【KAC202210】暗闇に謎を隠して

ゆみねこ

暗闇に謎を隠して

 幼い頃は昼が好きだった。手を伸ばしても届かない程、遠く遠くにあるあの太陽が眩しくて、その元で生きる自分も眩しいと錯覚していた。

 その錯覚が解けたのはいつ頃だろうか。はっきりと覚えてはいないが、おそらくは身の程を知ったあの時だろう──


 僕──加賀美隆盛かがみりゅうせいは担任の話を碌に聞かずにそんな事を考えて、エネルギーの塊である太陽を見つめていた。

 やがて、担任の無駄に長ったらしい話は終わりを迎えて、下校となった。


 荷物を詰め込んだ鞄を背負って帰路に着こうとすると、一人のヤンキー系の男に顎でこちらに来いと指図されてしまった。どうやら『今日も』らしい。

 あまり気は乗らないが、行かなきゃ行かないでまた面倒なことになるのは経験済みだから、背負った鞄を机に下ろして男を追いかけた。


「今日は何の用かな?」

「ハハ、決まってんだろ。安心しろ、目立つところは避けてやる」


 ヤンキー男について行った先は学校内でも目立たない、所謂穴場というべきスポットであった。

 そこには複数人の悪そうな風貌の男達が立っていて、関節を鳴らしている。


「どうぞ。お好きにしてください」

「ハハ、随分と従順になったものだな」


 男は握った拳を僕の胴体めがけて振り抜いた──



★☆★☆★☆★☆



「けほっ、けほ……痛てて……」


 僕はどっかりと座り込んで、ぼーっとしていた。今日も手酷くやられてしまった。

 彼らには人間の心がないようで、僕の腹部に容赦なく殴る蹴ると暴行を加えてくる。


 今では慣れっこだが、前は嫌で嫌で仕方がなかった。

 誰だって痛いのは嫌だろう? つまりそういう事だ。


 ワイシャツを捲って肌を見てみると、痣が数箇所にわたって出来ている。

 今日出来たのは大体四箇所だろうか。


 そんな訳で僕はヤンキーのストレスのはけ口として日々、ボコボコにされている。

 何故標的が僕なのかは分からない。まあ、彼らには大した理由なんてないのだろう。


 強いて言うなら、弱そうだから、反撃して来なそうだからというのが候補に上がるだろうか?

 自分で弱そうと思うのは恥ずかしいが、事実弱くて反撃の一つも出来ていないのだから認めるほかない。


「……もう出校の時間か」


 最終下校時刻が間近な事を知らせる放送が学校の敷地を越えて響き渡る。

 決まった言葉を棒読みで仕事を終わらせる放送委員。いっそのこと機械にやらせれば良いと思うが、アナウンサーのきっかけにもなるくらいだし必要なのかもしれない。


 僕は急いで教室に戻った。下校時刻を過ぎると色々面倒なことも多いからだ。


「あれ……」


 もう誰も残っていないと思っていた教室には一人の女子生徒が残っていた。彼女は綺麗な黒のストレートと、ぱっちりとしているのに光が灯っていない瞳が特徴の整った顔を持つ女子──黒葉涼華。

 この学年で誰がクールなで美しい女子かと問われれば、間違いなく最も名が上がる有名人だ。


 黒葉さんは誰もいない教室で、一人ぽつんと椅子に座って外を眺めていた。

 僕は彼女とは関わりがない。と言うか、この学校内で彼女と話したことがある人の方が少ないだろう。


 一種の高嶺の花である彼女には干渉しないようにして、鞄を背負って足早に教室を去ろうとした時のことだった。


「──やられっぱなしでいいの?」


 彼女の静かで冷たい声が僕の耳の中にすっと入ってきた。一瞬何が起こっていたのか分からなかった。

 あの『黒葉凉華』に話しかけられた──その事実に気付いた時には彼女は教室を去っていて、残されたのは僕と鐘の音だけだった──。



★☆★☆★☆★☆



 子夜の東京は人々の生活が消えた以後も、輝きの都市としてその姿を健在させている。

 無人の道路、無人の繁華街、人がいなくても照らされ続けるその様子は夜の訪れない都市と言っても過言ではない。──いや、流石に過言か。


 未成年が出歩いていたらまず間違いなく補導されてしまう時間に僕は無人の都市を歩いていた。所謂、深夜徘徊だ。

 僕がなんでこんな時間に歩いているかなんて理由はない。ただ歩きたかった、それが僕を突き動かした原動力だった。


──夜は良い。自分という存在が照らされないから誰にも自分が見えない。


 見せなくても良い美点も、見せたくない欠点も何もかもをその宵闇の中へと封じ込めて、他人から隠してくれる。

 そこには無駄な思い上がりも何もかもが消え失せて、他人には見えない『自分』が現れる。


 その『自分』と向き合った時、初めて自己を認識して、身の程を知るのだ。


「ん? 猫?」


 全身が艶のある黒い毛で包まれているスリムな猫がその大きく開いた両の目で僕の事を見つめていた。

 何かを訴えかけてきているような、いないような視線に僕は戸惑っていると、ふとある名前が出てきた。


「黒葉さん?」


 何故、黒葉涼華の名前が出てきたのかは分からない。雰囲気が似ているのか、容姿が似ているのか分からないが、なんとなく目の前の黒猫にあの女子生徒の姿を重ねていた。

 やがて、黒猫は僕の方に歩み寄ってきて、足に頬を擦り付けてきた。


「ナゴォ〜」


 僕を無害だと判断したのか気の緩んだ声を上げて、頬をスリスリする黒猫。確実に黒葉さんではないという確証が得られた。まあ、黒羽さんだなんて思っていなかったけど。


 そんな事を置いておき、僕は戸惑っていた。

 僕はどの動物に嫌われる性質を持っていて、基本的のどんな動物もこんなに気を許してくれることはなかった。


 皆んな、噛むなり、引っ掻くなりして僕を痛めつけて何処かに行く。


「──ニャッ!」

「痛ってええぇぇええええ!」


 ほらこんな風にね。あの黒猫、油断した所に思い切り右腕を引っ掻いていきやがった。しかも深くまで爪を入れられた。

 鋭い三本の傷口からは血が溢れ出して、指先へと伝っていく。正味、ヤンキー達のパンチよりも痛かった。

 

──と噂をすればなんとやらといった様子で、前方から迫ってくる影が五つ。


「あれ? 加賀美ちゃんじゃ〜ん。こんなところで何してんの?」

「げっ……」

「げっ……とは失礼だなぁ。俺達の仲だろ〜?」


 放課後に散々僕に腹パンや蹴りを浴びせてきた張本人、ヤンキー五人衆の登場だ。というかコイツら妙に酒臭い。どっかで酒飲んできたな。

 未成年飲酒も堂々とやれば問題ないと言わんばかりに頬を上気させて、酒の臭いを撒き散らすヤンキー達は僕の方をジロジロと見てくる。

 

 こうなってしまったら当然、この場から逃げることなんて不可能だ。逃げようとしても追いつかれてしまうのがオチだ。


「加賀美ちゃん、ここで会ったのも何かの縁だ。ちょっと付き合ってくれや」


 リーダーの男は僕に手を伸ばして、何処かに連れて行こうとしてくる。

 こんなに酔っているといつもの様に腹だけでは済まないかもな。そう思っている最中のことだった。


「ああ……ッッ!」

「あ゙?」


──ペシン。


 その様な乾いた音がリーダーの頬から生じた。正確には男の頬と僕の裏拳の間から生じた。

 目の前で何が起こっているのか、全く分からなかった。それほどに意味不明な現象、意味不明な事象だった。


 何が起こったのか──僕の手が右腕を掴み上げてきた男の手を振り払った。その際に、勢い余った僕の手が男の頬に直撃してしまっていた。

 故意的なものではない。決して男に犯行としようとして振り払ったのではない。では何故か──


──黒猫に付けられた傷だ。


 今もジクジクと痛む生傷を思い切り握られた条件反射で気付いたら、手を振り払っていた。


「お前……自分が何をしたのか分かっているのか?」

「あの……今のはわざとじゃなくて……」

「んなん関係ねぇ。お前ら、ここでやるぞ」


 完全に目が血走ってしまった男は他の奴らも連れて、僕の元へと歩いてくる。

 大人しく殴られよう。諦めてそう思った時だった。


──やられっぱなしでいいの?


 不意にあのクールで美しい女子の声が脳内に響いた。それに呼応する様にして、傷がジクジクと痛む。

 気付いた時には僕は両拳を握り込んでいた。


 なんだよ、お前には反抗なんて出来ない。その力が、勇気が、決意がない。見に余る行為はやめろ。お前にはその格がない。

 脳内で必死に自分を静止する声が騒いでいる。しかし、僕の身体はそんな意思に反して、ファイティングポーズを取った。


「死ねや!」

「──ッ!」


 そして同じく拳を固めて、迫ってくる男に対抗する様にして拳を放った──



★☆★☆★☆★☆



「はは……はははは」


 ヤンキー達は去っていった。笑う僕の口の端からは血が流れ出している。

 結果? そんなもん決まっている。


──惨敗だ。


 しかし、何故笑っているのか。それは僕は初めてあの男達に反撃が出来たからだ。

 男の鼻っ柱に一発だけ。たった一発とも取られるし、今までの戦績を考えると一発もと取れる。


 全ては黒葉さんと黒猫のお陰。偶然に偶然が重なって起きた事象。いや、本当に偶然だったのだろうか。

 もしかしたら、全て黒葉さんのお陰なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。


──全ては真夜中に謎が隠れた奇跡の出来事。黒髪と黒猫の関係は謎のままである。

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