第5話「複製された男」

 『へいの上を走れ』。

 2012年に講談社から刊行された田原総一朗の自伝である。「へい」とはすなわち刑務所のこと。自分はへいの上のギリギリを走るが、決してその内にも外にも落ちない――という彼の決意が現れた主題タイトルだ。77歳の田原総一朗が寿を迎えることを契機に書かれたこの本には、戦中・戦後を過ごした少年期から、小説家を志して早稲田大学に通った学生時代を経て、岩波映画製作所・東京12チャンネルで映像制作をしていたディレクター時代、さらに退職後にジャーナリストの活動を始め現在に至るまでが詳細に書きしるされていた。

 田原――『個性のディープフェイク』によって偽造されたアナザー田原は、阿蘭あらんと最初に会ったときの会話を思いかえしていた。


「そうだ! 田原さん、喜寿おめでとうございます」

「喜寿じゃない。米寿、88歳。喜寿は77歳だろ」


 阿蘭あらんは言い間違いをしたのではなかった。今ここにいるアナザー田原はまぎれもなく77歳、喜寿を迎えたばかりの田原だったのだ。


「元々はKADOKAWAが始めたことなんです」

 阿蘭あらんが語りだす。

「KADOKAWAと株式会社はてなが共同開発した小説投稿サイト――カクヨム上で田原総一朗さんを題材にした二次創作が解禁されました。存命中の人物の二次創作というタブーへの挑戦、というのが解禁に至った経緯です。そのベースとしてカクヨムが作家たちに用意したのが、公式HP上で全3回にわたって連載されたインタビューです。ところが、このインタビューの大部分――というより、そのほとんどが『へいの上を走れ』からの引用で書かれていました」

 田原総一朗は文筆活動でも知られ、様々なエッセイ・教養本の著者でもある。その著作は2022年現在、ゆうに200冊を超えている。自分の原点となる体験の話ともなれば、何度も何度も言葉にすることがあるだろう。複数の媒体で内容が被ったり、記述が重なるのも当然のことである。しかし、このインタビューは……。

「エピソード単位で符合する、という問題ではありません。細かい言い回しの細部にいたるまでが、一冊の自伝本の引用で構成されているのが明らかなのです。例を挙げれば、インタビュー第1回で軍国少年として育てられた田原少年が教師に言われる言葉。『今度の戦争はアジアの国を解放・独立させるための聖戦である。君らは大東亜戦争に参加して、アジアの捨て石になれ』というものですが、これは『へいの上を走れ』の第一章『軍国少年』の7~8行目と完全に一致しています。口述筆記で完全一致することがありえるでしょうか?」

 これは参考にした、というレベルでは済まされない。実際のところ、これはインタビューというよりも、インタビュアーによる自伝本の要約といった方が正しいものとなっている。果たしてこのインタビューは実際に行われたものなのだろうか?

「私は『へいの上に走れ』とインタビューの内容を照らし合わせました。その中でインタビューにのみ見られた箇所は二箇所にかしょしかありません。そのうち一つは小説家を志した青年時代にある『今のようにインターネットで作品を公開して、誰かが応援してくれれば違ったのかもしれないけどね』です。これがインタビュアーによって創作されたものだとしたら、もはやこのインタビューが二次創作になってしまう」


 二次創作のベースとして用意された一次資料――カクヨム公式によるインタビュー記事そのものが、二次創作という矛盾むじゅん! その循環参照によって、数多あまたの作家によって生み出された二次創作された田原たちは暴走を始めた。そこには二次創作の根幹、芯となるべき本物が存在しないのだ。粗製乱造される田原総一朗に待ったをかけるべく、阿蘭あらんは究極の二次創作となりうる『個性のディープフェイク』を産み出したのだ。


「まずは土俵をつくろう。そこが田原ドキュメンタリーの原点です。『個性のディープフェイク』によって生み出された高度なアナザー田原は、現実の田原と区別がつかないはず。まずは手始めに『へいの上を走れ』のデータからあなたをつくりました。その過程で生まれたのが先ほどお見せした『天皇論』ということです。いずれは200冊を越えるすべての田原総一朗の著書と、30年を越える長寿番組となった『朝まで生テレビ!』のデータをすべて入力することで、本物の田原以上に田原らしい田原総一朗――スーパー田原をつくりあげましょう。それは日輪のごとく輝き、永遠に沈まない太陽。これこそが私にとっての最終計画――『サンデープロジェクト』というわけです」

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