3月31日、23時52分。
Planet_Rana
★3月31日、23時52分。
薄い壁の向こうから、隣家のボイラーが沸く音がする。
ヘッドフォンを頭に嵌めたままベッドに転がると、耳鳴りが脳を満たした。
この時間に世の人が考えるあれこれは何だろうか。親が寝静まった家で勉強をするのか漫画を読むのかテレビをみるのか動画をみるのかゲームをするのか趣味にふけるのか。
夜中、と呼ばれるこの時間は、人がぼんやりと考え事をすることに向いている時間であるように思う。夜の中頃。折り返し。夜中を越えた星は、夜明けに向かって自転する。
何処にも接続していないヘッドフォンを外して椅子の背にひっかけた。
ごろりと転がった身体が案外重たいようで、マットが沈み込む。
平均的な私で居る為にはどうすればいいとか、次の所属先で何か爪痕を残せるだろうかとか、ステップを踏む先に崖があって欲しくないよなぁとか、ぐだぐだになった心で何を考えようが末来なんて読めやしないんだよなぁと、欠伸ひとつでそれらを飲みこんだ気になった。
シーツの冷たさが心地いい。絡めた足先がひんやりとしている。
抱き枕に顔を埋めて、枕の位置を直して、部屋の電気を消すのは億劫で。
虫の声も獣の声もしない町で、時代遅れのボイラーが鳴っている。じりじりと音を立てる照明も、カチカチうるさい時計の秒針も、窓枠から滑り込んだ隙間風も耳に障った。
ひとつ気になり始めると際限なく、どこのものか分からない音が溢れていく。
天井裏を何かが走って行った。何処かの柱が家鳴りを立てた。
入れ直した塵箱の袋が重力に引かれて音を立てたところで、身を起こして首を振る。
スマートフォンは箱の中。据え置きゲームと本棚は応接間。
この自室に、暇をつぶす手段はない。
観念して照明を落とせば、暗順応しそびれた視界が鈍い光を錯覚する。カーテンを横に引けば外は街灯に照らされていて、まあまあ明るいように思った。
街灯がなかったころは月が出ると明るい夜といわれたそうだけど、そうなると日の光が当たるように影の向きが目に見えて変わるんだろうか。どうでもいい疑問が零れて落ちる。答えに興味など無いし、解き明かす気力も無い。
もともと、夜更かしをすることはそう多くない方だった。深夜番組の内容もネット界隈の流行も良く知らないまま大人になった。
誰にもついていけないまま取り残される感覚は、時々恐ろしいほどの無力感と焦燥感を私に与えてくる。夜を終える度に染みついて、こびりついて、もう剥がせない。
真面目に生きるって何だろうか。誰かが笑えるように、喜んでくれるようにと生きてきた全てが間違いだったのだろうか。
真面目だったら何事も頭一つ抜きんでて普通だとか、真面目だったら何事もどうにかなるとか。一体誰が、言い始めたんだろうか。
誰かが取り残されないように。誰も不利益を被らないように。そう願って、口々にして、皆が右と言えば右を向くのは争わない為であって決して正しいとは限らないと。
口にして、し続けて。気付いたら一人だった。
なんだそれ、って。思った。
そう思ったのに。春から大人の一員になるのだ。つまらないとずっと思い続けていた普通の大人になるために、必死をこいて身を削る歯車になる。
誰かに気持ちを分けてあげられる自分でいられる時間は、一生の中でそう長くないのかもしれない。
努力が必ずしも報われないということ。夢を夢のままにしては叶わないということ。
他者を信用できることも信頼できることも裏切られることも期待することも、全て自分の勝手だということ。
どうして教えてくれなかったんだよと、何気なしに口にして困らせたことを思い出す。
希望も末来も結局は自分で作るものなんじゃんか。
それなら私は、この十数年で何ができた?
取り組むべきはもっと別の事柄だったんじゃないかと後悔して。もう掬う砂も残っていない砂時計に閉じ込められたような有様で。生き血を絞る時期が来たのだと知って。今度は使い物にならない身を削る。
それでも時間は人生に平等で、否応なく今日が過ぎる。
零時を回った夜の中頃。あと半分の夜を過ぎると朝が来て、何時の日にか履歴書に綴られる所属が一つ増えるのだ。
変わっていく自分と、変わらない自分と。それと関わる全てが怖く、魅力的で。
不安とないまぜになった歓喜に似た感情が疲れた脳を乗っ取ろうとした。
ここまで十数秒のモラトリアム。
睡魔に揺られた私はこの後、呆気なく学生最後の一日を終える。
傲慢にも何か一つ、願うことが許されるのなら。明日が平和でありますように。
壁にかけた真新しい制服。ペンを添えたカレンダー。
四月が、やってくるな。過ぎた日に無言でバツを入れた。
3月31日、23時52分。 Planet_Rana @Planet_Rana
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