面から

「乃恵」

 と聞き慣れた声が聞こえてくる。

「ほぇ?」

 呆けたような声で返し、声の方を見れば彼女が私の机の前に立ち、こちらをじっと見詰めていた。

「わっ……菜穂さんどうしたの?」

「あいっかわらず寝てるのね……。あー、えーと。今日の帰り、恋乃葉さんと莉子さん達と一緒にハンバーガー屋に行こうって誘われたんだけど……。乃恵も一緒に行かない?」

 急な誘いに驚き、瞬きする事数度、すぐに彼女に言葉を返す。

「折角みんなで遊びに行くのに私居て邪魔にならない?」

「二人からの指名だから大丈夫だと思うわよ?それにほら、乃恵って何処に出しても恥ずかしくないし」

「菜穂さんは私の親か何かなの?まあ……うん。私は特に予定も無いから大丈夫だよ?」

「決まりね。それじゃあまた放課後」

 そう言って彼女は教室から出ていく。なんというか嵐のような数分だった。彼女と話が出来た時点で私にとっては幸せの嵐なのだけれども。

 さて、件の恋乃葉さんと莉子さんが誰かと言えば、彼女のクラスメイト、彼女の友人と表現するのが適しているだろう。

 確か恋乃葉さんとは高校一年の頃、菜穂さんと初詣に行った際に神社で巫女のバイトをしていた彼女と出会った時に知り合って、それから何度か学校内で話をしたことがある為ある程度面識はあるが、莉子さんに至っては私はほぼほぼ初対面。何度かすれ違って挨拶をした位なのだ。知っていることと言えば高校に上がってから出来た彼女の新しい友達、と言う位。

 そもそも私と彼女では出来上がる友人のタイプが余りにも違い過ぎる事は多々あったのだ。今回もその例に漏れず、彼女はどちらかと言うとキャピキャピとした明るい友人が多く、莉子さんもその類に当たる。

 恋乃葉さんならばまだ分かるが、莉子さんまでもが私を呼んだなんて、なんだか考えもつかないがたまにはそういう事もあるのだろう。女心は秋の空だなんて言うのだし。

 あまり深くも考えずに私はまた最後の授業を受け流す準備を始めていた。


 気が付けば終わっていた授業。授業中の内容は殆ど頭に無いけれど、残された黒板を見れば予習を済ませた所のものである事が分かるため特に焦りもしない。

 そのまま帰りのホームルームを終えて隣のクラスへと足を運ばせた。

 彼女の席はドア側の一番後ろから二番目の席。既に彼女と友人二人は集まっていたようで、ドアを開けた私を金髪の女子生徒が見つけたと同時に、

「あ、菜穂ちゃん、姫ちゃん来たよ?」

 と、彼女に声をかけていた。

 いや待ってくれ、何だそのあだ名は……。

 聞いた事すらないあだ名で呼ばれた事に驚愕すると同時に、それにツッコミもせず私の方を見て手を振る彼女に対しても驚きを隠せずにいた。それから私の方へ駆け寄ってきたのは、彼女ではなく件の金髪の女子生徒。

 もうそんなまどろっこしい呼び方をしなくてもいいか。彼女は長瀬莉子。明らかに日本人の外見をしていないが日本生まれ日本育ちのほぼほぼ日本人……なのだと菜穂さんが話していたのをぼんやりと思い出す。そんな彼女が私の元へと来ると少し申し訳なさそうな顔で、

「ごめんね市ノ川さん、急に誘っちゃって……。一回市ノ川さんと遊んでみたくて、菜穂ちゃんに無理言って呼んじゃったの」

 そう言って私の前で手を合わして私の方を見詰めてくる。

「い、いや全然大丈夫です……。ありがとうございます」

「良かったぁ、あとそんな畏まらないでよ!同級生なんだから!」

 私の答えを聞いて安心したのか表情を人懐っこそうな笑顔に変え、それから自分の荷物を取りに行ったのだろう。菜穂さんの居る席とは違う方向へと駆けて行き、恋乃葉さんもまた莉子さんの後を追って自分の机の方へと向かい始めていた。

 タイミングを見計らい、私は菜穂さんの側へと向かう。

「ね、ねえ……」

「どうしたの?」

「姫ちゃんって何……?」

 問い掛けると彼女は苦笑しながら私に答え始める。

「いや……ほら、乃恵も知ってるでしょ?私と乃恵が学校で姫と騎士って呼ばれてるの……」

「え?うん」

「それの影響だと思うんだけど……、なんか気が付いたら莉子さんも乃恵の事姫ちゃんって呼ぶようになってたのよね……。あ、でも安心して!?乃恵の前で呼ばないようにちゃんと言ってあるから、ごめんね……?」

「い、いや……謝らなくていいけど……なんか……この歳になってまで姫は恥ずかしいかなって……それだけだし」

 そう返してから無言になり数秒。

「ん?夫婦喧嘩か?」

 だなんてややハスキーな声が聞こえてきた。声の方を見れば恋乃葉さんが私達の方を見て笑みを向けていて、それからすぐにその隣に莉子さんがやって来る。

「夫婦じゃないから。ほら用意出来たら行くわよ」

 呆れたように笑いながら彼女が二人に促すと、二人も笑いながら彼女の後を追って行く。私も置いてかれないように三人の後を追い始めた。


 にしても……夫婦……か。厳密に言うならば私と菜穂さんの場合だと婦々になるのだろうか。

 なんだか不意に夫婦と言葉に表されると、そんな関係ではないのにその言葉だけで嬉しくなり、自然と口角が上がりだらしない笑みを顔に浮かべてしまう。

 傍から見ればかなりおかしな子に見られてしまっていただろう。だがそんな事はどうでも良かった。

 

 学校からほど近い場所に建てられた某有名ハンバーガーショップ。赤い看板が目印のそこに到着するとすぐに注文を済ませて席へと着く。

 家に帰れば夕食があるのだから、ハンバーガー屋に来てはいるのだけれど頼んだのはポテトが二つとドリンクが四つのみ。

 実際の所、目的は食べ物ではなく、放課後に行われるたわいない女子同士の会話なのだから何も間違えてはいない筈だ。


 そこで行われた話の内容と言えば、

「そろそろテスト期間でしょ?勉強してる?」

 だとか、

「現国の教師の目線がどこがいやらしい」

 だとか、そんな本当にくだらない話ばかりで、つまり内容は無いようです。だなんて話の内容ばりにくだらない駄洒落を思いついて意味も無く笑いかけてしまう。

 そんな会話の中唐突に、

「あれ、そういえば他の三人は?」

 菜穂さんがそう言うと前に座っていた二人は同時に小指を立て、

「これのとこ」

 と言って私達に苦笑を見せる。どうやら話を聞く限り菜穂さんの周りでいつも集まっているのは、今此処に居る二人ともう三人いるらしい。それから、その後の三人には恋人が出来たという事だろう。

 高校生ともなればそれ位は当たり前になるし、それだけならばただ単にたわいない会話として流せたのだが、菜穂さんの反応によってそれも出来なくなってしまった。

 なにせ彼女は二人の言葉を聞き、二、三度瞬きをした後にため息を一つ、それから遠い目をして、

「……先越されたわね」

 そう言い放ったのだ。まるで、自分が恋人を欲しがっているかのように。

 その言葉によって朝から思考した内容がフラッシュバックする。私が彼女にとってのヒロインではなく親友だというあの自問自答。あれが現実味を帯びてきていると確信した瞬間、私は恐怖した。

 私の居場所が遂になくなってしまう。それ以上に私は思いを伝えることも出来ずにフラれてしまうのかもしれないと。

 考えた事も無かった。いや違う、考えたく無かったんだ。

 それからは彼女の放つ言葉一つ一つに耳をそばだて怯えながらその場にいる事になる。逃げ出したかったけれど、私の知らない彼女の一面がそこにあるような気がしてそれも出来なかった。

 

 暫く三人は談笑をして、私は一人その場に居続けた。唐突に私に話が振られればぎこちなくそれを返し時間だけが過ぎていく。

 そうして辺りも段々と暗くなった頃にその会もお開きとなり、私と菜穂さんは二人で家へと帰り始めた。

「乃恵、今日はありがとうね。わがままに付き合わせちゃったみたいになったけど……、楽しかった……?」

 隣で不安げな表情のまま聞いてくる彼女に私は顔に笑みを張りつけたまま、

「うん、楽しかった。また呼んでね?」

 そう、定型文のような言葉を返す。彼女はその答えで安心したのか、心底嬉しそうな笑顔を私に見せ、

「良かった……、ええ勿論!」

 と、彼女の返事が聞こえて、それからまた無言になって帰り道を進み続けた。

 その瞬間はもう会話内容の思考なんて出来なかった。頭の中で回り続けていたのは彼女のあの言葉の事のみで、だからだと思うが私は何も考えずに、

「菜穂さんってさ、恋人が欲しいの?」

 そんなことを聞いてしまったのだ。聞かなければいいのに。自らとどめを刺されに彼女にそう問い掛けた。

「え?いや……んー。なんか……」

 言葉に詰まる彼女に私の心拍数は上昇を続ける。

 そうして数秒の時が経ち、彼女は困ったように笑うと、

「憧れてる……のかも、恋人が出来るって事に……。って、なんか恥ずかしいわね……。乃恵はどうなのよ、恋人、欲しくないの?」

 そう答えて私をじっと見詰めている。

 その返答は私にとって朗報ではあったものの、余計に思考を加速させる事になった。そのおかげで私は彼女からの問い掛けに思考を通さない本心をぶつけてしまう。

「恋人は……、まだいいかな」

 内容は極めて単純なもの。彼女と付き合えるのでなければ恋人は要らない。だがそんな事を相手の前で面と向かって言える訳もなく、無意識ながらもそこだけは省いていて、言葉を放った後に無意識の自分自身に感謝するが、どうにもその回答は彼女にとっては信じ難いものだったらしい。

「えぇ、なんでよ。乃恵可愛いんだから恋人の一人や二人すぐ出来そうなのに……」

 勿体ない……、と続ける彼女のその可愛いと言う言葉は嬉しかったけれど、それは矢張り私に対して恋心を持ったものでは無い言葉なのだと確信させられたようで、胸がずきりと痛んだ。

「別にいいじゃん……。今はまだ要らないの!」

 少し強く私が声に出すと、彼女は驚いたように目を見開き、すぐにそのまま、

「ごめん……」

 と返してまた私達は無言になってしまう。せっかく楽しかった筈の帰り道なのに、私の一言でそれを壊してしまうのは心苦しかったが、それでもその瞬間はこれ以上恐怖に身を晒したくなくて、無言になったことに少しばかりの感謝を覚えた。

 それから程なくして私の家へと到着する。

 離れ際、

「今日は本当にありがとうね。また明日、ばいばい」

 そう言って彼女はいつだか見た夢の中の彼女のように慈愛に満ちた笑みを私に向けながら私に手を振り続けていた。

 なんというか、どこまでいっても優しさに溢れた彼女のその言動に涙すら出そうになりながらも、

「うん、私こそありがとう。ばいばい、また明日」

 と、返し彼女が見えなくなるまで手を振り続ける。

 今日の彼女と共にいる時間もこれでおしまい。寂しいけれどまた明日と今日も言えたのだから、明日もまた彼女と共に過ごせるのだと確信して少しだけ前向きに生きていける。

 最早依存。言うまでもなく私は彼女に依存していた。良くないことだと分かってはいるけれど、それでもそれを辞めようとは思えないのだ。

 それ程までに彼女は私にとっての支えだった。

 だからこそ、彼女の傍に居られるこの居場所がなくなってしまう事が怖くて辛くて苦しくて、結局それから意識を手放すその瞬間まで、彼女のあの言葉が頭の中で回り続けていた。


 その日は夢を見なかった。


 目を覚ませばいつものように彼女は私の部屋に居て、いつものように私が差し出した手を取り起き上がらせて、朝の準備を始めていく。


 今日も代わり映えも無くいつも通りに日常が過ぎていくと、そう確信していた。


 だが、どうも現実はそう上手くいかないらしい。それを思い知らされるのは二時限目の休み時間での出来事。

 いつも通り友人と最近流行りのアニメの事だとかそんなくだらない話をしていると、ほとんど会話したことも無いような男子から声をかけられたのだ。

 無視する訳にもいかずそれに反応すると、

「放課後に少しだけ話が出来ないか」

 とそんな事を聞かれた。

 私は何が起こるのかも分からず、ただそれに頷く。この行為自体がそもそもの間違いだったのだが、そんな事その当時の私には考えもつかなかっただろう。

 それから昼休みにいつものように彼女の元へ行き、共に昼食を済ませて休み時間に起きた事を彼女に話せば、嬉しそうに、だが何処か少し寂しそうな表情で、

「行ってらっしゃい」

 と、送り出されてしまった。

 寂しそうな表情というのが私にとっては気がかりだったが、彼は少しだけの時間だと言っているのだから、終わったらすぐに彼女の元に行けば一緒に帰ることも出来るだろう。

 彼女にそんな表情をさせてしまったことを悔いながら、私はその日一日を過ごしていく。


 そうして訪れた放課後、呼ばれた通りに件の男子の元へ行き、それから暫く男子が招く方へと着いていけば、

「ずっと前から好きだったんです。付き合ってくれませんか」

 と、告白されてしまったのだ。

 あまりに唐突過ぎて私には理解が追いつかなかった。

 きっと彼の言葉は今挙げたものより、もっと心が籠っていて、もっと具体的に話をしていのだろう。

 だがその言葉を思い出すことも出来ない程に私にとって、彼のその告白に対して思う事は無かったということだ。

 現に私は思考を挟む暇も無く、二つ返事で、

「無理です」

 と、彼に答えていたのだから。

 当たり前だが私にとって彼は記憶に殆ど残ってもいない。言うなればただのそこにいるだけのクラスメイトなのだ。むしろ何故そんな彼が私に対して恋心を抱いたのか問いただしたい位には私と彼の間には何も無い。それが私が理解出来なかった最大の理由と言えるだろう。

 そもそも交友のある男子が私に告白をして来たとしても、彼女以外には興味すら湧かないのだから、告白に良い返事が出せるわけも無いのだが……。

 

 二人の間に無言が訪れてから数秒後、今にも泣きそうなその表情のまま震えた声で私に何故だか謝罪すると、逃げ出すように私の前から走り去ってしまった。


 その一連の流れで私に生まれた感情は、ただただ怒りのみだった。

 こんなくだらない事の為に彼女との時間を減らしてしまったのだから、二時限目の休み時間にあの男子の言葉に頷いてしまった自身を恨む。

 過ぎてしまったことをああだこうだ考えても仕方ない。ため息を一つ吐き荷物を持つと、私は彼女の元へと駆け出した。

 そうして彼女が居るであろう教室へと向かえば、案の定まだ彼女はそこに居てくれていて、窓の外を見て黄昏ている彼女に、

「ごめん!用事終わったから……一緒に帰ろ?」

 そう声をかけると驚いたのか、彼女は直ぐに私の方へと振り向き目を丸くして、

「い、いいの……?」

 だなんて、聞いたこともないような震えた声で聞いてきたのだ。

「なんでそこ疑問形?良いに決まってるじゃん」

「そ、そう……。じゃあ……帰りましょうか」

 なんだかぎこちない彼女の言動に不信感を持ちながらも、私達は帰り道を歩き始めた。


 それからはいつものように、くだらない話をし続けていた。ようやく過ごす事の出来る彼女との時間はただただ幸せで、ひたすらに彼女に甘えるように話したかった事柄を彼女と共有する。

 そうしてお互いの話の種が出尽くした頃、不意に彼女が、

「にしても……乃恵にも先行かれちゃったなぁ」

 と、そんな事を呟いた。

「え?何が?」

「告白されたんでしょ?今日」

「えっ、私その話したっけ?」

 あまりに予想だにしないその言葉に、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げて答えると、

「見てればわかるわよ。でも良かったじゃない彼氏出来たんでしょ?」

 そう言って私に笑みを向けていた。だがその表情は笑みとは程遠い寂しそうなもので、ようやく私はあの時彼女が私に向けた表情の真の意味を理解する。

 つまり彼女は、私がその男子と付き合うと見越した上で寂しそうな表情をしていたのだろう。

 そもそも私は昨日恋人は要らないと彼女に伝えているのにも関わらず、どうしたらそんな答えに行き着くのかも分からない。

 それ以上にその答えは彼女の中で私が持つ彼女に対しての恋心を一片も感じ取れていない事と同義にも感じて、寂しさと共に苛立ちが芽生えて私は、

「いや、断ったけど」

 そう、可愛げも無くありのままの事実だけを伝えてしまった。

 彼女からすればそれは予想だにしない答えだったのだろう。目を丸くして、そのまま私を見詰め続けた彼女は数瞬後にようやく口を開く。

「え、なんで……?」

「なんでって……、好意どころか興味すら湧いてない人に唐突に告白されて、はい良いですよ。って言えるわけないじゃん」

「そう……私てっきり……」

「んなわけないじゃん、って言うかそもそも私の好きな人は……」

 そこまで言い放ちようやく私は我に返る。話に熱が入り過ぎているとは言えども、私は今何を言おうとしているのか遅れながら理解して口を噤んだ。


 それから私は不安げな表情の彼女を見詰めながら思考を重ねる。

 その言葉は絶対に言ってはいけないと分かっていた筈だった。だけれども感情のままにとは言え口に出そうとした自分自身が信じられなくて、混濁を極めた思考の中で納得出来る答えを探す。


 ようやくそれらしい答えを見つけたのはそれから数秒後の事だった。その答えは昨日覚えた不安からくる一連の感情から来たもの。

 自分の想いを伝える事も出来ずにどこの誰かも知れない相手に彼女の隣という居場所を奪われる位ならば……。

 そんな自暴自棄にも近しいものに支配され、

「菜穂さん……なんだから」

 そう、彼女に伝えてしまったのだ。

 そんなことを伝えても彼女を困らすだけだと分かっていたのに。それでも結局止まることも出来ずに感情をぶつけるだけぶつけてしまった。

 あまりに身勝手過ぎる私の言動に心苦しさを感じて彼女から視線を逸らす。


 時間にして数十秒。されどあまりにも長く感じるその数十秒が過ぎていくが、それでも彼女からの返答は何も返ってはこなかった。

 何も言わない彼女に恐る恐る視線を向ければ、案の定彼女は苦い笑いを顔に貼り付けている。

 矢張り私は彼女を困らせただけなのだとそう確信した瞬間、押し寄せるような罪悪感が私を飲み込み、彼女の答えを聞くことも無いまま私は彼女の元から逃げ出していた。


 よくよく考えれば、私の気持ちを伝えようとも、いつか誰かが私の居場所を奪おうとも、どちらにせよ私はもう彼女の隣には居れないらしい。

 走りながらいつの間にか溢れ出していた涙の味は自身の身勝手さを象徴するかのように塩辛くて、そんな自分が嫌になってまた涙を流す。


 最後に見た困り果てたような彼女の表情が私は忘れられなかった。

 それからしばらく走り続けて誰もいなくなった頃、私は伝わるはずも無いのに、

「ごめんね……菜穂さん……」

 そう呟いて、愚かな自身を恨むのだった。

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