真夜中の家政婦さん
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 俺
その人は、マリーっていう名前だった。本名ではなく、愛称のようだった。彼女は狭い台所の電気をつけるところから料理を開始する。台所から見える窓の外はいつも真っ暗で、最初は「それがどうしてなのか」がわからず、彼女の全てに疑問を抱いて呆気にとられていたが、それもすぐに慣れてしまった。
というのも、マリーはいつも俺にとびきり優しくしてくれたから。いつもお腹を空かせていた俺に、おむすびを作ってくれた。
不思議なことに、俺はそれを一度も口に入れたことがなかった。空腹だったはずなのに、目の前のテーブルには、よだれの止まらなくなるほど美味そうな料理が並んでいると言うのに、それを俺は咀嚼した記憶がない。
今にして思えば、マリーは両親が雇った「お手伝いさん」だったのだと思う。とても美人だった。いつの間にか動物のぬいぐるみが台所中に飾られていて、たぶん彼女の趣味なんだろうが、ちょっと共感しかねる奇抜なデザインだった。
真夜中の台所に、二人して一緒に向き合って座り、彼女の語る夢物語を聞くうちに、だんだんと意識が遠のいていったのを覚えている。その後どうなったかは、わからない。たぶん、ベビーベッドかどこかに連れていかれたんだと思う。朝と昼にはいない人だった。なんでか、真夜中になると会える人だった。
俺は幼少期、その女の人と過ごした記憶しか残っていない。
親戚筋で子供のいない伯父夫婦のもとへ、俺は養子に入った。養子先は、俺の親のことを絶対に教えてくれなかったし、俺もしつこくは聞かなかった。
なんとなく、俺の親と仲が悪いのが伝わってきたから。
俺の生みの親は、お手伝いさんが雇えるほど、金銭に余裕があったとは思うのだが、そのお手伝いさんが真夜中まで俺の面倒を見ているというのもおかしな話だし、普通だったら幼児は寝ている時間だったと思う。俺は寝つきの悪い子供だったのだろうか? だとしたら、マリーには悪いことをした。心の中では、寝ないクソガキに腹を立てていたかもしれない。
そういうわけで、俺の物心がついた最初の一日目は、マリーによって導かれたのだと言っても過言ではなかった。美味しそうな見た目の料理を、おいしいおいしいと言って食べるマリーの笑顔が、俺の心の栄養だったんだと思う。
だけどチビだった俺は、きっとマリーを困らせたことも多かっただろう。現に俺は、菓子パン類や食パンを含めたパン全般と、水道水が苦手だ、絶対に口にできない。水はペットボトルで買えるからともかく、菓子パン系は、コンビニなどで手軽に手に入るちょっとした間食にもなるから、それが食えない俺は、家でちょっとしたものをつまむ時でも、おにぎりだった。
チビの頃の俺は、もしかしたら他にも好き嫌いがあって、そのことでマリーを困らせていたかもしれない。マリーがどんなに素晴らしい料理を作ってくれても、俺に食べた覚えがないのは、きっとそういうことなんだろう。俺は彼女が作った手料理を、好き嫌いばかりして食べなかったんだ……。
妹や弟がいる同級生の、話を聞いた。空腹のくせにメシを食べたがらないのは、小さな子供にはよくある話なんだそうだ。食事より遊びが優先で、母親が呼んでもイスに戻らず、おもちゃ箱をひたすら漁っていたり。または、お菓子をこっそり大量に食べてしまい、腹がいっぱいだったり。
だけど腑に落ちないのは、どうしてマリーは、いつも真夜中の窓を背景に、料理を作ってくれていたのか、という点だ。なぜ明るい時間に俺の面倒を見なかったのだろう。
こればかりは、俺を産んでくれた親に聞くしかないが、その親から連絡が来た事は、一度もなかった。親戚夫婦は、何も教えてくれなかった。俺個人が推理するに、両親は家政婦を雇えるほど金銭に余裕がある家だったが、事業か何かに失敗し、俺を親戚に預けて夜逃げしたのだろう。
そして、以前から金の使い方関連で、親戚夫婦と仲が悪かったのだ。この推理が、今のところ俺を一番納得させてくれている。
誰にも本音を漏らした事は無いが、ここは退屈だった。周りはぐるりと山に囲まれ、遊ぶ場所なんて、電車を乗り継いで遠くまで行かなければならないし、そこまでの切符代が、地味に小遣いを直撃する。
両親が今もなお、マリーを雇えるほど裕福で、そして俺を育ててくれていたら、きっともっと、幸せで、刺激に溢れた、楽しい青春時代を、送れていたかもしれない。そう考えると少し、今の自分をかわいそうに思えてしまう。
休み時間には、通学用カバンに買って入れていたコンビニのおにぎりを、おやつ代わりにほおばった。
都会の大学に合格し、この春からいよいよ、山奥から脱出できるのだと思うと、柄にもなくそわそわした。
そして今、俺を本当の子供のように育ててくれた彼らに、初めてこっそり反抗している。真夜中に、DVDのレンタルショップへ向かっているのだ。
どうしてか俺は子供の頃から、DVDのレンタルショップに入ることを禁止されていた。二階がゲーセンになっているから、俺は友達と行きたかったのだが、育ての親の「尋常じゃない」気迫にビビッてしまい、けっきょく一度も行かなかった。
当時はゲーセンを縄張りにした不良同士のケンカが多発していたから、俺がそういうのに染まらないように、それか俺がアダルトコーナーに行かないように、いつもみたいに厳しく接しているだけなのかとも思い直した。
でも、もう俺も大学生だ。好きな物を借りて観たい。べつに、いかがわしいヤツを借りるつもりじゃなくて、少し前に流行っていたSFの、名前を忘れたが、あれが観たいのだ。昨日のテレビでも放送されたのに、昼寝からの大爆睡により見逃していた。
せっかく都会で大学デビューするわけだし、あんまり周囲から置いていかれたくなかった。
俺の夜中の徘徊理由は、以上となる。
そして、DVDを借りるにはカードが必要なことを初めて知り、さらに都会へ引っ越すのなら引越し先に住所が移ってからのほうがよいと勧められてしまい、手持無沙汰のまま、店内を徘徊していた。
せめて、あの映画のパッケージだけでも目にしておこうと、うろついていたが見つからず、またまた店員さんに尋ねて、なんとキッズコーナーにあることが判明した。
……たしかに、老若男女問わず人気の作品だが、けっこうボコスカ殴り合うシーンもCMで流れてたし、キッズコーナーに並べて良いのかと疑問に思いながら、店員さんの案内に従った。
その道中、ふと、足が止まった。年季の入った、色あせたパッケージの背表紙に、見覚えのある奇妙なぬいぐるみの顔写真が、縦に並んだ団子のように印刷されている。
「どうかされましたか?」
「あ、すみません、このDVDがちょっと気になって」
店員さんに頭のおかしなヤツだと思われるのも覚悟の上で、俺はキッズ向けのDVDを、片手で棚から引き抜いた。
『マリーお姉さんと
そこには、見覚えのあるテーブルに、いろいろな形のおにぎりを皿に並べてジャーンと手を広げているマリーと、あのぬいぐるみたちが写っていた。手足を、下から棒で突き上げて動かすタイプの人形で、マリーの周りにたくさんのスタッフさんがいることを示唆していた。
裏に表記されていた、この映像の製造日は、俺が生まれて一歳くらい。ストーリーは、真夜中のみ開店する軽食店で、夜行性の動物がお客として現れて、店員のマリーが子供でも作れる簡単な料理をまじえて動物の生態を解説していく、というものだった。
このおにぎり、見覚えがある。俺が何度もマリーに作ってもらっていたヤツだ。
そして、一個も食べられなかった。
だってマリーは、テレビの中にいるのだから。
『あーもう、サイアク! いつまで泣きゃ気が済むのよ、このクソガキ!』
いつも部屋は真っ暗だった。
『きょーいく番組でも流しとけばいっか』
意味もなくリピート再生され続ける、同じ映像。
『まーた残してる。もう意味わかんなーい! なんで食べないの? もう買ってこないよ?』
ベッドの下に落ちている、大量の菓子パン。幼児の生え揃っていない歯では、ぶあついパンが上手く噛めなかった。
喉が渇いたら、水道水を。でも、俺の握力じゃ蛇口を捻ることが、どうしてもできなくて――トイレの水をすくって飲んでいた。
突然、床にゲボッて倒れた俺は、救急車に運ばれて、もう二度とあの店には行けなくなってしまった。店で何があったのかを、店員が俺の育ての親二人に説明したらしい。病院のベッドで意識が戻った俺が見たのは、今までメシ作ってくれて、ちゃんと食わせてくれていた二人の、泣いている姿だった。
真夜中の家政婦さん 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
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