第17話
17、
きみは歩き回っている。
バロー事件を追っていった先にきみは、〈ビヤーキー〉に遭遇した。〈ビヤーキー〉の正体は不気味な化け物で、あの怪しいシスター・ソニエールとスファンクスのコンビと〈
きみは推測する。
してみると、〈ビヤーキー〉の行動原理は〈
この疑念はたった今、きみの目の前にたち現れたもう一つの事件の状況に、当て嵌めることができる。
ダヴィドの事故の日の夕方、現場には〈ビヤーキー〉(らしき)奴らが現われ、その晩遅く銃声が鳴り響いた。ダヴィドの車は横転し、恋人はきみを頼ることになった。それらの出来事には、関係があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
だが、きみにはとても偶然とは思えなかった。
ダヴィドは〈ビヤーキー〉に殺されたのだ。恐らく計画的に。〈
きみははたと、立ち止まった。いや待て。
ダヴィドの事件は、警察発表でダヴィド自身が酒気を帯びていたといっていたはずだ。アルコールが検出されたのは遺体の司法解剖の結果だろうから、ダヴィドが酒を飲んだのは間違いない。ならばダヴィドの事件は何の関係もない、ただの事故になるはず……。
きみは頭が混乱してきた。
携帯電話のメモを見ると、司法解剖にあたった医師の名前が記入されていた。確か大学の法医学教室の医師だ。メモにはジャン=ポール・アルシェ医師とある。
きみはその場で大学に連絡をする。アルシェ医師は、日中は授業を受け持っており、手が空くのは十六時以降とのことだった。きみは例によって嘘の身分を述べ、取材を申し込む。意外にあっさりと許可がおりた。通話を切った。
気づくときみが立ち止まっていたのは、書店の雑誌売り場の前だった。女性向けのファッション誌がずらりと並んでいて、平積みの棚を入れ替えていた店員が、怪訝そうにきみを見ている。きみは再び動き出した。
自分の考えていることは妄想だろうか。
確かに根拠はなかった。しかしきみには、不可思議な確信があった。奴らはただの無軌道な
それは一体何なのか。
二つの事件に共通する事項はあるだろうか。
きみはまた携帯電話を取り出して、記録しておいたデータを呼び出す。
・事件発生日ーーともに十一月七日。時間も近い。二件とも午後十一時過ぎ。
・場所ーーバーグ事件は第三区。ダヴィド事件は第七区。まったく離れた場所だが、手分けして当たれば支障はない。
・凶器ーー片やセミオートマチック拳銃。もう片方も軍曹の証言を信じるならセミオートマチック拳銃。
・動機ーー不明?
両方の事件に関わってきたきみからしてみれば、被害者の二人に共通項があるとは思えなかった。交友関係……生活圏……。何ひとつ重なっていないし、仕事上の付き合いもあるようには思えない。あるいは見落としている部分があるのだろうか。いや、まてよ。
きみはセルニール&バーネット運送に連絡をすると、ダヴィドが受け持った仕事のリストーーさしあたってここ半年分ーーを携帯電話に送ってくれるように頼んだ。社長は快く応じてくれた。データの届く間きみは、カフェに入店してクロテッドクリーム付きのガレットと
画面を流れるリストを食い入るように眺める。一週間前……二週間前……一ヶ月前……二ヶ月前……。きみの目が一点で止まった。あった。今から約二ヶ月前、ダヴィドが亡くなる日の約一ヶ月前にそれがあった。
・十月四日午後十時の納品。場所は古代文明博物館。品名は〈
静かな興奮がきみを包む。リュシアン・バローは古代文明博物館の職員なのだから、少なくとも二人が顔を会わせる機会があったことは確かだ。しかし結論を急ぎすぎるのは危険だ。
自分に言い聞かせ、再度運送会社に確認する。だが社長の答えはきみを困惑させる。その仕事はイレギュラー的な物件で、過去の業務記録を覗いてみても古代文明博物館に納品したのは、後にも先にも一度きりとのことだった。
果たしてこれが繋がりといえるのだろうか? きみはもう一本連絡を取る。シュゼットはきみの質問にこう答えた。
「あの人に、美術館に行く趣味があったとは思えないわ」
さて、さしあたってこいつをどう考えるか。
きみは古代文明博物館を目指す。
*
平日の昼間で人影は少なかった。エントランスで管理事務所の場所を訊ねる。事務所は五階フロアの一角、水色のドアの部屋だった。中には若い男性職員が書類に向かい合っている。
「すいません。ちょっと宜しいですか?」
いつものように営業用スマイルで名乗った。
「十月四日の日に、こちらに勤務していた人を知りたいんです」
「……失礼ですが?」
若者は目をしばたかせた。きみはストレートに、とある人物の行動調査をしているのだと言った。当日に働いていた職員の方にある確認が取りたいのだと。
「午後十時ですか。その時間だとここは閉まっていますが」
「ですが、例えば遅い時間に納品があった場合などは、どなたか対応されるのではありませんか」
「それはそういう場合もありますが……」
若者は助けを求めるように後ろを振り返る。勤務状況を外部の人間に明かして良いのか判断がつかないのだろう。生憎と他の職員は出払っていて、彼の疑問に答えてくれそうな同僚はいない。
「ちょっと私では判りかねます。あるいは守衛さんなら知っているかもしれませんけど」
そこできみは一階に回り、搬入口へ向かった。でん、と構えた鋼鉄製シャッターの脇に、守衛の詰所らしきスペースがあった。ガラスの向こうに、赤ら顔で大柄な男がモニタを眺めていた。こつこつと窓を叩いて声をかける。
不審そうな目を向けて男はガラス窓を開けた。きみは先ほどと同じ説明を繰り返す。
「ああ、あの時の」
男はダヴィドの写真が映し出された携帯電話をきみに返しながら言った。
「あの時は大変そうだったな」
「ご存知ですか?」
「その日はおれが当番だったからな。ほら、あのころだよ。〈不適な視察〉がどうとかーー」
守衛は面倒臭そうに答えた。
ああ、ときみは思い出す。これもまた市長選の攻防にまつわるネタだった。十月頭に市長と幹部職員が、教育制度の視察という名目で北欧諸国を訪問したのだが、その際、幹部職員が不適切な場所ーー要するに娼館などの歓楽街ーーに出入りしたと非難されていたのだ。無論、実際に出入りしたのは一部の幹部職員だけなのだが、市長の管理責任を問う形で選挙の話題となったのだった。
十月四日は、翌日からの特別展示の準備で、朝からおおわらわだったという。特に前日、展示パネルの一部と入り口に掲げる大パネルに間違いが見つかった関係で、職員はやきもきしていた。急遽刷り直したものが間に合うのか、微妙だったからである。
「酷いもんさ。あんたこの展覧会の予定がいつから入ってたか知ってるか」
「いえ」
「一年前からだぜ。そんな前から計画してるのに、直前になって間違えてましたって……しかもお偉いさんたちはお姐ちゃんとよろしくやってたんだからな」
これだからお役所てのは、と男は息巻く。いやいやあなたも準公務員でしょう、ときみは内心でひとりごちる。
「そういったって、初日の朝になきゃ話にならないからな」
なんとか刷り上ったものをパネルに仕立て、納品にきたのがダヴィドだった。残っていた職員とダヴィド、それに印刷業者の営業担当の三人でパネルの設置にあたったのだという。
ピンときた。
「ひょっとして居残っていた職員の方というのはリュシアン・バローさんではありませんか」
「そういえばそうだったけど……あんたバローさんのこと知ってんのかい」
不審さの増した表情で、守衛がきみを睨んだ。きみは知らん顔をして尋ねる。
「その印刷会社は、お分かりになりますか」
胡散臭そうな視線に送られて、きみはそこを引き上げた。それどころではなかった。
すぐに携帯電話で印刷会社に連絡を取った。告げられた答えは、予想通りだった。その時、ダヴィドたちと残っていた印刷屋の営業は十一月七日の晩、通り魔に襲われて亡くなっていた。犯人は複数の若者と思われるということだった。
何かが形をなしつつあった。
二ヶ月前、ここで何かが起こった。三人はその何かに遭遇し、そしてーー殺された。
きみは立ち止まる。それは何だったのだろう。考えれば考えるほど分からなくなる。
*
別の公園を見つけ、横長のベンチに陣取ったけど自動販売機で買ったオレンジジュースを開ける。一口飲んでから、携帯電話を睨みつける。ためしに分かっていることを入力してみる。
・十月四日ーーバローとダヴィドは市立美術館で接触。
・十一月七日ーー午後十時半頃。ダヴィドのトラックが横転。特定は出来ていないが狙撃された模様。夕方に付近で〈ビヤーキー〉らしき若者が目撃される。
・同、午後十一時。バローが無人店舗で強盗に襲われる。こちらも付近でヴァンが見られている。
・同、深夜。印刷会社の営業が数人の「若者」に絡まれて殺害される。
実に数行で終わってしまった。勢い込んではみたものの、何かが判明したわけではない。オレンジジュースを啜る。甘酸っぱい芳香が喉から鼻に抜けていく。はて。
思いついて、
・十一月七日ーー深更。アンリ・ニエマンス司祭が殺害される。事件現場の床には〈ビヤーキー〉のシンボルが描かれていた。発見は十一月八日の早朝。
いずれの事件にも〈ビヤーキー〉と思われる集団が目撃されている。きみは少し考えてから再び入力する。
・〈ビヤーキー〉はすべての事件の犯人なのか。
・そうだとしたら、何故犯行が同じ日の、それも近い時間に集中しているのか。
・四者を殺害した目的は何か。すなわち、共通の動機が存在するのか、それとも別々の動機なのか。
そう、結局そこが問題になる、ときみはひとりごちる。〈ビヤーキー〉犯行説の弱点は、動機が皆目見当がつかないことだ。それはおそらく例の〈
*
十六時より少し早く大学に着いたきみは、守衛にアポイントメントを告げ、首から下げる入校許可証付きの外来者カードをもらった。キャンパス内に入った。
法医学教室のある医学部の棟は、古びた煉瓦造りの陰気な建物だった。きみは棟を行き来する若者を見つけると、すかさず声をかけた。大学のホームページに載っている情報と、数人に聞き込んだ話を合わせて、ジャン=ポール・アルシェ医師に関する簡単なプロフィールを頭の中に作る。
ジャン=ポール・アルシェ医師は、現在五十二歳のヨーロッパ人で、法医学教室に勤める准教授だった。生徒たちの印象を総合すると〈几帳面かつ生真面目〉。授業は丁寧だが面白味に欠ける。結婚していたが妻とは死別していて、息子が一人いる。その息子はこの同じ大学に通う医学生ということだった。アルシェ医師は息子を溺愛しておりそれは傍目にもわかる程だという。医師の実家は他県の大きな総合病院を経営している素封家で、大学の給料はそれなりでも医師自身は財産家らしい。その証拠に父子のアパルトマンは、あの第七区の摩天楼群〈イルーニュ・タワーズ〉にあるという。
それだけの前情報を仕入れると、時間になった。
受付に顔と入校許可証を見せ、研究室に向かった。漠然と
「お時間をとっていただき、ありがとうございます」
デスクに腰かけていたのは、ホームページに載っている写真とはだいぶ面変わりした男性だった。
アルシェ医師の変貌ぶりは、単に老けたという範囲に収まるものではなかった。目の下の隈といい肌の色艶といい、酷く憔悴しきっているように見える。髪の毛がかなり白くなっていて、しかも乱れている。白衣もその下のシャツもよれているように思えた。
「取材をということでしたよね……」
アルシェ医師は力なく応じた。
「我が国の監察医制度についてと聞いておりますが……」
きみは勧められるままに、プラスチック製の椅子に腰かけた。
「はい。先生は警察の委託を受けて検視をされていらっしゃいますよね?」
「そうです」
「お聞きしたいのは、一ヶ月ほど前に先生が検視したトラック事故についてですが……」
ガタッと大きな音がした。アルシェ医師がデスクから飛び起きている。明らかに尋常な様子ではなかった。見開かれた目は真っ赤に血走り、両手の指がまるできみを掴まんとする鉤爪のように
「き、キサマは誰だ! 取材なんて嘘だな! わたしは何も喋らんぞ! 今すぐここから出ていけ!」
あまりの剣幕にきみは呆気にとられたが、何とか
「先生、先生? どうされたんです? 少し落ち着きましょう」
「うるさい! 出ていけと言ったろう!」
医師はきみが襲いくるモンスターであるかのように、身を仰け反らせた。そして卓上の受話器をとると、ブルブル震える手でコールした。
「守衛! 早く来てくれ! 不審者だ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださ……」
きみの言葉に対する返答は、重たい医学事典に投げつけることだった。
きみは
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