『サトリ・サトラレ』

 最初、漫画のフキダシだ、と思った。

 その子の頭の中の思考が、フキダシのように空中に並んでいる。

 どうやら、同級生の女の頭からフキダシが浮かんでいる。


 なんだ? これは、と、私は首を傾げる。

 フキダシの中には、テストの問題が書かれている。


 私が眼にしているものは一体、何なのか。眼をこすってみる。

 やはり、フキダシが浮かんでいて、フキダシの中には文字が記されている。今は授業中。そして軽い抜き打ちテスト中だ。私は数学の答案用紙を眼にしてみる。フキダシに書かれていた内容と、テスト問題が同じだ。


 フキダシには、答案用紙の答えが書かれている。

 私はそれを写してみる事にした。


 見事、57点という、私の普段の数学の成績よりも十数点程、上回る数字を叩き出した……。今年度に入って最高記録だ。


「雨月、良かったなあ。50点以下だったら、追試だったぞ」

 数学教師はそう言いながら、私の頭を撫でようとする。

 セーラー服の上から羽織った猫耳のパーカーを脂汗で汚されたくない為に、私は教師の腕を振り払った。数学教師はオタオタしていた。


 …………。

 高校三年の夏頃だった。

 期末テスト前に抜き打ちテストがあると言われた。

 クラスメイトは、大学受験を行う人間、専門学校に行く人間。卒業したら就職する人間と色々、分かれていた。私はひとまず、親に頼って、大学を受けさせて貰う事にした。


 私は好奇心から、フキダシが見えた同級生に声をかけてみる事にした。

 彼女は地味な眼鏡っ子だった。ガリ勉というよりも、陰キャといった印象を受けるタイプか。もっとも、私も陰キャなんだろうが。


 佐登(さと)さんと言ったか……。下の名前の方は知らない。


「なんだか、最近、人に心を読まれている気がするんですよね……」

 佐登さんは、そんな事を言い始める。


「心を読まれている?」


「はい。なんていうか、……お前は今、こんな事を考えているんじゃないか? って、知らない人から訊ねられたりして…………」

 佐登さんは私の手を強く握り締める。


「あの。雨月さんって、その。“霊感少女”ですよね?」

「…………。……はあ?」

 私は首を傾げる。


「何か、取り憑いているかもしれないので。私の家に来て貰えませんか?」


 成り行きで、私は佐登さんの家に行く事になった。

 佐登さんの下の名前は果代子(かよこ)と言うらしい。

 私は断ろうかと思ったが、少しだけ、この同級生の症状に興味が湧いたので、二つ返事で付いていく事にした。そして佐登さんの家に寄る条件として、反対道である私の家からモノを取ってくるという条件付きで。


 私は自宅に付くと、宝石箱を手にして、中から魔除けになるものを一式手にするとチョーカーやブレスレットとしてはめた。黒曜石が付いたハート形のブレスレット。銀の二重螺旋の輪が付いたチョーカー。極めて魔術的な意味を持つ、魔除けだ。もちろん、普段から護符としてお守りは鞄の中に携帯しているのだが……。


 家の前では、佐登さんが待っていた。


「お守り、取りに行っていたんですね……」

「あ、うん。念の為…………」

「あの。私にも貸していただけませんか?」

「あ、いや。心霊現象かどうか分からないし、そもそも、貴方じゃ効果無いと思う」

 後者の言葉は嘘だ。

 私以外にも効果がある。

 だが、どうでも良い同級生の為に、私のリスクが増えるのはまっぴらごめんだった……。


 そして、私は佐登さんの話を聞く事になった。

 なんでも、幼い頃から自分が人に心の声を聞かれる、といったような症状が続いていたらしい。そして、最近は大学受験の疲れから、日々、知らない人間からも心が読まれる状態が続いていたらしい。そのせいで、知らない人間に変な顔をされたり、危険な目に合う事もあったりしたのだと。


 更に言えば、物心付いた頃から、周りに自分の感情が伝わっていった為に、どんどん周りが自分を避けるようになっていったのだと……。

 私は出されたお茶を飲みながら、彼女の話を聞いていた。


「そういえば、雨月さんってさあ」

「はい?」

「私の事、本当にどうだっていいんだよね? それから、他のクラスメイトの事も」


 心の中を読まれてしまった。


「うん。まあ、そうだね」

 私は出された煎餅を齧る。

「他人の心も読めるの?」


「うん……………」


「なるほど…………」

 私は少し考える。


「心霊現象とかじゃないと思うけど。特に私に関係する事じゃないかなあ? たとえば、守護霊が暴走しているとか。先祖からの何かの因縁で、佐登さんに何かが憑いているとかじゃないと思うよ」


「じゃあ、なんだと思う?」


「うーん…………。もしかすると、脳が異常に発達しているだとか?」


 犬は人間の感情を読む事が出来ると言う。昆虫は前頭葉が発達していない代わりに別の神経系統がある。魚も特殊な意思伝達をすると聞いたが。


「サトリっていう妖怪いるじゃない?」

 私は思い至った事を口にしてみた。


「さとり?」


「山に住む妖怪で、人の心を読む猿みたいな姿をしているって奴。でも、そうだなあ。佐登さんの場合は“サトラレ”なんじゃないかな? ほら、そういう漫画があったような気がするんだよね。他人に自分の思考が読まれるみたいな」


 そう言うと、私は一応、佐登果代子の家の周りをパワーストーンを使って浄化する事にした。特に何も無い。


 それから、夏休みになり、夏休みが終わり秋になった。

 受験ノイローゼか何かなのか、佐登果代子が授業中に嘔吐した。すると、周りにクラスメイトの何名かも、彼女にシンクロするように嘔吐していった。


 冬頃になった。

 佐登が学校の四階から飛び降りた。

 どうやら、彼女は飛び降り自殺は十階くらいの高さじゃないと成功しないと知らなかったのか、足の骨を折っただけで済んだみたいだったが、近くにいた何名もの人間が彼女に同調するように、べきりぃ、べきりぃ、と足が折れていったらしい。


 私は彼女に近付かないようにした。

 日に日に、彼女の顔がやつれていっている事が分かったからだ。

 彼女の腕には自傷の傷が増えていた。周りに自分の思考が読まれるのがストレスで溜まらないのだろう。そして、学校卒業を目前にして彼女は休学していた。後に、彼女がどうなったのかは分からない。


 ただ、思うに。

 もし、自身の思考だけではなく、自身の物理的な傷や不幸や周りに伝達出来るとするのなら…………?



 私はそれ以来、彼女に関わる事なく、無事、高校を卒業出来て、希望の大学に入る事が出来た。風の噂では、佐登の両親、兄弟などの腕にも自傷の後が出来、佐登果代子の弟は変な妄想を発して、周りに危害を与えたらしい。母親の方は、職場を止め、一人うわごとを囁くだけの狂人になったのだとか…………。


 私は本当に佐登果代子と深く関わらずに済んだ事を、信心深くは無いが、ご先祖様に深く深く感謝するのである。守ってくれてありがとう。


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