『雨月奇譚』
朧塚
『人形を抱いた白い女。』
学校の周辺に奇妙な人間が出没するという噂が立っていた。
学校のみんなからの目撃談は数多く、白いワンピースを着た黒髪の女でどしゃぶりの雨の中、傘もささずに歩いている。
何か奇妙な人形のようなものを持っている。
女に近付くと、何故か手にした人形を差し出してくるのだと言う。
担任の先生いわく、ホームレスの異常者だとか、心に重い病のある患者ではないかという話で、どちらにせよ、あまり関わるべきではないと、生徒達に言っていた。
梅雨の時期に入って、雨がやたらと多い。
私は傘を差しながら道を歩いていた。
ふと、交差点の向こう側に白い服を着た女性のようなものが立っていた。
時計を見ると、時刻は夕方四時を過ぎた頃だった。
私は女の人と関わらないようにした。
明らかに、普通の人間じゃない……。
怪異の類だ……。
このままだと、女の人が立っている場所に近付く事になる。
私は道を迂回する為に、横断歩道を渡らずに歩道橋へと向かった。
幼い頃からそうだった。
私の周りには、特殊なものが集まってきていて、幼い私は空想の友達のように、そのような怪異と会話をしていた。両親は随分と困惑したものだ。
よく人は霊感があったりする事を羨ましがる子が多いが、異界のものが視えるという事は決して幸せな事なんかじゃない。むしろ毎日、怯えて暮らすようなものだ。
歩道橋の上まで登り、ちらりと交差点の向こう側にいる白い女を見る。女はニタリニタリと笑っていた。手には何かを持っていた。ボロボロの人形のようなものだろうか。
私はその日は家に帰った。
制服を脱いで私服に着替える。
夕方のニュースが流れてくる。
子供が車に轢かれて重体らしい。ちょうど、現場はあの交差点の辺りだった。
私は溜め息を付いて、部屋のベッドの隣に飾ってある宝石箱を手にする。
中から、黒曜石のブレスレットを取り出して腕に付けた。
私は元々、宝石や水晶、パワーストーンのコレクターだったのだが、漠然とそれらのものが“魔除け”になると分かっていたからだ。
黒曜石のブレスレットは怪異を見てから、怪異の影響を受けそうになったら身に付けている。幽霊なら水晶を使うが、あの白い女の人はおそらく妖怪の類だろう。
それから私は母親の作ってくれたエビフライと唐揚げを電子レンジでチンする。炊飯器に入っているご飯をお椀に入れてお味噌汁も温めた。ポテトサラダもあったのでそれをレタスと一緒に別のお椀に盛り付ける。お茶を湯飲みに入れた後、夕食を済ませる事にした。歯を磨き終わった後、宿題をして適当にスマホを弄っていると同級生のマリサからLINE電話が来る。
<ちょっと、アリナ! 私の友人が、白い女の人を見たんだってっ!>
マリサは少しパニックになっているみたいだった。
話を聞くと、夕方遅くまで部活に勤しんでいたマリサの友人の女の子は例の交差点で白い女の人と出くわしてしまったらしい。顔を合わせずに通り過ぎようと思ったが、女の人が話しかけて、うっかり返事をしてしまったらしい。
すると、人形を渡されたらしいのだ。
その人形はボロボロで、片目が無く、手足がいまにも、もげそうだった。
「わたしの子、わたしの子…………。預かって、預かって、くれませんか…………」
白い女の人はそう言ってマリサの友人に人形を渡したらしい。
返そうと思ったが、その時には女の人は消えていたとの事だ。
私は溜め息を吐く。
「ちょっと、私、霊能者とかじゃないからねっ!」
<アリナ、幽霊見えるでしょっ! 前も除霊とかしていたっ! だから、今度も私の友達を助けてよ!>
「まったく…………」
私は宝石箱を手に取る。
それにしても、年頃の女の子というのは面倒臭い。
思春期の女子はオカルトやスピリチュアル、霊感の類に特にハマりやすく、自分が特別な存在じゃないかとそんな事で盛り上がるのだ。前世の話を同級生の女の子から聞かされた時は呆れ果てた。挙句に、神社の中で、こっくりさんモドキをしていた女子グループがいたらしく、私はわざわざ電車で数駅かかる場所にスマホの地図検索をたよりにその神社に行って、お狐様とかいうのに取り憑かれた女の子から憑き物を祓ってあげたのだ。
今回も私はそういった要件で呼ばれている。
一刻を争う事かどうかは分からないが、私は赤色の石がはめこまれているペンダントを付け、念の為に結界となる紫水晶のピアスを両耳に付けてマリサの家に向かう事にした。
マリサの家まで、たっぷり一時間は掛かった。
マリサの家に、白い女に会った女子生徒はいた。
名前はカオルと言うらしい。
薄く化粧をしていて、なんとなく、ギャルっぽい格好の女の子だ。
「で。その人形、見せて」
私は溜め息まじりで言う。
「ここに入れてあるよ……」
マリサは押し入れを開けて、人形を取り出す。
雨風に晒されて、ボロボロになった男の子の人形だった。
「何か分かる? アリナ」
マリサは聞く。
「ん。全然、わからない」
私は正直に答えた。
「ちょっと! 全然、分からないってどういう事!? その子、霊能者なんでしょ!?」
カオルは怒り狂ったように、悲鳴に近い声で叫ぶ。
「いや。私、霊能者って言うか…………。ちょっと、違うんだけど」
私は小さく溜め息を吐く。
勝手に霊能者扱いしてくるのは周りだ。私自身は自覚が無いし、両親も特別な血筋の家系というわけでもない。
ただ、何故か“視える”し、どのように対処すればいいのか分かるのだ。
「落ち着いて。今は、分からないんだよ。少し“視てみる”ね」
私はカオルを安心させるように、なるべく穏やかな口調で言う。
「とにかく、どうすればいいか。分からない…………」
カオルは顔を押さえて泣きそうになった。
「分かった。視てみる」
私はボロボロの男の子の人形を見つめた。
そして、ポーチの中から水色の水晶を取り出して、床に置く。
水晶の中には、カオルに降りかかっている災難が映し出される。そして、その災難は思念となって私の頭の中に流れ込んでくる。
水晶の中には、黒いモヤのようなものが映し出されていく。
人形が一体、何なのか私は水晶を通して“視る事”が出来る。
どうやら、この人形は人間の皮や爪、歯、挙句の果てには各種の骨などで作られているみたいだった。
そして…………、正体は………………。
「その人形。人間の身体の一部を使って作られているよ。多分、持ち主の子供なんじゃないかな……。何かの理由で子供を亡くしたんだと思う。だから、人形を使って…………」
私は水晶で視えたものを、ありのまま伝えた。
それを聞いて、カオルとマリサは真っ青になった。
「なに、それ…………。私、一体、どうなるの……?」
カオルの声は震えていた。
「多分。身体の一部か……。あるいは全てを取られる。多分、この人形は死者蘇生の為の道具なんじゃないかな? 死んだ子供を取り戻す為の」
私は人形から視えたもの、感じたものを素直に包み隠さず言う事にした。
「私は生贄って事?」
カオルは顔を押さえていた。
「そういう事になるのかな」
「あの白い服の女は何者なの? 母親?」
マリサが訊ねる。
「多分、そう。あの白い女はその人形の素材になった子供のお母さん。多分、もう人じゃない」
「私はどうすればいい? どうすれば助かるの?」
カオルは涙を流していた。
「マリサが何を言ったか分からないけど、私は霊能力者じゃない。お祓いも出来ないよ」
私は小さく溜め息を付いた。
「ちょっと、前にお祓いしたじゃない?」
マリサは怒り出す。
「あれはお祓いって言うか。みんなのパニックが集団ヒステリーとなって、狐憑きみたいな事になっていたから、落ち着かせただけ。前のは、みんなが生んだ幻のお化けだよ。でも、今回は本物の怪異……」
私は人形と水晶を今後に睨んだ。
「でも、やるだけの事はやってみるよ。マリサ、粘土とかある?」
「小学生の弟が工作で使っているものなら…………」
「じゃあ、それで。後はカオルの写真無い?」
「今、手持ちは………。そうだ、プリクラでもいい?」
カオルは鞄の中からプリクラを取り出す。
「あ、それで、大丈夫な筈」
私は紙粘土を渡されると、カオルの爪と髪の毛を要求する。
カオルは私に言われた通りに、紙粘土の中に切った爪と髪の毛を置く。念の為にカッターナイフで指先から血を拝借して粘土に混ぜて貰う。
私は粘土を充分にこねた後、人の形にした。
そして。頭部の辺りにカオルのプリクラ写真を貼る。
「“身代わり”を創ったから、運が良ければ、これで助かるかも。駄目だったらごめんね」
「ちょっと、駄目だったらって……」
カオルはまた泣きそうな顔になった。
「嘘は言えないからさ。ただ、白い女が、カオルとこの人形を勘違いしてくれたら……。玄関の辺りか、部屋の窓にでも置いておいて。……あ、そうだ…………」
人形は追加で二体作る事になった。
一つは玄関。一つはカオルの部屋の窓。もう一つはカオルの鞄の中だ。
外を歩く時は、必ず人形を持ち歩くように強く言った。紙粘土は乾くのに時間が掛かるので、プリクラが剥がれないように厳重に透明なテープで頭部に固定した。
「まあ。やるだけの事はやったから、後はもう帰るね」
そう言うと、私はカオルの家まで付き添う事になった。
カオルの鞄の中には、三体の身代わりの人形と一緒に、あの不気味な人形も入っている。
私とカオルは終始無言だった。
カオルの家に着く。
「じゃあ、私の連絡先はマリサから聞いて。何かあったら、教えて」
「……ありがとう」
マリサは軽く私に頭を下げると、さっそく玄関の靴箱の奥に身代わり人形を置いたみたいだった。
家に帰ると、母親が帰ってきていて。小言を言われた。
私は気にせず、冷蔵庫からアップルパイを取り出して口にすると、歯を磨き直して寝る事にした。
ベッドの中で私はあの人形に対して想いを馳せていた。
正直な話、私はカオルの事なんてどうでもいい。
本音を言うと、カオルが例の白い女から身体の一部を取られようが、死のうがどうでもいい。私は自分でも薄情な人間だな、とは思っている。
怪異に巻き込まれる人間の生き死にがどうでも良くなったのは、いつの頃だろうか。隣町で同級生にイジメをしていた男の子が、イジメで自殺した男の子の霊に呪われて破滅したのを眼の辺りにした頃だろうか。いや、元々、私はそういう性格だったのかもしれない。
水晶で視て分かったのは、あの白い女は、流産で子供を亡くしている。
カオルは高校生の癖に、堕胎経験がある。……彼氏か何かが責任を取らなかったのだろう。
だから、シンクロした。あの白い女に選ばれた。…………。
それから何事も起きずに、三日、四日と経過した。
五日目の夜に、マリサから電話が掛かってきた。
<カオルが病院に運ばれた! お腹を何者かに裂かれたんだってっ!>
マリサは電話の向こうで泣き叫んでいた。
マリサの話によれば、人形は三つとも壊されていたらしい。
一日目ごとに玄関、部屋、鞄の順番で壊されていって、四日目にカオルが自作で人形を作った。四日目も人形が壊され無事だった。だが、マリサいわく、カオルは血を入れる為に指先を傷付けるのが嫌になったのと、別のプリクラ写真を使ったらしい。
そして、夜が明ける。
傷口は内臓に達していたが、何とかカオルは一命を取り留めたらしい。傷口は人間の指先で引き裂かれたような状態だったのだと聞く。
今日も雨だった。
私は傘を差しながら行儀悪く、登校中にアップルパイを口にしながら、例の交差点を歩いていた。例の白い女がいる。ボロボロの人形を手にしていた。私には興味は無さそうだ。
私は白い女の前を通り過ぎる。
私は“視る為”に、水晶のイヤリングを耳に付けていた。
白い女は手にする人形の腹の辺りが脈打っていた。
子宮の中の一部をカオルから拝借したらしい。
女は身ごもっていたが、男に虐待された挙句、男の子供を流産した。そして、女は狂い、妖怪となった。………………。男は生きている。男に復讐する為に、女は“呪いの人形”を創っている。いつか人形が完成したら、男の息子として、男にプレゼントする為に……。
女は歯を剥き出しにして笑っていた。
個人的には、この怪異に興味が無い…………。
私はセーラー服の襟が雨に濡れて気持ち悪いなあと思いながら、もう少し大きな傘を買う事に決めた。
了
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