コンナセカイ【オリジナルショートショート集】
七氏野(nanashino)
今日はどんな日
少年は悩みやすい体質の人間だった。
小学校に通う少年は、心配性の母親にその日のことを報告するのが日課だった。
「今日はどんな日だったの」
「今日は嫌なことがあったんだ」
来る日も来る日も、その日課は変わることなく続いていた。
「今日はどんな日だったの」
「今日は良くないことがあったんだ」
しかし、少年の報告は、最初はいつも嫌な出来事だった。良いことももちろんあり話すのだが、初めはいつも、決まって嫌な出来事からだった。
少年は、どうしても嫌なことが先行して頭に浮かぶ、そんな体質の人間だった。
ある日、少年は通学路脇の公園でブランコに揺られていた。
その日の少年は、いつになく暗い面持ちだった。
少年はその日、いじめられた。いじめというにはひどく甘いものだったかもしれない。ノートを隠されてからかわれたり、その程度の出来事だった。しかし少年には、その出来事がひどく恐ろしいことに思えた。
「お困りの様子だね」
俯いている少年に声をかけたのは、シルクハットをかぶったスーツの紳士だった。
「今日ね、いじめられたんだ」
「そうなのだね」
悩んでいた少年は、その場で紳士に打ち明けた。すると紳士は、少年に提案をし出した。
「その記憶、消してみてはどうだろう」
「どういうこと?」
少年は不思議そうに首を傾げて問いかける。
「言葉の通りだよ。坊やのその嫌な記憶を、おじさんが消してあげるよ」
「そんなことが出来るの?」
少年は嬉しそうにそう聞いた。
「でもね、おじさんは嫌な記憶だけ消すことが出来ないんだ。まだへたっぴだから」
紳士は、少年の目線になるようしゃがむ。
「どうしても、嫌な記憶を消すときに、嬉しい記憶も一個無くなっちゃうんだ」
「そうなの?」
少年は残念そうな目でそう聞く。
「坊やがいじめられた記憶を消したいなら、そうだな、今日先生に褒められたって記憶も消えちゃうんだ」
「そうなんだ……」
少年は残念そうに俯いた。
「それでも、いいかな」
少年はしばらく考え込んで、そして答える。
「それでもいいや、こんな記憶いらないよ」
そうかい、と紳士は呟いて、そのままシルクハットを少年にかぶせる。大きなシルクハットは、少年の顔をすっぽりと覆った。
「暗いよー」
少年は不安そうに呟く。少し我慢してね、と紳士は言って、そのまま指をパチンとはじいた。
「さあ、これで終わりだ」
「うーん……」
「嫌なことは忘れられたかい?」
少年は首を傾げる。
「なんだったっけ。忘れちゃった。なんだか明るい気分だよ」
「そうだね、それは良かった」
「おじさん、ありがとう」
そう言って駆けだした少年だったが、勢い余って石に躓いてしまった。
「もう、嫌なことばっかりだ」
「そうなのかい?」
紳士は尋ねた。
「学校行く途中に電信柱に頭をぶつけた。算数の時に当てられたのに間違えた。トイレの後にチャックを開けたままで笑われたりもしたんだ。他にもいっぱい」
しょんぼり顔で、少年はぼやいた。
「でも、坊やには今日良いこともたくさんあったんじゃないかな」
「でも、嫌なことは気になる。嫌なことなんてなくなっちゃえばいいのに」
少年は消え入る声で呟く。
「そうだ、もっと消して。嫌なこといっぱい」
少年ははしゃぎながら紳士に言った。
「いいのかい、良いことも、いっぱい消えちゃうよ」
「そんなの、もういいよ」
少年はそう答えた。紳士は少しだけ困った表情を見せてから、そのままシルクハットをかぶせた。
すっぽりと顔を覆われた少年は、今度は嬉しそうな声を出していた。
「じゃあ、始めるよ」
紳士は少年に問いかけて、また、指をはじいた。
少年が家に帰ると、母親は問いかけた。
「今日はどんな日だったの」
少年は、うーんと唸って、そのまま答えた。
「なーんにも、なかったよ」
え、と母親は声を漏らす。でもその声に少年は気づかなかった。
少年は紳士の顔を思い浮かべていた。
「また明日も、会えるかな」
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