KAC202211人形との交換日記

@WA3bon

第1話 日記

「日記帳をくださいマスター」

 昼下がり。俺の店に、鈴を転がすような声が響き渡る。人がいないから本当によく響くのだこれが。

「なんだって?」

 もちろん聞こえていた。だがこれは聞き返さずにはいられない。

「日記帳ですよ、デイリー……ノート?」

 わからないなら無理に横文字を使うな。

「ノワール、お前にはそんなもの必要ないだろ?」

「ぷくぅ!」

 言いながら器用にほっぺたをふくらませる。

 黒髪に切れ長の碧眼が特徴的な、十歳前後の女の子である。エプロンドレスがよく似合う。

 一見すると普通の女の子にしか見えないが、彼女は人形だ。天才人形師たる俺が手掛けた最高傑作品のノワールである。

 

「なんでそういう意地悪を言うんですか? 可愛い看板娘がおねだりしてるんですよ!」

 ダンっ!

 ノワールがカウンターを叩く。小さい手の形に窪んでしまったではないか。

 人形のパワーは人間のそれを遥かに越える。これではおねだりなんてかわいいもんではない。

 強請ゆすりではないか。シンプルに怖いぞ。

「まぁいい。丁度使ってないのが……ここら辺に」

「ありがとうございます、マスター!」

 古びた日記帳を渡してやる。ノワールは大事そうに胸に抱えて上機嫌だ。

 そこまで喜んでくれるなら日記帳も本望だろう。


 ところが翌日。

「いくらなんでも早すぎるだろ……」

 店に出るとカウンターに日記帳が放置されていた。早々に飽きてしまうとは思ったが、まさか一日とは。

「まったく……ん? おぅ……」

 嘆息しつつ表紙をめくると、ちゃんと書いてあるではないか。

 いや。ちゃんと、かどうかは判別が難しいが……。

 形も大きさも歪。幼児の書くような文字が最初のページに目一杯並んでいる。気合いをいれないと読めそうにない。

「ノワール……壊れたか?」

 人形は様々な用途があり、中でも手紙や書類の代筆はポピュラーなものだ。

 なので大体の人形にはキレイな筆記能力が標準搭載されている。当然、ノワールにも。


「おはようございますぅ……ネロさんいますか?」

 難読文字とにらめっこをしていると不意にドアが開かれた。

 赤髪の女性。同期の人形師であるルージュだ。

「あのぅ、ユークヒッド系列の魔道回路ってありますかぁ? 昨日売り切れてしまって……」

「あぁ。売るほどあるぞ」

 俺の店はさっぱり客が来ないが、彼女の店は好調らしい。どこで差がついたのかな?


「あれ? 日記ですか? 珍しいですね。ネロさんが……」

「あぁ。ノワールがな。スゴイだろそれ」

 半ば笑いながら魔道回路を手渡す。しかしルージュは受け取らない。なんだ? なんか小刻みに震えている……?

「スゴイ! 本当にスゴ……いや尊い! 尊いよノワールちゃん!」

 突然ルージュのテンションが爆発する。

「なんだ? どうしたいきなり?」

「なんだって……ノワールちゃんはこれ、筆記システムを切って書いたんですよ?」

「そ、そうだな? でもなけりゃミミズが這ったような字にはならないだろ。読めねぇよって笑っちまって──」

「はぁぁぁぁぁ……」

 これでもかという特大ため息で俺の言葉はかき消された。


「お兄様、ダメダメですよそれ?」

 いつの間に入ってきたのか、ノワールと同じくらいの年の女の子がオーバーリアクションで肩をすくめて見せる。

 薄紅色の髪をたなびかせるコイツはロッソ。ルージュが作った人形だ。

「そうです! ノワールちゃんの気持ち、わからないんですか?」

 なんだこれ? なんで俺は責められてるんだ? 気持ちって何のことだ?

「おはようございます。あ、ルージュ様にロッソちゃん。いらっしゃいませ」

 丁度いい。当のノワールが起きてきた。日記から気持ちって飛躍がよくわからないが、そんなもの直接聞いてしまえば早い。

「ノワール、この日記ちょぐえっ!」

 小突かれた。ルージュに脇腹を思い切り。一瞬息が止まるかと……。

「聞いてどうするんですか! ちゃんと読んでくださいね?」

 ルージュは耳元でそう告げると、踵を返して出ていってしまった。

「ではダメダメお兄様、苦労人のノワールお姉ちゃん。ごきげんよう~」

 本当になんなんだ? 俺が悪いのか?


「あっ日記帳……えへへ。楽しみにしてますね、マスター!」

 楽しみに、か。もう何が何だかわからないことだらけだが、日記を読む他ないようだ。そもそも何んの日記を読んでいいのか? という話ではあるのだが。読まなかったらどうなるか分かったものではない。


「なるほど! 交換日記なぁ!」

 店を閉めて深夜。ようやくノワールの日記を解読し終えた。考古学者ってこういう気持ちなんだろうな。

『ますたあに にっきちょうをもらいました。うれしいので ますたあと こうかんにっきを したいです』

 かいつまんで言うならそんな内容だ。実際には嬉しいという気持ちがページの半分ほどを占めているのだが。いや、そんなに嬉しかったのか? こんなホコリ被った日記帳が?

「しかし……交換日記ねぇ? 毎日顔を合あせてるのになんでそんな遠回りなことを?」

 不合理過ぎる。だが、そんなことを口にすれば、今度はルージュに本気でぶん殴られそうだ。

「ガラじゃないんだけどなこういうの……」

 だからこそ買ったまま日記帳を放置していたわけである。

 ブツブツと文句を言いつつも、ペンに手を伸ばす。この件に関してはルージュが異様に怖いし、何よりもあんな嬉しそうなノワールを悲しませるほど俺だって鬼じゃないんだ。


「おはようございます。マスター。今日は遅かったですね?」

 翌朝。久しぶりに寝坊をしてしまった。昼間は労働意欲が沸かない代わりに朝だけはきっちりしていたつもりなんだが……。

 性に合わないことはするもんじゃない。

「ほらよ。日記帳だ」

「わっ! 本当に書いてくれたんですね。面倒くさがりなマスターにしては上出来です。なでてあげますよ。おいで?」

 両手を広げるノワールを無視してカウンター内の定位置に座る。もう限界だ。ちょっと居眠りしないと保たない。

「もう意地っ張りですね。マスターは」

 言いながらノワールは日記帳を開く。

 色々と考えたのだが、結局差し障りのない業務連絡のようなものになってしまった。交換日記なんてしたことがないんだ。仕方あるまい。

「おぉ! すごいです。本当に書いてあります……」

 そんなもんでも満足してくれるのだ。ほとほと合理的ではないが、そんなに悪い気はしない。


「それで今日で五日目だ。頑張ったもんだろ?」

 相変わらずノワールの手書き文字を解読するのと、慣れない日記で寝不足気味ではあるが。カウンターに突っ伏しながら、訪問してきたルージュに経過を報告する。

「そうですねぇ。偉いですよネロさん。撫でてあげます」

 ぐいぐいと頭をなでつけてくるルージュの手を払う。なんだそれ? 流行ってるのか?

「筆記機能を使わない理由、わかりましたよねぇ?」

「ん? あぁ、まぁなぁ」

 生返事。まぁこれぞという確信はないんだがな。

「あれだろ? 気持ちが乗るとかそういう精神的な問題だ」

 最初の日記で感謝の気持を伝えられたときは、確かに嬉しいものがあった。解読に時間を取られているわけで、不合理だとは未だに思う。だがその効果は認めよう。

「上出来です。撫でてあげますよぉ。そして日記なら面と向かって言えないことも伝えられちゃいますからねぇ」

 再度頭に伸びてくる手を払いながら、なるほどと得心する。

 ここ数日のノワールの日記は、俺への悪口を詫びる内容が増えてきている。

 これが面と向かって言いにくいこと、ってやつか。

「そうそうそうですぅ! そいうのが、なんていうか素直な気持ち、なんですよぉ? 甘酸っぱい! 尊い!」

 ルージュが正解とばかりに両手で俺の頭をめちゃくちゃにかき回してくる。

 しかしなるほどな。詫び、ねぇ?

 そういうことなら俺にも心当たりはある。活用させてもらおうじゃないか。日記の力ってやつを。


「マスタアアアアアアッッ!」

 翌日。店で居眠りをしていた俺だが、空気が震えるほどの大音声で文字通り叩き起こされた。

「な、なんだ? どうしたノワール?」

「どうしたじゃありません! なんですかこれえ!」

 ノワールは基本的に表情があまり動かない。それでも激怒していることは流石に分かる。……嫌でも分かるほどに怒気が漲っている。

 そんな彼女が手にしているのは、あの日記帳だ。

「なにって、日記帳だろ? それがどう……」

「どうじゃありませんよ! これ! 本当なんですか?」

 鼻先にビシッと突きつけられる。昨日俺が書いたページではないか。その内容は──。

『先月の店の売上について、その大半を趣味の魔道機材購入に充ててしまった。誠にごめんなさい』

 というものだ。面と向かって言いにくい、日記の正しい活用術……ではなかったのか?

「私の日記帳は免罪符ではないです!」

「うわっ!」

 ノワールの迫力に押され、椅子から転げ落ちてしまった。


「ネロさん。控えめに言って最低です……」

「お兄様。人間ってここまでダメダメでも解体されないものなんですね?」

 頭を打ってもんどり打つ俺を文字通り見下ろしながら、ルージュとロッソが失望を口にする。

 なんでだ? 俺が間違っていたのか? もう何もわからない。ただ、一つ確かなことがある。

「もう日記は懲り懲りだよ……」

 そんな俺のつぶやきも、ノワールの怒声にかき消されるのであった。

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