第十五話 狒々の剣 狒々王三太夫

 金谷宿を出発して日坂宿へ向かう道中。

 道中と言っても東海道三大難所のひとつ佐夜さやの中山峠を越えなければならない。地図上では佐夜の中山と記されているが、小夜さやの中山と呼ぶ方が有名である。

 夜泣き石の伝説という有名な話が伝わっているが、この五人はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 一応日坂宿には泊まらずに掛川宿まで行こうと相談していたのである。しかし小夜の中山はそう簡単に越えられるものではなかった。

 たけはというと「うーん。おりんちゃんに取られちゃった感じ。もう諦めて応援しようかしら」などつぶやき永山宗之介の後ろ姿を見ている。

 「おたけ殿、何を取られてなんの応援だ」

 「前田様、貴方には一寸も関係ないないことです」

 きっぱり言われて前田主水はよろめいた。

 そう言う前田主水は他の四人を代わる代わる見回している。なんだか自分をのけ者にして様子がどんどん変わっていくのを感じていた。のけ者は旅の最初からではあったのだが。

 永山宗之介はこの朴念仁ぼくねんじんでも、たけの様子が変である事に気がついていた。だからといって何が変かと聞かれても説明できないようである。

 りんはと言うと、道中がはかどらないのは自分の足が遅いせいだと、できるだけ速くと頑張って歩いている。弱音もはかないと決意している様である。

 日影兵衛はというと背負子しょいこに入った刀が少なすぎるのと、まともに使えるのがりんの里で貰った大小と、沼津で山名頼綱から譲り受けた大小だけである事を気にしていた。

 しかし黒錦党の連中からは刀を奪わないと決めていたので本数が増えないどころか減っていくばかりである。

 そしてもうひとつはりんである。無理をして頑張って歩いているのに気がついていた。ここで力尽きても困るというのが彼の建前である。本音は何かと聞かれたらぐうの音も出ないであろう。

 りんが心配で心配でしょうがなくなっていたのだ。

 この男でも心が揺れ動くのである。

 だが、何事もなく無事に峠を乗り越える事ができた。

 日影兵衛はりんとたけの様子を見て「やはり日坂宿で休む方がいいか」と提案する。

 いの一番に、りんが「予定どおり行きましょう」と肩で息をしながら言った。

 日影兵衛は残る三人を見ると、俺たちゃ知らんという顔をしている。

 「駄目だ。頑張ると無理をするは違うのだぞ。おりん」

 「うう。無理なんてしてないです」

 「本当の本当にか。ならば日坂宿で休憩したら、掛川宿も通り越して袋井宿まで行くぞ」

 「大丈夫です。問題ないです」

 「……失敗した」日影兵衛のおどかしは全く効かなかった。

 「袋井宿は丁度東海道の真ん中ですね」と永山宗之介。

 「袋井か。名物のたまごふわふわが食べられるぞ。それに鰻とすっぽんだ。元気が出る」と、前田主水。

 「お前は食うことばかりだな」と、日影兵衛はあきれた。

 日坂宿に着くとみんなして茶屋に向かう。日影兵衛は「ちょっと買い物」と言ってそのまま歩き始めようとした。それを見ていきなり立ち上がる永山宗之介と前田主水。

 「……そんなに神経質にならんでも。本当に買い物だ」

 「日影殿の『ちょっと買い物』は信用できませんね」

 「今度から理由をきちんと説明してからにしてもらいたい」完全に永山宗之介と前田主水の信頼を失ってしまった様である。

 「今度は本当に買い物だ。薬屋に行ってくる」

 「なんと。またどこが怪我されたのか」

 「そうではない。少しは信用してくれ」そう言って日影兵衛は離れていき、薬屋に入った。それを見届けると、永山宗之介と前田主水はため息をついて縁台に座りお茶をすすった。

 「一体何事なの」とたけ。

 「いや、何でもないです」と永山宗之介。

 「薬って何のだろう」とりん。

 「それより団子か餅のおかわりでもするか、二人とも」と前田主水。

 永山宗之介と前田主水はそこまで言うと再びため息をついた。りんとたけは不信の目を向ける。

 日影兵衛は直ぐに戻って来ると、茶屋の娘に水を頼んだ。そして水を受け取ると「おりん、これを飲め」と薬と水をりんに手渡す。

 「あの、どこも具合は悪くないんですけど」とりんは日影兵衛の顔を見て言う。

 「芍薬甘草湯しゃくやくかんぞうとうだ。筋肉のけいれんの痛みや腰痛に効く。それと『お馬』とかいう物にも効くらしい。馬も薬を飲むのか」とりんに残りの大量の薬を手渡す。

 「あ、あの『お馬』って……それくらい自分で何とかします。日影様に心配してもらう事じゃないです」

 何故かりんに怒られた。『お馬』とは要するに生理の隠語である。ともかくお茶を終えたりんは芍薬甘草湯を飲んで「さあ行きましょう」と立ちあがった」

 「もういいのか」と日影兵衛。

 「しつこいです。薬も飲みました。大丈夫ったら大丈夫です」と言って日影兵衛を睨みつけると、歩き始めた。日影兵衛達は顔を見合わせるとりんに従う様についていく。

 「何故俺が怒られなければならんのだ」日影兵衛は首をひねりながらりんの後ろを歩いていく。

 

 袋井宿に着くと、異様な光景を目にした。

 大通りを行き交う旅人が殆どいないのである。

 その上どこの旅籠も店も、茶屋まで戸を閉めている。

 「日影殿、あれを見てくれい」と前田主水が指指した。

 そこには全壊した建物があった。もとは酒屋の様である。

 「袋井宿って東海道の丁度真ん中なのでしょ。一体全体これはどういう事なの」とたけが言う。

 「これではたまごふわふわも鰻もすっぽんも食えんではないか」と前田主水。

 「お前は食い物から離れろ」日影兵衛は様子を伺いながら道を進む。残りの四人もきょろきょろしながら後に続く。

 日影兵衛は一軒の旅籠に向かい、閉じられた宿の戸をがんがんと叩きながら「一泊したいのだが。何故宿を閉めている」と大声を出し、またがんがんと叩く。

 すると宿の戸が少し開き主人らしき者が顔を出した。

 「泊めます泊めます。お願いですから静かにしてください」と怯えるように言った。日影兵衛達は顔を見合わせると、少しだけ開かれた戸に入っていく。彼らが入るとすぐさまぴしゃりと戸が閉められた。

 日影兵衛は宿に上がる前に主人に尋ねた。

 「この宿場町はどうしたんだ。何故どこの店も閉めている。その上、全壊している建物は何なのだ」

 主人は「ともかくお上がりください。詳しい事は部屋の方で」と五人を促す。

 通された部屋はこの旅籠で一番広く、豪華な絵や置物が飾られていた。

 「おいあるじ、こんな部屋に泊まるほど金は無いぞ」

 「構いません、どうせ他の客も来ない事ですし」と主人が五人を通し、部屋の真ん中に座らせた。主人は番頭と女将を連れてその対面といめんに正座して事の次第を話し始めた。

 「なんとも恐ろしい話なのですが、この宿場に何頭もの狒々ひひの妖怪が現れて女をさらい建物を壊して回るのです」

 「何だその話は。脅かしは無しにしてくれ」と前田主水が言った。

 「脅かしでは無いのです。本当なのです」と主人は震え出した。番頭と女将は震えすぎて壊れそうである。

 「え、妖怪……」と他の四人も顔を見合わせた。

 りんとたけも怯えだしたが、日影兵衛が「馬鹿馬鹿しい」と言うと永山宗之介と前田主水も頷いた。

 「やはり盗賊の様な連中が暴れ回っているのではないでしょうか」と永山宗之介。

 「し、しかし何人もその狒々を見ているのです」

 「狒々の妖怪ねえ」と、まだ半信半疑の前田主水。

 「あの、こういう伝説があるのですが」と主人は話し始めた。

 言い伝えによると、毎年人身御供を要求する妖怪が現れて、白羽の矢が刺さった家の娘を人身御供に出さなければなかったらしい。

 しかし話を聞いた旅僧が、妖怪共が「信濃の国の悉平太郎しっぺいたろうに知らせるな」と言うのを聞きつけて光前寺の飼い犬の悉平太郎という犬を借りて妖怪を退治したという。

 「言い伝えと少し違うようだが、犬をけしかければ良いではないか」と日影兵衛。

 「し、悉平太郎はもういませんし、そこらの犬も怯えて

けしかけるどころでは無いのです」そう言うと、宿の主はがっくりとした。

 「ならばここの代官に助けを求めるのがいいのでは。それに役人がいるでしょう」と当然至極の事を永山宗之介が言った。

 「お役人は真っ先に逃げてしまわれました。使いは出したのですが、妖怪などとなかなか聞き入れてもらえず、いつ助けに来てくれるのかわからないのです。それまで生きた心地がしないのです」

 しかし前田主水は興味を持ったらしい。

 「その狒々とやらは何処から現れる」

 「宿場から少し離れた廃れた寺の方からです」

 「お寺、お寺ねえ。ここはひとつ肝試しといかないか。日影殿、永山殿」などど言い出す始末である。

 「馬鹿も休み休み言え」

 「肝試しよりも先に進みましょう。こんな宿場は不便でなりません」

 日影兵衛と永山宗之介は取り合わない。

 そこへりんが「よ、妖怪、もし出ていくところを後ろから襲われたら……」

 たけも「こ、この宿から出るのは嫌です」と言い出した。

 「なんとも面倒くさい女達だ。しょうがない。寺まで行って何もなかったら、前田の。たまごふわふわと鰻とすっぽんをお前の金で馳走ちそうしろ」

 「ええ、儂が」

 「前田殿が言い出しっぺですからね」

 そうして前田主水と全くやる気の無い日影兵衛と永山宗之介は刀を携えて立ち上がった。

 

 宿の主人が書いた地図を見ながら、前田主水を先頭に三人はその寺へ向かっていった。

 「くそ面白くもない」と言って日影兵衛はあくびをする。永山宗之介もやれやれといった顔をしていた。

 彼らは寺への階段を見つけると、無造作に登り始めた。

 最初に気がついたのは永山宗之介である。

 「なんだか音がしますね」

 「音というより浮かれて騒ぎまわっているようにしか聞こえんな」と日影兵衛。

 騒ぎが聞こえたというのに、ふたりは刀に手もかけず階段を登っていく。

 前田主水は「一応乗り込む前に様子を見よう。本当に妖怪だったら面白おもしれえ」とかなり乗り気である。

 「しょうがねえな」

 「何かいることは間違えなさそうですし」

 そう言って境内が見える木の横に隠れた。

 そしていきなり日影兵衛は「あはははは」と辺りも気にせず笑い出す。

 永山宗之介まで「くふふふふ」と笑い始めた。

 「何だ、つまらねえ」と前田主水。

 境内には動物の毛皮で身を包んだ男達が宴会をしていたのである。

 なんのためらいもなく境内に乗り込む三人。

 それに気がついた連中が立ち上がる。

 「われは狒々の王、三太夫という。わざわざ乗り込んで来るとはいい度胸だな」

 「あんなことを言ってるぞ」

 「本当に面倒くさい。さっさと始末するか」

 「一応殺さずに足腰を立たなくしませんか。番屋に後片づけさせましょう」

 三人はそう言うと狒々王三太夫と名乗った男の方へ向かって歩き始めた。

 「なんなんだ。舐めているのか、こいつらは。野郎ども畳んじまえ。宿場に逃げないように切り捨てろ」

 「やれやれだぜ」という日影兵衛の言葉と共に三人は刀を振るい始めた。

 阿呆な格好をした酔っ払いの盗賊など二十人いてもなんの問題も無いというように、三人はあっという間に盗賊共を倒してしまった。

 峰打ちで思いっきり打ち据えたので、誰も立ち上がる事ができなくなっている。狒々王三太夫は一番最初に日影兵衛にぶっ飛ばされて、正体をなくしていた。

 寺の中に入った前田主水は数人の女を連れ出してきた。

 「攫われた娘子のようだ。かわいそうに」とひとりひとり手を取って寺から出してやる。

 「日影殿、折角ですから刀を調べては」と永山宗之介が日影兵衛に提案した。

 「ろくなものを持っていなさそうだか」と言いつつ刀を調べ始める。「狒々何とかのと他に三本ほど使えそうなものがあった」と日影兵衛は刀を抱えて戻ってくる。

 「おい前田の。この狒々を宿場まで連れて行け。証拠が必要だろう」日影兵衛がそう言うと「少しも面白くなかったな。まあ、攫われた娘子を助けられたのだから良しとするか」と前田主水が言いつつ、狒々王三太夫の襟首を掴んで階段を降り始めた。狒々王三太夫が引きずり降ろされる度に、ごつんごつんと腰が階段にぶつかる。

 「おい、殺すなよ」と日影兵衛がしょうがなしに言う。永山宗之介は助けた女達の後ろからついていった。

 

 「おい、旅籠屋の。戸を開けろ。妖怪をすべて倒してきたぞ」と日影兵衛はまた宿屋の戸を叩き始める。

 なかから「え、えええ」という声が聞こえ、主人と番頭、女将とりんとたけ、それに使用人達が顔を出した。

 「ほれ」と前田主水が狒々王三太夫を投げ転がす。

 そして助けられた女達がほっとして泣き出した。

 「動物の毛皮を被った盗賊でしたよ」と永山宗之介が告げる。

 しかし、それが耳に入ったのかどうなのか、番頭が「お侍様が妖怪を退治してくださったぞ。攫われた女達も助けていただけた」と何度も大声を上げて通りを走り回った。

 それが伝わったのか、町中の建物から住人が飛び出してきて大騒ぎになる。

 「おい旅籠屋の。こいつの子分が二十匹ほど寺に転がっているから逃げ出す前に捕まえたほうがいいぞ」とまだ面倒臭そうな顔をしている日影兵衛が教えてやった。

 「男ども、寺に子分が倒れているそうだ。みんなで捕まえにいこう」という番頭を先頭に、縄やら棒やらを持った町人の男達が大声みあげながら寺へと向かっていった。

 「お、お侍様ありがとうございました。ささ、こちらへ」と言われてもと来た部屋に通されると、町中の人間が酒やら料理やらを運んできて、満面の笑顔をしながら、日影兵衛達を接待しはじめた。

 「なんなんだ。こういうのは御免だが」と日影兵衛は町娘にお酌されながら言った。

 「偉い騒ぎですね。静かに旅をしたいものです」そういう永山宗之介の前に次々と料理が運ばれてくる。

 「きたきた。たまごふわふわに鰻にすっぽんだ」ひとりご機嫌で飲み食いする前田主水。

 りんとたけは呆気あっけに取られていた。

 夜中まで宴会が続き、町人達がが正体をなくして転がり始めると、五人はそっと抜け出し別の部屋へと入っていった。

 五人はやれやれと寝床の準備をして寝っ転がってしまった。最初に眠りに落ちたのはりんである。

 「休憩どころではなかったな。余計疲れた」と日影兵衛は言ってりんの寝顔をしばらく見つめる。

 「なんだかんだといってこいつは全く」とつぶやくと、りんから目をそらし彼も眠りに落ちた。

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