魔法使いは恋しない。

友斗さと

魔法使いは恋しない。




 お伽話の魔法使いは、恋をしない。


 王子様と結ばれるのは、お姫様だと決まっていて、魔法使いは二人の恋のキューピッドなのだから。




 ◆ ◆ ◆



 魔法使いが治める国「トゥーレ」


 古くから妖精の存在が信じられており、カラフルなレンガの街の至る所に小さな妖精の像がある。


 そんな華やかな国・トゥーレの王城には宮廷魔法士と呼ばれる魔法使い達が仕えている。魔法使い達の国であるトゥーレにとって、宮廷魔法士は憧れの存在であった。そんな宮廷魔法士のトップである魔法大臣が控える一室に、アンネ=ニールセンは呼び出されていた。

 重々しい雰囲気に、アンネは体をこわばらせていた。

 目の前には穏やかな表情の老人が豪奢な椅子に座っている。いかにも魔法使いといった風貌で、白く長い髭をさすりながらアンネをじっと見つめていた。


「ミケエル大臣様。ただ今参りました」


アンネはミケエル大臣の前に膝をついて、深々と頭を下げた。


「アンネ=ニールセン第二級宮廷魔法士。よくぞ参った」


 ミケエル大臣の優しげな声が部屋に響く。

 しかし、ミケエル大臣の表情は重く深刻なものであった。そのただならぬ様子に、アンネはさらに緊張してしまった。

 ミケエル大臣は重い口をようやく開いた。


「そなたにノア王子の胸がきゅんきゅんするようなロマンチックな恋愛をプロデュースするよう、命ずる」


「…………はい?」


 アンネは何を言われたのか全く分からなかった。


 魔法大臣という立派な地位と権力のある老人の口から出てくるとは思えない言葉があった気がする。


「もうすぐノア王子の花嫁を見つける大規模な舞踏会が開かれるのは知っているな」


「はい」


 ノア=オーディンブルク

 彼はこの国トゥーレの第一王子である。

 魔法の力も強く、才色兼備にして眉目秀麗、次期国王を望まれる優秀な王子なのだが、浮いた話が一つもなかった。


 野心のある家臣やお節介な者達が、多くの縁談を王子に持ってくるものの、見合い写真をその場で燃やされてしまい、取り付く島もないらしい。


 それに痺れを切らした国王が、ついに王子の花嫁を探す為の舞踏会を開催すると言い出したのだ。

 国中の女性たちは色めきだっており、アンネの周りも何かと浮き足立っていた。


「しかしノア王子はなかなか奥手で、舞踏会にも消極的なのじゃ」


ミケエル大臣は頭を抱えてため息をついた。


「それでもノア王子もお年頃。きっと運命的な出会いをして、ロマンチックな時間を過ごせば、胸がきゅんきゅんなって、花嫁を見つけるに違いない」


「そういうものですか」


 アンネにはよく分からなかった。

 そんなアンネを置いて、ミケエル大臣は勢いよく立ち上がった。そしてビシッとアンネを指差した。


「そこで宮廷魔法士の中でも若い女性であるそなたに、胸がきゅんきゅんするようなロマンチックな恋愛を用意してほしいのじゃ!」


ミケエル大臣の発言に、アンネはポカンと口を開けた。何も言葉が出てこない。


 ーー胸がきゅんきゅんするような、ロマンチックな恋愛?!


 しかし、ミケエル大臣も必死であった。


「魔法でも何でも手段は選ばぬ」


 何としても任務を遂行せよ、という強い意志が伝わって来る。しかしアンネは首を傾げた。


「それって、その時点で運命ではないのではありませんか?」


「運命は自ら切り開くものじゃ」


「いや他人の力で捻じ曲げられているじゃありませんか」


ミケエル大臣はふっと笑った。


「まだまだ若いのう」


 ドヤ顔したミケエル大臣に、アンネは少し複雑な気持ちになった。まさか年配の男性から恋愛について説かれるとは、人生何があるか分からないものである。


「出会いがなければ運命も生まれぬものじゃ。その出会いの数は多い方が良い。そこを上手く自然に演出するのじゃ」


 恋愛経験のないアンネは、それに反論する事も出来なかった。ただ下唇をきゅっと噛み締めた。

 そんなアンネの様子など気にせず、ミケエル大臣は己の過去の恋愛話を始めた。


「わしと妻の出会いだって、友人にセッティングしてもらったものだったのう」


 年配の方の話は長いものである。

 まさか小一時間ミケエル大臣の恋バナを聞く羽目になるとは。

 この時のアンネは思ってもいなかった。


 ミケエル大臣は話し終えると、こほんと咳払いした。


「そなたは王子とは同級生であっただろう。顔見知りの方が王子の好みもリサーチしやすいじゃろう」


 アンネは、ニールセン伯爵家の次女である。魔法を使える者が通う国立学園で、同い年のノア王子と同じ時を過ごしたのだ。優秀なノア王子と競い合うほど、アンネもまた魔法に優れていた。その影響もあり、アンネはそれなりにノア王子と顔見知りであった。

 魔法仲間、といったところである。

 そこに色っぽい事なんてひとつもなく、顔を合わせては魔法について語り合う仲なのだ。


 つまり、王子と恋バナなんてする雰囲気はないのだ。


「期待しておるぞ」


 にっこりと微笑むミケエル大臣の顔に、アンネは顔を引きつらせた。

 アンネは社交界が苦手で魔法に全力を尽くしてきた。そのおかげもあって宮廷魔法士になれた。けれど、その代償としてアンネの恋愛経験は皆無なのだ。

 期待されても何も出来ない。

 けれど、上司に逆らう事も出来ない。


 アンネはゆっくりと頭を下げ、ミケエル大臣の命を受けて、部屋を後にしたのだった。


ーー胸がきゅんきゅん……?ロマンチックって……?


 ぐるぐると頭の中で考えながら帰路につく。

 とぼとぼと歩く廊下は広くて長く、さらにしんと静まり返っている。今、アンネ以外誰も通っていない事を確認して、アンネは大きく息を吸い込んだ。


「胸がきゅんきゅんするようなロマンチックな恋愛って何なのよーー?!」


 ついにアンネは頭を抱え、誰もいない廊下で叫んだ。

 その叫びに応えてくれる者は、勿論いない。


 ーー会ったら魔法の話しかしないようなノア王子と恋バナ!?はっ……恥ずかしいっ!!


 想像するだけでアンネは顔を赤くした。

 何と切り出せば良いのかも思いつかない。そもそも女友達とだって恋バナなんてしないのに。


「まずは……好みでも聞いてみるか」


 この時のアンネは、死を覚悟したような表情をしていた。




 ◆ ◆ ◆




 アンネ=ニールセンは、ごく普通の見た目の伯爵令嬢であった。栗毛色の髪は一つに結んで動きやすくしており、くりくりとした丸い瞳は鳶色をしている。

 一方、目の前にいるノア王子は、女子顔負けの艶のある茶髪に、切長の緑の瞳を持っており、女性が放っておかないようなかっこいい見た目をしていた。

 そんなノア王子は今、アンネの言葉に眉間に皺を寄せて、その美しい顔を歪めた。


「は?俺の好きな女のタイプ?」


「はい」


 普段なら絶対にしない恋愛話。

 アンネは、ノア王子を待ち伏せして、道端で通りかかったところを引き留め、あとは勢いに任せて尋ねたのだ。

 勢いに任せた故に、「好きなタイプ教えてください!」と言った後にみるみる顔が熱くなるのが分かった。

 今のアンネは顔から湯気が出ているのではないかと思うほど熱くて、消して顔を上げられない。

 顔は見られないけれど、ノア王子が鬱陶しそうにしているのがわかった。王子とはそれなりに付き合いの長いアンネも、そんなノア王子の態度に「ですよね」と言いたかった。


「なんだよ、突然。…………ああ。分かった。どうせあのお節介のミケエル大臣の差金だろ」


「ご名答。さすがノア王子」


 ノア王子ははあ、と深いため息をついた。


「伝えてくれ。舞踏会なんか開いても花嫁を選ぶつもりはないって」


 ノア王子は取り付く島もなくそう言い放った。

 しかし、アンネだってそこで引き下がるわけにはいかない。


「そこを何とか!」

「っうわ!」


 アンネはノア王子の腕を掴んで、ぎゅっと力を込めた。先ほどの恥ずかしさから、まだほんのりとアンネの頬は赤いままだ。

 ノア王子はそんなアンネの様子に、ごくりと喉を鳴らした。


「そんなの……特に無い。好きになったヤツが好きなタイプだろ」


「それじゃダメなんですよ!」


 アンネの懇願に、ノア王子も困ったように頭を掻いた。アンネの瞳はじんわりと涙が浮かんでいる。


「どうか慈悲を!このままじゃ、またミケエル大臣様の恋バナ聞く羽目になるんですよ!」


「お、おう……」


 ぐいぐいとノア王子の腕を引っ張り、アンネはノア王子の顔に迫っていく。そのアンネの迫力に、ノア王子は押されていった。


「尊敬するミケエル魔法大臣様の惚気は、恋愛経験ゼロの私には何よりの苦行です!!」


「…………。」


 アンネの言葉に、ノア王子は反論できなかった。自分が見合いを断った時も同じようにミケエル大臣と奥様の馴れ初めについて懇々と語られたのだ。

 その時のことを思い出したら、アンネの気持ちが分からない事もない。


 ノア王子は気恥ずかしそうに視線を泳がせた。

 そしてモゴモゴとさせながら口を開いた。


「強いて言うなら……」


 アンネはぱっと瞳を輝かせてノア王子の言葉を待った。


「健気な頑張り屋で、一緒にいて自分も頑張ろうって思える子」


 アンネから視線を逸らして、頬をほんのりと赤くして恥ずかしそうに教えてくれた。

 しかし想像以上のノア王子の答えに、アンネは少し驚いた。


「なんか具体的ですね」


「まあ、な」


 アンネははっとした。

 気分はさながら名探偵のように女の勘が働いた、とアンネ自身は思った。そして、少し言いにくそうにノア王子から視線を逸らした。


「ノア王子、学園でもモテモテでしたもんね。過去の恋人とかですか?」


「違う」


 ノア王子は不機嫌そうな声で力強く否定した。けれど、その声はアンネには届いていなかった。


「あれ。そうなると、まだその方に未練が……」


 むしろ想像で話を膨らませて、少し哀れみを含んだ視線をノア王子に向けてきた。

 ノア王子はアンネの頬を思いっきりつねった。


「いひゃい!」


「違うって言ってるだろ。学園で一緒に魔法の勉強してきたじゃないか。俺に恋愛してる素振りはあったか!?」


 そう言われると、アンネは首を傾げた。

 学生時代、ノア王子はほとんどアンネと一緒にいた。常に二人で競い合って、魔法について学んできたのだ。

 そんなノア王子は隙あれば華やかな令嬢達に囲まれていた。


「うーん。隙あれば女性に囲まれてきゃあきゃあ言われている印象はあります」


 その答えに不服だったのかノア王子はまたアンネの頬をつねった。


「い・な・い・か・ら!」


「いひゃい!」


 むすっとした不機嫌そうな表情のノア王子に、アンネは何故怒られるのか分からなかった。


「もう!つねらないでください!ひどいです!王子!」


 ぷりぷりと怒るアンネに、ノア王子はふん、と鼻を鳴らしてそっぽ向いた。

 ノア王子とは、学園では対等な立場として気楽に接してこれたのだが、卒業してからは第一王子として、宮廷魔法士として、それぞれの立場があり、話す機会も減ってきていた。

 なので、こんなに気兼ねなく話すのは久しぶりであった。

 アンネはつねられた頬をさすりながらも、懐かしくて、少しくすぐったくて、つい笑みが溢れた。


「ありがとうございます、ノア王子」


アンネの笑顔にノア王子もつられて笑った。


「アンネ、頑張りすぎるなよ」


「え」


「昔から負けず嫌いだからな。アンネは。学生の時も俺に負けたくなくて徹夜で勉強してただろう?」


「そうでしたっけ?それに、負けず嫌いはノア王子の方じゃないですか。私に負けたくなくて、休みの日まで先生達に質問に行ったりしてましたよね」


 学生時代の時を思い出して、互いにクスクスと笑い合う。

 そんな二人の関係に、アンネは心の奥でホッとしていた。


ーー恋愛なんて終わりのある関係じゃなくていい。


 優しく笑うノア王子の笑顔に見惚れてながら、アンネは心の中で祈った。


ーーずっと、ずぅっとこのままが続いてほしいな。




 ◆ ◆ ◆




 魔法の素質がある者は、魔法を制御する為に必ず学園に通うことを義務付けられている。しかし、当然ながらその中には高い魔力を持つ者もいれば、ほんの少しの魔力しか持たない者もいる。

 学園の中でも高い魔力を持つアンネとノア王子が互いを意識し合い、仲良くなるのに、時間はかからなかった。

 二人は常に学年のトップを競い合い、事あるごとに魔法について語り合っては、勝負していた。

 そんな中で、唯一アンネが圧倒していた魔法がある。


 占い魔法。


 学園でも女子に絶大な人気を誇るその魔法だが、ノア王子はかなり不得手だったようである。一方アンネは特に不得手と言うこともなく難なくこなしていた。

 だから占い魔法の時間はアンネにとって何とも優越感に浸れる嬉しい時間でもあった。

 ついにはノア王子は、

「未来は自分で切り開くものだ。占いは性に合わない」

と言って開き直っていた。


 けれど、宮廷魔法士にとっては占い魔法は基礎。天気やら婚姻の相性やら、依頼のある様々な事柄を占うのも、宮廷魔法士の仕事のうちなのだ。これは、新人の主な仕事と言っても良い。

 そしてまだまだ入って間もないアンネも、日々占い魔法を行っている。

 宮廷魔法士の占い魔法は、王宮の中にある「鏡の間」で行う事になっている。鏡の精霊が宿ると言われるその魔道具を使って占うのである。

 その「鏡の間」には、宮廷魔法士と王族しか辿り着けないような魔法がかかっている。


ーー毎日来てるけど、やっぱりここは緊張する。


 仄暗い部屋の中には、一つの鏡しかない。

 しんと静かで厳かな雰囲気の中、アンネは占い魔法の呪文を唱えた。

 

「鏡よ鏡。この国で健気で頑張り屋な令嬢を映し出してくれ」


 鏡の奥がゆらりと揺れた。

 鏡には、見慣れたこの街の風景が映し出され、ゆっくりと一つの屋敷に近付いていく。

 そこはとある伯爵家の屋敷だった。


「ここって……数年前に当主である伯爵が亡くなった家」


 伯爵が亡くなり、今は夫人が切り盛りしているという。

 元々伯爵が若い頃はかなりの魔法使いだったと噂を聞く。しかし仲の良かった妻を亡くし、娘と二人になってしまった。数年後、伯爵は新しい妻を娶ったものの、伯爵も前妻の跡を追うように亡くなってしまったのだ。


ーーそう言えば、伯爵の娘の話を聞かないなあ。


 伯爵が魔法を使えるのであれば、娘も使えそうなので、学園に入っているのだろうか。

 アンネは首を傾げた。


ーーこの家の娘が、ノア王子の好みのタイプって事よね。


 じっと鏡を見つめていても、鏡の中の景色がそれ以上変わる事はなかった。

 アンネは伯爵の家に向かってみる事にしたのだった。




 ◆ ◆ ◆




 魔法使い達の国であるトゥーレの中心都市は、星形をしている。島の中央には八角形の王宮があり、その周辺に研究機関や学園が存在する。

 そしてそれを囲むように貴族達の住宅街がある。

 普段宮廷魔法士は、研究機関に籠っている事が多く、アンネも例外ではなかった。そのせいで、アンネは久しぶりの貴族街に目眩を覚えた。


ーー外の世界って眩しい……。


 トゥーレは元よりカラフルな街並みが有名であったが、そんな中でも貴族街は一層煌びやかであった。

 宮廷魔法士の正装である紺色のローブを身に纏っているアンネは、色鮮やかな街にある黒いシミのような気持ちだった。貴族の中でも宮廷魔法士といえば、憧れの的であるはずなのに、アンネはとても居心地の悪い気分だった。

 

「ねえ新しいドレス買いまして?」


「ええ勿論!だってノア王子様に会えるんですもの!オシャレにも力が入りますわ!」


きゃあきゃあとはしゃぐ女性たちを横目に、アンネは自分の姿に視線を落とした。


アンネは自ら選んで宮廷魔法士になった。それだけを目指して学生時代を過ごし、今だってその誇りを胸に仕事している。


けれど、オシャレにも恋愛にも興味が無いわけではない。


ーーいつか私にも王子様が現れるのかな。




 ◆ ◆ ◆




 貴族街の一角に、件の伯爵家はあった。

 覇気のない鬱蒼とした雰囲気の屋敷に、アンネは眉間に皺を寄せた。

 さすがにこのままの姿で勝手に屋敷に入るわけにもいかない。

 そう思ったアンネは人差し指で魔法陣を描いた。その魔法陣を潜ると、アンネは猫に姿を変えていた。


 ーーさ。潜入してみるか。


 屋敷の中は、外から見るよりももっと鬱屈としていた。屋敷で働いている使用人たちも、どこか暗い表情をしている。


 ーー伯爵が亡くなってから上手くいってないのかな。


 その時、きいきいと甲高い叫び声が聞こえてきた。


「ハイネ!何してるの!」


 その声に使用人たちもビクリと体を震わせた。そして重々しいため息をついて、ゆっくりと屋敷から、声から遠ざかるように離れて行った。


 ーー怖。何この屋敷。


 アンネは大きくため息をついて、声のする方へと向かった。

 屋敷の空いていた窓からアンネはこっそりと入り込んだ。屋敷の中は片付いて掃除も行き届いているものの、貴族らしい華やかさはあまりなく、質素な内装であった。

 足音を立てないよう、こっそりと声のした方へと向かっていく。


「ハイネ!掃除しておくよう言ったでしょ!」


 するとまたキンキンと耳に響く怒鳴り声が聞こえてきた。


「クスクス。本当使えないんだから」


「本当ね姉様。クスクス」


「こんな娘、王子様にお見せする事も出来ないわ」


 そこには頭から水をかぶった一人の少女と、それを見下ろす中年の女性、そしてその女性の後ろで面白そうに嘲笑う二人の若い女性がいた。

 水をかぶった少女の服はつぎはぎだらけで、使用人たちよりも見すぼらしい服であった。しかし、遠目でもわかる美しい金髪と、真っ直ぐな青い瞳がとても印象的であった。


「申し訳ございません。お義母様」


 少女は深々と頭を下げた。

 そんな少女の様子に、中年の女性はわざとらしく大きなため息をついた。


「貴方はご飯抜きよ。さっさと掃除を終わらせなさい」


「はい」


 中年の女性は踵を返して、少女の前から去って行った。二人の女性たちも、コソコソと聞こえそうで聞こえない悪口を言いながら去っていく。

 はたから見ていてもいい気分のしない光景である。


 女性達の姿が見えなくなるまで、少女はずっと顔を上げることはなかった。アンネは何かしなければ、と近寄ろうか迷っていた時、一匹の犬が近寄ってきた。

 少女はぱっと顔を上げ、犬をぎゅっと抱きしめた。


「ふふ。怒られちゃったわ」


 ニコニコと笑う少女に、アンネはぎゅっと胸を掴まれる気分になった。犬は、少女を慰めるようにぺろぺろと頬を舐めた。


「ペロ、くすぐったいわ。慰めてくれてるのね。ありがとう」


 落ち込む素振りを見せず、笑顔で犬を抱きしめる。


「さあ。掃除をしなくちゃね」


 アンネはそんな健気な少女の姿に思わず目が潤んだ。


「また奥様がハイネ様を……」


「伯爵家の正式な血筋でもないのに大きな顔をして……ハイネ様が可哀想すぎるわ」


 アンネと同じように隠れて様子を伺っていた使用人がコソコソと噂話をしていた。その話からして、あの健気な少女が伯爵の血を引く娘なのだろう。


ーー文句一つ言わずに仕事をこなす健気な姿!懸命に掃除を頑張る姿!


 アンネは確信した。


ーーまさに王子のタイプの令嬢!


 リサーチした王子の好みそのものの性格。

 身分も伯爵の正当な血筋。


ーー申し分ない方だわ!


 アンネは心の中でぐっと握り拳を作った。




 ◆ ◆ ◆




 舞踏会当日。


 街は落ち着きなく、女性達は一様に色めき立っていた。色とりどりのドレスに身を包み、輝くアクセサリで自身を輝かせていた。

 王城も舞踏会の準備でバタバタと慌ただしかった。

そんな中、宮廷魔法士の正装である紺色のローブを身に纏い、いつも通りの格好をしたアンネは、件の令嬢の様子を探ろうと貴族街へと向かっていた。


「アンネ!」


 後ろから呼び止めたのは、聞き覚えのある声だった。


「ノア王子。」


 立派な衣装を着たノア王子は、いつもよりも眩しくて、多くの令嬢を虜にしてしまいそうであった。


「アンネ、何で宮廷魔法士の格好してるんだ?お前は舞踏会に出ないのか?」


「はい。仕事がありますので。」


 王家主催の舞踏会を欠席するなんて、不敬に値する。しかしそれが許されるのが宮廷魔法士なのだ。


「ノア王子。今日の舞踏会、期待していいですよ!ノア王子の好みの令嬢、見つけちゃいましたから。」


 アンネはとてもいい笑顔でそう告げた。

 ドヤ顔をしたアンネに、ノア王子は言葉を無くしていた。


「仕事が終わりましたら、舞踏会には顔を出すつもりですので。では、ノア王子。ばっちり彼女のハートを射止めて下さいね!」


 バチンとウインクして、意気揚々とその場を後にするアンネ。

 残されたノア王子は呆然としたまま、アンネを見送るのだった。

 そして、アンネの姿が見えなくなった頃、大きくて深いため息をついてその場にうずくまった。


「お前がいなきゃ射止める相手いないんだけど……。」




 ◆ ◆ ◆




 アンネは件の伯爵家を訪れていた。先日の様子から伯爵令嬢がそう簡単に舞踏会に来れるとは思えなかったのだ。

 恐る恐る伯爵家の前で様子を伺っていると、がしゃん!という陶器が割れる音が響いた。

 予想が的中した事にアンネはため息をついた。


 そして再び猫に姿を変えて伯爵家へと忍び込んだ。


「何やってるの!ハイネ!」


 キンキンと耳に響く金切り声を上げて、夫人がハイネを怒鳴りつけている。床には皿の破片が散らばっていて、アンネはそれを見ただけで、何が起きているのか大方予想がついた。


「大事な皿をこんなに割って!貴方は本当にどうしようもない子ね!」


 ただただ罵声を浴びているハイネは、じっと黙ったまま俯いており、表情が見えない。そんな2人の様子を少し離れた柱の影から義姉妹が楽しそうに覗き見している。

 何とも不愉快な光景である。

 夫人は頭を抱えてハイネを睨みつけた。


「こんなんじゃ王子様の前にお出しすることも出来ないわ。留守番していなさい」


「え!そんな!お義母様!」


 バシン!


 ハイネは何が起きたか分からなかった。

 ただ、じんじんと次第に痛みが強くなっていく頬をそっと触って、呆然としている。


「貴方なんか居なければよかったのに」


 汚いものを見るような目でハイネを睨みつけた夫人は、ぷいっとそっぽ向いた。


「片付けなさい。貴方は今日留守番です」


 夫人はハイネの方を見ようともしない。

 ただそう言い残してその場を去っていってしまった。残されたハイネは、夫人の後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。

 そんな修羅場をアンネは見てしまった。夫人とハイネのピリピリとした雰囲気にのまれて、息するのも苦しく感じていた。

 夫人がいなくなり、ようやく息が出来る心地がした。


「……ぐす」


 ハイネは声を殺して泣いていた。

 もう日も沈み始めていて、舞踏会も始まる時間が近づいている。少し暗くなってきた部屋の中、ハイネは一人、ぽつんと座り込んでいた。床に散らばっていた皿の破片をゆっくりと拾い始める。その姿は何とも言えない程惨めだった。

 さすがにアンネは黙っていられなかった。

 かわいそうなハイネのため。

 そして、ノア王子の運命の出会いのため。


 アンネは元の姿に戻り、ゆっくりとハイネへと歩み寄った。


「どうしたのですか?」


「っ!貴方は?」


 突然現れたアンネに、ハイネは目を丸くした。

 アンネは警戒されないよう、優しくにっこりと微笑んだ。


「通りすがりの魔法使いですよ」


「魔法使い様……?」


 ハイネはじっとアンネを見てくる。不審に思っているのだろう。しかし、アンネはそんなハイネの事など気にせず、ハイネのそばに近付いていく。


「たまたま夫人の声が聞こえてしまいまして。今日は王子様の結婚相手を決める大事な舞踏会。国の女性は全員参加のはずですが……」


 ハイネは顔を背けた。そして、スカートの裾をぎゅっと握り締めた。自分の服装を隠そうとする様子に、アンネは心苦しく感じた。

 ハイネの姿は、とても舞踏会に行くような格好ではない。つぎはぎだらけの薄汚れた服を着ていて、メイドよりも酷い服のように見えた。


「その格好は……」


「……。こちらの方が掃除するには楽なんです」


「そうですか」


 どうやらハイネは話してはくれなさそうである。しかしパーティーまでの時間はあまりない。

 アンネは呪文を唱えて、ぱっと魔法をかけた。するとハイネの薄汚れた服は美しい青色のドレスへと変わった。


「!!」


 戸惑うハイネを無視して、次に床に散らばった皿も指先一つで消し去ってしまった。

 任務達成のため、ハイネにはどうしてもパーティーに出てもらわねばならないのだ。

 ハイネは目をパチクリさせて魔法を見ていた。

 突然現れた魔法使いに魔法をかけられているのだから当然であろう。ハイネは、何か聞きたそうにアンネに視線を向けてくる。

 しかし、そんなハイネの疑問など無視して、アンネは腕を組んで上から下までじっと舐め回すように見ていた。


 ーーしまった。王子の見た目の好みを聞き忘れてしまった。これでいいんだろうか。


 いかんせん魔法一筋で生きてきたアンネにはオシャレのセンスがない。なのでこれでいいのか非常に不安だった。


「これだと少し寂しいかもしれませんね。もう少しフリルを増やしましょう」


 町ですれ違った令嬢達のドレスを思い出しながらドレスのデザインを変えていく。可愛らしいフリルやリボンがあしらわれているドレスは、ハイネの愛らしさを引き立ててくれていた。

 ハイネは仕上がったドレスを見て、ほんのりと頬を染めた。


「キレイ……」


満足そうなハイネの様子にアンネもほっと胸を撫で下ろした。


「貴方にはきっと海のように美しい青色が似合うと思ったんです」


「あ、あの!ありがとうございます」


 アンネはちらりと時計を見た。

 時刻はパーティーの開始時間の10分前である。

 当然ながらハイネの馬車はなく、歩いていくとなると、このままではとてもパーティーには間に合わない。


「お礼はまだ早いですよ。このままじゃパーティーに間に合わないですもの」


 そう言ってアンネは、魔法でパッと馬車を用意した。畑に生えていたカボチャを大きくして、立派ながらもメルヘンチックなデザインの馬車に仕上がった。馬車を引く馬は、ハイネのペットの犬を変化させた。


「ありがとうございます!」


 ハイネはキラキラした目に、ほんの少し涙を溜めてお礼を述べた。


「けど、一つ注意があります」


 魔法には、制約がある。

 それは魔法によって異なるのだ。


「いいですか。魔法は日付が変わると切れてしまいます。必ず12時には戻って来てください」


「12時……」


 ハイネはきゅっと唇を噛み締めて、頷いた。


「はい!本当に、ありがとうございます!」


 ハイネの返事に、アンネはにっこりと微笑んだ。


「さあ。あとはパーティーを楽しむだけですよ。早く馬車に乗ってください」


 そう言ってぐいぐいとハイネの手を引いて馬車に乗せた。


ーーこれであとは、ノア王子と出会うだけ。


 アンネは心のどこかで寂しいような感覚を覚えた。


「あ……あの」


 アンネはハイネの声かけにはっと我に帰った。

 ハイネはほんのりと頬を染めて、もじもじしている。そんな姿も可愛らしい。


「貴方のお名前は……」


 アンネは優しく微笑んだ。


「私は宮廷魔法士のニールセンです。」




 ◆ ◆ ◆




 パーティー会場はかなり盛り上がっていた。

 煌びやかに着飾った人々が談笑し合い、中央では優雅に男女が踊っている。

 特にハイネはかなり男性から人気があった。今も中央で踊っているハイネと、次こそは自分が踊ろうと多くの男性が待ち構えている。

 しかしその中にノア王子の姿はなかった。

 宮廷魔法士の正装のまま会場に入ったアンネは首を傾げた。

 ノア王子の理想の姫君であるハイネのそばに王子の姿がないのだ。もしかして奥手すぎて話しかけられていないのだろうか、とアンネは不安になった。


「アンネ」


「ノア王子!」


 必死に会場でノア王子を探していたが、後ろから声をかけられた。何故ここにいるのだろうか。アンネは驚いて目をパチクリさせた。


「遅かったな。任務か?」


「ええ。それよりも王子、どうですか?」


「は?何がだ?」


「花嫁ですよ。この舞踏会はそもそもそれが目的じゃないですか」


「だから言ってるだろ。舞踏会で花嫁を見つけるつもりはないって」


「でもほら。あの子!健気で頑張り屋ですよ」


 アンネは慌ててハイネを指差した。ノア王子はアンネが指差した先を見た。


「あの娘……。ああ。伯爵家の子だな。確か伯爵は数年前に亡くなられて……」


「そうなんです。継母や義理姉妹に虐げられながらも日々、健気に頑張っていたんですよ」


「ふうん。大変だったのだな」


「金髪碧眼の絵に描いたような美しさ!どうです?ドキドキしませんか?」


「しないな」


 ハイネに夢中になっている男性たちと違い、平然としているノア王子に、アンネは困惑した。

 もしかして、自分は任務に失敗したのだろうか。

 ハイネは王子にとって魅力的ではなかったのか。

 そして、何故。

 自分はちょっとだけ嬉しい気持ちなのだろうか。

 アンネは気を取り直して、ノア王子の背中を押した。


「もう!大臣様が言ってましたよ!出会いは多ければ多い方が良いって。とにかく話してみて下さい!本当に良い方ですから!」


「あ。こら、ちょ……っ」


そして力づくでハイネと王子を引き合わせた。


「ニールセン様?」


 ハイネすぐにアンネに気がついた。そしてそのアンネのそばに王子がいることに驚いていた。


「あ……」


 ちょうど曲が変わる。

 次こそはと待ち構えていた男性達も、王子が近寄ってきた事で一歩引いて様子を伺っている。ハイネも王子の出方を待ってじっとしている。

 周囲が王子の出方を待っているのだ。

 その雰囲気にノア王子はため息を飲み込んで、微笑みを浮かべた。


「一曲踊ってくれませんか」


「…………はい。喜んで」


 そうして二人は手を取り合い、中央へと向かった。

 その様子をアンネはほっとした気持ちで見守っていた。


 よかった。

 きっとノア王子も好きになる。

 これで任務は達成される。


 けれど。

 何故かちくりと胸が騒ぐ。

 魚の骨が喉に引っかかった時のような違和感を感じる。


 華やかな衣装を見に纏い、花が咲いたような微笑むハイネは美しい。

 それだけではない。

 飾り気のないアンネと違い、多くの令嬢達が色とりどりの衣装で会場を彩っている。

 アンネは急にこんな格好でノア王子の隣に立っていた自分が恥ずかしくなってきた。

 そして、チラリと中央で華々しく踊るノア王子とハイネに視線を向けた。


 ーー大丈夫。


 あの二人はきっと上手くいく。

 アンネはゆっくりと二人から離れて、そうして逃げるように会場を後にしたのだった。


 今日は、月に雲がかかった朧月夜だった。

 少し肌寒い中、幻想的にも見える朧月をアンネは見上げていた。はっきりしないもやもやとした輪郭の月の光が、この暗い庭園を照らしている。いつもならもっと男女のペアを見かけるのだが、今日は王子の花嫁を見つける為のパーティーということもあるのか、人の姿は見かけない。

 静かな雰囲気の中、アンネはハイネと踊るノア王子の姿を思い出していた。


 ーーかっこよかったな。


 いつも隣にいたから、気付いていなかったのかもしれない。会場の中央で堂々と踊るノア王子は、会場の誰よりも輝いて見えた。


 ーーせめて、ドレス着ればよかったかな。


 場違いな格好をしていた自分が恥ずかしくて、逃げるように出てきてしまった。そのことにアンネはもやもやしていた。

 今の自分ではノア王子の隣は似合わない気がしてしまったのだ。

 ハイネと踊るノア王子はとても美しくて華やかだった。その姿が、ものすごく遠くに感じてしまった。


 それが悲しくて、寂しくて。


 アンネはぼんやりと月を眺めていた。


「おい。一人で出ていくな」


不意に声をかけられて、アンネは目を丸くした。


「な、んでここに?」


そこには、いるはずのないノア王子の姿があった。


「別に。気分じゃないから」


 ツンとした態度でそう答えたノア王子は、アンネの横に立った。そして、アンネと同じように月を見上げる。

 それは、アンネがよく知るノア王子の姿だった。

 アンネはクスリと笑った。


「いや主役が会場出ちゃダメじゃないですか」


「ちょっと抜けて来ただけだ。すぐ帰る」


 アンネはちらりと時計を見た。

 時刻はもうすぐ12時になる。


「そんなこと言ってたらあの子、帰っちゃいますよ」


「別に構わない」


 きっとハイネは今頃慌てて帰ろうとしているだろう。

 本当は、そのハイネを追いかけていくはずだったノア王子が、何故か今アンネの隣にいる。焦る様子も動く様子もなく、のんびりとした様子に、アンネは心の奥で安心感を覚えていた。


「……あの子、気に入りませんでした?」


「そうだな。気に入らなかった」


「そうですか」


 何故か胸を撫で下ろす。

 任務は失敗してしまった。

 なのに何故こんなに嬉しいんだろう。

 アンネはその気持ちの名前を、まだ知らない。


「あーあ。また大臣様に王子の花嫁探せって言われるんだろうな」


「無駄って言ってやれ」


 甘酸っぱいような、くすぐったいこの気持ち。

 アンネが経験した事のない気持ちだったが、きっと大切な気持ちなのだろう、とアンネは思った。


ーーでもいつかは……。


 いつかはノア王子の隣に美しいお姫様が来るのだ。

 アンネは魔法使い。

 その時が来るよう、ノア王子とお姫様を引き合わせる恋のキューピッドなのだ。


 けれど、どうか。

 その時が来るまで、ノア王子の隣は自分のものでありますように。


 12時の鐘が鳴る。


 魔法が解ける時間だ。


 ノア王子は、ハイネを選ばなかった。


「さあ、ノア王子。早く会場へ戻りましょう」


「そうだな」


 月にかかっていた雲が通り過ぎ、明るい月の光が庭園を照らしていた。




 ◆ ◆ ◆




 宮廷魔法士のトップである魔法大臣が控える一室に、アンネ再びは呼び出されていた。

 重々しい雰囲気に、アンネは体をこわばらせていた。

 目の前には穏やかな表情のミケエル大臣が豪奢な椅子に座って白く長い髭をさすりながらアンネをじっと見つめていた。


「ミケエル大臣様。ただ今参りました」


 アンネはミケエル大臣の前に膝をついて、深々と頭を下げた。


「アンネ=ニールセン第二級宮廷魔法士。よくぞ参った」


 ミケエル大臣の優しげな声が部屋に響く。しかし、ミケエル大臣の表情は重く深刻なものであった。その様子の原因に心当たりがあるアンネはその場から逃げ出したくなった。

 ミケエル大臣は頭を抱えてため息をついた。


「結局、ノア王子は花嫁を見つけ出せなかったのう」


「申し訳ありません」


「よいよい。こればかりはどうしようもないからの」


 穏やかに笑うミケエル大臣だが、目が笑っていない。


「じゃが諦めるわけにはいかぬ」


「はい」


「わかるな?」


「……はい」


『ノア王子の胸がきゅんきゅんするようなロマンチックな恋愛をプロデュースする』という任務が達成されなかったのだ。


 ーーはあ。任務継続かあ。


 アンネはずんと重い気持ちになった。




 ◆ ◆ ◆




 ミケエル大臣の部屋を後にしたアンネは重い足取りで、とぼとぼと廊下を歩いていた。自分にはとことん向かない任務に、これからどうしたら良いのか検討もつかない。

 その時、目の前から歩いてくるノア王子に気がついた。


「ノア王子」


 そして足早にノア王子に駆け寄った。


「なんでハイネ様じゃダメだったんですか?!」


 そのままの勢いでノア王子の胸ぐらを掴んで問い詰めた。そしてノア王子をゆさゆさと揺さぶった。


「はあ?」


 言いがかりされたノア王子は混乱していた。


「お陰様で任務続行ですよ!今後のためにも今回の反省をしたいんです!」


 そう涙目で訴えるアンネに、ノア王子は「ああ、なるほど。」と呟いた。


「あのなぁ。そもそもハイネは……」


「ニールセン様!」


 聞きなれない男性の声に、アンネはパッとノア王子から離れた。例えノア王子とは知り合いだと言っても、何も知らない他の人から見たらかなり馴れ馴れしい態度をとってしまった。

 不敬だと怒られてしまうかもしれないと、アンネは冷や汗を流した。


「お会いしたかったです」


 しかし、それは杞憂に終わった。

 男性はアンネの手を取り、嬉しそうに微笑みかけてきた。美しい金髪に青い瞳が印象的な綺麗な男性だ。こんな美形に、アンネは全く見覚えがなかった。


「え?」


 ーー誰?


 アンネは見覚えのない目の前の男性に狼狽えた。そして助けを求めるようにノア王子にチラチラと視線を送る。

 その視線に気付いた男性は、アンネの前にひざまづいた。


「ハイネ、と申せばわかりますか?」


「え」


ノア王子がアンネに声をかけた。


「アンネ。ハイネは男なんだ」


「へ!?」


 確かに言われれば目の前の男性は、ハイネと同じ美しい金髪と青い瞳をしている。親族だと言われたら納得しそうだ。


「私の家系は男性は病弱なのです。なので子どもの頃は女装する風習があるのですが、父が私に女になる魔法をかけたまま亡くなってしまったのです」


アンネはなんと言ってもいいのか分からなくなった。


「それはそれは……どうやって解けたのですか?」


「真実の愛です」


 そう言って、ハイネはアンネに熱い視線を送っている。

 アンネは完全に思考停止してしまっていた。


「何言ってるんだ、ハイネ」


 アンネを庇うようにノア王子が前に出た。


「優秀なお二人ならご存知でしょう。古より伝わるこの世界最強の魔法の事を」


 この魔法の世界には、数多の魔法が存在するが、そのどの魔法も跳ね返す最古にして最強の魔法。


 それが『真実の愛』である。


 昔話に必ず出てくるその魔法は、滅多に見られるものではない。


「お、おとぎ話かと思ってました」


アンネは絞り出すように話した。


「いいえ。私はあなたへの真実の愛で魔法が解けたのですよ」


 しかしハイネの熱い視線で、またもや思考停止してしまう。そんなアンネにお構いなしでハイネはアンネの手の甲にキスを落とした。


「ちょ、っと待て!」


 ノア王子が慌ててアンネとハイネを引き剥がした。それに不満だったハイネは眉根を寄せてノア王子を睨んだ。


「何するんですか、ノア王子」


「よくみろハイネ。アンネはキャパオーバーだ」


 ノア王子に支えられて、アンネは目を開けたまま気絶していた。


「おや」


 恋愛経験ゼロのアンネには刺激が強すぎたのだ。

 ハイネも苦笑して、肩を窄めた。


「ノア王子。これからは宿敵として、よろしくお願いしますよ」


「お前も苦労するぞ」


 ノア王子とハイネは互いに笑顔のまま睨み合った。

しばらく睨み合った後、ハイネはクスリと笑って背を向けた。


「今日はアンネ様と再会出来たので、一旦帰ることにします」


 そう言って、ハイネは潔くその場を後にした。

 残されたノア王子は、腕の中のアンネに視線を向けた。


「誰にも渡すものか」




 ◆ ◆ ◆




 「アンネ、アンネそろそろ戻ってこい!」


 「は!ノア王子!」


 アンネはようやく目を覚ました。

 何か予想外の事が起こったような気がするが、アンネの記憶からは消えていた。

 いや。思い出したくないだけかもしれない。

 ただ、ハイネが男だったという事実だけは覚えていた。

 アンネはショックが大きく、重く沈んだ気持ちになった。


「私。ノア王子に男性とのロマンチックな出会いを演出しちゃった訳ですね」


「そうなるな」


「申し訳ありませんでした……」


「まあ。知らなかったんだし仕方ないな」


 どうやらノア王子は知っていたようである。

 ますます居た堪れない気持ちになってアンネは穴があったら入りたい気持ちであった。

 しかし、ここでクヨクヨしてばかりもいられない。

 アンネはノア王子の胸ぐらを掴んで、ずいっと顔を近付けた。


「ノア王子!もう一度詳しく好みのタイプを教えてください!今度は見た目も!」


「俺の好み……」


ノア王子は頬を赤くしてアンネをじっと見つめた。


「この世で一番美しい人」


 アンネはドキッとした。

 それは、ノア王子の視線がいつもよりも熱く感じたからだ。好みのタイプを聞いただけなのに、アンネが「この世で一番美しい」と言われているような気がして、胸が大きく跳ねた。

 そして顔が近いことに気付いて、慌てて離れた。アンネの頬は次第に熱くなっていった。それを隠そうとアンネは挙動不審になりながら、ノア王子から距離を取っていった。


「わ、わかりました!今度は期待しててくださいね!」


 アンネはあからさまにノア王子を意識した態度で、慌ててその場を去っていった。


何で?何で?

この気持ちはなあに?


ーー私、この気持ち知らないっ!





 その場に残されたノア王子は、アンネが逃げた後も呆然とその先を見つめていた。

 そして、アンネのあからさまに意識した態度に、言いようの無い喜びが込み上げて、小さくガッツポーズを取ったのだった。




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魔法使いは恋しない。 友斗さと @tomotosato

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