第三話・夜桜の果て、約束の君を思ふ
第1話 夜桜と宴会
湿った空気が、肌を撫でていく。
息を吐くたびに、火照った体が冷やされる。
政はちらりと横を見た。
少しばかり息のあがった自分と違い、着物を着崩した六角は微笑みをたたえる余裕すらある。
「どうかしましたか?」
「いえ、本当にいいのかと思いまして」
「誘ったのは、政さんじゃないですか」
ふふと含み笑いを零す六角は、騙されてはいけない世間でいう狸親父を連想させた。
目の前の色男が実は狸であることを知る政はなんともいえない顔をした。
ことの発端は四時間ほど前にさかのぼる。
うららかな春の日差しが漂う午後。
有給消化中だが、なにかしていないと落ち着かない政は猫に声をかけて、仕事をもらうことにした。
一人と一匹。
午前中に庭で干した洗濯物を居間でテレビを見ながら畳むのどかなひととき。
今までテレビを見ながら作業をすることがついぞなかった政は、なんだ新鮮な気持ちになった。
愛媛は地元のテレビ局が活発らしく――実は東京だってそうだったのかもしれないが、政は朝から晩まで仕事をしていたのでほぼ見なかった――土日は地元のキャスターがあっちこっちへと新しい店の宣伝、今あるイベントの告知と大忙しだ。
本日のテーマは春の松山。
笑顔のキャスターが松山城の桜がきれいで、夜桜は青いライトアップされた松山城が目玉だという。
いろんなことをするものだと政は感心しているとそわそわした気配を覚えた。
ちらりと横目で見ると尻尾をぴーんと伸ばした猫がいた。
その顔を見ると、だいたい次の台詞を決まってしまう。
――花見をしませんか
――もちろんです、政さん!
笑顔の返事。
ここまではよかったのだが
――じゃあ、俺も行く!
たまたま、らしい。
かなり狙ったタイミングで――毎日のようにやってくる三太が開けっ放しだった雨戸から身を乗り出して返事をする。
勝手知ったる我が家のように居ついて、さらっと話題にはいってくる。
――いいですね、みんなでいきましょう!
猫がきらきらした目で断言すると政は止める間もなかったので開き直った政は
「みんな、だったらお世話になった方も誘いましょう」
以前教えられた連絡先--ラインに書き込むと六角からはすぐに返事とともに、仲間も誘っていいですかと言われて、承諾するとあれよあれと言う間に狸の花見会などというライングループが作成され、政の知らない名前がずらーと並び、彼らは一同に参加すると返事、あれだ、これだの用意、時間を決めてしまった。
現代の狸、恐るべし。
夕方には知らない車からスーツ姿の男と赤い着物の少女の不思議な組み合わせが迎えにやってきた。
挨拶も済ませる前に車に乗せられて、気がついたら松山城ロープーウェイ街の入り口に到着していた。
すでに待っていた六角と、以前お店であった本陣、上総、それにお袖。その横にはリュックにメガネ、春先では寒いのに半袖シャツにジーンズのこてこてのオタクファッションに身を包ませた青年が立っていた。
「はじめまして。拙僧、毘沙と申します!」
「えっと、その姿は」
つい政が尋ねると
「人間は好きなものに熱中している者をオタクと褒めるそうですね! それに見合う正装姿をしてきました! どうでしょうか? 合ってますかね!」
「何か好きなものがあるんですか?」
オタクは誉め言葉ではないと思いつつ政が聞くととても嬉しそうに頷いた。
「はいっ! 拙僧、路面電車大好きなのでありますっ!」
「はぁ……」
困惑する政の背中が突かれたので振り返ると三太が耳打ちする。
「あれ、坊ちゃん電車に化けたって逸話のある狸だよ」
「電車にですか?」
「そ。がちがちの路面電車大好きなんだよね」
「ほぉ」
「おう! 先は挨拶してなかったわな。わいは商いの狸、金平や。よろしゅう」
こちらはなぜか算盤を持っている。黙っていれば二枚目のエリートという風貌なのに、口を開くと三枚目な雰囲気が漂ってくる。
「わ、わたし、お紅です。よろしく、おねがいします」
赤い着物の小さな少女はお紅という名らしい。
「おお、お紅ちゃん! つばきじんしゃの~」
「は、はい」
猫が大興奮で喜んでいる。
二人並ぶと日本美人というかんじでなんとも可愛らしい。
「はん、田舎モン丸出しにじろじろ見る男はもてまへんで、こういうのは男がエスコートするもんやで、あんちゃん」
「なに偉そうな口叩いてるんだ。ああ、金平は計算も出来れば、文字も書けるちゅうインテリ狸ですが、まぁ、大阪いってケツの毛までむしられた阿呆です」
「なんじゃあ、われ、喧嘩うっとんのか! わっちはな、都会に愛想尽かして帰ってきたんじゃあ、ぼけぇ」
「中身はこういう粗野な男です。あと政さんはばりばりの東京育ち。お前の憧れの都会っ子だ」
「はぁ~~なんやそれ! お前、東京タワーのぼったことあるんかい」
「小学校の遠足であります」
「なんや、まじもんの都会っ子やん」
先ほどまでの威張りはどこにいったのか金平が宝石をちりばめたようなきらきらした目で政を見つめてきた。
別に東京育ちだからどうした、という感覚はない政は困惑する。
建物が密集して、物価が高く、あれこれと面倒が多い、かわりに便利な面もあった、というぐらいの印象しかない政にとってその反応はなんとも不思議なものだ。
「こいつはミーハーなんですわ。お、きたきた。大ちゃんこっち」
おおっ! 太い声がする方向を見ると六角よりも頭一つ分大きく、着物を纏っている姿はどこかの相撲の選手かと思わせる大男。そしてなぜか片手にタコ。
「大狸いいます。よろしく。これは今日とれたタコです」
差し出されたタコはまだ生きてうねうねしている。
「いきがええねぇ。けど、政さんは人やから、いきなりタコ出しても困るだけやで。大ちゃん。刺身にして食べようか。じゃあ行きましょう」
さらりと六角が受け流すので、これはどういうことなのかとつっこみが追い付かない政は黙るしかない。
個性豊かな狸たちをまとめあげているのは六角らしく、彼の鶴の一声に狸たちはロープウェイ街を歩きだし、なだらかな坂道をつらつらと進む。
昼間であればあっちこっちの店が開いているが、今は夜。ほとんどの店が灯を落している。
唯一大きく灯っているのはロープウェイ乗り場で、こちらは人がちらほらと見えたが、実は乗り場横にある神社の脇道を歩いても、松山城にはのぼることができる。
大人数なので、今回は歩きにした。
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