日記帳と彼の平穏な人生

日諸 畔(ひもろ ほとり)

日記帳は事実を語る

 机の上には一冊の日記帳がある。

 結城ゆうき 嘉人よしとは、分厚いページをめくっていった。毎日、細かく記載されている内容は、事実と相違がない。それは本日のページでも同じだ。


『先週作成した資料は、微細な修正指示。課長より納期は今週末と言われる』

『自動販売機前で、高瀬たかせ 美鈴みすずと世間話をする』

『コンビニで、本日発売の週刊誌を買う』


 時系列に沿った内容に目を通した嘉人は。寝起きのコーヒーをすすった。


 

 その日記帳を使い始めたのは、大学を卒業し社会人になった時。ちゃんとした大人は日記をつけるという、妙な思い込みからだった。

 せっかくだからしっかりしたものにしようと、近所の書店でハードカバーのものを購入した。嘉人は形から入るタイプの男だった。


 それは、不思議な日記帳だった。

 日々、翌日の内容がいつの間にか浮かび上がる。しかも、全てが事実と相違ない。

 最初は気味悪く捨てようとしたが、ゴミ箱の直前で躊躇った。その葛藤すら、日記には記載されていた。

 逆らってみたこともあった。しかし、どんな行動をしても、結局は日記の通りに進んでしまう。

 いつしか嘉人は諦め、その通りに行動することにしていた。それからは、平穏な日々が続いた。良い事も悪い事も、努力が必要なことも、事前にわかっていれば受け入れられる。

 嘉人の心は平穏だった。


 そうこうしているうちに、三年が過ぎた。

 大きな成功も大きな失敗もなく、それなりな社会人生活を送っている。目立たないが堅実な仕事ぶりが評価され、新入社員の教育担当にも抜擢された。

 もちろん、日記により前日の段階で把握できている。

 

 新入社員の名は、高瀬 美鈴。真面目だがどこか抜けているとのことだ。嘉人の気遣いにより、ある程度の信頼関係が築けると書いてあった。

 後日、女性としての魅力にも気付くと記載があった。彼女のポニーテールが素敵だと。


 それから更に一年。美鈴から愛の告白を受ける。日記を見た時は驚いたが、当日は落ち着いた対応ができた。

 美鈴自身も覚悟を決めていたようで、はっきりとした意思表示をされた。一語一句、日記に書かれていたものと同じ告白の言葉だった。

 美鈴の気持ちを受け入れ事務所に戻ると、同僚達から盛大に祝福された。それもわかっていたため、形の上では喜んでおいた。

 美鈴との交際も仕事も、大きな問題なく進展していった。時折喧嘩もするが、日記を見ていたため解決するプロセスは理解できていた。


 二年後、プロポーズを考えると書いてあったので婚約指輪を購入した。星の数ほどある種類から、日記の通りに選択する。悩む要素は全くなかった。

 プロポーズ、両親への挨拶、新居の選定、結婚式。あらゆる流れも日記にあるとおりに進んだ。紆余曲折あり、順調にいかないことも含め、前日にはわかっていた。

 嘉人の心は平穏だった。


 二人の子供が生まれ、育ち、巣立っていった。全て日記の通りに。

 その瞬間は苦しんだり悩んだりすることもあったが、それも日記に記載されている。だから、その時どんな感情でいればいいかも明確だった。

 やがて老い、妻が先立った。日記を見た時は号泣した。ただ、その瞬間は冷静でいられた。

 妻の遺品から、日記帳が見つかった。就職し、自分と出会い、生活を共にする全てが記載されていた。病床で筆が取れる状態でない日であっても、一日も欠かさず記載されていた。その事実も、嘉人は前日に知っていた。


 そして今日、自分は最期の日を迎える。

 翌日の日記は白紙だった。

 嘉人の心は平穏だった。

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