『真夜中の訪問者』

龍宝

「真夜中の訪問者」




 さて、只今ただいま同郷の友、王貴信より説話のひとつもやってくれないかと頼まれまして――


 わたくし名を甄明明しんめいめい、しがない説話師ではありますが、皆々様が深く酩酊され明日には記憶もさっぱり残っておらぬことを期待して、ひとつ怪談など披露ひろうさせて頂こうかと――








 わたくし甄が、日本の友人から聞いた話でございます――



 今から数年前、当時学生だった友人――こいつを当面、張三ちょうさんと呼ぶことにしましょうか――は、関西のとある大学に通っておりました。


 学業に手一杯な一回、二回ならいざ知らず、粗方あらかた単位も取り終え、大学生活の勝手も心得た三回生ともなれば、多少の余裕も出てくるというもの。


 となれば、ちまたの学生の例にもれず、張三も「どれアルバイトでもしようか」と――


 ちょうど、他の大学に通っていた友人から、大学近くの旅館で夜警の仕事を手伝わないか、と誘いがあった。


 高校時代から気心の知れた友人の誘いとあって、張三は一応の下見はしたものの、軽い気持ちでこれを了承したのでございます――




 この旅館というのが、街中にある小さな旅館で、歴史があるといえば聞こえはよろしいが、とにかく古くて、狭くて、ついでに客の眼が付かないところは汚くて――


 まァ酷い実情だったのですが、客からすれば「趣がある」といって評判が良い。


 いやいや、何処の国でも客商売というものは、裏側さえ見なければそういうものでありましょう。


 とかく、張三は旅館の夜警見習として、夜の十時から翌朝の八時まで、社員たちが不在の間を事務所に詰めて、客の相手や見回りなどすることになったのでございます――



 冬のある日のことでありました。


 張三は例の友人ともうひとりと、三人で以て事務所に詰めていたのでございます。


 夜警といっても、こういった旅館にわざわざ泊まりに来る客ですから、あまり夜遊びに出たりもせず、早々に就寝する者が多い。


 そもそも、夜の十時を過ぎれば、唯一の出入り口である門を閉ざすのも、夜警の仕事のひとつでありますから、社員が帰れば特にすることもなく――


 張三はいつものように、友人たちと事務所で駄弁だべっておりました。


 そうして会話が盛り上がるうちに、時計の針がひと回り、ふた回り、気付けば日も変わり、すっかり真夜中になってございます。


 張三はともかく、あとのふたりが眠たがって、三人は事務所に簡易ベッドを並べ、仮眠をとることになりました。


 夜警ですので、起きていなければいけないのでは、とお思いでしょうが――


 まァ小さな旅館でございますから、建前はともかくとして――簡易ベッドが備品としてあることからも――社員の責任者からも黙認されていたのです。


 明かりを消して、しばらくするとふたりの寝息が聞こえてくる。


 張三も横になって眼をつぶるのですが、元来夜型の性質たちなのもあってこれが中々寝付けない。

 


 さてこの事務所。


 玄関を抜けて、客を迎えるロビーの裏側に構えてあり――


 こう、細長いのような形をしておりまして、張三たちは一列になって横になっていたのでございます。


 その中で、張三はフロント、つまり客の相手をするカウンターがあるロビーの一角と、薄いドアを一枚へだてた地続きのところに位置取っておりました。


 もちろん、寝付けないことをあらかじめ分かっていた張三の、一応の仕事意識からすぐに来客に対応できるようにという判断でございますが――


 このドアというのが、中央に曇りガラスをめてあるもので、そこからフロント側の照明がこちらにも差し込んでくる。


 それを幸いに、張三は友人たちを起こさないようひとりで読書をしていたのでございます。



 どれくらいそうしていたか、読書にもいて何をするでもなく寝転がっていたところ――


 つと、玄関の大きな自動ドアが開く音が聞こえてきた。


 腕時計は、三時前を示している。


 いきなりのことで心臓が飛び跳ねた張三でしたが、これ自体は珍しいことではなく――


 理由は分からないものの、あそこのドアが勝手に開くことは今までの経験から既知のこと。


 またか、と起き上げた上半身を戻そうとした時――




 すすすっ、と遅れて人の気配が入ってきた。




 これには、張三の全身に冷たいものが走る。



 客の誰かが下りてきたのか?


 いや、それなら玄関の自動ドアが反応するはずがない。


 では、外から誰かが入ってきた?


 いいや、出入り口の門は、確かに自分がこの手で閉めた。


 誰かが、うっかり入ってこれるはずがない!


 ありえない。



 先ほどの比ではなく、張三の心臓が音を立てる。


 気配は、そのままロビーを移動している。


 硬直した身体をどうにか動かして、張三はフロントにつながるドアへ首を向けた。


 曇りガラスの向こう。



 本当なら、誰かの人影が見えるはず――






 いない。



 誰もいない。



 こいつは、人間じゃない!






 恐怖で声も出せない張三は、とっさに友人たちを見遣った。


 こいつらも、先ほどまでうるさいくらいにいびきをかいていたのが、死んだように静まり返っている。


 身動ぎすらしない。



 気配。


 フロントの方に向いて足を止めたのが、はっきりと分かった。




 とっ、とっ、とっ――




 近付いてくるっ――




 音が聞こえたわけではない。


 だが、気配だけが、勢いよく張三の方へ向かってきて――




 そのまま両手をカウンターに叩きつけた。




 乗り越えてくる気か。


 張三は息すら止めて身構えた。


 気配は、カウンターの傍に立ったまま、こちらを見ている。



 ふと、気配が右側に足を向けた。


 そのまま進めば、迂回して事務所の反対側の入り口がある。


 それだけはまずい、と張三は祈るような気持ちで必死に物音を立てないようえていた。


 対峙は、束の間のようにも、ひたすら続いたようにも思えた。


 もうすぐ、夜が明ける。


 そう思い出した頃、そこにいた気配が、いつの間にかき消えていた。


 張三は、慎重に空が明るくなり出すのを待って、ロビーへ出た。


 誰もいない。


 当然、外の門にもかんぬきが差さったままで、人が出入りできるような状態ではない――






 あまりの気味悪さに、張三は起きてきた友人たちにもこの話をしなかったそうでございます。




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