第3話 きつねは口が悪い

 六角の店を出て家に帰ると、三太は用事があるといって行ってしまった。

 猫と二人きりになった。いつもなら、この時間帯は二人で家事を分担してやるのだが、猫はなんだか落ち込んでしまったのかもくもくと家のことをしている。声をかけづらいなと思っていると、チャイムが鳴った。

 これは天の助けとばかりに政は立ち上がり玄関に行くと、壺があった。

「こ、これぇ」

 可憐な声がしたのに見ると、お紅だ。

 たぬきの姿で大きな壺をもって、よたよたしている。慌てて政はその壺をもってやった。

「ふーふーです。あの、これ、お礼を」

「お礼?」

「はい。梅ですっ」

 政は沈黙して、そっと壺のなかを見た。大量の梅の実だ。これをどうするんだ。甘い匂いがしていいが、

「梅ですかーーー」

 とたとたとたー。

 廊下を走って目を輝かせる猫に政はぎくりとした。

 今まで落ち込んでいたのが嘘のように元気な顔をしている。

「ひゃあ、梅、梅梅っ」

 ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ姿は子供のように明るい。

 ふふとお紅が微笑む。

「私の住まいの近くでとれたものです。とても甘くておいしんですよ」

「はぁ、え、これ食べるんですか」

「何言ってるんですか! 漬けるんです! ああ、決まったら、急いで漬けなきゃ」

 猫は現金なものでもう梅に夢中だ。そのちっちゃな体のどこにそんな元気があるのかと疑問に思う勢いで壺を両手に持つと家の中に走っていく。

 いや、これを受け取ったらお紅の頼みを引き受けることになるのだが――聞いちゃいない。

「ふふ、よろこんでる」

「すいません。うちのが……どうぞ、あがってください」

 ふふとお紅が笑って居間にあがる。

 お客様にお茶を、と思ったが猫はその点はきちんとしていた。お茶を出してくれたが、ずっとそわそわしている。

「……梅の処理しちやいます」

「え、あ、それは」

 お紅の言葉に猫がぎくりとしている。

「早めにしたほうがいいですもんね。手伝います」

「お客様に、そんな、あ、けど、うれしいです」

 などど口にしている。

 梅をどうするんだ。一体なにをするんだと政が見つめていると、再び壺を出してきた。

 新聞を広げたうえに転がる、ごろごろとした青い実は、甘い香りを漂わせている。

 それに爪楊枝をとりだした猫とお紅が慣れたようにせっせっと手を動かしている。見ると、梅の実のヘタをとっている。

「半分は梅干しにしましょうか」

「いいですねっ」

「俺はなにをすれば」

「政さんも、とりあえず、へたとりっ」

 猫に言われて政も同じく、手を動かす。

「これをあとで水洗いして、きれいに拭いて、氷砂糖に入れるんですよ。天気もいいですし、梅は干しましょうか。ちなみに梅干しは塩をいれます」

「へぇ」

「桜の花びらも持ってきたんですよ」

「本当ですか! それもシロップにしなくちゃ」

「桜の花びらも食べれるんですか?」

「食べれますよ。あれは洗って塩につけるんです」

 猫がなにを当たり前のことをいう調子でいうので、政はただただ驚いた。きれいだと見惚れていたものを今度は食べるというのだ。どれだけ貪欲なんだ。

 しかし

 猫もお紅も楽しそうなので、そんなつっこみはよしておいた。

 梅は三人でやればあっという間だった。猫が洗って、部屋の奥に干すというので走り回っている。元気だ。

 そのせいで居間に政とお紅だけが残された。

「喜んでもらえてよかったです」

「ええ。ありがとうございます」

「……私、呪いの解き方、しってます」

 お紅の言葉に政はぎょっとして顔をあげた。

 真剣な視線で、見つめてくるお紅に政は息を飲む。

「だから、お願いです。きつねさんに……あの人においしいものをあげてください。刑部狸さまのように、過去にとらわれてしまっているあの人を解放してください」

 切実な、祈りのような言葉だ。

 

「お紅さん、帰っちゃいましたね……いただくだけいただいてしまいました」

 猫がしょんぼりとした顔で呟く。

 お紅とはほぼ初対面だが、同じ女同士、その上梅の実を処理したもの同士ということで気が合うらしい。

 ずっとにゃにゃぽんぽんと声をかけあっていた。なのでさみしいらしいが、食欲はあるのか、いただいた桜の花びらを塩につけている。こちらは水洗いして、あとはレモン汁と塩を交互にいれて揉むだけなので簡単だ。ジップロックにいれてずっと揉んでいる。

「それはどれくらいかかるんですか」

「んー、一週間とかでしょうかね」

「長いですね」

「ふふ長いですよ。けど、レモンと塩のおかげで色が落ちないからきれいでしょう。ごはんにつけてるとかわいいんですよ」

 食べ物にかわいいなんて必要なのかと思うが、楽しそうな猫を見ているとそういうものがきっと大切なんだろうと思えてくる。

 自分の知らない食べることの楽しみをいっぱい知っている。

「……ドライブに行きませんか」

 政が優しく誘うと猫が笑った。



 スマホの地図アプリで検索すると、そこはすぐに出た。

 伊予市にあるというが、車で三十分ほどの距離だ。以前もドライブと口にしたが、わりと近場にあるらしい。

 車を出せば、山道よりは田んぼのあぜ道をひたすら進む。進んでいくと、いくつものだんだん畑が見えてくる。

 まるで階段みたいに段と段を作って畑が並ぶのは面白い作りだ。そうして開けた道を進むと大きな鳥居があった。そこをくぐるとあとは細い道をひたすらに上るだけだ。

 ついた先に神社がでんと構えられている。

 大きい。

 そして、とても立派だ。

 車は神社の所有する駐車場に停めて、のそのそと歩いていくと見上げてなんとも神妙な気持ちになる。

「行きましょう」

 猫は楽しそうだ。そのあとに政は続く。

 門をくぐれば、右手には藤が咲き乱れ、甘い香りがする。

 政がぎょと目を開けると、真っ白い着物――狐だ。

 頭としっぽに獣のものがある。

 たぶん、これが憑き物筋に見えるものなのだろうが――狐がゆっくりと振り返った。おどくろほどに美しい狐がふっと笑った。

「あらぁ、いい男ねぇ」

 はい?

「ゆっくりとしていってねぇ」

 はいい?

 政は困惑した。いや微妙に言われた意味を理解できないというか、したくないというかただひたすらにその言動にめまいを若干だか覚えていた。

 まぁ、つまりはものすごく微妙に困っていた。

「あら、なによ、かたまって、ああ、狐が珍しいのかしら」

 それは目の前の相手のことかと思ったが、見ると狛犬がいるべき門の位置に狐がいる。とても愛嬌のある微笑みをたたている。

「きれいな方ですね」

 猫が口にすると、狐が、あらんと声を漏らした。

「やだ、もしかして、オタク、見えてる?」

「……はい」

 仕方なく政は返事をする。

「きゃあああああ、やだーーー。それならはやくいってよー。こっちとらついうっかりすっぴんなんですけどぉ」

 甲高い雄たけびとともに狐が猛ダッシュで走って神社のなかに消えていく。

 すっぴんもなにも美しいとは思うが、ただその言葉遣いはびっくりした。

「あらら、恥ずかしがってますね」

「そう、ですね」

 どこをつっこんだらいいんだ。あれは

 ほっといていいならこのまま背を向けて帰りたいのだが

『こんこん、まってるこん』

『はやくいくこん、こんこん、いくこん』

 かわいらしい声に見ると、今、狛狐たちが動き出している。

 いや、石は動いてないが、そこから白い狐たちがふんわりと分離して現れた。二匹の狐は政の足元に近づいて、しっぽをふり、はやく、はやくと鼻先で進むように促してくる。

「ちょ、こら」

 押される形で神社の前までくると、その威厳のある雰囲気にたじろいだ。

 と

 つつと戸が開いて、白い手が現れた。

 真っ白い着物を身にまとった狐さまが現れた。

 一瞬、政は意識を失っていた。

 あまりの美しさに本当に意識が遠くにいきかけた。危ない。

 先ほど見たときも美しいと思ったが、気合をいれているのだろう、白さが銀といってもいいレベルになっている。目の端につけられた赤い化粧が品をひきたて、驚くほどの美貌で輝いてみえる。思わず神はいた、と言いたくなる。

「よくおいでなりました、憑き物筋殿」

「……あの、先ほどのは」

「ん」

 狐が言葉に詰まった。

「あれがあなたの本性」

「そういうのはわかってても言わないが華でしょーー。おばかーーー」

 思いっきり額に扇が飛んできた。地味に痛い。

「政さんっ。なんてことするんですかっ」

「うるさいわねぇ。こっちとら、外面整えてるのにいらないこといって喧嘩売る、その子が悪いっ」

 政としてはまったくそんな気はないが、狐さまがご立腹としたら余計なことを口にしてしまったのだろう。

「まぁ! 政さんは確かに空気読めない、ひどいこといっちゃう人ですが」

 それはフォローになってません。猫

「けど、けど、優しいんですよ。外面ばっかりじゃないんです。美人ですけど」

「実は優しいじゃ相手に伝わんないでしょ。あと褒めてくれてありがとう。美人ってことねっ」

「むぅ。この内面ブスめっ」

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