第二話・ひなまつりとたぬき

第1話 いき倒れのたぬき

【先輩、そちらの生活はいかがですか?】

「上々です」

 パソコン画面に映る後輩の飯田彪に政はさらりと答えた。

 画面いっぱいに人当たりのよい笑顔、くりくりとした目、懐っこい雰囲気が全面に漂う、子犬みたいな後輩はなにがいいのか、政によく懐いた。

 先輩、先輩と口にして話しかけてくるし、気さくに食事にも誘ってくる――毎回丁重にお断りをいれて食事など一回もしたことがない。

 そんな人付き合いがいいとはいえない政にへこたれることなく関わってくれる彼は、有給消化という名目で長期休暇中の政にもすすんで連絡をとってくる。

 離婚騒動については会社の人間たちはすでに知っているし、去年祖父が亡くなり、その財産の処分に四国に行くことも告げていた。

【いいなー。俺もそっちに行きたいです】

「来てもいいですが、なにもないですよ」

【先輩ったら~】

「二足歩行で歩く猫とみかんがあるくらいです」

【先輩ジョークを言えるんですね】

 本当のことだが、どうも信じてもらえない。

【あ、狸が二匹いる?】

 飯田が怪訝な顔をするのに政は小首を傾げて振り返った。

 今、政がパソコンをつけているのは居間のちゃぶ台だ。パソコンで少しだけ作業しようと連絡用アプリにログインするとすぐに飯田から声をかけられ、そのまま通話する流れとなった。

 政の職場はリモートワーク化が進んでいるので、業務中に必要であれば通話アプリで社員同士の会話も許可されている。

 この場合は完全な私事だが――そして、政の背後は畑兼庭だ。

 黒い猫――これは最近嫁だと言い始めた呪い猫だ。――と、黒いなんかでっかい毛むくじゃらの生き物が向き合っている。

 毛むくじゃらの生き物が二匹仲良くじゃれている光景だが、政には猫が黒い生き物に襲われているようにしか見えない。

 夫の目の前で妻が不貞を働いている。一度ならず、二度までも。それも日中の日差しのなかで堂々と! 

 勘弁してほしい。これではトラウマどころか、いろんなものが再起不能になってしまう。

「っ!」

【野生のたぬきって、あ】

 断りもなく、通信を切った政は慌てて駆けだした。

「猫、大丈夫ですかっ、というか、浮気はやめてくださいっ」

 つっかけを履いて庭に飛び出した政は思いっきり黒い毛むくじゃらを引き離した。

 ふににんとした触り心地は猫ではない、犬とも違う。先ほど、飯田が狸と口にしていたが、いやまさか

「ちがいまぁーーす!」

 猫が顔をあげて叫んだ。

 土と葉っぱを黒い毛につけて、ふーふーと息が荒い。毛もぱんぱんに膨らんでいるのは相当なお怒りモードだ。

「畑の手入れをしていたら、こいつが野菜を食べていたんです。ふとどきものーっていったら、いきなり倒れてきたんですっ」

「俺には日の下であなたが不貞をしているようにしか見えませんでしたっ」

「私は政さん一筋ですっ」

「よろしいっ」

 怒鳴り合っていると

「なにしてるの、二人とも? え、いちゃいちゃ?」

 三太が自転車からオリながら、呆れた顔をして聞いてくる。その肩には金の蝶がとまり、心配するようにひらひらと羽を動かしている。

「妻の不貞の現場を見つけまして」

「違いますって! こいつが襲ってきたんですっ」

「それ、たぬきじゃん。ここらへんに出るんだ―」

 けらけらと三太が笑って近づき、政の両手に持つそれに視線を向けた。

「たぬき、これが?」

 ぷくぷくの、ふわふわの毛むくじゃらの生き物は猫のように黒い毛と若干薄い茶色の虎猫みたいな柄をしている――くたぁとして、まったく動かない。死んだのかと心配になる。

 思わず軽く揺さぶるが動く気配はない。

「たぶん、それ死んだふりだよ。たぬきって頭いいから死んだふりするんだ」

「死んだふり……本当にするんですか」

「たぬきはするよ。昔、たぬき汁にしてやろうと思って捕まえたやつが、それで逃げたことるあもん」

 ぎくっと政の腕のなかのたぬきが震えた。

「こいつもたぬき汁にする?」

「おいしいんですか?」

「おいしいよ」

「では今日の夕飯は、それで」

「あほかーーーーーーーーーーーー! 愛護精神どこいった、おまえらっ」

 唐突に政の腕のなかにいたたぬきが声を荒らげた。

 唾を飛ばし、牙を剥く姿は野生動物らしい獰猛さがうかがえる。やはり死んだふりをして逃げようと企んでいたのか、元気だ。

「おまえ、こんなプリティな生き物殺すんか? 食べるんか? 鬼畜! 鬼! たぬきなしっ!」

「人の畑の作物を食べて膨れ上がった贅肉の塊がなにを」

「ふぁーーー! うるっさいわ、だって食べんと生きていけんねん! ちょっとおいしそうな野菜あったら食べるわい」

 完全に開き直っているたぬきに政は胡乱なまなざしを向けた。

「猫、今日はたぬき汁で」

「いやーー! ころさんといてー、こんなかわいい生き物を殺すなんてやめてー! ゆるして、よして! 靴ぺろぺろ嘗めるし、おなかみせるからーー!」

「あなたにはプライドというものがないんですか」

「プライドがあって生き残れるならプライド作るけど、無理なら捨てるわ、そんなもんっ」

 ここまで生に執着出来るのにあっぱれと褒めるべきかもしれない。

 政が視線を向けていると、ふんっとたぬきは鼻息荒く胸を張っている。

「政さん、普通に話してるけど、たぬきしゃべってるよ、それでいいの? 対応としてはさー」

「この地方のたぬきはしゃべるんじゃないんですか?」

 猫だって二足歩行でしゃべるのだ。たぬきがしゃべってもおかしくない。

「いやいや、しゃべらないから、つまりこいつ、化け狸だよ。珍しい~~」

「あん? そういうアンタ、憑き物筋やないでっか。ちょっと、その筋さん、助けてくださいよ。わい、食われてまう」

「たぬき汁、おいしいよね」

 完全に面白がっている三太の一言にたぬきはぶわぁと尻尾の毛を膨らませた。三太の目が笑っていないからだ。

「あかーん、こいつ、あかーん! わい喰われてまう。ちょっと、そこの猫のお嬢はん、助けてっ」

「私ですか?」

 猫が唐突に話をふられて驚いたようにしろどもどろしている。

 自分の丹精こめた畑に盗み食いをしてきた不届きな狸にたいして先ほどまでぷりぷりと怒っていた猫だが、政と三太にこてんぱんにやられて若干同情を覚えている様子だ。

「黒い毛がつやややかできれいなお嬢さん、たのんます。助けてください。美人さん、よ、美猫っ」

「ひゃ、そんな褒められたら、え、えへへ」

 誉め言葉に気をよくして照れている猫にたぬきが前足をすりすりとごますりさせる。

 とたんにむぎぃとその体を持つ手に力をこめられて、うぎゃあと声をあげた。

 政が冷たい目でたぬきを見つめる。

「あいた、あいたた、な、なんや、あんたっ」

「この獣畜生が人の妻を目の前で堂々と口説かないでいただけますか?」

「はぁ、妻、妻って、はぁあああああああああ、猫と人が夫婦なん、なんなんそれーーー!」

「しゃべる狸に言われたくありません」

 政が手に力をいれると、ぐぇとたぬきが哀れな悲鳴をあげた。

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