序章-5
黒衣のレッサーパンダはシキが瞬きすると耳と尻尾にアライグマの特徴を持つ人間に極めて近い姿に変わった。
「やあやあアオイ君、今日は特別に愛らしいね。飴による不調は他に出ていないかい?」
「……いきなり現れないでください」
どうやらアオイには先程のレッサーパンダに気がついていないようだ。
「自分もコウも問題ありません」
「それは重畳。なにかあれば報告頼むよ」
女性の顔がこちらを向く
「今日は新しく可愛らしいお嬢さんに三人も出会うことができるなんて獣神様に感謝しなくてはね。アオイ、彼女たちを紹介してくれるかい?」
シキは背の高い光の反射で橙色のようにみえる明るい茶髪を高い位置で一つにまとた感情がみえにくい糸目の女性の勢いに圧倒される。
アオイは彼女のテンションの高さといつもの軽口に呆れながら答える。
「この方はライさん。見ての通り陽気な性格だが腕利きの医者兼妖力研究者だ。こちら妖精嵐に遭遇した記憶喪失のシキ。獣化している双子の方もいるが話せていない」
「ご紹介に預かったアライグマのライだ、以後よろしく。ふむ、君は特徴がまだ出ていなようだね……では双子から診ようか。アオイとシキは暫く待合室で待っていてくれたまえ」
にこやかにライは双子をバスケットごと引き取ると脱衣所の隣室に入っていった。
―――
「入ってよろしいよ」
アオイは勝手知ったるといった様子で飾り棚から温められたティーカップを取り出し放置されていた生温いミルクティーのような飲み物と古今東西の菓子類が詰められた箱から焼き菓子をいくつか頂戴した。
少しのあいだ、ティーパーティーを開催して遊んでいると診察室からアオイを呼ぶ声が聞こえた。
シキを先頭に引き戸を引いて入ると、そこは診察室兼作業場のような部屋だった。白を基調とした部屋に様々な器具が整然と整えられた様子から几帳面さが伺える。
ライは診察台に向いていた椅子をくるりと回し「どうぞ」と一言。シキを座るように促し、扉が閉じたのを確認して語りかける。
「白い方はシロ、黒い方はクロだそうだ。それと粗方事情は聞かせてもらったよ」
「えっ?」
「どう聞いたか知りたいかい?」
「う、うん」
「それは……」
「それは?」「…………」
シキは興味津々に、アオイは冷めた目で言葉の続きを待つ。
「――――――ヒミツさ!正確には言えない!何故ならクビが飛んでしまうからねっ!」
溜めにためてはぐらかしご機嫌に笑い飛ばすライとハトが豆鉄砲を食らったような顔をするシキ。
アオイはいつも通りの呆れた顔でシキへ諦めたように溢す。
「ライさんの言葉は真に受けなくていい」
ライの笑いが収まるのを待ち、ヘラっとした感情の読み取れないニュートラルな表情に戻った。
「さあ、今度はシキの番だ」
ライはシキの背後に立つアオイへ一瞬アイコンタクトをとり、シキへ手を差し伸べる。
アオイはライの意図を察し双子の入ったバスケットを持ち上げ、診察室から退出しドアの前で人払いの役割を担う。
「さて、シキ。ここに手を翳してくれるかい?そうだ。私と手は繋いだまま」
先程と異なり優しげな声で促され、シキは水晶玉へ手をかざした。不安からかライの手を強く握る。すると、水晶玉は淡く輝き始めた。
それに呼応するように、メンダコ妖精が輝き始めると、シキは肉体に何かが侵入し這い回るような気持ち悪さを感じる。不快感に耐えきれず目をつぶっていると、少しずつ、また少しずつ、気が遠くなっていく。
「手を離したまえ」
ライの呼びかけは先程と特別変わったものではなかったが、混濁していたシキの意識は泡が弾けるようにに覚醒した。シキは慌てて水晶から手を離すと急速に光が収まり、段々と気持ち悪さが消えていく。
ライと繋いでいた手はいつの間にか離れていた。
「なるほど……そうか……」
ライはなにか考え込んでいる。シキはドキドキしながら言葉の続きを待つ。
シキの視線に気づいたライは、困ったようで普段の調子を取り戻すように矢継ぎ早に話し始める。
「……そうだな。結論から言おう。君についてだが、何もわからなかった!この天才妖術研究者をもってしてもだ!」
「こいつをごく簡単に説明すると触れた者の記憶を辿る道具だ。君と仔猫達は森の中で出会い、緑の熊に助けられこれまで生活していた。これは子猫たちの記憶から知り得たものと同じだ。」
ライは水晶を手の甲で叩く。
「しかし、君が森の中に至るまでの記憶が辿れない。仔猫たちが負傷してまで森の中に至る過去はあるにも関わらず、君にはそれがない……何故だろうか?とても興味深い」
「仮説はいくつか建てられる。妖精の妖力による魂の変質、超常的な存在による干渉、無意識化による強烈な拒絶意識があるか…………」
ライはシキの周りをぐるぐると回りながら、しきりに指をこすり合わせる。アライグマの特徴を持つが故かライ個人の癖か不明だが、シャリシャリと爪が掠れる耳障りな音が部屋に響く。
「…………そうだな、私と一緒に暮らそうシキ!君が記憶を取り戻すまで、私のすべての時間を君に捧げよう!だから私と一緒に暮らしてくれないか?」
ライはいきなりシキの小さな手を包むように強く握る。
シキは熱意に戸惑ったようでオロオロしているとシキの背後の扉が開き、先程まで背中で嗅いでいた匂いがした。
「ライさん辞めてください」
「おいおいアオイ。邪魔しないでくれるかい?私は彼女を口説いてくるのだが」
「研究対象として、でしょう。年端もいかない彼女を一日中研究に付き合わせて閉じ込めるおつもりで?」
「シキの為だ。記憶を取り戻す方法を発見できる確率が一番が高いのは私だ。天才たる私がつぶさに観察することでより確率は高まるならば、一緒に暮らすが合理的だ。君ならわかるだろう」
「…………シキが決めることです」
2つの顔が同時にシキヘを向く
ライはどこか愉快そうに
アオイは不愉快さを隠さず
シキは心もとなく頭上に座るメンダコ妖精を上目遣いでみると、すやすや眠っている様子が見て取れた。
少し思案したのち、シキは決断する。
「ライと住む」
「当然だな」「…………」
「でも、アオイとコウが見つけてくれた。モモが助けてくれた。だから、手伝いたい」
二人の顔を伺いながらシキは意思を伝える。2択を選び取るのでもなく、記憶喪失のシキにとっては初めて自分の意志で起こした小さな決断である。
アオイはなぜか少し驚いた様子で言葉に詰まっていた。
その様子をみたライは笑みを深めて話し始める。
「私も昼間は本調子でないし日中はいなくても構わないが、日暮れにはこちらに返してくれ。ついでに双子の面倒もみてやろう。アオイもそれで構わないだろう」
「……あぁ」
「では、そのように。準備しておくから暫く出ていってくれるかい?」
「シキ。役場に行くぞ」
アオイはシキに先導され部屋を出ようとする。
「待ってるよ」
ライの言葉にシキが振り向くと、色の見えない瞳は妖しく燦めいてみえた
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