第18話 矛先

 シャーロットは、声にもならないといった顔で間抜けに口を開けていた。

 やがて、唐突に感情が湧き出したように叫ぶ。

「気味悪いわよ!」

 シャーロットとは対称的に、修治郎は目元に暖かい笑みさえ湛えている。

「僕が気に食わないのだろう。僕が憎いのだろう。絶好の機会だよ。脳まで筋肉のお友達を頼らなくとも、君が僕に手を下せるんだ」

 修治郎は細い指で、ナイフを握ったシャーロットの手を優しくなぞる。反射で手を引っ込めるシャーロットを、逃がさぬとばかりに再度強く掴む。

「逃げるな」

「ねえ、何が目的? 殴られておかしくなっちゃったの?」

 地を這うような低い声でシャーロットは返す。修治郎は優しい声だ。愛しい相手を見透かして、宥めるような声。

「傷つけたくはないのかね」

「アンタの魂胆が分かんなくて聞いてんのよ、むかつくわね」

「魂胆も何も、僕が君に優位な立場を作ってやっているだけだよ。存分に活用したまえ」

「その余裕かました態度が気に入らないのよ!」

 シャーロットは両目をひんむいて吠えた。

「黄色い人間の癖に調子に乗ってんじゃないわよ……幾ら顔が綺麗でもね、汚らわしい東洋人のボーイフレンドなんていらないの!」

「それは僕も願い下げだよ。君のような驕った白人は僕も嫌いだね。調子に乗っているのは君じゃないか」

 嫌みったらしく下唇で笑う修治郎に、シャーロットは勢いよく体をぶつける。

「!」

 大きな音を立て、あっさりと床に倒れ込む修治郎の腹部に足を突き刺す。大きく呻く修治郎に、シャーロットは低く唱えるように漏らす。

「アンタのこと、理事長に聞かせてもらったわよ。折角はるばるロンドンにまで来て、学校に通わず勉強もしないまま課題だけ優秀な東洋人……偉そうに、偉っそうに……ねえ、アンタ、アタシ達のことなめてんじゃないの?」

 微かに、しかし確実に、声音は荒くなっていく。

「蒸気機関は! 電気工学は! 世界に冠たるロンドンの技術は! 私達高貴なイングランド人の知能と努力の結晶なのよ! 女子供構わず動員されて泥を啜るような苦労を何万というイングランド人が経験した土台の上に成り立つ叡智なの! その叡智をアンタみたいな黄色い移民が、学校にも通わない努力もしないアンタみたいな人間が、易々と理解して国に持って帰るのがどれ程罪深いことなのか分かってるの? アンタみたいな汚い泥棒が沢山居るおかげで、貧困に追いやられたイングランド人がどれだけ居ると思ってるの? 常夜灯に群がるハエみたいに、世界中からアンタみたいなのが集まって横着するのよ! 裏で多くの人の生活が犠牲になった、輝かしい技術に素手で触れて垢をつけるのよ! お父様の資本は、それを育てる手腕は確かに素晴らしいわ。でもアンタみたいなのをあんな風にぬくぬく育てて……小さい虫でも、育てばやがて財布を食い破るわ。気にくわない、私は気にくわないのよ!」

 ぎらぎら光る青い瞳で修治郎を見下ろした。

「大体アンタ、何なの? イングランドに来て学校にも通わず引きこもるなんて、折角の機会を全部ドブに捨てる気? そんなことして何になるわけ? 外にも出られない無能のくせに、なまくらのくせに、一丁前にアタシを皮肉ろうだなんて恥知らずもいいところだわ! アタシはね! 努力をしてきたの! お父様からの血の滲むような要求に応えて成績を保ってるの! 人の上に立つ訓練をしてきたの! 生徒会長の威厳の後ろ盾のために、私がどれ程頑張ってるかを知らないの? アンタなんかがコケにできるところなんて私にある筈ない! アンタなんか、アンタなんか……!」

 そのまま、勢いよくナイフを振り上げる。

「……大丈夫。殺しはしないわよ。顔はどうなるか分からないけどね!」

 その時。

「きゃああ!」

 悲鳴が上がる。

 見ると、黒いブレザーを着た女生徒が、口元を覆いながら突っ立っている。

 それだけではない。悲鳴に続くかのように、脇から次々となだれ込むように生徒達が出てくる。彼らに混じって一人、蘭子だけが険しげな顔をしている。

「うわぁ!」

 各々が口々に悲鳴を上げる。

「ちょ……」

 シャーロットが困惑した声で振り向くと、続いてどたどたと数人分の大きな足音が扉の向こうから響いた。

 どん、と大きな音を立てて扉が開く。

「!」

 舞台裏に入ってきたのは、喜一郎、アンシュ、そして。

「お、お父様……」

「これはどういった状況だ」

 大柄な当主、トミー・ハサウェイはそう言うと、演劇部の生徒を振り向いた。

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ロンドンインジニアスブルー 郁路ミズ季 @ikuzimizuki3

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