第3話
3、
「それってつまり、リストラってこと?」
きみが今日の出来事を話終えると、カウンターにもたれたウェイトレスのキャルが、あっさりと言い放った。
どうして行きつけの店のウェイトレスがきみの去就をいち早く知っていたのかと言えば、帰宅途中に立ち寄ったベリルが、三段重ねのパンケーキを頬張りながらぺらぺらと喋ったからだ。もっともこの店にきみを連れて来て紹介したのは、ベリルとマザランである。
そのキャルが、はい、と晩めしをカウンターに置いた。
「まあ、簡単に言うとそうなるかな」
「難しく言っても一緒でしょ」
むぐぐっ、と言葉に詰まる。言い返そうとしたが、ごもっとも過ぎて言い返せない。それに食欲も待ったなしだった。きみはフライドポテトをつまんで口に放り込んだ。そしてグリルド・チーズ・サンドとトマトバジル・スープをガツガツと平らげ出した。キャルが、コーヒーのお代わりを厚手のカップに注いだ。
第八区のダイナー〈カンサス〉は、あまり上等とはいえない部類の食べ物屋だが、二十四時間営業で利用し易く、しかも懐具合に合っているのできみは多用していた。それに
口に出すと店の人間に怒られそうだが、どこか田舎のドライブインのような安っぽさーーいやさ、気安さがあるのだ。だが仕事がなくなれば、〈カンサス〉にすら来られなくなる日も、そう遠くはないかもしれない。
きみはやけにピカピカ光るステンレスのカウンター席と、ボックスシートの店内を見回した。寂寥感が、しみじみと胸に迫ってきた。
キャルの言うとおり、今日きみは、リストラを宣告されたのだ。
長引く不況の影響で、探偵業界も冷え込みが厳しい。そんな中、生き残りを掛けて本社から大幅な経費節減が言い渡されたのだという。〈リストラ〉とくれば、自分のような腕も悪く、やる気もないヘボ探偵にお鉢が回ってくるのは充分理解できた。だが理解できるのと受け入れるのとでは、残念ながら違うみたいだ。
いくら自覚しているとはいえ、名指しで〈役立たず〉言われればさすがにキツイ。まだ三十過ぎとはいえ、なんのスキルも資格もないボンクラが放り出されて、この先どうしたらよいのかと、空恐ろしくなってくる。
「ちょうどよかったじゃない。いつも、辞めてやるってこぼしてたんだから」
「まあなあ……」
だが〈愚痴〉と〈現実〉では、やはり重みが違う。
「で、いつからなの」
「……二週間後」
「あらら」
あきれた口調でキャルが言う。やだあ、もう、と何が可笑しいのか、キャルはケラケラと笑った。
むすっとしながらもきみは、「ーー分かりました」と答えたときの、マコーレンのほっとした表情を思い出して、複雑な気持ちになる。
急な解雇を、きみはあっさりと受け入れたのだった。もちろん意地もあった。〈いらないというなら、しがみつくまでもない〉というわけだ。しかし正直なところ、わざとらしく
元々成り行きで始めた仕事である。アントワーヌに流れてくる前、別の街、別の仕事に就いていたときはきみも、働く理由を持っていた。ケイトとアン。伴侶と愛娘。三人の生活を守るためだった。だが一年前、ケイトがアンを連れて出ていった日から、持ち合わせていた労働への意欲は淡雪と溶けていった。
その後のアントワーヌでの惰性のような生活。伸びきっていながらも、なんとなく保ち続けていたテンションが、ぷつり、と切れる音を、リストラ宣告とともに聞いたのだった。
はあ、とため息を吐いて、ヤケクソのようにフライドポテトを口に運ぶ。
「だからバズ君、前も言ったじゃん。私のところに来なって」
養ってあげるからさ。キャルが優雅な手つきで、きみのシャツの襟を直す。ふふ、と笑ってウィンクする。正直、くらっときた。
丈の短い、
すらりとした肢体は、きみよりずっと背が高い。涼しげな目と形のよい鼻が、透けるような白い肌に乗っかっていて、ブルネットの髪との対比も鮮やかだ。やや大きめの口が絶妙のバランスで、実に魅力的だ。こんな場末の大衆食堂にいるのに、健康的な色気をまとっているのが素晴らしい。本当に残念だ。彼女が
十年程前、性同一性障害の権利に関する法整備が進み、また医療技術の革新によって安価な性転換手術が普及すると、男から女へ、女から男へ、気軽に〈転ぶ〉人間が増大した。キャルは遺伝子的にはXYで下半身にはまだ〈付いて〉いるが、上半身は見た目上、ほぼXXである。美しい
「だめですよー。キャルさんにヒモが付いたら、お客が減りますよー」
バーテンのフェイが話しに入ってきた。フェイは実に個性的なヘアースタイルをしている。頭のほとんどをつるつるに剃り上げて、天辺にだけ残った毛を、前に垂らしている。彼の国ではスタンダードな髪型だと言っているが怪しいものだ。今日は客が、きみと同じようにくたびれた会社員がひとりいるだけ。暇なのだろう。
「女の子は、キャルだけじゃないだろう」
「でもキャルさん、一番人気なんですよー、オーナー怒っちゃいますよー」
へらへらと答える。
オーナーのスカベッリは、アフガンハウンドによく似た風貌の五十男だ。きみはショードッグめいたスカベッリが甲高い声できみに喚く姿を浮かべて、うんざりした。
「べつに関係ないわよ。ねー、〈
そういってキャルは、きみの下腹を、ぽよぽよと押した。若干セクハラ気味だぞ、ときみは心の中で呟く。
どうしてキャルさん、太ったヒト好きかなー、とフェイがへらへら。
別れた妻以外、一貫して女性に縁のないきみが、なぜこうもキャルに好意を寄せられるのかといえば、ひとえにこの体型のおかげだ。端的にいってキャルは〈太ったヒト専門〉なのだ。理想はスモウ・レスラー。本当は、抱きついても両腕で抱えきれないくらいの大きさが〈ちょうどいい〉らしいのだが、〈大きければいい〉〈太っていればいいというわけではない〉らしい。〈
「でも、これからどうするんですかー」
一応、心配そうな顔でフェイが言った。本当にどうしよう。
「この際、独立するっていうのはどう」
自分で探偵事務所を開業する。キャルの提案は、確かにひとつの選択肢ではある。アントワーヌ市の探偵はライセンス制ではないので、その気になれば誰でも探偵を名乗ることが出来る。だがそれにはやはり先立つものがいるだろう。
「どうせ新しいことなんて出来ないでしょ。依頼人は私が探してきてあげるから」
「まだ若いのにねー」
キャルが実も蓋もない事をいい、フェイが乗っかった。
「うるさい」
「そうしたら、私が美人助手になってあげるわよ」
そういってキャルは、またぽよぽよときみの腹を揺する。
自分で〈美人〉は余計なんじゃないか。きみの反論は声にならない。
‡
名高き
王宮内にはシン王子とまともに言葉を交わそうという人間はいなかった。父君の国王ダオ・ファン・リャンは、昼は
弟君のコウ王子は、生まれついた時からその美貌が際立っていた。肌は白く、瞳の色は深く、唇は愛らしかった。微笑めば辺りに光がさし、泣き声すらも麗しい。王宮の、いや王国の誰もがコウ王子を愛し、その誕生を言祝いだ。王子の生まれる前、さる高名な
予言は厳重に秘せられたにもかかわらず、王宮のあらゆる場所で囁かれた。囁きは慎重にシン王子を迂回した。なんとなればそれは、第一王子に約束された聖なる玉座を否定するものだったからである。
しかし、たとえ噂を耳にしたところで、シン王子は意に介さなかっただろう。なによりも新しい生命、愛くるしいたった一人の弟に夢中だったのは、ほかならぬシン王子自身だったからだ。彼もまたコウ王子を心から愛していたーーこの時はまだ。
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