第18話 ガイアのモノローグ(ルシフェルとの始まりと別れ)☆

 わらわはガイア。

 心ならずも魔王などと呼ばれてはいるが、実は自分が魔族なのかどうかは知らない。

 ひょっとするとヒト族かもしれぬし、それとも何か全く別の種族かもしれぬ。

 そもそも自分の父や母の名前も顔も知らないのだ。


 記憶にある最初の顔は、まだ若い、金髪碧眼へきがんの男のものだ。

 この男が私を育ててくれたらしい。

 十代なかばを過ぎたぐらいだろうか。父親にしてはあまりに幼く見えるし、母親らしき者の姿もない。

 「ガイア」という名前はこの男がつけてくれたもののようだ。

 もっとも男は



 というようなことを言っていたが、それがどういう意味なのか、もちろんその時も、そして今になっても分からない。


 住んでいたのは、森に隠れた、小さな湖に近い一軒家。

 そこで妾は動物や鳥、敵意のない魔獣と遊ぶことを知った。

 男は時折、ひと月やふた月ほども家を留守にすることがあった。

 その間は、近隣の村に住む年老いた夫婦が住み込みで妾の面倒をみてくれた。

 男の名が「ルシフェル」であると、「勇者」と呼ばれる存在であると教えてくれたのはこの夫婦だ。

 それから妾は男のことを名前で呼ぶようになった。

 それまでは「お父さん」と呼んでは嫌がられていたのだ。


 「ルシフェル」とは、はるか昔、神話の時代に神に背き、戦いを挑んで敗れ、地に落とされた堕天使の名前だという。

 男はその名で呼ばれることも好まないようだったが、その内に諦めたのか、何も言わなくなった。


 ルシフェルは妾と暮らし始めるまでは自分で食事を作ることがなかったらしい。

 だからだろう、最初は料理が下手で、子供の妾でも分かる手際の悪さと味のひどさだった。

 それが次第にぐんぐんと上達し、時刻が近くなると食事が待ち遠しく感じられる程になった。

 それでも


「なぜ我がこのような事を」


 などと、ぶつぶつと文句を言いがちであったが、いつしかそれも無くなった。

 料理をするのが面白くなってきたようだ。


 一緒にテーブルにつき、食事をしながらいろんな話をした。

 今までの冒険について語ってくれたり、妾が森で遊んだ鳥や動物や魔獣について話したり、料理の作り方とか、これからどんなものが食べてみたいとか。


 ルシフェルと共に食事をするのは楽しい。

 妾にはヒト族も亜人の友達もいないので、共に食事をする相手はルシフェルだけだ。

 たまにルシフェルが急の外出をして、やむを得ず一人で作り置きの品を温めて食べる時など、ひどく味気なくて食欲もせてしまう程だ。

 老夫婦は優しくしてくれるが、やはりルシフェルと共にする食事にはかなわない。

 妾の知らない様々な土地の珍しい風物や、遠い昔に栄えた文明などの話を聞かせてくれるので尚更なおさらだ。


 しかし、どうも妾自身には料理の才能が無いらしい。

 何度か練習で作った一品を、ルシフェルは難しい顔をして無言で食べてくれてはいたが、ある時


「うっ!」


 と言っただけで顔色が急に悪くなり、そのまま三日間ばかり寝込んでしまった。

 悪寒、発熱、嘔吐、異常発汗、全身の痺れだとか言う。

 状態異常無効の能力がある筈なのに、不思議だ。

 それから料理は一切させてもらえなくなった。


 妾がある程度の年齢に達すると、共に旅をするようになった。

 「一緒に行く」と言うと最初は難色を示していたが、ついに思い直したのか、同行を許してくれた。

 だが、恐ろしい魔物と戦うために魔法を教えてほしいとせがむと


「お前は特別だから、きっと大丈夫だ。それに本当に危なかったら我が守る」


 とだけ言い、何も教えてくれようとはしなかった。


 しかし妾には実際、魔法の才能はあったようだ。

 物語にあるような長々とした呪文など唱えずとも、一瞬のあいだ集中し、心の中に結果のイメージを描くだけで、火炎、氷雪、雷撃、大地など、あらゆる魔法がすぐに自由に使えるようになった。

 それはまるで、地や水、大気中を循環する自然のエネルギーが進んで妾に力を貸してくれているかのようであった。


 旅をして様々な凶悪な魔物を倒した。

 魔物だけではなく、仲間の筈の人間に害を働くヒト族の首領を滅したのも度々たびたびであった。

 ある時など、隣国に不条理な戦を仕掛けた都市国家を、跡形もなく地上から消し去ったこともあった。


 ルシフェルの友人だという、ティアマトという名の金色のドラゴンに初めて会ったのもこの頃だ。

 あらゆる龍や竜族、竜人族の祖であるというこのドラゴンは、「シャイでお茶目なティア婆」とか、婆の筈なのに「乙女」などと自称する、一癖も二癖もあるふざけた奴だった。

 久し振りに会ったらしいルシフェルの料理にいたく感心し、自分もどこか遠い土地を見つけて、良質の食材を調達するところから料理の研究を始めるとか言っていた。


 ティア婆よりも長い付き合いだという、ゼブルという、暗い目をした雄弁な男が旅の仲間になったこともある。

 この男は「悪魔」だそうだ。

 悪魔というものがどういった存在であるか、妾はよく知らない。

 男が言うには普段は魔族の中にひそんで暮らし、必要な時だけ本来の姿を表して、魔族よりも強大な力で敵を殲滅せんめつするらしい。


 先代の魔王を倒したのは、この男が一緒に居た時だ。

 ヒト族の間では勿論、配下であるはずの魔族にさえひどく恐れられている、歴代でも屈指の強さを誇る魔王の筈だったが、戦い自体は至極しごくあっけなく終わった。

 ルシフェルが創造の魔力で超高温の極小の発熱体を作り出し、それを魔王の体内に転移させ、一瞬で蒸発させてしまったのだ。

 防御結界も何もあったものではない。

 妾にとっても、その力は驚きであった。


 しいたげられていた配下の魔族たちは思わぬ解放に歓喜した。

 しかし、それ以上に驚喜したのは勿論もちろんヒト族だ。

 ルシフェルは英雄と呼ばれるようになり、その名声は国家の境を越えて大陸の隅々にまで広がる。

 その様は、教会や王侯貴族には、まるで悪質な疫病が蔓延し、猛威を振るっているかのように見えたであろう。


 やがてルシフェルに対して激しい中傷と攻撃の矛先ほこさきが向かう。

 ヒト族の首領や国家を滅した過去が、ここに来て改めて重大な問題とされ、美食を楽しむ者であることが知れて、「異端者」の烙印らくいんを押される。

 無論、ありもしない罪まで多数捏造ねつぞうされた。

 「ルシフェル」という名前自体さえ攻撃の材料にされる。神に反逆した堕天使の名と同一ではないか、しかも強大な魔力を有することからしても、例の邪悪な堕天使の化身ではないかと言うのだ。


 くだらない!

 ルシフェルが邪悪な者でないのは誰よりも妾が良く知っている。

 これ程に、ヒト族というのは、自らの妄想が生む恐怖の対象を敵視し憎めるものなのか。


 教会と王から連名で呼び出しがかかる。

 ルシフェル自身を被告とする裁判に出廷せよと言うのだ。

 さもなければ軍隊を差し向けるとのおどし付きだ。

 全く愚かな!

 ルシフェルに対してヒト族の軍隊など何の脅しにもなるものか。

 何千人、いや何万人であろうと、極大魔法をまとった思念の剣の一撃で終わりだ。

 ましてや、この妾もゼブルも共に居るのだ。


 しかしルシフェルは教会と王の命令に応じると言う。

 馬鹿な!


「裁判など形式に過ぎぬ。法廷までおびき寄せれば、後はどうにでも難癖付けて有罪におとしいれ、処分できると思っているのだ。自ら罠にはまりに行こうというのか。だとすれば、ルシフェル、お前は馬鹿者だ」

「そうだぞ。今頃知ったか。我は全くの馬鹿者だ。こんな人間達をもとしているのだからな」

「言っている意味が分らぬぞ。こんな人間達も救うとはどういうことだ?」

「今は我の事は分からなくても良い。ただ、お前自身を大切にしろ」

「そうか。裁判に応じるふりをして、法廷に集まったヒト族にお前の力で思い知らせてやろうというのだな。二度と良からぬ企てをせぬように。それを『救う』と」

「そんな事はしないぞ」

「だ、だったらお前はどうなる。おとなしく奴らの思惑通りにしていれば……」

「死ぬだろうな」

「な、何だと⁈」

「それも一興いっきょう。こうして生まれて来たからには、無実の罪で死刑になるのも得難い経験だろうよ」

「何を言っているのだ、ルシフェル」

「心配するな。いずれまた、お前のところに戻って来る。200年先か300年先かは分からぬが、転生してな」

「転生?」

「そうだ、転生だ」

「あ、あり得ぬ」

「お前なら分る筈だ。大地や火、水、大気、雷など、全てのエネルギーは循環している。そうだな?」

「それは確かにそうだが……」

「生命のエネルギーも同じだ。この地上の生きとし生けるもの全ては、たとえ死んでその身体は朽ち果てても、その生命エネルギー、意志の力はまた別の生物となって転生を繰り返す」

「なぜそんなことが言える。それは一部の宗教家が唱える虚言だ」

「虚言や妄想ではない。彼らが唱える怪しげな教義はともあれ、我の言っていることは全くの事実だぞ。現に我はもう8000年近く、何度も何度も転生を繰り返してきたからな。先の文明が滅ぶのも、それ以前の幾つもの文明の盛衰も、この目で見たぞ」

「そんなこと……」

「最初の頃は、思いがけず鳥や獣に生まれ変わった事もあったな。だが段々と魂が進化したのだろうよ。ここ数千年は人間で落ち着いてきた。ただし男か女かはその時次第でまちまちだ。だから次回の転生体が男とは限らぬ。女かも知れぬから見誤るなよ」

「魂が進化だと?」

「そうだ。様々な経験、苦難を経る事によってのみ魂は磨かれ、進化する。。これ以上の事はゼブルに聞け。話せるだけは話してくれるだろう。ではゼブルよ、ガイアをくれぐれも頼んだぞ」

「ルシフェル様の仰せの通り、承知致しました」

「…………」


 そしてルシフェルは帰らなかった。



 妾とゼブルは、ルシフェルの死にも飽き足らず我らに迫って来る追手を蹴散らして、魔族の土地へ渡った。

 ルシフェルの身を奪還することも教会の本拠を崩壊させることも可能だったが、それはルシフェルの意に反する。

 とりあえず住みついた場所の周辺を従え、城を築き、やがて魔王と呼ばれるようになった。

 城下には次第に魔族が集まって街ができ、堅固な城壁も造られた。

 そしてそこにもヒト族の軍が押し寄せ、これを撃退する。

 ヒト族は決して許せぬ。

 しかし、こちらから攻め寄せて彼らを絶滅させることがルシフェルの意に叶うのか。

 もしもルシフェルがヒト族に転生するようなことがあったら……

 100年も200年も、いやそれ以上、幾度となく小競り合いだけが起こる。

 我ながら煮え切らぬことよ。


 魔王討伐と称し、威勢だけは良いが、明らかにまがい物の勇者がやって来る。

 もちろん瞬殺じゃ。

 そんなことが際限なく繰り返される。


 つまらぬ!


 数十年ほど前から、ルシフェルもよく語っていた旧文明、文化の復刻に着手してみた。

 領内の遺跡を発掘し、そこに残る記録を分析、解読する。

 文明の遺物は研究の対象となるのは勿論、そのまま利用できるものは利用する。

 文化は可能な限り再現し、住民にも普及させるのだ。

 最初はただの暇潰しで始めた遊びだったが、やってみるとこれが意外に面白い。

 何よりも、住民自身がそれを喜び楽しんだので、街は活気づき華やかになった。

 そして更に住民が増え、周辺にも多くの集落ができる。

 妾は思った。ヒト族に無い、魔族や他の亜人だけの武器とは何か?

 魔力や武力ではなく、もっと平和裏へいわりにヒト族を凌駕りょうができるものはないか……

 それは味覚と、そこに始まる様々な喜びを求める心、そして、喜びに向かう進歩のために必要な工夫をいとわぬ姿勢であろう。

 全てヒト族の教会が固く禁じているものだ。

 これらをもって彼らを凌駕する文化、文明を築き上げれば、さぞ痛快であろう。

 上手くすれば、ヒト族の中にも我らの生活をうらやみ、進んで屈服する者が現れるかもしれぬ。


 今は妾の執事となったゼブルが、ルシフェルの転生体と思われる少女の情報をつかんだのは、そんな折であった。

 名をアスラといい、ヒト族の、とある公爵家を出奔しゅっぽんした娘だそうだ。

 意外な事にルシフェルとは違い黒髪で、勇者でありながら魔物討伐にはあまり関心がなく、遺跡に眠る旧文化、特に失われた美味の探求に熱心だという。


 是非、会ってみたい。

 いや、会わねばならぬだろう。

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