世結び

天猫 鳴

禁忌

 今宵は満月。


 真夜まよは部屋の明かりを全て消して、全ての窓のカーテンを開けた。月明かりが射し込んで部屋が明るい。真夜中なのに昼間のようにくっきりと深く物の影が浮かんでいる。


「そろそろ来るかな」


 真夜は昼の間占い師をしていた。

 自宅兼職場のこの家でお客を待つ日々。

 彼女の占いが当たると人伝に聞いたお客さんが来て、食うに困らない程度の収入があった。最近ではたまに大口の依頼が入る。大企業の上の方が先を見て欲しいと破格のお金を置いていってくれるから白家電を買い換えた。


 真夜には占い師の顔以外にもうひとつ夜の顔があった。この世とは違うところでささやかれる「世結び」としての顔だ。



 新月と満月の夜、先を見る力を世結びに使う。



 いつも占いをする時に使っているテーブルは窓辺に置かれている。未来を明るく照らして先見を占う。でも、今夜は窓と窓の間、壁際に置いた月明かりの入らない暗いテーブルを使う。


 月影に照らされて明るい部分と光の入り込まない暗い部分。明暗がくっきりと世界を分けるように、その場所は闇が深かった。


 盆のような丸いロウソク立てをテーブルの中央に置く。元々は白磁の大皿も彼女が手にすると不思議と占いのアイテムに見えた。

 ロウソク立てにはすでに使われた形跡のあるロウソクが、太さも高さもまちまちで置かれていた。拳大の太さのロウソクが7本。溶けたろうで隣り合わせがくっついている。それは鍾乳石のようだった。


 ただ違うのは、ロウソクが夜空のような色をしていること。

 宇宙を封じたような深い碧に煌めく星のような粒が光っている。


 真夜は椅子に座ると目を閉じた。瞑想をするようにしばらくじっとしていた彼女がそっと口を開く。


「依るべ無き者よ、迷いし者よ、今宵こよい我が止まり木となろう」


 言いながらロウソクひとつひとつに指を近づけると、指が芯に触れる前に炎が灯った。

 しばらく待てば彼女を必要とする者が現れるだろう。



 新月の闇深い夜にはこの世を彷徨い疲れた者が。

 満月の夜には来世に迷う者と、体から離れた魂が誘われてやって来る。


(・・・・・・来たか)


 テーブルを間に向かい合うその先。

 月影の射し込む窓のその向こう。

 暗い闇のなかに人のたたずむ気配を感じる。


「ここへ来れますか?」


 迷う気配が漂う。


「光に誘われし者よ、さぁ・・・・・・ここへ」


 闇の中の影が1歩近づく。

 光に膝下だけが浮かび上がった。


(迷う心?)


 2歩・3歩と近づくにつれ腰、胸と明かりに照らされて見えてくる。


(服装からすると若い男の人だ)


 顔が光に浮かんで彼の姿が月影のなかにはっきりと見ることができた。

 年のころは真夜と同じくらいだろうか。

 こわばった表情と虚ろな眼差し。そこまで観察して真夜は彼の目からサッと視線を外した。彼らと目を合わせてはいけない。それは初歩的な禁忌のひとつ。


(珍しいな・・・・・・、幽体離脱した人じゃない)


 世結びの仕事は魂を結びつけること。

 来世をどうするか迷う魂を行くべき先と結び、体から離れて迷う魂を戻るべき体と結ぶ。


 この人はそれらとは違う。

 生き霊と呼ばれるものだ。けれど、怖いものではない。たいていの場合、生き霊は強く思う心が剥がれて思い人に張り付くエネルギーの様なもの。

 親心、恋い焦がれる思い、応援する思い、憎しみ。でも、どれとも違う。


(人に憑かないで何をしてるんだろう?)


 感情が感じられない。

 幽霊でも感情がわかる。いや、幽霊の方がこの世に執着する強い感情を感じる。


「話を聞きましょう。こちらへ来て座ってください」


 こわばった表情のまま青年はゆっくりと近づいてきて椅子を引いた。

 椅子にかけようと彼がテーブルに手を置いた時、ロウソクの灯りが彼の腕の影をテーブルにつけた。


(影が・・・・・・ッ!)


 彼の腕を影が駆け昇った。

 棘の付いた黒いつるが彼を絡めていく。


(なに、これッ!?)


 真夜は思わず腰を浮かした。

 手首から肘、二の腕から肩。蔓は一瞬の間に彼の体全体を覆っていった。体に食い込んだ棘からプツリと現れた血の珠が流れ下っていくのが見える。


「待ってッ!!」


 真夜はとっさに彼の手を取っていた。その頃には彼の顔も蔓に覆われてしまっていた。


(アッ!)


 彼の手のひらに自分の手が重なっている。


(しまった・・・・・・!)


 禁忌。

 触れてはいけない。

 世結びが最も気を付けなくてはならない事。


 真夜の手が触れた部分から蔓が消えた。サラサラとした黒い粉になって消えていく。


「なんなの・・・・・・!?」


 彼の腕をたどって広がった蔓が、火の付いた導火線のように黒い粉になって消えていく。真夜の目は消えていく蔓を追って彼の首から顔へとたどっていった。


「・・・・・・あっ」


 彼と目があった。

 真夜を見つめる彼の目と彼女の目がぴたりと交わってしまった。


(どうしようッ!!)


 彼の体が消えていく。


「待ってッ! ちょっとッ!」


 話を聞いていない。

 世結びの途中だ。


(どうしよう!!)


「待って!!」


 叫ぶ真夜の声だけが夜の静寂を貫いていった。


「まっ・・・・・・て」


 重力に引かれるまま真夜はどさりと椅子に落ちた。


 禁忌を破ってしまった。

 ふたつの禁忌を同時に・・・・・・。


 禁忌を破るとどうなるのか、真夜は知らなかった。

 どうすればいいのか、誰に聞けば良いのか、何からすべきなのか。不安でめまいを起こしそうだ。心が荒波に揉まれたようで吐き気を感じる。


 回らぬ頭で必死に考えた結果、祖母に電話をしていた。


 長い間、祖母は黙っていた。いや、本当は短い時間だったかもしれない。それでも真夜には数時間にすら思えた。


「忘れなさい」

「・・・・・・え?」


 肩透かしを食らった気がした。


「真夜はその人と自分の縁を結んでしまったんだ」

「縁を・・・・・・結んだ?」


 今まで何度も世結びをしてきた。だからわかる。


(縁の結び方はこんなやり方じゃない、でしょ?)


 舌が張り付いたように動かなくて祖母にそう言えなかった。


「もしこれが悪縁だとしても、1度結ばれた縁は私たちにはほどけない。時を待つしかないね」


 祖母は多くは語らず。短く「ごめんね」とだけ言って電話を切った。

 何が起こるのか詳しいことはわからない。どう対処して良いのかもわからない。


 ただ、わかったことは。彼を覆った蔓がなんであったのか、だけ。

 あれは心の病だと祖母は言った。


「自分で自分を縛り付けている。がんじがらめになって心が動けなくなって、その人はきっと今は家から出られず過ごしていることだろう」


 心が棘の付いた蔓にからめとられて動けない。それなら何故ここへはこれたのか、真夜の疑問の答えを祖母は持っていなかった。


「私との縁? 嘘でしょ?」






 眠れぬ空虚な夜を過ごしても朝は来る。


 何事もなく日々は経ち、もう何事も起きないんじゃないかとそう思い始めた頃。たまには遠出をして気分を変えようと、いつもは行かないスーパーへ出掛けた。

 店を出て歩いていると人とぶつかりそうになって、避けた弾みでよろけた。


「おっとっと」


 花壇に突っ込みそうになってなんとか食い止める。


「危なかったぁ」


 買った荷物を両手に持って上手にバランスがとれた事が嬉しくて真夜は笑った。


「ん?」


 歩き出そうとした真夜を誰かが引っ張る。

 引っ張られたスカートを見ると彼女を引いてるのは人じゃなかった。蔓バラの棘が引っ掛かってスカートを引っ張っていた。


「あっ、うわぁ。ちょっと、これ」


 荷物を下ろしてスカートが破けないようにそっと棘を外す。


「痛ったぁ・・・・・・!」


 慎重にしたつもりが別の場所の棘が刺さって手の甲を引っ掻いてしまった。鋭い棘の引っ掻きに血が浮いてきてヒリヒリと痛みが追ってくる。


「大丈夫ですか?」

「あ、大丈夫です」


 男の人に声をかけられて苦笑いで顔を上げた先に、見たことのある顔があった。彼は真夜から目を背けていた。


(・・・・・・この人!)


 満月のあの夜。

 結んでしまった縁。


 声をかけてきたのは彼の方なのに、あちらのほうが顔をこわばらせて緊張している。黙って差し出した彼の手には絆創膏があった。


「ど、どうも」


 どうしようかと迷う。


(このまま気づかないふりして帰れば大丈夫?)


 荷物に手を伸ばしかけた真夜より先に彼の手が荷物を持ち上げていた。


「あっ、あのっ」

「僕、持ちます」

「え!?」

「・・・・・・痛そうだから」


 そう言って歩き始める彼の背に真夜は声をかけた。


「あの、駅こっち」


 彼の足が止まる。


「私、電車で来たので」

「あ、ああ」


 踵を返して彼が駅へと歩き始めた。


「あの」


 荷物を返してもらおうと伸ばした手をすり抜けて彼がさっさと行ってしまって真夜は焦った。


「すいません、あの・・・・・・わっ!」


 長身の彼に追い付こうとバタバタ走る真夜は、突然立ち止まった彼にぶつかって面食らった。


「無愛想で、すみません。・・・・・・長く、引きこもってて。その・・・・・・」


 見下ろす彼と見上げる真夜の目が合ってお互いに固まる。

 明るい日差しのもとで見ると、彼は真夜の好みの顔をしていて目が逃げ惑ってしまう。


「あの・・・・・・」


 惑う彼が口ごもる。


「ん?」



「どこかで、会ったことありませんか?」


 これがナンパならよくある台詞と流してしまうのだけれど。

 真夜は曖昧に首をふった。




 図らずも結んだ縁が真夜にとっての良縁だったことは、今も彼には内緒にしている。


(縁は異なもの味なもの、とはこのことだね。ね、神様)


 真夜中を照らす満月にそっと手を合わせて真夜はそう言った。





□□ 終わり □□




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世結び 天猫 鳴 @amane_mei

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