博士の異常なる愛情×運命のモーダルシフター

 ■ ドクター・トランジット 


 白夜大陸(旧南極) ボストーク湖


 ともすれば、皮膚がんを誘発する紫外線を分厚い氷が隔てること、五千メートル。地下ドック拡張工事の足場があちこちに組まれ、槌音が鳴りやまない。


 喧噪に負けまいと、コズミック・ジャズの軽快なピアノソロが店内を駆け抜ける。メディアはマーメードスカートを整えると名演奏の主に会いに行った。

 カウンター席にくたびれた中年男がいた。トールグラスを満たすトマトジュースのウォッカ割りをじっと見つめ、古びた鍵盤の自動演奏に聞き入っている。

 氷に映り込んだメディアに気付き、はっと顔をあげた。「トランジット先生でいらっしゃいますわね?」 女の問いにバツの悪そうな笑みで答える。


「戦略創造軍を辞めても、君の嗅覚は健在だな。そうだ、あの女を黙らせる一計を案じたんだよ! モーダルシフターが運用開始されたらな。連絡船を撃つか、帝国か、特権者の巣を吹き飛ばすのも面白いな。まぁ、まだ半世紀も先の話だ。奢るよ。われらが中央作戦局長どの」


 独り身の男は饒舌だ。メディアの嫌いなタイプだ。


「買い被りすぎです。わたしはもう民間人ですよ」 メディアは、席に着くなりブルーハワイを注文した。

「だが、二年前から君はここの常連だそうじゃないか」 ドクターは、にやりとウエイトレスを見つめる。

「す、ストーカーしてたわけじゃないわ! せ、先任者からの申し送り事項に……」 ぎょっとした元作戦局長は、含み笑いする給仕をひっぱたく。 

「すると、ここにも世界線を読み解く技術があるのだね?」 彼の瞳に輝いた。

「よちよち歩きですよ。先生こそ、どうして、こちらの世界に?」


 ドクターは我が意を得たり、とばかりに一冊の文庫本をテーブルに置いた。「チート能力というそうだね。確かに便利だが、私の性に合わない」

 メディアの心拍数が急増した。本物のライトノベル! 見るだに恐ろしい、戦闘純文学を帳消しにする禁書。


「二年前に亜光速船が立ち寄った先の本屋で、たまたま見つけたのさ。研究に疲れてたんだろうな。むさぼり読んだ。弱者が自分の不幸を放置して、現世利益を先食いする。その先に待つのは累積債務の分担だ。頭じゃ判ってるさ。けど、理屈抜きの面白さがあるだろう?」


 依存症患者の熱弁めいた彼の言動に、メディアは身震いした。「それで異世界や世界線の研究に手を染めた?」


「チートは不老不死実現の途上にある物だ。神はなぜ平等に奇跡を授けない? 抽選する基準は何だ? 君も戦闘純文学者の端くれなら判るだろう」

「宇宙は不確定ですよ。人間の主観で決定されます。そして、わたしたちは神を討ちました」 局長は教科書どおりに答えた。

「万人が神を演じる君らのやり方では不充分だ。戦争は解決できたかね? 天地創造はお手軽になったかね?」

「戦闘純文学は人類を豊かにしましたよ!」 高度百キロから上を支配する女性の力学を貶されて、メディアは怒った。


 ドクターは術策に填まった彼女を憐れむこともなく、駒を進めた。「彼女らの犠牲のもとでかね?」 

 テーブル上に痛ましい少女の写真が置かれた。焼け焦げたセーラー服を下着ごと切られ、容赦なく髪を剃られる涙目の姉妹がいた。


「グレイスたち?! ライブシップ改造手術の極秘資料をどこで?」 

「痛かっただろう、恥ずかしかっただろう。彼女らはよく戦ってるよ」 ドクターは愛娘のように写真を慈しんだ。


 メディアは憮然と席を立った。伝票に紙幣をそっと重ねる。「もとの世界でチートを普及なさってください」


 かちりと彼女の額に冷たい銃口が突きつけられた。「ラノベ銃だよ。君の存在はもとより、戦闘純文学という不正(チート)は消し去るべきだ」


 翼のない女だと思ってばかにしないで! 

 彼女は内心グチりつつ、スカートを揺らして術式の構えに入った。戦闘純文学の女神は暴力男より彼女に味方するだろう。


「両手を後ろに組んで、ゆっくりドレスのファスナーをおろして!」 二人組に左右から銃を向けられ、メディアは観念した。


「スコーリア! 店の入り口にラノベ地雷を仕掛けろ。ハウは、脱出を援護しろ」「「はい、ドクター」」


 背中合わせで、店内をくまなく射程に入れつつ、二人組は扉をめざした。タンクトップとショーツだけになったメディアは、悔しそうに太ももの刺青をにらむ。


「それだけの布では、使える術式もなかろう。案内してもらおうか」 トランジットは顎をしゃくる。

「どこへ……うぐっ」 文庫本で小突かれ、メディアはうめいた。

「彗星から回収したフライトレコーダーだよ。部分からでもライブシップは再生できるんだろう? 調べはついている。妻が、こちらの世界で二年ごとに何をしているかもだ」

「結局、オーランティアカの姉妹を利用するのね! かわいそうって言った癖に!」

「代償に、在るべき姿にして戻してやるさ。ここの女の子たちもな!」 全員に聞こえるようにドクターが叫ぶと、二人組もにっこりうなづく。



「救世主きどりね。古びた男のロマンチズム」 メディアは水着姿をみせつけるように大股で歩く。

「情緒不安な女が世界をまとめられるか?」 ドクターは銃で急き立てる。


 中央作戦局に通じる駅は分厚い扉で閉ざされていた。「だめ、パスワードが変えられてるわ」 まごつくメディアをドクターが突き飛ばす。

「男のやり方でいく。下がってろ!」


 爆破の残響が内耳から消えるころ、一行は集中治療室についた。道中の抵抗や追撃は一切なかった。二人組が世界を記述する力で、無かったことにしたからだ。


 街一区画ぶんほどのプールに二隻のフライトレコーダーが投げ入れられた。


「じき、パパと呼ぶようになるさ」 ドクターは水面をながめて、悦に入っている。「君もそう思うだろ? ブーケ」 彼は虚空の妻にささやく。


 ぞっとしたメディアは、胃の中身をすべて戻した。




 ■ 彗星核後方 五千キロ


「ワロップが発ったのはこの付近と思われます」 


 旗艦カルバリーに斥候からの朗報が入った。シアの内通をもとに、航跡をたどったのだ。


「一発も出遅れるな、撃ち漏らすな!」


 懲罰隊長は、部下に激を飛ばした。ライブシップといえども、心は女子だ。どうしても、怖気づいてしまう。

「訓練通りだ。軍人は私情を挟まず、任務を遂行すればいいんだ」


 抗ライブシップ・バクテリア弾頭を満載した艦のメイドサーバントは、涙をこらえていた。いったい何隻、殺されるのだろう?


 彗星をロックオンし、あとは発射の指示を待つばかり。自分は悪くない。責任は処刑された側にある。むしろ躊躇う方が罪だ。

 そうメンタルトレーニングを重ねてきた。震えで手首から先の感覚がない。


 彼女は、集中するため視野にマップを表示した。情報ではライブシップの密造施設がある。そこには同じ年頃の子がいるのだろう。

 たなびく彗星が後ろ髪を風にとかす女子に見えた。罪を背負って産まれ、死ぬのだ。彼女がいったい何をした?


「だめ! あたし……」 軌道を離脱しようとして、突き刺さる視線を感じた。隊長にロックオンされている。


「は……そ、そうよね。あたし、やらなきゃ……はは」 引きつった笑いで気分を紛らわせる。



 濃密なガスをくぐりぬけ、懲罰艦隊はミサイルを斉射した。地表がつぎつぎときらめき、通信帯域を断末魔が貫いた。




 ■ ペイストリーパレス。乗客デッキ。


「ブ~ケおばさんは、ドクターのどこに惹かれたの?」


 朽ち果てた四人掛けシートで、一糸まとわぬ禿げ頭の天使が、ほうれい線の入ったカジュアルスカート姿の女性と談笑している。上着ぐらい貸してやれよ。


「だめんず誘蛾灯なのかなぁ? わたし。ろくでなしばっかり言いよって来る中で、彼はダメなりに気骨があったの」

「意識高い系だったんだ」 グレイスは、つんと鼻先を上に向けて、まだ見ぬ彼を思い描く。剥きたてのゆで卵に似た、つるりとした頭の少女が非常灯に照らされる。

「グレイスちゃんは、彼氏いるの?」 ブーケは、興味津々で身を乗り出した。


 またか、という顔をして禿げ天使は受け流した。おしゃれして異性に嫌われない女になれる、と目が語っている。


「女しか産まないし、同性としか結婚できないように出来てるの。艦にされる前に男とヤッときゃよかったぁ」

「ごめんなさいね」 ミセス・ドライフラワーは視線を落とした。同時に、子供を産んでない自分を責めた。


「黒歴史をやり直せる機会があったらどうする?」 ブーケの憂いを察したグレイスが慰めにかかる。

「世界線がこじれてしまったもの。あり得ない。わたしはここで永遠に生き続け、あいつの子孫と戦うの」 肘かけを握って自分を鼓舞する。


「できたらの話」 グレイスは自信に満ち溢れた目でブーケを見据える。元気で快活なお嬢さんだと再認識する。こんな娘が欲しい。彼に似て気丈な。

「あなたたちの母親になるわ」 無意識にグレイスを抱きしめていた。ブーケは小娘の肌触りに驚いた。サメのような皮膚では化粧も苦労するだろうに。


 グレイスは、するりと夫人の腕を脱け出した。「わるいけど、保護者がいるわ」

「そう……」 ブーケはしゅんとした顔で、天使娘を眺める。「わたし、帰るね」 やばい雰囲気を感じたのか、グレイスはそそくさと立ち去る。


 遅かった。ミセス・ドライフラワーは天使から元気を貰いすぎていた。「アバス首相!」 強い口調で虚空に叫ぶ。


 薄暗い船内を雷が貫き、下世話な女が、五十インチサイズで現れた。「決心はつきましたか?」 彼女は腕を組み、ほくほく顔で尋ねる。


「ええ、もちろんOKですとも! 一緒に戦いましょう♪」 ブーケは恋する乙女のように告白する。

「まぁ! 素晴らしいこと! がんばりましょうね」 アバスも声を裏返す。


 グレイスは、この会話の間に膨大な計算を終えていた。ブーケとの間合いを測り、最少の手数で衣服を奪う方法を。

 ばばあを脱がすのは、彼女の趣味ではないが、戦闘純文学を回復する手段は選べない。


「そちらのお嬢さんもご協力いただけるわね?」 アバスの顔と猫なで声のギャップがありすぎて、気勢をそがれる。

「何がです?」 グレイスは、平静を装って作戦を立て直す。アバスに挙動を先読みされてはやりにくい。


「おぬ゛ぇぃぢゃん゛」 超スローテンポなうめき声が響いた。グレイスが、はっとした瞬間に、しがみつかれた。


 死んだはずの妹がにっこりと笑っていた。「おね~ちゃん★」 元気なソニアの甘え声がグレイスの戦意を完全に奪った。

「ソニア、グレイスお姉さんが、うちの子になるように、言ってちょうだい」 ブーケが母親然とする。


「はぁい。おか~さん♪」「ちょ! ソニア!」 妹に四肢を縛られて、グレイスは劣勢を覆せない。 



「シアが懲罰艦隊を導いて、プラント付近を当て推量で空爆しやがったのよ。何隻かやられた。艦たちの悲鳴で場所が」 アバスが悔しがる。

「でも、木の収穫できたのでしょう? フランクマン帝国を出し抜くチャンスですよ」 ブーケが勢いづく。 

「そちらは、長女の説得がまだのようですが、見切り発車しましょう」 首相は、捕えられたグレイスを見やり、うなづいた。


「ちょっと!」 置いてけぼりにされたグレイスが、抗議した。が、次の瞬間、アバスの顔がすぅっと遠ざかった。


「「「「おねぇちゃ~ん」」」 ソニアだらけだ! 首相が大勢のソニアに囲まれて、一緒に手を振っている。


「聞きましたが? シア・フレイアスターは平気でライブシップを見殺しにする女ですよ。それでも保護者ですか?」


 ブーケに気おされて、グレイスの血が引いていく。「う、うそ」




「あなたは、お母さんに捨てられたんですよ!…捨てられたんですよ!…たんですよ…たんですよ!」



 へたり込むグレイスの眼前で、ブーケの耳が尖りはじめた。背中が盛り上がり、ブラウスを突き破って純白の翼が広がる。

 カジュアルスカートが、肩ひもの切れたスリップごと床に破れおち、おばさん臭いショートガードルが舞い散る。


 五枚で税込み九百八十円ぐらいの綿パンツ姿になったブーケが、エルフ耳をぴくぴくさせる。頬の小じわも消え、若々しく笑って見せる。



「ライブシップ・ブーケ=ペイストリーパレス、発し~ん♪」 ばばあが魔法少女のごとくポーズを作ると、連絡船がゆっくりと、世界線のくびきから離れ始めた。


 夫婦間のくだらない意地の張り合いから解放される様に。変わるべきはブーケの方だったのだ。



 ■ 総統府


 しっかりと見開かれた両目には、拳銃をしまう男が映っていた。しおれたエルフ耳から鮮血が噴出している。


「シア君。ここから先は、おままごとが通じない政治の世界なのだよ。扉の場所を、ありがとう」


 狼男は一輪の花を娼婦に手向け、勝利の追い風にマントを翻した。愛娘たち、オーランティアカ級戦艦の隠し場所をあぶりだすシアの大勝負は、逆転負けで終幕した。


「トランジット先生、モーダルシフターの開発は捗っているかね?」


 モニターから下卑た笑いが聞こえる。狼男は、次なる踏み台を昇った。


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