あの日の望遠鏡

おすし

第1プログラム 宣告

「――――頼むぞ。」

 強い思いが込められた人差し指は、直線上にあるエンターキーを押し込んだ。




 春。出会いもあれば別れもある。人によって乗せる感情が違う、ヒトの感性を最も活発に機能させる季節。この季節ならどんな人間も優しく育つことができる。僕の名前はそんな思いを込めて名付けられたらしい。




「桜木春樹です。よろしくお願いします!」




 バイト先の初出勤。学校とは違って年代の違う人がたくさん集まる。顔を見た限りじゃ、悪そうな人もいない。欲しいものの為とはいえ、ここなら楽しく働けそうだ。

 僕の選んだバイトは家の近くの小さな弁当屋だった。内容は簡単。出来上がった料理を専用のタッパーに詰めていくだけだ。勉強の方が忙しく、バイトに専念するのは難しそうだったため、家の近くで且つ負担にならなそうな仕事を選んだ。

 なぜ、僕がそこまでしてお金を貯めたがっているか。趣味のため?違う。

 それは一か月前に遡る――――。


 日曜日の午後という、学生にとっても社会人にとっても最高のお休みタイムだった。僕は趣味のパソコンを触っていた。

 父が機械関係の仕事に就いていることから、機械を触ることに関しては同世代の中でも頭一つ抜けていた。触るといっても、分解するとか工業的なことではなく、パソコンの中のフォルダを整理しているだけだった。普段あまりメールをチェックしないのでたくさんメールが溜まる。それをこの休みの機会に整理しようということだった。


「これもスパム、これはアップデート、これは広告…」

 

 作業的なことに感じるが、やってみると意外に楽しい。デートのお誘いのメールなどが来ていることがあるが、残念ながらスパムなので最早見ていない。現実にこの量のお誘いが来ればどれだけ嬉しいものか。

 その中、一風変わったメールに目が止まった。


「未来の日記…?珍しいな。こんなメール見たことない。」

 

 その未来の日記というのは、これから先に起こることを記しているというものだった。




――――四月十六日。図書室で置いてないはずのお気に入りの本を見つける。その本の名前は『星空の住人』。




「明日か。なんて細かい…」


 その日記は七年後の五月一五日までは事細かに記録されていた。しかし、五月一六日以降はその記録は途絶えていた。

 その日記の一番下にはやけに長ったらしい文章も書いてあり、内容は読んでいないが、僕の名前が書かれているのには気が付いた。


「なんで僕の名前…あ、アカウント名から引用したのか。最近のメールはそこまでするのか。すごいな。あとでちょっと調べてみるか。」

 

 感心したそのメールはパソコンの保留フォルダに送られた。しかし、そのメールはその日中開かれることはなかった。



                 *****



 次の日、四月十六日。ただのスパムメールだと分かっていても、あまりに詳細に記されていたから気になって図書室に来てしまった。とりあえず僕はその『星空の住人』という本を探してみることにした。

 その本は図書委員のおすすめコーナーというところに置いてあった。そこに置かれる本は毎週変わるらしく、一部の本好きは楽しみにしているということだった。  

 僕はその本を手に取って一ページ目を開いてみた。


(地球からはこの目で見渡しきれないほどの星が存在している。その星々の素性を僕たちは知りえないし、知りたいとも思わない。しかし、その星一つ一つに未知なる生命体が生活していると考えるとどうしようもない好奇心に取りつかれてしまうのだ。)

 

 こんな文章から始まるこの小説は物語というより、哲学に近いテイストを感じさせた。

 僕が読んだ本というのはこの手で指を折れるほどしかないが、その中にこんな本は記憶されていなかった。


「やっぱり、あの日記はただのスパムだったのか…」

 

 そう諦めてその本を棚に戻そうとした時だった。


「その本、『星空の住人』好きなんですか…?」

 

 今にも消えそうな、か細い声が左の方から聞こえてきた。その方を向くと、髪を後ろに結った背の低めな女の子が立ってこちらを見ていた。


「いや、あんまり本読まないんですけど、この本はなんだか不思議と気になっちゃって。」

 

 僕はまるでこの本に運命を感じたような口ぶりで話した。すると彼女は嬉しそうに目を輝かせ始めた。


「この本、すごくお勧めです。星に好奇心を寄せる主人公と謎を秘めたヒロインとの恋の駆け引きがすごくドキドキして、特にラストのヒロインの正体を明かすシーンが…」


「今、絶大なネタバレしようとしてます?」


「あ!ごめんなさい。危なかったです。」

 

 彼女は照れながら口を押えた。


「でもこの本、ずっと図書室においてほしくて待ってたんです。だから嬉しいな。」


「この本、お気に入りなんですね。」


「はい!大好きです。」

 

 この時、ある繋がりが僕の脳裏をよぎった。

――――が、とりあえず保留にした。今は彼女と話していたい。そう思えたのだ。

 

 その後、彼女に猛烈にその本を勧められ、一週間僕が借りることになった。お気に入りだった本を見つけたわけではなかったが、新しい出会いがあった。これはあのメールに感謝かもしれない。



                 *****



 家に帰った後、流れるようにパソコンを開き、保留フォルダを開いて、例のメールを開封した。


――――四月十六日。図書室で置いてないはずのお気に入りの本を見つける。その本の名前は『星空の住人』。その本を読んでみたいという人に出会った。その本を一週間貸すことになった。気に入ってくれるといいな。

 

 最初に読んだ時よりも内容が付け加えられている。本を見つけるだけでなく、とある人との出会いまで記されていた。


「――――僕との出会い…だよな。」

 

 さっき脳裏をよぎった繋がりを脳の保留フォルダから引っ張り出した。この繋がりは間違っていなかった。この日記は僕の未来ではなく、〈彼女の未来〉だ。

 

 僕は最初にスルーしてしまっていた長い文章を、説明を求めるように読んだ。


(これを読んでいるのは七年前、二〇一八年の桜木春樹…だと嬉しいな。僕は今、七年後、二〇二五年からこのメールを書いている。名前は言えないんだけどそこは飲み込んでくれ。この日記は二〇一八年から二〇二五年に至る、『川崎千夏の日記』だ。単刀直入に言う。君に、未来のある出来事を変えてほしい。今の君にはその出来事まで七年の時間がある。君になら変えられるはずだ。何か聞きたいことがあれば《haruki-logic@am.com》までメールしてくれ。このメールが届いてから一週間はやり取りができるはずだ。)


 奇天烈なことを語ったその文章は僕にメールを促して終了した。そのアドレスの形式は存在しないものだし、送れないはずだったが、僕はただキーボードの音を鳴らしていた。


(彼女の日記はなぜ途中で途切れている?)

 

 情がない、冷めた文章のように感じられるが、送り先は誰かも分からない未来人だ。関係ない。

 その後、三十分もしないで返信が来た。


(そうか、図書室で彼女に会ったんだね。君と川崎千夏の出会いを祝福して、本当はからかってあげたいところだけど、彼女を好きになるのはやめておけ。君はきっと七年後、彼女を好きになったことを後悔する。さて、質問の答えだったね。彼女、川崎千夏は七年後…)








――――――――交通事故で亡くなった。



第1プログラム「宣告」  完

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