第十話 興津の宿 永山宗之介

 「ここで三泊する。なんなら十日でもいい」

 日影兵衛は眉間にしわを寄せながら宣言した。

 丁度旅籠の部屋に入って皆が旅装を解き、一休みしようかとそれぞれ楽な格好をしたところである。

 「おいおい日影殿、疲れを取るのに三日も要らないではないか。特に観光地でもないし、見るのは宗像大社と富士山くらいだぞ」と前田主水が言った。いつもと立場が逆である。

 「貴様は興津鯛おきつだいを死ぬほど食ってろ」

 因みに興津鯛は甘鯛の事で、よく干物にして食べたりする。かの徳川家康が食べて命名したそうだ。

 「またとんでもないことを言う。まあ、言われなくても食うがな。確か他にも名産品が」と前田主水。

 他の三人は触らぬ神に祟りなし、と言うことで黙って日影兵衛を見ないようにしている。

 日影兵衛は煙管きせるを取り出しながら「おりん、買い物は明日行くぞ。とにかく俺は一泊ではおさまらん」と酷く機嫌が悪そうに言った。

 いきなり話を振られたりんは「は、はい」と思わず正座をして背筋をぴんとさせる。

 薩埵峠さったとうげくだるときはあんなに優しかったのに、とりんは戸惑ってしまっている。

 「まあ色々ありましたし、多少はのんびりするのもいいかもしれませんね」と永山宗之介は助け舟を出した。

 それを聞いたのか無視しているのか、日影兵衛は既に窓の外を見ながら煙管をふかしていた。

 「一晩寝たら戻るわよ……多分」とたけがりんに耳打ちする。

 その晩は流石に疲れが出たのか、みんなして死んだように眠った。

 その様であったのだが。

 皆が寝静まると日影兵衛は静かに起き上がり、また窓辺で煙管をふかしながら外を見ていた。町のも消え、外は暗闇に包まれていた。

 何も見えないというのにずっと外に視線を向けている。

 そんな日影兵衛は一言つぶやいた。

 「おさち……」

 彼は暗闇を見つめたままであった。

 

 翌日の朝食の後、昼近くになると皆は日影兵衛が幾分ましになった様なのを見てほっとした。相変わらず煙管をふかして外を見ていたが。

 「まだ昼には早いが、何か食いに行かないか」と前田主水が提案する。飯を食えば気分も良くなる、彼はそう思っているらしい。確かに何か食べた後の前田主水はいつもご機嫌である。

 「そうですね。まあ長居もすることもなくなるでしょうし、今のうちに食べに行きますか」と永山宗之介が同意する。長居いする事もなくなると言うことを幾分強調してだが。その目はさり気なく日影兵衛に向けられている。

 それに釣られるように「そうねえ。でも干物はいやあよ」とたけも言った。

 「俺は行かん。そういえば甘鯛松笠焼きというのがあった気がする。干物ではないぞ」と日影兵衛。幾分ではなくかなりましになっているようである。

 荷物をごそごそしながら、りんまで「あの、私はお腹いっぱいなので皆さんで行ってください」と答えた。それに「えええ」とたけが言う。小さな声で「まあ、今回はおりん殿の番と言うことで」と永山宗之介はたけをうながし立ち上がる。「番とはなんの順番だ」と日影兵衛が何やら気になる様子で振り返った。そう言う日影兵衛をみて「大したことではないですよ」と永山兵衛はふたりと連だって外へ出ていった。

 「いったい何なのだ」と言って煙管を灰吹きにぽんとあてて吸い殻を捨てると、こよりで掃除をし始めた。

 りんは日影兵衛から返された風呂敷を持ち上げて、じっくり見つめながら「これはもうだめかな」と言っている。

 その風呂敷は日影兵衛の背負子しよいこおおえる様にと、りんがつくろったものである。一応洗っては見たものの、泥がなかなか落ちず所々避けていた。薩埵峠さったとうげで日影兵衛が手荒に扱ったせいである。

 りんは取り出したもう一枚の風呂敷を掲げると「これでいいかなあ。日影様にはあまりお似合いではないような気がする気も」などどぶつぶつ言いながら、針と糸を取って縫い始めた。つくろうのに夢中になっていると、なんとなく気配を感じて頭を上げる。すぐそばに日影兵衛がしゃがんで興味ぶかそうにりんの針さばきを見つめていたのだ。

 思わずびくりとして風呂敷を取り落とすりん。

 「自分で言う程ではある。なかなか上手なものだ」などど言って、りんが落とした風呂敷を拾い上げると「ほれ」と手渡す。りんが硬直したままでいると「どうした。続けんのか」とじっとしゃがんだまま、今度はりんの顔を見つめる。どうやら終わるまで見ているつもりらしい。

 りんは「あ、はい」と言って縫い物を再開するが緊張してがちがちになっている。

 しかしそれはそれで昨日よりはましである。りんが繕い終えるのを見ると「どれ」とりんのこさえた風呂敷袋を受け取り、背負子にかぶせて「ふむ。この柄はこれでなかなか」などど眺め始めた。そんな日影兵衛をぼけっと見ているりん。一晩で日影兵衛が落ち着くどころかゆるくなり過ぎているのを、何が起きたのだろうと首をひねる。

 食事に出ていた前田主水が戻って来ると「日影殿が薦めてくれた甘鯛松笠焼きというものはなかなかであったぞ」と上機嫌な様子で「食いそびれるのは残念だぞ。食ったほうがいい」とふたりに声をかけた。

 「永山殿とおまつは」と日影兵衛が尋ねると「おたけ殿が何やら店をみてまわりたいと言ってふたりで行ってしまった」と答える。そんな前田主水が腰をすえるのを見ると「おりん、約束の飾り櫛でも買いにいこう」とりんの手を取って外に出ていく。そんな日影兵衛を見て前田主水は「機嫌が直ったのか。なんでだ」と妙な顔をした。

 

 「ああいうものはどこで売っておるのだ」と言いながら、日影兵衛はりんの手を取ったままあちらこちらと店を覗きつつ、通りをぶらぶらと歩いていく。

 りんはそんな日影兵衛を妙に感じつつも頬を染めて、手を離さない様にとついていく。

 「おお、ここか。おりん、色々あるぞ。かんざしもある。好きなのを選べ、約束だ。ふたつうてやる」と日影兵衛は物珍しいそうに品物を見ている。

 矢張りなんだかおかしいと思いつつも、りんは嬉しそうに品定めする。それにつられる様に日影兵衛も女物の飾りに目をやりながらついてまわる。

 りんは飾り櫛の並んだ場所の前に立つと、どれがいいかと悩み始める。その後ろの方で「おりんにはかんざしは早いものなのか。全くわからん」などど日影兵衛がぶつぶつ言っている。

 そこへ「日影様、日影様」りんが日影兵衛の着物の裾を引っ張ってきた。

 「もう決まったのか。どれだ」と聞くとりんは顔を赤くして「あの、ひとつは日影様が選んでくださいませんか」と言い出した。日影兵衛はかなり困った顔をする。

 「後悔しても知らんぞ」と、りんが今つけているたけの飾り櫛をみて、また商品を見るとそう言った。

 まるで苦しんでいるように呻りながら、素直に選び始める。そして「……こんなものはどうか。どれ」と言っていきなりりんの付けていた櫛を抜き取り、ざっくりと自分の選んだ櫛をいい加減に刺す。またまたりんはびくっとする。

 「ふむふむ」と言ってその櫛を抜き取り、おたけの櫛と比べるようにして「少し地味かもしれんが、これはどうだ」と自分が選んだ櫛をりんに手渡した。

 それは薄紅色の花と花びらが控えめに描かれた、元の木の木目を活かしている櫛である。確かに派手なおたけの櫛に比べるとかなり地味ではあった。りんは早速店の者に鏡を借りると、その櫛を刺してあちらこちらから眺めてみる。眺めなくても結果はわかりきっているのだが。

 りんはそのまま戻って来ると「もうひとつはこれにします」と、少しも悩まずにその櫛を取り上げた。

 日影兵衛が選んだものとそっくりの、青みがかった白い花が描かれている櫛であった。よくよく見ればりんの帯とお似合いである。

 「何も同じ様な物を選ばなくても。こんなにあるのだぞ」と言う日影兵衛に向かって「これがいいんです」と言葉を強めて彼に手渡した。

 「……じゃあそこの。娘の頭のとこれをくれ」と日影兵衛が店の者に声をかける。

 「あの、こちらのはこのままつけたままでもいいですか」そう言ってやたら嬉しそうなりんと、少し納得がいかない様な日影兵衛は店を後にした。

 

 一方、たけはというと、買うつもりはこれっぽっちもないのに、あちらの店に入ってはこちらの店へとくるくると走り回っている。永山宗之介はついていくのが精一杯である。

 ……精一杯どころかたけを見失ってしまった。

 「あるじから離れてしまうとはなんてことだ」と永山宗之介は慌ててたけを探し始めた。

 たけはというと、ひとつだけ筥迫はこせこという化粧道具やお守り、お香などをいれる小物入れを買っていた。帯に刺して少し見てるようにするのがいきだとか。

 旅の途中なので普通に小物入れに使うつもりであったのかあまり派手なものではなかったが、気に入ったらしく表裏を見てみたり、開けてみたり、帯に挟んでみたりとしつつ辺りを見ずに歩いていた。

 ふと気がつくと、かたわらに永山宗之介がらず、人気のない小道に入り込んでいた。

 「あれ、永山様はどちらに。ここは一体どこかしら」おたけは取り敢えず辺りを見回した。「まあ、来た道を戻って広い通りに出ればいいか」などど、どれだけ永山宗之介を困らせているかも知らずに振り返って歩きだそうとした。横に入る小道もあったが、さらに寂しそうな具合だった。

 が、ひとりきりでうろついているたけをつけてきた、いかにもごろつきですと言うような男五人とたけは鉢合わせた。

 「な、何なんですか、あなた達」たけはそう言って後ずさる。

 「何なんだって、お嬢さん。そっちから誘って俺らの島まで来たんじゃないのかい」

 「まあ、酒でも飲んでその後いいことして遊びましよ」

 「少し歳はいっているが、かなりの上物だ」

 などど言いながらその五人はたけに迫ってくる。

 「だ、誰があんたたちの様なやさぐれと」とたけは威勢よく言葉を返すも、身体が震えてきている。

 「やさぐれだとよ」とひとりが笑いながらたけの手を捕まえようとする。

 「いゃあ、触らないで、あっちへ行って」そうたけが声をあげた瞬間、その男は後ろに突き飛ばされた。

 「おたけ殿。あまりうろうろして迷子になるものではありませんよ」

 そう言った男は、脇道から出てきた永山宗之介である。

 自然な動きでたけの手を取ると「さあ、そろそろ旅籠に戻りましょうか」と、まるで五人など存在しないかの様に言った。

 「何をしやがるこの野郎」

 「跡から出てきてなんのつもりだ」

 「ここは誰の島だとわかっていやがるのか」

 などどごろつきどもはどすを効かせて永山宗之介に怒鳴りつける。

 永山宗之介はたけの後ろから前に移ると「邪魔ですね、そこをどいてはくれませんか。私達は大通りに帰るのです」となんの緊張感もなく言った。

 五人組にはあまり強そうな侍に見えなかったようだ。

 「どけ、お前こそ邪魔するな。この貧乏侍が」

 「侍だからっていい気になるなよ。俺達の島から出られるとでも思ったか」

 そう言いながら五人はてんでに光り物を抜いた。

 「先に抜いたのはそちらですよ。あとで文句を言われても困ります」そう言いながら永山宗之介も刀をすらりと抜いて構えた。

 「たたんじまえ」と永山宗之介に向かってくるごろつきども。五体一で勝てるとでも思ったか。

 次の瞬間、びしっびしっびしっと音がなり、五人の得物が弾き飛んだ。そして腕を抑えながら悲鳴をあげる男共。

 永山宗之介は峰打ちで五人の腕をはたいたのだ。

 「さあ、どいてはくれませんか。それとも本当に斬られたいのですか」と永山宗之静かに言う。

 五人は慌てて大永山宗之介を避ける様に、通りとは反対側、たけ達の後ろを回り込むように逃げ出していった。

 「す、凄い」と感心するたけ。

 「おたけ殿、まだです。通りの方へ下がってください」

 永山宗之介はそう言うと奴らが逃げていった方に歩を進めた。

 そこに十人ばかりの男が現れる。

 「お前、仲間に手を出してただで済むと思うなよ」とごろつき共の親玉らしき者が既に抜いていた刀を永山宗之介に向けた。他の男達もそれにならう。

 永山宗之介は静かに刀を持ち上げると霞の型に刀を構えた。そして刃の下から冷めた目付きで睨みつけ「柳活殺流」と呟いた。

 「そんな虚仮威こけおどしに乗るか」とごろつきどもは近づいてくる。

 「活殺とは其方そなたらを活かすも殺すも私次第ということ、おわかりか」

 その言葉に反応して「この野郎」とばかりに永山宗之介に十人一度に殺到する。

 「はっ」

 気合と共に永山宗之介は踏み込み刀を振るった。彼らの動きが収まると、刀を飛ばされしたたか腰を打ち据えられたごろつき共か尻もちをついていた。その前に静かに見下ろし立つ永山宗之介。

 「取り敢えず『活』を選びましたが、まだやると言うならば……」

 その一言で親玉を先頭に「勘弁してくれ」逃げ出していった。

 永山宗之介の後ろにいたたけは、ほーうっと彼を見つめる。彼は刀を収めて、全くそうするのが自然な様にたけの肩にそっと手をまわすと「おたけ殿、さあ帰りましょう」と歩き始めた。

 肩に手をまわされたたけは震えも止まり、胸元で手を合わせると、ぽっと頬を染めて永山宗之介の顔を見上げた。

 実のところ、たけは親の持ち込んだ見合いをかたっぱしから断ったせいだけで行き遅れたわけではなく、これといった男に出会うとすぐに惚れ込んでしまう質であったのだ。大抵、身分違いや所帯持ちなど実らぬ恋ばかりであり、一方通行であったので実る恋ではなかったのだ。

 そんなたけは当たり前の様に現れて、現れて当たり前の如く自分を助けてくれた永山宗之介に少し心を動かしてしまったのであった。

 しかしたけは、いえ私には日影様が。永山殿はごろつきを倒しただけですし、用心棒なら当たり前ですし、などと混乱していた。一度にふたりということは流石に今までなかったのであろう。

 だがよく考えてみよう。町人の娘としては、鬼のように強く見た目も好みではあるのだが、無愛想で根無し草で気分屋の日影兵衛より、普段は一緒にいても面白くなく、堅物で真面目一辺倒ではあるが、ここぞというときには漢を見せる永山宗之介に嫁いだ方が幸せになれると誰もが思うに違いない。

 多分、これまで心動かされた男の中で一番を引いたようなものだ。お侍で、独身で、嫁いでいっても婿にもらってもなんの心配もないような男である。

 大通りに出て、さり気なく肩から手を離されたのにはっとしながらもたけの頭はぐるぐるしてしまっていた。

 

 「それでは行くか。勝手を言って一日早いが」

 日影兵衛の言葉に残りの四人は頷いて、興津宿を後にした。

 来たときとは全く違う雰囲気の一行。

 たけは日影兵衛と永山宗之介を代わる代わる見つめて困ったような顔をしつつ。

 おりんはとても嬉しそうに頭の飾り櫛を気にしながら。

 一番後ろを干物を食いちぎりながらのんびりと歩く前田主水。

 永山宗之介は「日影殿、考え込まれていた事は解決なされたのですか」と聞くと、日影兵衛は軽く頷き「今はおりんがいるのものな」と一言口にした。

 このふたり、女心が汲み取れないというところだけは一緒であった。

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