第十六話 色町の夜 五人の旅人

 袋井宿のけったいな事件の後、五人は順調に東海道を進んでいた。

 見附宿と浜松宿を通り越して舞阪宿にたどり着く。

 りんも少しだけ息切れした程度である。ようやく歩き方に慣れてきたのだろう。

 「ここから舟だ。おりん、船旅は初めてであろう」

 「はい」

 「だが一里程しかないとはいえ、もし船酔いにでもなったら直ぐに教えるんだぞ」

 「わかりました」

 そこにたけが口をはさんだ。

 「日影様、なんだかおりんちゃんに……いえ、なんでもないです」

 「なんなんだ。言いたいことははっきり言え」

 「言ってもいいんですか」

 日影兵衛は不吉な予感がして「いや、言わんでいい」と言いつつ話を変えた。

 「新居に関所があるが箱根も今までも問題は無かったし、舟を降りたあとどこで宿を取るかだな」と少し考える。

 「吉田か御油ごゆ、赤坂がいいなあ」と前田主水。

 「黙れ」

 りんは前田主水を見、それから日影兵衛を見た。

 「吉田宿と御油宿と赤坂宿に何があるのですか」とりんは素朴な疑問を投げかげる。

 「……通ればわかる。聞くな」

 「えー。あ、舟、舟が見えます」とりんは質問を忘れた様にわくわくして言った。

 一里程度の短い乗船ではあったが、りんは満足したようである。

 新居宿に着き、無事に関所を通ると五人はこの先どうするかまた話し合いを始めた。

 「袋井宿から大分進んだ事だし、ここか白須賀宿しらすかしゅくに泊まるか。白須賀まではそう遠くない」と日影兵衛はちらりとりんを見て言った。まだ元気な様に見える。

 「いや、柏餅かしわもちを食っている場合ではない。吉田宿まで行こう」と前田主水が何故か息を荒くして言った。柏餅は白須賀宿の名物である。

 「馬鹿を言うな。ここから吉田宿まで行けるか。日も傾いて来ているぞ。少し休むべきだ」と日影兵衛はらしくない事を言う。

 「吉田宿には何があるのですか」とりんは今度は直接前田主水に聞いてみる。

 「答えんでいい」と日影兵衛。

 りんは不思議そうな顔をする。たけがりんを見、日影兵衛の方に顔を向けた。

 「おりんちゃんももう大人ですし、日影様は子供扱いし過ぎでは」

 この頃の成人は十二から十六歳前後である。大体生理が始まった時に行われたようだ。おりんはもう十五歳である。元服を祝って貰って髪上げの行事をしてもらい、髪型も島田髷しまだまげになっている。島田髷は未婚の女性の髪型である。

 「りん殿やおたけ殿はともかく、ふたりはまってないのか。儂は修行僧ではない。銭の都合でこらえていたのだが。出来れば三島宿にも寄りたかった」などと前田主水が言い出した。

 「その口を縫い付けるぞ」と一言、日影兵衛。

 「わ、分かった。まず白須賀宿に行こう。箱根を越えたらもう構わんのではと思ったのだが、五人に増えたおかげで機会をっしたのだ。御油宿か赤坂宿くらいいいであろ」

 「どうしても行きたいのか。永山殿、おたけ、どう思う。俺は白須賀宿を出たら一気に藤川宿まで行きたい」

 「……私は吉田宿でも御油宿でも赤坂宿でもいいわよ。逆に前田様に賛成です」とおたけは前田主水派になった。

 「なんだと」

 「おたけ殿が構わないと言うなら反対しません」と永山宗之介まで言う。

 「多数決で決まりだな」と嬉しそうに前田主水が言った。日影兵衛は何故かうろたえた。

 「おりんはどうだ。早く京に行って姉を探さねばならんだろう。藤川宿まで進む方がいいのではないか」

 「えっと、あの、私はもう子供じやないですよ。前田様がなにを言いたいのかぐらいわかります。道中で飯盛女めしもりおんなさんや湯女ゆなさんが他に何をしているのかも分かりましたし。里でも私より若い子だって……」りんは逆に日影兵衛を不審に思う。

 「待て。おりん、男は誰もが前田のと一緒ではないのだぞ」と日影兵衛はりんの話をさえぎった。

 「べつに日影様が何をしようと関係ないです。私は下女ですから」と平静を装ってりんは答えた。その口はへの字に曲がっていたが。

 「四対一になったぞ。一応譲って赤坂宿ということで。『御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸がよい』と言うではないか。寄らずにどうする」

 「俺達は江戸ではなく京に行くのだ、この阿呆あほう

 それで決まりと言うことで、五人はこのまま白須賀宿へ向った。日影兵衛は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。前田主水や永山宗之介ならともかくりんやたけまで賛成するとは思っていなかったのである。

 

 仁科宿を通り過ぎ、まだ日が高いが吉田宿についた。かなり混雑していたが、大半は前田主水と目的が同じようなものである。その前田主水は後ろ髪を引かれながらも「赤坂、赤坂」と言いながら先頭を歩いていた。

 日影兵衛はもう諦めたのか、何も言わない。りんは色町を見つけると興味深げに顔を向けている。もし花魁おいらんがいるような所であったら感心した事であろう。永山宗之介はいつも通りであったが、たけは考え事をしているようだった。

 そんな調子で御油宿も通り過ぎる。

 そして赤坂宿に到着してしまった。日はもう沈みそうである。前田主水は「すぐに夜になるな」と嬉しそうだ。

 「うう」と日影兵衛は唸ると「旅籠はここにしろ」といきなり言い出した。まだ赤坂宿の入り口に近い所である。

 「儂は宿に泊まらん。明日の朝、向こうの出口に集合ということで」と、前田主水はさっさと歩き出し姿が見えなくなった。

 「そんなにか」と日影兵衛はあきれかえる。

 次にたけがもじもじと「あの、永山殿に込み入った話があるので、別の旅籠に」などと言い出した。

 日影兵衛は「俺やりんがいると邪魔なのか」と聞くと「できれば、その……」とたけがうつむく。

 日影兵衛は永山宗之介を見ると、彼は自分も訳がわからないという顔をしていた。

 「おりん、俺とふたりでもいいか」と一応聞いてみる。

 「それは構わないです。おたけさんも何か大事な用があるみたいですし。始めはふたりっきりでしたし」と何も問題無いように頷く。

 「永山殿、俺達はここに泊まることにする」と日影兵衛はすぐ横の旅籠を指す。

 たけは「永山殿、私達も宿屋を」と永山宗之介の袖を取って、赤坂宿の中程へ向かって行った。

 「前田のはともかくおたけは何を考えているのだ」と言いつつ、日影兵衛とりんは旅籠に入る。

 大事な客を獲り損ねたと、そばに寄って来ていた飯盛女達は他の客を探しに離れていった。

 

 夕食も終わり、永山宗之介とたけはお互い向き合って正座していた。自分でふたりにしてくれと言ったのに、おたけは着物の袖をもじもじといじっている。

 「あの、唐突なんですけど……」

 「何でしょう」

 「わ、私をお嫁に貰ってくださいませんか」

 たけは思い切って言ってしまった。ここに来るまでどう切りだそうかと散々悩んで来たのだが、永山宗之介とふたりっきりになって全てが吹っ飛んでしまったようだ。

 いきなりど真ん中である。

 色町ならこの堅物も幾らか気を緩めるに違いないから何とかその機にと、前田主水の提案に乗ったのであった。

 「え」と永山宗之介は予想を遥かに越えたたけの言葉が理解できなかった。

 「な、なんと言いましたか」

 「ですから、私と夫婦めおとになってくださいと。何度も言わせないでください」たけは頬を染めている。

 「それで、あの、できればうちに婿入りを。駄目なら私は……」

 話が性急すぎると、たけはわかっているのか。

 「私はおたけ殿の用心棒に雇われた身ですよ。いきなり何を言い出すんです」

 我を取り戻した永山宗之介は真面目に答えた。

 「あの、始めは日影殿のお顔と強さに惹かれていたのですが……あの人は根無し草で私はついていけません」

 「それがどうしたら私と夫婦になりたいという話になるのです」

 「私は反物屋のひとり娘です。どのみち誰かを婿に取らねばなりません。でも親の持ってくる見合い話しなど真っ平ごめんです。ですが、永山様と旅をしているうちに貴方ならと思ってしまいました」

 たけはやはり日影兵衛を諦めた様だ。しかし永山宗之介なら、雇い主と用心棒という関係以外になんの障害もないと。

 「話がよく見えないのですが。私は貧乏侍ですし、気が利かないというか一緒にいてもつまらない男ですよ。男前では無いのも自覚しています。おたけ殿もわかりますでしょう」永山宗之介の堅物ぶりは筋金入りである。

 「永山殿なら真面目で店をやりくりしてもらえるのは確かです。それにあまり構ってくれなくても、永山様は私を邪険にしないでしょう」

 「いやそうではなくですね、そんな話をなされては旦那様に首を刎ねられてしまいます。そもそもいつからそんなことを思いついたのです」

 「あの、興津おきつで助けてもらった時……」

 「あれはただのごろつきではないですか。おたけ殿がどう思われているかわかりませんが、私はそれほど腕がたつなどと自惚れてはおりません」

 「でも危うい所で颯爽さっそうと現れて身をていして護ってくれました」たけは少し頬を染めて言う。

 「あれは運良く出会えたからです。それに護るのが私の務めですから」

 「……そんなに私が嫌ですか」

 「だから、嫌とかどうとかそういう問題ではなくてですね」

 話は一向に進まない。

 そこで、たけは涙をこぼしてしまった。

 「あ、あ、泣かないでください。まるで私が悪者みたいではないですか」

 「でも好きになってしまったの」

 「それは一時の迷いです。京に着けば幾らでも相応ふさわしい男がいるでしょう」

 「もしかして、私が行き遅れだからですか」

 たけは話が噛み合わないまま、とうとう両手で顔をおおって本格的に泣きだしてしまう。永山宗之介はうろたえてしまった。まさかこんな話を持ち出すとは。

 だが、彼は彼女をじっと見つめた。そして「行き遅れなどは問題ではありません。本当に本気ですか。迷いは無いのですか」と問いかけた。

 「今度は本当に本気です」とたけは涙をこぼしながら答えた。

 

 日影兵衛は窓を閉めると、煙管きせるを取り出した。なんだか落ち着かない様子である。

 「日影様、窓を締切って煙草を吸うのはやめてください」といきなりりんに怒られる。彼は無言のまま煙管をしまう。りんはそんな日影兵衛の前に正座した。

 「日影様は遊びに行かれないのですか。お留守番していますよ」

 「おりん、何を言い出すのだ」

 「私はただの下女ですし、別に日影様が何をなされても気にしません」

 そう言うりんの顔は硬直している。表情が硬い。

 「俺はだな、余り遊女に興味が無い。そりゃあ行かないとは言わないが、今はそんな気分ではないのだ」

 なんだか今晩のりんの様子もおかしい。

 「だから色町は嫌だったんだ」と日影兵衛はつぶいた。

 「どうしましたか」とりんが寄ってくる。

 「おりん、俺に近づくな」

 「そんな……なんだか日影様、様子が変ですよ」

 りんは日影兵衛にこばまれても、心配の余り更に近づいてくる。

「だから近づくな。様子が変なのはお前だ、おりん。どうでもいいからさっさと寝ろ」

 「あの、はい……でもまだ寝るのには早いかと」とりんは日影兵衛を見つめる。

 「おりん、休むのも大事だぞ。このままでは俺がたん」

 「そんなにお疲れですか」

 おりんは首をかしげる。その様子がこれまた可愛らしい。

 しかし日影兵衛の言葉の意味を取り違えている。

 「ちょっと待て」

 そのりんを見た日影兵衛は部屋の反対側に行って座り直す。とにかくりんから離れようとする。

 全く日影兵衛らしくない様子を見て、りんはようやく気がついたようだ。

 「出会った時、私は言いました。いつかはと思っていましたし。私が十五なのにおぼこだから嫌ななのですか。面倒くさいって」と頬を染めながら聞く。

 「おぼこ……里長の娘ならよくある事であろう。いやそうではない。どうして話をそっちへ持っていく」

 この頃の庶民階層では貞操観念がゆるく、十五、六歳で経験がない方がまれであった。逆にとっとと嫁に行けという年頃である。子供を産む事の方が優先だった時代であった。

 それと下女はあくまで召使いなので、早々身体を求められる事は無いのも普通である。

 「でも、前田様が言うとおり……遊びに行かれないのでしたら私が……」

 「前田のの言うことなど聞かんでいい。ともかく普通に寝ろ。おりんが気にすることではない」

 りんはそれに答えずに立ち上がると、帯を解き小袖を脱いで半襦袢に手をかける。少しずつ顔が赤くなってきていた。

 「待て、ただ寝るのに素っ裸になる気か。風邪をひくぞ」

 おりんは脱ぐ手を止めて日影兵衛の方を見た。

 「あの……おさちさんという人がいたからですか。そこまで嫌がれるのは」

 「嫌がっているのではない。何でおさちが出てくる」

 「日影様は私をおさちさんと間違えであんな事をなされたのに。私はその人の代わりでもいいんです」

 日影兵衛が寝ぼけていたとはいえ、自分が何をしたかもう解っていた。

 「何を言い出すのだ。おりんはおりんだ。黙って寝ろ」

 日影兵衛は枕を用意すると、無理矢理りんをそこに寝かしつけた。そして小袖を拾い上げると、りんの身体を隠すようにかけてやる。

 「……出過ぎた真似をしました。申し訳ありません」

 りんはそう言って反対側を向いてしまった。

 日影兵衛はそんなりんを見つめると、自分の枕をりんのすぐ横に置き自分も寝っ転がった。

 それを感じてりんは日影兵衛の方を向いた。すぐそばにある日影兵衛の顔を見てびくっとする。

 「嫌ってはおらぬと言うのに……おりん、ちょっと手を出せ」

 「は、はい」

 おりんはどぎまぎしつつ、小袖の下から片手を出した。

 日影兵衛はそれをぎゅっと握る。

 「また抱き枕代わりにしたりせんぞ……寝ぼけたら少し自信が無いのではあるが」

 日影兵衛はなんとも情けない事を言う。

 りんは日影兵衛の方から手を握られただけで真っ赤になってしまった。

 「とにかくだ。この宿場では駄目だ。おりんが正気な時にだな……あっ」

 日影兵衛は余計な事を口走ってしまった事に気がついた。

 「正気って、私は何処もおかしくなっていません」

 そう言ってりんはもぞもぞ動こうとする。

 「だ、黙れ。寄るな、早く寝ろ」

 ふたりは手を繋いだまま、なかなか寝付けない一晩を過ごしたのであった。

 

 前田主水の事はあえて言うまい。好みの女を見つけると、さっさと店に入っていった。気楽なものである。

 

 朝になり、五人は赤坂宿から京へ向かって歩き始めた。

 前田主水は上機嫌である。顔がつやつやして見える。

 永山宗之介は何故か青ざめて、たけはというと今にも泣きそうな顔をしていた。

 日影兵衛はばつの悪そうな顔をし、りんはうつむきながら彼の後ろをいつもの様についていく。

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