第44話 五人目

◇◇◇◇


リンゴとスミレの戦いが幕が閉じると私達は元の洞窟へと戻っていた。


「戻ってきたみたいだな」


ノワールは片手に持っていた珈琲をしまい、アヤに近づいていく。


「感想はいかように、殲滅姫さん?」


「……ただ見てるだけしかできなかった」


手を伸ばしても遠くの彼方かなたにある背中。私はあの二人に追いつけるのだろうか。

……いや、弱気になるな。努力すれば私だってできるはずだ。いつもそうやって何とかしてきたんだから。私は頬を叩いてよしっと気合いを入れ直す。


「あいつらも戻ってきたぞ」


アヤは踵を返し、しゃがみ込んだリンゴ達の近くに寄った。


「リンゴ、スミレ!」


「ん、勝利のピース」


「……」


リンゴはやりきった顔でピースサインをおくる。けどスミレは俯いたまま言葉を口にしなかった。


「……スミレ?」


アヤはスミレに手を伸ばすが彼女はゆっくりと立ち上がり、乾いた笑いで告げる。


「負けてしまった。まだまだ遠く及ばないな」


彼女の顔は儚げなく、いつ崩れてもおかしくない偽りの笑顔であった。

悔しいてたまらない、その感情はアヤにとって何度も経験したものだった。このまま何も知らないふりをしてしまえばきっと彼女は泣き崩れてしまうだろう。

アヤは自分にできることを探るが、彼女の目元が大きな雫がこぼれそうになり、慌ててスミレに抱きついた。


「スミレは頑張ったよ。えらいえらい」


子供をあやす母親のように語りかけて、スミレの頭を優しく撫でる。


「……な……な…………な」


先ほどまで涙を零しそうになったスミレだったが、甘い誘惑の声にマシュマロのように柔らかい胸。その吸引力とやいなや、ブラックホールに匹敵するものだ。しかし、スミレは現役JKで羞恥心もあった。だが恐ろしいことにそれより上回る包容力バブみである。

アヤに優しく抱きつかれては誰もが知能低下してしまうだろう。


「むむむ、羨ましい」


傍から見ていたリンゴは欲しいものをねだる子供のように指をくわえて見ていた。


「あれは……えげつねぇだろうな」


健全なノワールでさえ気になってチラッと見てしまうため無理そうだった。


一方アヤはというと優しくスミレの頭を撫でるたびにある気持ちが高まっていた。


(いや、はっず!)


今更だけど私がやったんだよね。でもこうすると元気出るって知り合いは言ってたし…………いやいやいやいや! ほんと何してるの私!?

知り合いがよかったからってスミレがいいとは限ってないでしょ!


「……アヤ」


「え、あ、ど、どうかした、スミレ」


羞恥心が込み上げてきて頬が熱くなる。

もしスミレに「やめてくれ」と言われたら恥ずかしすぎてのたうち回る絶対に。

スミレの艶やかな唇がゆっくりと開く。


「その……もうちょっとだけいい?」


甘く幼子のような声にアヤは断れず躊躇していると間にリンゴが割って入ってくる。


「それ以上ダメ!」


アヤとスミレを引き剥がし、スミレに向かって主人を守る番犬のように立ち塞がった。


「赤ちゃんプレイ変態侍!」


「あ、赤ちゃんプレイ変態侍?!」


そんなつもりでしたわけじゃないんだけど!

私はすぐ声に出そうとするが、先にスミレが言葉にした。


「ふふ、偽魔女は羨ましかったみたいだな」


ギクッと体を揺らし、瞳が泳いでリンゴは小さく呟く。


「そ、そんなこと……ない」


「ほう? 貴様は嘘はつかないと言わなかったか?」


「……っ。アヤの胸は、マシュマロみたいに柔らかくて、甘い匂いで、ほんのり温かくて、抱きつきたくなる包囲力ほういりょくが、あるの認めるけど、あくまで抱きつきたいと思っただけで、だから決して羨ましいとか思ってない」


「ノワール殿、さきほど偽魔女が言った言葉を覚えているか?」


てっきり蚊帳の外と思い込んでいたノワールは突然、話を振られて一瞬言葉に詰まった。


「うん? ああ、そうだな。えーと、確か羨ましいだったな」


「だそうだ。偽魔女、どう説明する?」


「うぅ………………今回は負けでいい」


膝から崩れるリンゴを見てスミレは片手でガッツポーズを翳し、声を高らかに上げた。


「やったぁああ! ついに勝ったぁああ!」


「……アヤの胸は、幻惑と誘惑効果がある。どんなスキルでも抗えない最強スキル」


「分かる。あの包囲力ほういりょくは他の追随を許さないものだ」


「それにとっても強いし可愛い」


「優しいし肌はすべすべで白くて綺麗だ」


「それにそれに……」


リンゴとスミレがアヤの話で盛り上がる中、当の本人は一歩ずつ二人から離れていくが、ポンっと背中に何かが当たる。

振り返るとノワールが小さくため息をついて話しかける。


「まぁなんていうか……苦労してるんだな」


「苦労というか、ドン引いて逃げたいです。いや、私がしでかした事なんですけどね」


「うーん……あの二人を相手にして骨が折れるのは仕方ないと思うぞ。まぁ…………前と比べたらだいぶマシになってはいると思うが」


「あれで?」


「あれで、だ。目が合ったら問答無用で戦い合って何も言わず去る二人が、今だとあんな感じで盛り上がってる。だいぶマシになったと思うぞ」


「私をダシに話し合ってますけど」


「それはそれ。あれはあれってやつだ。まぁその胸が本物だったらだが」


「リアルでもこのくらいありますよ」


「え、マジで?」


「マジです」


「…………リアルだと」


「通報していいですか?」


「じょ、冗談だって。あ、いやマジですみません。その通報ボタンしまってください。お願いしますなんでもひとつ言うこと聞くんで」


手をあたふたするノワールを見て、ゆっくりと通報ボタンから手を離す。

するとリンゴとスミレが笑顔で近づいてきて、私は一瞬背筋に悪寒が走った。


「いい語らいだった」


「やはりアヤ殿の話題は尽きないものだ」


満足げに肌をテカテカとさせてアヤ達の前に止まる。


「アヤ、ありがとう。わだかまりがちょっと和らいだ」


「アヤ殿のおかげだ。心から感謝を申し上げる」


リンゴとスミレは私に深くお辞儀する。

結果的に仲が少し戻ったっぽいけど、なんというか……こんな感じで戻ったのちょっと納得がいかない。

なんとも言えない感情にアヤはムスッと頬を少し膨らませる。

するとリンゴが何か思い出したようにポンと手を叩き、口を開く。


「あ、そうそう。私が勝ったからノワール、私達のクランに入って」


「俺が? うーん」


ノワールは口を歪ませて腕を組み、考えをまとめる。


「悪いが断る。お前んとこのクランは人数少ないからな」


「む、少人数でも精鋭中の精鋭」


「そうかもしれんが、いくら個が強かろうと数には敵わん。それに妖精の箱庭っういかにも子供っぽい名前がな」


途端、殺気がノワールに纒わりつく。しかも三人。ここにいる少女達が全員殺気を向けていることにノワールは心の中で「あ、死んだ」と悟った。


「ノワール殿。妖精の箱庭は強豪クランが注目するほど名を馳せているのだぞ?」


スミレの顔に影が落ち、一言間違えればすぐ斬る目をしていた。


「ノワール、侮辱に対して、キルは許されるって知ってる?」


背景にゴゴゴゴ、と音が聞こえてきそうなのにリンゴの顔は無表情のままだった。

そして名付け親にしてクラマスでもあるアヤの顔は、ノワールにとってトラウマになるレベル恐ろしい笑顔で告げる。


「ノワールさん、妖精の箱庭が弱いと思うのは仕方ないと私は思ってます。まだ実績も人数も少ないですからね。でも名前に関して譲れないものがあるんです。それを子供っぽいと言われてはちょっと私でも腹が立ちます」


一歩、また一歩と近づくたびに死が近づいているのだと錯覚してしまう。リアルだったら確実にノワールは失神していただろう。

そしてアヤの言葉がスローモーションのように聞こえて冷や汗が止まらなくなった。


「ノワールさん、今ここで私達のクランに入るか、私達にリスキルされるか選んでください」


選ぶなら前者一択だろう。この三人に追いかけられてはFFOで逃げ切れる自信がない。しかし、ノワールは淡い希望を抱いており、心はまだ死んでいなかった。


「な、なぁ。それってストーカーだよな。いくら女でもそれは運営が黙っちゃいないぞ」


勝ったと心の中でガッツポーズするが、次の言葉でそれは泡沫となって消えた。


「私にセクハラ発言しようとしましたよね。それに関してどう言い訳しますか?」


「い、いや……」


「それとなんでもひとつお願い聞いてくれるんですよね」


「あれは言葉のあやというか」


「男に二言はないんですか?」


「………………ああ、分かったよ。妖精の箱庭に入るよ。でも俺が提示した条件はのんでもらうぜ」


「分かりました。ただこちらもひとつ条件があります」


「なんだ?」


アヤは一息吸って目と目を合わせる。


「一緒にイベントを楽しくやりましょう。それが条件です」


どんな恐ろしい条件がくるのかと冷や冷やしたノワールだったが、アヤ達がFFOを楽しむゲーマーなことに少し驚きながらもホッと一安心した。


「分かった。短い期間だがよろしく頼む」


「はい、よろしくです」


半ば脅しになってしまったが、新しく妖精の箱庭に五人目のメンバーが加入したのだった。

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