老虎の終行

石川タプナード雨郎

第1話 虎

先の大戦が終結してから早、32年。

異国の地で捕虜となっていた男は終戦後、身柄が解放された後も帰国はせずに現地での生活を選んだ。

言葉の通じない異国の地での生活は想像を絶する程の厳しさ、苦難の連続、数限りない挫折をこれでもかと言うほど味わった。

むしろ死への舵を切っていたというのが正しいのかもしれない。

しかし男は死なず生き抜いた。

戦後の混乱期に在っては皆似たようなものであったからだが、生きる為に男にとって幸いしたのは、海外にあって日本には決して存在しない仕事にありつけた事の持つ意味は重要だった。

それは傭兵である。

それは徴兵された後に実際に戦闘をすることなく武装解除され捕虜となった事も関係しているのかもしれない。

大戦で両親を亡くし、残された唯一の肉親の妹の事は気がかりだったが日本に帰国する気にはなれず、生きる為に舞い込んできたのが傭兵という仕事だった。

男は数限りなく戦地に駆り出され、生き延びた。周りの仲間は幾多も死んでいったが男は死ななかった。

数々の死線を潜り抜けた彼は日系人であることから、いつしか戦場の虎と呼ばれるようになっていた。

そんな命のやりとりを続け、その流れで設立した軍事傭兵顧問会社。

その会社も順調に成長拡大を続け、少しづつ形態を変え、後進も育ち、20年経った今では早くも会長職に退き、ほぼ引退状態である。

いざ登り詰めてみると心は空虚だった。

そんな男がふと、残りの人生の選択を考えていた。

日本に残された妹は今も生きているのだろうか?

当然こちらで探すことはしたがとうとう見つけられなかった。戦後の混乱と、その後を生きる事に必死で妹の事を思うのには時間が経ち過ぎていた。

それは妹も同じだったろう。

もうすぐ55歳を迎える男は迷っていた。

55歳とはいえ、長きに渡り死線を歩いてきた男の肉体はそう衰えてはいない。

充分に体が動く今、日本に帰国して妹を探してもいいんじゃないか?

妹は私よりも四つ年下だったから生きていれば51歳。

大戦時に亡くなっていなければ、生存している可能性は高い。

幸いなことに、こちらで今の妻と出会い家族にも恵まれた。

妻との間には子宝にも恵まれ三人の子供もいる。そして、その子供もとうに成人を迎え社会に飛び出している。

今じゃないのか?

妻も子も理解してくれるんじゃないのか?

それから男が日本へ帰国する決断をするのに、さらに一週間程必要だった。

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