月が導く妖語(あやかしがたり)

かみそりきず

第1話 狐の温泉入り

ここは群馬県の温泉街。全国でも有名な温泉街で観光客も全国から数多く集まる場所だ。そんな温泉街のやや外れたところに僕が暮らしている温泉宿がある。正確に言うと僕の両親が経営をする温泉宿がある。中心部からはやや外れたところにあるという立地条件ではあるけれども、湯の効能の評判が良く、宿泊客には高評価をいただいている。多分実際のところは有名どころの宿が取れないで消去法で選んだ結果、思いのほかちゃんとしていたという期待値の低さから故の高評価なんだろうけど。

 そんな僕の宿の温泉には一つだけ古き先代から語り継がれる伝説がある。それは真夜中雲の影から月が光を見せるころ、人ならざるものが湯をたしなみに訪れるというものだ。俗にいう霊が出ると言うやつだ。ただ幸いにもその温泉は宿泊者が使用する温泉とは離れた僕達家族の居住スペースの近くにあることから知る人しか知らない伝説になっている。インターネットの時代、この伝説を一般に知られたら良くも悪くも宿経営どころじゃなくなると僕は両親から口外を禁止されている。でも実際に霊が出るのかと言われると、の姿を見たことがある人は古き先代の宿主しかいないらしい。だからただの伝説だ。そう僕も思っていた。高校に進学して数カ月すぎるまでは。


 僕は、この春高崎の高校に進学した。本当は、宿の仕事を手伝うために地元の高校に通いたかったが、両親から宿だけが全てじゃない。色々なものを見て触れて勉強して来いと群馬県の中心部である高崎の高校に通うことになった。そう言われ、いざ高崎に出てみると今まで見たことのない高い建物や宿泊で東京から来るようなおしゃれな人がたくさんいて驚いたのは記憶に新しい。そんな高崎での学校生活だが、育っている環境が特殊なこともあってか幸い話し相手に困ることは無く、表面上の人間関係はうまくやれている気がする。でも心からの親友は未だにできていない。というのも入学してからゴールデンウィークを迎える直前の土日

「みんなで遊んでクラスの交流を深めよう」

 とクラスの中心人物が呼びかけた際に、宿の仕事が忙しくて手伝わなきゃいけないという理由で僕一人がイベントの欠席をした。この週末に限らず、放課後も残念ながら学校から僕の家までは電車とバス込みで片道2時間以上かかり、電車の本数も決して多いわけではないためあまり遊べず、気付けば遊びに誘われることは無くなっていた。

「学校は楽しいか?」

「うん。楽しいよ」

 そんな家族の間での些細な会話も気が付けば嘘を交えたものになっていた。どうすればいいんだろうか。僕は自分の部屋の机で終わらない宿題を眺めながらあれこれ悩んでいた。憂鬱な気分になりながらなんとか勉強を進めた。2時間くらいたったころだろうか。普段はしっかりと閉めているカーテンが今日は数センチ開いていることに気が付いた。カーテンを閉じようとした時、僅かな隙間から差し込む月明りが気のせいかもしれないが僕を導いている気がした。疲れているのかな?そう思い込むことにしたがどうにも落ち着かない。気持ちも次第に月明りの導く先を目指したい気持ちに傾き始めていた。

「ちょっとくらいならいいよね」

 そう自分に言い聞かせ、部屋を飛び出した。部屋の外へ伸びる月明りは長い廊下を伝い気が付けば家の外れにまで来ていた。そこにあったのは立ち入りが禁止されている別館。つまるところ霊が出るとされている秘密の温泉。

「少しだけなら入っていいよね…?」

 僕は、不安に駆られながらも興味が勝り、先を目指すことにした。もちろん別館に灯りはなく完全に月明りだけが道標だ。この状況なら確かに何かが出てきてもおかしくない。次第に恐怖を抱き気がつけば足元が震え始めていた。でもここまで来たからには引けない。それに目的の月明りが導く先は近いという確信があった。もう少し歩みを進める。多分この扉の向こう。深呼吸して僕は目の前の引き戸に手をかけた。そこに広がっていたのは誰も整備しているはずもないのにとてもきれいな状態が維持されているそれなりに大きな露天風呂だった。月明りに照らされた温泉の乳白色と正面に広がる自然の景色がとても神秘的だ。

「こんな場所があったなんて」

 僕は感動して硬直。しばらく、その景色に見とれていた。どうせならこの景色を温泉につかって楽しもう。僕はそう思い、服を脱ぎ棄て温泉に身体を浸した。

「あ、気持ちい。なんかすごい落ち着くな」

 湯加減もちょうどよく、誰も立ち入らない場所なのに誰かがこの温泉をしっかりと管理しているのではないかと感じてしまうほどだ。でもこれは自然が生んだ産物だろうと思いもう少し安らぐことにした。しかしその時、僕の背後から声がした。

「に、人間?」

 僕以外いないはずの温泉で後ろから声がする。

「なんでここに人間がいるの?」

 誰かいる。そして人間という言葉が気になる。人がいて驚くのは分かるけど人間という疑念に驚いているように感じる。僕は恐怖に駆られながらも後ろを見ないではいられず後ろを振り向いた。そこにいたのは

「ケモ耳…⁉」

 狐のような耳を持った人型の姿をした生き物がタオルで顔以外を隠し直立していた。

「キミ僕が見えるの?僕の声が聞こえるの?」

 ケモ耳の姿をした何かが僕にそう恐る恐る問いかける。

「えっと…見えるし聞こえるよ。」

 僕はこれ以上怖がらせまいと優しく答える。正直なところ僕もすごい怖いんだけど。

「なんでここにいるの?」

 少し恐怖が取れてきたのか口調から震えが減っている気がする。

「その信じてくれないかもしれないけど月が僕をここに呼んでる気がして」

 するとケモ耳の生き物が

「君が繋ぎ手なんだね」

 とよく分からないことを行った。

「繋ぎ手って?いやそれよりもここは何なの?立ち入り禁止で誰も入らないはずなのにやけにきれいに整備されているし」

 僕は思っていることをまとめてケモ耳の生き物に問いかけた。

「その前にお隣いいかな?」

 ケモ耳の生き物は僕にそう問いかける。

「あ、もちろん」

 そう言うとそのケモ耳の生き物は僕の隣に入浴した。

「ボクの名前はナツ。キミは?」

「えっと僕は泉」

 突然の自己紹介に困惑した。何を言えばいいのか分からない。

「キミはイズミって言うんだね。覚えたよ。多分キミはボクのこれを見て驚いたんだよね?」

 そういうとナツは自身の頭から生えている2つの立派なケモ耳を指さした。

「ボクはキミたちの世界で言う妖怪って言うやつだよ。その中でもボクは狐の妖怪なんだ。幸菴狐って知ってる?」

 幸菴狐は、群馬県に伝わる狐の妖怪だ。僕はナツの問いかけに対して頷きをもって回答した。

「僕はその幸菴狐の子孫にあたるんだ。だからこういう狐の耳が生えてるんだ。もちろん普段は狐の姿だけど温泉に入るときはこうやって人の姿に化けてるんだ。でも耳だけは消せなくて」

 そう言ってナツは笑った。妖怪の世界にもいろいろとあるようだ。

「えっとそれで何だっけ?繋ぎ手とこの温泉のことであってたっけ?」

 なんとかナツはさっきの質問を思い出したようだ。

「そうそう」

「えっと繋ぎ手についてはボクもよく分かってないんだけど、ボクたちの世界の中で月がボクたち妖怪と人間を繋げるっていう伝説があるんだ」

 どうやら聞くところによると、本来妖怪の姿は人間には見ることが出来ないらしい。いわゆる霊感が強いという人には何か感じるものがあるかもしれないらしいが絶対に見ることはできないという。しかしナツが語るには、遥か未来、真夜中の月明りが妖怪を見ることが出来る人間を導くという伝説があるとのことだ。その伝説通りなら僕が導き手というわけだ。

「う~ん。理解はしたけど実感ないな」

「ボクも突然すぎて驚いているよ。であと温泉の事だけど、ここはボクたちが定期的に使うから毎日ボクが掃除しているんだ。みんな夜まではこの辺で姿を隠してて夜中になるとここにきて休むんだ。といっても毎日来るような変わり者はボクだけなんだけど」

「そうなんだ」

 色々謎が解決したが物語の世界の設定の用で現実感が無い。これは夢なのではないだろうか。

「安心して夢じゃないから。表情にでてるよキミの考えている事。そうだ今度はキミのことを教えてよ」

 気づけばナツはとてもフレンドリーに接してくれるようになっていた。

「そうだな。えっと僕はこの先の華山雲っていう旅館のとこの息子で今高校生になったところで」

「ちょっと待って!華山雲って知ってるよ。なんか昔話で聞いたことある。でも内容は覚えてないや。「

 どうやらうちの宿は何か妖怪と過去に深い関係がありそうだなと僕は感じた。

「あと高校生って何?」

ナツは続けて高校という言葉に興味を示す。

「えっと高校っていうのは、その学校ってところで」

「うんうん!」

「たくさんの僕と同じくらいの年の人が集まって先生に勉強を教わるところかな」

「楽しそうだね!似たようなところはあるけどボクは行ったことないや。たくさん同い年がいるなら友達もたくさんできて面白いんだろうな」

「えっと…多分そうなんだろうね」

 僕はナツの反応に困った。それは僕には高校に友達はいなから。

「どうかしたの?もしかして友達いない?」

 ナツが核心をついてくる。

「そうなんだ。僕学校に友達いなくて。あんまり高校も楽しい場所とは言い切れなくて。あ、普通の人なら多分楽しい場所だと思うけど」

 僕は、会って間もないナツに自分の現状を包み隠さず説明した。通学が大変なことや旅館の手伝いで遊びに行けないこと。その他にも。

全て説明が終わると

「イズミ大変なんだね。がんばってるね」

 とても親身になって僕を励ましてくれた。その言葉が今の僕にはとても嬉しかった。源泉から温泉へ流れるお湯の音が静かに響く中、ナツと僕は夜空に浮かぶ満月をしばし見つめていた。

「いいお湯だよね」

「そうだね」

 ゆっくりと心地よい時間が流れていく。


「えっとさ」

 僕もナツも顔がだいぶ火照り始めたころナツは僕に声をかけた。

「イズミ。ボクと友達になってくれないかな。ボクじゃだめかな?」

 ナツは僕に続ける。

「今日だけじゃなくてさ。またここで会おうよ。そして今日みたいにいっぱい話をしようよ。どうかな」

その問いかけに迷う時間なんて必要なかった。

「僕も君と友達になりたいな。すごいナツと話すのが楽しかった」

 これが素直な僕の気持ちだ。

「じゃあ今日からボク達は友達だね!」

 


真夜中の露天風呂に人と狐の友情が結ばれる。そんな二人をまるで祝福するかのように月の光はまぶしく輝き彼らを照らしていた。

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