娘の行方

「王子、見つかったか」

 騎士の一人が槍を構えたまま投げかけた言葉に、前を行くケルトの騎士が首を横に振る。

(ケルト部族の王子なのか)

 カストゥロの若君は、自分と似た立場の騎士に淡い親近感を抱いた。

「荷はすべて検めたか」

「怪しそうなものは一通り確認したが、娘は見当たらない。やはり最初の戦闘の隙に逃げたのではないか」

 ひっくり返った荷車から少し離れたところには、商隊の傭兵らしき者が数名呻きながら倒れている。王子は商隊の頭と思われる恰幅の良い男のところに馬を寄せ、眼前に槍を突き付けた。

「もう一度訊く。娘はどこだ」

「誰のことかわかりません」

 さきほど「王子」と呼びかけた騎士も王子の隣に来ると、商人に槍先を向け、

「では、なぜあれほど急いで街を出たのか。荷もいつもの牛ではなく、馬にひかせ、大きな荷物は街に残したまま、ずいぶんと慌てて出発したようだが」

 王子がケルト語で商人に話しかけていたのに、このケルトの騎士はわざわざギリシア語で問い質す。かなり流暢だ。商人はギリシア人のようなので、外国語であるケルト語ではしっかり答えられないかもしれない。つまりは、母国語で答えてよいから、ごまかしは許さないということであろう。

 カストゥロの若君は、商隊を襲ったのは盗賊ではなく、このケルトの騎馬隊であると察した。しかし、事情がかなり込み入っているようだ。しばらく様子を見ることにして、仲間の騎士たちにも手を出さないよう合図を送る。ケルト語より、取引の頻度が多いギリシア語の方がカストゥロの騎士たちには理解しやすく、言われなくとも二人のやりとりに聞き入っていた。

 「期限が迫った取引があるのです」

 「では、その甕には何が入っている」

 王子と並んでいる騎士が疑わしそうに尋ねる。襲撃を受けながら、壊れずにいる甕が一つだけ商人の脇にあった。いや、商人がその甕の近くから離れないといった方が正しいのかもしれない。他の甕はどれも一部が割れたり、欠けている。

 「これは、蜂蜜です。エジプトに持っていけば、非常に高値で売れるものです。なにとぞご容赦を」

 「ファラオが食する蜂蜜か。せっかくだから、ひと舐めくらいさせてもらおうか」

 観念した様子の商人は甕の蓋を外す。あたりを見回して、少し離れて所に落ちている革袋から柄杓を取り出し、甕の口に差し込もうとした。

 「この甕の口からではとても人は入れないぞ」

王子がつぶやく。

 「確かにそうだが、甕の大きさ的には人が十分入れる。念には念を入れて」

と王子に答えつつ、ギリシア商人に向かっては、

 「なにをもたもたしているんだ。蜂蜜なんか入っていないのではないか」

槍先をさらに近づけ、急かした。 

 ギリシア商人は震える手で柄杓を持ち、なんとか甕の中に差し入れ、ようやく蜂蜜を掬い上げた。

 「どうぞ」

 柄杓を差し出された騎士は、

 「おれは、蜂蜜は苦手なんだ。お前、代わりに舐めろよ」

 荷車の向こう側にいた別の騎士を呼んだ。

 「これはありがたい。俺たちでも上等な蜂蜜なんかめったに味わえないからな」

 柄杓を受け取った騎士は上を向き、口を開けると、柄杓の中身を口の中に垂らした。 

 「おお、これは上等なものだ。まろやかで臭みがない。さすがファラオの蜂蜜だ」

 それを聞いて、王子とその横にいる騎士が言葉を交わす。 

  「やはり街道を逸れて、森の中に逃げ込んだのだろう」

 「それなら、どこで逃げ出したか教えてもらうしかないな」

 王子が槍の先で商人の肩を軽く突いた。痛みで商人が肩を押さえ、座り込む。

 「やめろ」

 それまで王子の後ろで様子を見守っていたカストゥロの若君がケルト語で割って入り、馬を進めた。商人の横に馬を寄せると、王子に向かって剣を構えた。

「邪魔をする気か」

 ケルト側の四騎がカストゥロの若君を囲む。それを見てカストゥロの騎馬隊がケルトの四騎をさらに囲む。蜂蜜の甘い香りで和んだ雰囲気が一変した。

 完全武装しているとはいえケルト側は四騎、カストゥロ側は軽武装ながら倍の八騎である。お互いの実力は分からないとはいえ、ケルト側が不利には見える。緊張が高まり、沈黙が続く中、ケルトの王子が口を開いた。

「一騎討ちで勝負を決めないか」

「一騎討ちだと」

 ケルト語が分かるカストゥロの騎士の一人がスペイン語で叫ぶ。

「若、そんなものを受けちゃいけません」

 数で自分たちが有利と思っているカストゥロ側からは王子の提案を拒否する声が上がった。

「スペインの言葉では何を言っているかよく分からないが、仲間からあれだけ応援されて、逃げるわけないよな」

 王子はスペイン語がほとんどわからないが、彼らの様子から一騎討ちに反対する発言であることは容易に想像がついた。カストゥロのリーダーと思われる若者を挑発するためにわざと勘違いしてみせた。挑発されたカストゥロの若君は、しかし冷静にこの場の状況を分析していた。

(倍の人数がいるので、こちらが有利なように見えるが、向こうの四人の実力は我々の一人一人を上回っている。しかも重装備だ。よくて相撃ち、負ける可能性も十分ある。一騎討ちを提案してきたのは、向こうも犠牲を出したくないからだろう。相手が盗賊なら自分たちに多少の犠牲が出たとしても退治すべきだが、ケルト部族の有力者を誤って殺したり、大怪我を負わせれば、大事になる。しかし、向こうから挑んできた一騎討ちであれば、たとえ怪我をさせても、納得済みのことだ)

「いっきうち、やる」

 若君の回答にカストゥロの面々から悲鳴が上がる。

(俺に考えがある。ここは任せてほしい)

 カストゥロの若君が毅然とケルトの王子の正面に馬を進めると、カストゥロの騎士たちは若君に翻意させようとさらに必死に叫ぶ。商談でその意見を尊重するのとはわけが違う。

「勇気だけは褒めてやろう。明らかに腕が劣る自覚があるだろうに」

 二人の体力の差は、戦闘の素人であるギリシア商人にも明らかであった。全員でやりあってくれた方が自分たちが助かる可能性が高まるのに、と落胆の色が隠せない。

「それとも、隻眼の俺なら勝てると思ったか」

 王子は眼帯を付けた自分の左目を指さした。

 カストゥロの若君は確かにその眼帯に勝機を見出していた。常に死角に回りこむことで互角以上に戦えると踏んでいた。

「お互い命を懸けてもしょうがない。馬から先に落ちた方が負けとしよう。ただし、手加減はしない。無事に故郷に帰れるとは思うなよ」

 カストゥロの若君は黙って頷く。この提案がスペイン語に訳されると、それなら若君が命を落とすことはあるまいと、カストゥロの騎士たちも安心して少し静かになった。

「私が負ければ、商人たちを見逃がしてやる。お前が先に馬から落ちれば、お前たちも娘を探すのを協力しろ」

 カストゥロの若君は再び頷いた。王子は槍を仲間に投げ、背負っていた剣を抜いた。接近戦となる一騎打ちでは小回りの利かない槍は不利になると思ったのか、相手の武器が剣なので、それに合わせてくれたのか、カストゥロの騎士たちにはわからなかった。

 これから勝負をする二騎は、荷車や商隊の荷物が散らばっている辺りから少し離れ、馬二頭分の距離をとって向かい合った。ともに右手に剣を持ち、左手で手綱を握っている。王子は左目の死角を補うために、馬をやや横向きにし、相手に対し体を開いて構える。一方、カストゥロの若君は勢いをつけて切りかかる狙いか、馬の頭をまっすぐ王子に向ける。少しでも勢いをつけたいのであろう、じりじりと馬を後退させ、王子との距離をとった。馬を下げながら左右にも動くことで、王子の死角を突く狙いは明らかである。王子はその都度素早く馬の向きを調整し、常に自らの右半身を相手の正面に向けた。

 そんな位置取りの牽制し合いで二騎の間は、いつの間にか馬四頭分まで広がっている。カストゥロの若君が馬の脇腹を蹴り、王子に向かって駆け出した。自分の死角である左側に向かってくると思った王子はそちらを警戒し重心をやや左に寄せる。その動きを見てカストゥロの若君は馬の向きをほんのわずか向かって左に寄せ、王子の右手側を突いた。逆を取られた王子は、すれ違い際に打ち込まれないよう、慌てて防御の構えを取る。しかし、カストゥロの若君は相手に振りかからず、ただ全力で王子の脇を駆け抜けた。直後に強く手綱を引き、すぐに馬を反転させ、今度は王子の背後から接近し、その左肩に剣を振り下ろそうとした。

「うまい」

「やった」

 カストゥロの陣営から歓声があがる。その瞬間王子は体を後ろに倒し、馬の背で仰向けになる。それと同時に剣を振り上げ、カストゥロの若君の右腕を切り落とした。若君は右腕と剣を失ったが、とっさに左手を手綱から離し、左肩をぐいと内に入れる。切りかかった勢いそのままに王子の脇腹に自らの頭と肩をぶつけた。上体を後ろに倒していた王子は、馬の胴を挟む両足の踏ん張りが利かず、あっけなく馬から落ちてしまった。カストゥロの若君は、王子が手放した手綱を掴み、王子の馬の背に辛うじてとどまった。若君の右腕から血潮がほとばしり、地面に腰をついた王子の顔に滴り落ちた。

 王子はすぐに立ち上がり、血が吹き出すカストゥロの若君の右腕上腕を検めた。鉄の鎧を急いで脱ぎ、下着の腰紐を抜き取ると、止血のために腕のない肩から脇にかけて強く縛った。続いて割れた甕の一つに近づき、その中身がワインであることを確認すると、その液体を口に含んだ。さらに下着の一部を破き、液体に浸した。若君の傷口にその液体を吹き付けてから、浸した下着の切れ端で包み、硬く縛りつけた。

 王子以外のケルト、カストゥロの人間はだれも動けず、声も出せずいる間に王子は一人でその処置を終えてしまった。

「俺の負けだ。このまま大人しく引き上げよう」

 王子は、蜂蜜の甕をかばうように立っているギリシア商人に向かってそう宣言すると、自分の馬の上でうずくまったままのカストゥロの若者に、

「見事の作戦だった。腕は申し訳なかった。肉を食べて流した分の血を補ってくれ。一度熱が出て、腕の痛みはしばらく残るが、すぐに元気にはなる」

 そう言葉をかけてから、馬の背から若君を優しく地面に下した。カストゥロの騎士たちが馬を下り、若君に駆け寄る。止血をしても、巻かれた布からまだ血がにじんでくる。ギリシア商人が荷車の一台を提供してくれた。若君をやさしく持ち上げ、荷台に寝かすと、馬につないでは振動が大きかろうと、二人が荷車を引き、一人が脇に付き添った。

 ギリシア商人の指示で、もう一台壊れず残っている荷車には蜂蜜入りの甕が乗せられ、荷台にしっかり留められた。こちらは馬につながれ、ギリシア商人自らがそれに付き添うと、先行するカストゥロの若君が乗せられた荷車に置いて行かれないよう慌てて出発していった。ギリシア商人は王子の言葉を素直には信じていなかった。若君を乗せた荷車を引いていった仲間の空馬を集めるカストゥロの騎士たちがまだ残っている内にここを立つのが得策である。

 ギリシア商隊の傭兵たちで重傷を負っている者はいないようで、残された商隊の運送担当者たちと散らかった荷物を片付け始めている。その様子をしばらく見ていたケルトの王子は、脱いでいた鎧を着け直すと、仲間の騎士とともに自分たちの都市へ馬を走らせた。

「王子がここまで追いかけて来た娘を諦めるとはな」

 仲間の言葉には直接答えず、王子はまだその興奮から覚め切らない一騎討ちを振り返った。

「やつがそのまま剣を振り下ろしていれば、よくて相撃ち、ダメージは間違いなくこちらがひどかったはず」

「ああ、確かに。やつは初めから剣の柄で王子を背後から叩き落とすつもりだったな」

「それで俺の剣が間に合った。それに馬から落ちたのは確かに俺の方だ」

「完敗ということか。それで娘も諦めがついたと」

「やつらも加えれば、俺たちと併せて十二騎になる。娘が逃げ出した場所から全方位に馬を走らせれば、娘は見つけられると思ったんだが、一騎討ちに負けてはしょうがない」

「王子は昔から潔いよいからな」

「俺たちが商隊に追いついてから、もうかなり時が経っている。その時に森に逃げ込んでいるなら、王子には悪いが、娘はもう森を住処にしている盗賊どもに捕まるか、獣の餌食になっていてもおかしくない」

 仲間たちが自分を慰めようとしてくれているのが分かる。自分のものにならないくらいなら、仲間の一人が口にした娘の暗い未来を望む思いを抱かないでもない。一騎討ちの直後には娘のことを諦められる気がしたのは確かだ。しかし、馬を駆けさせるうちに再び娘への想いで胸が苦しくなってきた。それを振り払うかのように王子は馬のスピードを上げ、仲間との会話が途切れがちになる。

(やはり娘に生きていて欲しい。そうすれば、いずれ探し出すことができる。あの甕の中にでも潜んでくれていればよいのだが)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る