第7話 邪悪のゆえん

見違える程ピカピカになった砦の一室を眺めつつ、イッシは疲労困憊した表情ながら満足げに頷いた。


時刻はすでに真夜中で、徹夜こそしなかったもののかなり時間が経過している。


窓を開けてみれば空には雲ひとつなく、星々が静かにまたたいていた。


だが、それほど綺麗な星空に、なぜか月は3つある。


とはいえ、イッシは既にここに来てから何度も常識外の出来事に遭遇している。


今いる場所が地球ではない遠い異世界であるという事実を今さら否定するつもりはなく、ならば月の数くらい何でもないことであった。


彼はふたたび振り返ると、テーブルをはさんで立った姿勢でイッシの言葉を待つプルミエへと視線を戻す。


「ろくな掃除道具がないのによくやってくれた。というか、森からそれらしい植物をすぐに刈ってきて、一瞬でほうきから何から作ってしまうんだから、君たちはすごいな」


いえ、とプルミエは恐縮するように首を横に振る。


「運良く、布切れの類が残されていたのも良かったです。近くに清潔な沢もございましたから、拭き掃除もすることができました。おかげで、飲み水に困ることもないでしょう。ただいま、手の空いているものに必要な水を汲みに行かせております」


そうか、と彼が古ぼけた椅子に腰掛けてから頷くと、更に彼女は言葉を続けた。


「それから、マスターへのお食事がまだお出しできておらず、本当に申し訳ございません。すでに野草や獣の調達は完了しておりますので、あとは水が届き次第、簡単な調理を行います」


「いや、それほどお腹は減っていないから慌てなくていい。むしろ君たちのほうがちゃんと食べないといけないだろう。ホムンクルスだって食事くらいは必要なんだろ?」


その彼の質問にプルミエは困ったような表情を浮かべる。


まるで、何かを言うべきか言わないべきか迷っているような様子だ。


ふむ、と彼はそれを察すると、聞き出すべく言葉を重ねた。


「言えないようなことなら言わなくて構わないが、もしも僕を信頼できるマスターだと思ってくれるようなら、教えてくれないか。万が一、知らずにいたことで君たちに何かあってからでは遅いからな」


そう言われてしまえば、真実を告げるしかない。

なぜなら彼女のマスターに対する信頼はとどまることを知らないのだから。


プルミエは意を決した面持ちで一言、


「人の血でございます」


と消え入りそうな声で告げたのである。


実はそれこそが、ホムンクルスが忌み嫌われる一番の由縁(ゆえん)なのだが、しかしイッシは、何だそんなことか、といって、どちらかといえば納得したような表情を浮かべるだけであった。


なので、むしろ告白することで気味悪がられ、自分たちを放り出すだろうと予想していたプルミエの方が、意外な回答を聞いて思わず「はい?」と声を上げてしまう。


まさか、自分の言った言葉が聞き取りづらかったのではないか、といったことすら考えて、再度同じ事実を告白するが彼はやはりただ頷くと、


「いや、何となくそういうこともあるかなあ、と言ったところだ。それほど驚く程のことじゃないだろう。ああ、だがそれだとどうしようか。人間は僕は一人しかいないから、1000人全員に行き渡らせるのはかなり手間だな」


「いっ、いえ、マスター! あの少しお待ちくださいませッ!」


彼が自分の血液を自分たちに提供する事を前提に話していることを知って、彼女のほうが慌て出す。


「血液でございますが、毎日補給する必要はないのです。週に1回もあれば十分でございますし、何よりもマスターの血をいただくなんて恐れ多すぎます。そのあたりの村人や、場合によっては牛馬の血をほんの1滴だけ頂ければ、それでなんとか人の形を保てましょう」


だが、彼はその言葉に首を横に振った。


「それは許可しづらいな。今はできるだけ目立たないよう、静かにしていないと危険だ。セイラムという魔法使いを追ってきた勇者たちが、君たちのことを探していないとも限らない。ホムンクルスの容姿は特徴があるから、村人に接触すればすぐに噂になるだろうし、そうすれば追っ手がかからないとも限らない。牛馬の血でも一緒だぞ。野生のものなんてわずかだろうから、接触できるのはたぶん、飼育されている牛馬だ。すると必ずどこかに君たちの証拠が残り、持ち主が不審に思う。そこから足がつくんだ」


「ですが、マスターの血を頂くなどというわけには」


「プルミエ」


イッシも自分がなぜそのような声が出せるのかわからないほど、有無を言わせぬ迫力で彼女の名を呼ぶ。


おかしいな、自分はこんなに強気な性格だったろうか、と彼は内心、違和感を感じする。


そう、彼自身、この世界に召喚されてから、時折自分の精神が自分のものでは無いように思う時があるのだ。


(なんというか、あらゆることに動じなくなっているというか・・・)


だが、彼はそんな違和感を否定するように首を振ると言葉を続けた。


「プルミエ、これはマスターからの命令だ。僕の血を吸ってみろ」


そんな恐れ多い、と口にはしつつ、プルミエはちらちらと、イッシが差し出した指先に熱い視線を這わせている。


では少しだけ手伝ってやる、と言いながら、彼は自分の指先を自らの犬歯で浅く切り裂く。


人差し指の先にぷくりと血が浮かんでくる。


そして再度、その指をプルミエに対して突き出した。


「そんな、そのような、マスターに対して失礼なことは。でも、ああ、こぼれてしまう」


普段は冷静沈着と言っても良いプルミエが、薄い青色の髪を揺らし、金色の瞳の焦点が合わぬ様子で、差し出された男の指に顔を近づけると、そのままその口に含む。


プルミエは我を失ったような上気した表情でコクコクと夢中でその指にむしゃぶりついている。


イッシはその様子を見ながらも内心、


「さすがにこれはちょっとやりすぎた」


と反省をしつつ、指に伝わる彼女の口内の熱さに驚くのであった。

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