Mrs. Dried flower
二年もあれば世界がか替わる。だけどあなたは変わらない。
彼女が挑発的な言葉を吐いて去ってから、それくらい経つ。
薄明の中で夢物語を転がしていると、現実に鞭打たれた。
あわてて布団を跳ね除けた衝撃で書架が崩れ、嫌というほど思い知らされた。
大幅な遅刻を弁解すべく、携帯映話だと思ってスリッパを握り締めていた。
今日は早番だった。同僚の混迷が浮かぶ。だが、彼は危機を摂取すべきだったのだ。
私は研修医だ。若い頃、ある着想を得て不老不死の研究を思い立った。
テーマに没頭するため、あえて開業しなかっただけだ。
努力とは偉人の教訓を反芻することだと信じて人生に筋道をつけてきた。
やがて、伴侶の候補と呼べる人が現れたが、将来設計に不安を感じて去ってしまった。
帰省途中の彼女を、ツィフォン第八彗星が撃ったのは必然の理に違いない。
船は三次元世界へ出現した直後だった。衝撃で超空間へ弾き飛ばされ、現世と来世を彷徨っている。
二年に一度、逢瀬の機会が来る。慰霊船団が不可触の繭に包まれた船に接近する。通信だけが外界の扉だ。
私は、彼女に雄弁を揮うのだ。だが、どんな経過報告も彼女はきっぱり否定した。
「だけど、あなたは変わらない。」
燃料を得た私は、二年後の逆襲を誓うのだった。理論はほぼ完成した。気の遠くなる実証が待っている。
寿命の短いマウスに、改良した遺伝子を注入して、世代をまたいだ影響を探るのだ。
機械任せの単純作業に付き添う理由は無い。私は光速船に乗り、浦島効果で体内時計を遅らせた。
相対性理論に則って、船内での私の二ヶ月は下界の二年に相当する。
私は寄港する度に次の伴侶を物色した。酒場では過去からの来訪者として歓迎された。
飽きられると、また船に乗って二年先へ逃避した。
「だから、あなたは何の進歩も無いの。解りきった結果に努力する男って馬鹿よ。」
元カノは相変わらず毒舌だった。
冷徹な言葉を吐く女に限って、おつむは火照っている。すこし冷やしてはいかがか。
地道な努力は報われる。そう信じて、一切の忠告を邪推として片付けた。
成果は遅々たる物だった。しかし、永遠の謎も時の分だけ溶けるはずだ。
やがて、私も家庭を持った。次の世代に成果が出ればよいという妥協も生まれた。
「相変わらずだな。まるで君はドライフラワーだ。」
二年に一度。嘲笑の花見が家族サービスになった。
「変わらなかったのは、あなたのほうなのよ。」
彼女が勝利する日が来た。私は冷水を浴びた。難船を分析した科学報告が審判を下した。
世界線という言葉がある。
例えば、東京から大阪へ出張し、帰ってくるとする。
地図上では往路と復路が二本の平行線となるが、時間という縦軸を加えて立体的に視ると、
くの字型の階段状になる。ちょうど踊り場が大阪というわけだ。
三次元に、時間の次元を加えた超空間から俯瞰した物体の軌跡が世界線だ。
船は私の世界線と二年おきに交錯し、時空的な打撃を与え続けていたのだ。
その余波は私の可能性に影を落としていた。
研究が進展し、目鼻をつけられるレベルに達すると必ず不運が足を引っ張った。
発表会場でテロが起きたり、寸前に論文の間違いが見つかったり、病気で倒れたり。
ダメな奴は何をやっても駄目。私は成果の上がらない研究を破棄するか、他人に譲るかして
世界線を歪曲していれば良かったのだ。
もう何もかもが遅かった。複雑に絡み合った世界線は未来永劫もつれ続ける。
人類は永久に不老不死を手に入れることはない。
船の世界線はよじれ、いったん私より二年先をかすめるループを形成していた。乗客は予見者になっていた。
結局、彼女の言葉は正しかったのだ。
二年もあれば世界が替わる。だけどあなたは変わらない。
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