第十一話 村正の剣 松平康治郎

 府中宿のとある湯屋、りんとたけは並んで座っていた。

 「おりんちゃん、私は一体どうしてしまったのかしら」

 「……最近おかしいですよ、おたけさん」

 「もしかして私はただの阿婆擦あばずれなのでは……」

 「え。なんのことです」

 何を言い出すのかと、たけに不審な目を向けるりん。

 興津宿おきつしゅくを出て江尻宿を通り越し、ここ府中宿に着いたところである。

 りんから見たたけは、全くおかしなことになっていた。

 りん自体恋だの愛だのさっぱりわかっていないのに、そんなことを言われても理解出来るはずもない。

 湯に当たっておかしくなったのかと、りんはたけを連れて前田主水と共に泊まっている旅籠へ帰った。

 りんは日影兵衛と永山宗之介に相談してみる。たけはごろんと転がったままである。

 「俺に聞くな」

 「おかしいとは思っていましたが、さて」

 原因のふたりは全く役立たずである。一緒に湯屋から戻った前田主水はたけを団扇うちわで扇ぎながら真剣に考えている様だったが、りんは全く当てにしていない。

 「それより日影殿、もしかしたら掘り出し物で村正などが見つかるかもしれませんよ。何しろ府中、駿府城のお膝元ですし」雇い主のたけの事をそれ扱いして永山宗之介が言った。

 「将軍ゆかりの村正といったら、たたりのもとではないか」と前田主水。

 「馬鹿か。祟られるなら何故大事に仕舞っておくのだ。そんなものただの作り話に尾鰭おひれがついただけだ。しかし村正か。たくさん出回っている様だが役に立つのか」

 「高い金を払って手に入れても外れだったら笑い事ではありませんね」

 あっさり話題を変えて盛り上がっている三人を見て、りんはふくれてしまった。

 そこへ外から「うわあああ、また出た、村正の祟りだあ」という叫びが聞こえ、通りが騒然とし始めたのを聞きつけて三人は窓から外を見た。

 「村正の祟りとは」と永山宗之介。

 「……城下町でこういう話は二度と御免だ」日影兵衛は小田原で起こった事を思い出して言った。

 「儂がちょっくら見てこよう」と前田主水は野次馬根性丸出しで部屋を出ていく。しょうがないので、代わりにりんがたけを扇いであげる。

 しばらくすると前田主水が戻ってた。

 「何でも黒頭巾の男が腕の立ちそうな相手に勝負を挑んでは、斬り倒しているらしいそうだ。そいつの持っている刀が村正なのだと」

 「なんで斬られてそれが村正だとわかるのだ。馬鹿馬鹿しい」そう言った日影兵衛は口から煙をぷふうとはいて、また煙管きせるを口にした。

 「いや、決まり文句が、俺の村正が血を欲している、とか。命をとりとめた者がそう言っていたそうだ」

 「俺はそれより、そいつが黒頭巾だというほうが気になる」

 「黒錦党こっきんとうですか。でも盗賊がわざわざ騒ぎを起こす訳がないと思うのですが」

 男三人はりんの方に目を向けた。りんは興味なさそうに、まだたけを扇いでいる。

 「そうそう。三代将軍様が若い頃、夜な夜な城を抜け出し辻斬りしたと言う話もあるではないか。だから捕まらないのでは」

 「お前はそういう話が好きなのか」

 そこでいきなりりんがいきなり立ち上がった。

 「もう、五月蝿うるさいです。誰もおたけさんを心配しない」

 切れたりんを見て、男達はびくりとして黙ってしまった。

 

 次の日。

 日影兵衛は永山宗之介が言った事が気になって、掘り出し物がないかとぶらりと町へ向かっていった。

 永山宗之介は多少は悪かったと思ったのか、たけとりんに安倍川餅でも買ってこようと宿を出る。

 因みに安倍川餅は徳川家康の命名である。

 前田主水は昨夜の話に興味を持ったのか、噂話でも聞けるかとこれまたひとりで出ていった。りんはまだぼーっとしているたけが心配で、ふたり揃って旅籠から出かけないでいる。

 最初にそいつに出会ったのは前田主水であった。

 彼は噂話を聞きつつも、目に入った食べ物屋に寄り道ししては味を確かめ、気に入ったものを包んでもらっていた。りんとたけへのお土産のつもりらしかった。そんなことをしていた為、日も落ち「遅くなってしまったが、土産があれば問題なかろう」と道を急ぐ。

 すると、物陰から黒頭巾で顔を隠した男が現れた。

 「貴殿、腕が立つと見た。俺とひと勝負願いたい」

 「お前が村正の祟りという奴か」と、前田主水は荷物を投げ出し刀の柄に手をやった。

 「決まり文句は言わんのか」

 「そんなくだらないことを言うわけがなかろう。ただし村正というのはあっている」と言ってすらりと刀を抜いた。

 それを見て前田主水も抜刀する。

 「くだらん真似をするもんだな」前田主水はそう言うと、いきなり刀を横薙ぎにした。

 黒頭巾はそれを難なんなくかわして「ふむ、剛剣の使い手か」というと、一気に前田主水に襲いかかった。

 「くそ、かなり腕が立つ」前田主水は黒頭巾の斬撃をかわすのが精一杯であった。しかし、身体のあちこちに傷が増えてくる。

 「なかなかしぶといが、大したことはない」黒頭巾は止めとばかりに刀を繰り出した。

 「むおおおお」と前田主水は刀をすくい上げる。

 かろうじて斬撃を防いだが、その胸から血が吹き出した。その騒ぎを聞きつけて、人が集まってくる気配がし始める。

 「ここまでか。まあ、どうということもない御仁であったな」そう言って黒頭巾は姿を消した。

 

 「日影殿と前田殿は遅いですね。餅が固くなると美味しくなくなってしまいます。ふたりの分も食べてしまいましょう」と、一番最初に戻ってきた永山宗之介がふたりに安倍川餅を勧める。

 「あの、いいのでしょうか」とりんがいうと「流石に餅ごときで文句など言いませんよ」と気軽な顔をして永山宗之介は答えた。

 「ではお言葉に甘えまして」とりんが安倍川餅を食べ始める。たけは永山宗之介の事を見つめながら、餅に手をつけた。まだ心あらずと行ったが具合である。

 三人は平和な午後を過ごすと「もうそろ夕飯だというのに帰って来ませんね」と永山宗之介が言った。そこへ前田主水に肩を貸した日影兵衛が部屋に入って来る。

 ぼろぼろで血だらけの前田主水を見て、りんとたけが慌てて手当をしようと駆け回る。

 「あの村正野郎、今度出会ったらなます切りにしてやる。儂の事を大したことがないなどとぬかしやがった」と、怒りの収まらない前田主水が怒鳴った。

 「黒頭巾にやられたらしい」と日影兵衛。

 「なるほど。やはり村正の使い手でしたか」と永山宗之介が前田主水に聞く。「決まり文句は言わながったが、はっきり村正と言いやがった」りんとたけに介抱されながら前田主水は答えた。「認めたくはないが、かなりの使い手だ」と付け加える。

 日影兵衛はそれを聞きながらも黙っまたままである。

 「村正ですか」と永山宗之介はぽつりと言った。

 その晩、皆が眠ったのを確認すると永山宗之介は刀を携えて部屋を出ていこうとする。

 寝ていた様に見えた日影兵衛は「おたけの用心棒ではなかったのか。関わらない方がいい」と声をかけた。

 「どうも私も剣術家のひとりのようです。血が騒いでなりません。もしもの場合は日影殿、おたけ殿を京まで送り届けていただけないでしょうか」と日影兵衛の返事を待たず出ていった。

 日影兵衛はしばし天井を見つめていたが、音を忍ばせて立ち上がり、刀をたずさえて宿を出た。

 

 「やはり駿府城が怪しいですね。村正を使っているのであれば」永山宗之介はそう思いつつ、城の様子がよく見える場所に陣取った。

 永山宗之介はじっとして気配を消している。しばらくすると、へいを乗り越えてひとりの人物が姿を現した。そしてまだ明るい通りの方へ向かっていく。

 「矢張り城の者ですか」と永山宗之介は跡をつける。

 すると黒頭巾は立ち止まり、振り返った。

 「何か用か」

 「ただ鼠が何処から現れるのか知りたかっただけですが。見つけてしまったからには、こちらから試合を申し込んでも良いでしょうかね」

 「そちらから来るとは、いずれか斬った者の身内であるか。だが、どちらにしても出てくる所を見られたからには放ってはおけん」ふたりは淡々と会話をしているように見えたが、始めから黒頭巾は殺気を放っていた。

 「ならばひとつだけ。手向たむけに名を教えてくれませんか」

 「……松平康治郎」

 「松平とは」

 ふたりは抜刀した。

 永山宗之介の霞の構えを見て、松平康治郎は言った。

 「わざわざその様な構えをするとは、腕に覚えがあるのかただの馬鹿か」

 松平康治郎は永山宗之介の殺気のなさとその構えに強敵とは見做みなしていない様である。永山宗之介はそれに答えずに、じりじりと松平康治郎に迫っていく。

 次の瞬間、ふたりは飛び込んだ。

 松平康治郎の刀は永山宗之介の刀にことごとくいなされた。しかし永山宗之介も攻撃に転じられない。ばっと飛び退き距離を取るふたり。

 「これはこれはいい者と出会えた様だ」そう言って松平康治郎は構え直す。

 「参りましたね。貴方が松平ゆかりの者だとは黙っておきます。もう辞めにしませんか。私の負けということで」

 流石に城から出てきた松平と名乗るものを切り捨てるわけにはいかない。そういう考えが永山宗之介の刃を鈍らせている。

 「降参だと。思ってもいないことを言うな」

 再びふたりは激突した。

 今度は明らかに形勢が変わった。永山宗之介は刀をいなすだけではいかなくなり、刃を交えて防ぐ様になる。相手が松平と名乗ったせいなのか。

 永山宗之介は「くっ」と漏らすと、攻撃に転じた。

 しかしその斬撃は松平康治郎の着物の袖を切り裂いたのみで、逆に右肩を斬りつけられた。飛び退いた永山宗之介は右手を降ると「まだまだ問題なさそうですね。ですが困った事になりました」と口にした。傷からの出血が着物を赤く染め始める。

 「見切った。これ迄だ」松平康治郎はそう言い放つと永山宗之介に刀を向けた。

 しかし、そこでびくりとし、へいの方へ飛びずさる。

 「永山殿、ここは夜の散歩にはあまり面白くない気がするのだが」

 松平康治郎の構えていた場所の後ろの方から声がした。

 日影兵衛である。

 「そこの黒頭巾。今夜の仕事は終わったであろう。無益な殺生は止めて、これからはまた道場剣術に励んではどうだ」

 「たわけたことを。今更そんな稽古をしたところで腕は上がるまい。人をひとり切り殺せば一段上がるという。その方が有益だ」

 日影兵衛はやれやれといった顔をした。

 「腕を上げて何がしたいのかは知らんが、殿様剣術にはその辺で十分であろう」そう言った日影兵衛は柄に手もかけず、だらりと両腕を下げている。

 「こちらを片付ける前に、貴様を切り捨てた方がいいようだ」そう言って松平康治郎は刀を日影兵衛に向けた。

 「構えろ」

 「既に構えている。どうした、これが怖くて近寄れぬか」

 「舐めるなぁあ」松平康治郎は刀を振り上げ日影兵衛に斬りつけた。

 これまでで最高の斬撃だ、と松平康治郎は己の斬り込みにそう感じた。

 しかし「な」と一言発して、松平康治郎は日影兵衛のかたわらに崩れ落ちた。

 「まあ、そうなりますでしょう。一見いちげんさんには無理ですよ」と傷口を押えた永山宗之介はつぶやいた。

 「永山殿らしくない事をするものだ。俺がおたけを預かるとでも思ったか」半分笑いながら日影兵衛が声をかける。

 「剣術家のひとりなどと大見得おおみえをきってこれではお恥ずかしい」と苦笑いをする永山宗之介。 

 「俺が来ずとも、斬り殺される様には見えなかったが」

 「とんでもない。この傷を見てくださいよ」

 「流石に松平の名の前では鈍るか」

 「骨の一本でもと思ったのですが、私もまだまだです」

 日影兵衛はそれを聞きながら、松平康治郎の頭巾をはぎ取った。

 「つまらん顔だ。斬り捨てるわけにもいかんし、お城の村正を頂戴する訳にもいかないし」そう言って日影兵衛は松平康治郎の襟首えりくびを引っ掴み、引きずり始めた。

 「あれを相手に峰打ちとは。日影殿に立ち会いを申し込む様な真似はできませんね」永山宗之介はそう言いながら日影兵衛の後を付いていく。

 「この辺でいいか。もう面倒くさい」

 日影兵衛は城の近くに板張りのへいを見つけると、そこに松平康治郎をよりかかせる。そしてその襟首に村正を突きたて、松平康治郎を張り付けにした。

 「わかりやすく黒頭巾をかぶせてやるか」そう言いつつ日影兵衛は松平康治郎に黒頭巾を投げつけた。面倒くさがりが被せてあげるような真似をする訳はない。それを見て笑う永山宗之介。

 「さて、人が来る前に退散しよう」日影兵衛はそう言って永山宗之介に手を貸し、旅籠へと戻っていった。

 

 翌朝、りんとたけが目を覚ますと、血だるまの塊がもうひとつ増えていた。一応、止血はされているらしいようではあったが、部屋は血の匂いでいっぱいである。

 「な、な、な」と声を失うたけ。

 「永山様、永山様」と言いながら走り回って手当ての準備をしようとするりん。

 前田主水はその騒ぎに目を覚まし、永山宗之介の顔を見た。

 「面目ない。私も手合わせしたかったのですよ。結局このざまですが」と永山宗之介は情けない声をを出した。

 永山宗之介は大丈夫、と早々に思ったらしい日影兵衛はいつものように窓辺で煙管をふかしていた。

 のだが。

 「永山様をこんな適当に扱って、日影様は酷すぎます」

 そう言ったりんの方から木枕が飛んできて、日影兵衛の頭にぶちあたった。江戸時代の枕といえば、基本木製で硬いのである。

 その一撃で日影兵衛は窓から落ちかけた。

 「お、おりん、あるじに対して何をする」

 黒頭巾の刀はけられても、りんの枕は避けられない日影兵衛であった。

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