第26話 退院

 おばあちゃんの作るカツ丼は、悠里の一番好きなものだった。仕事をしている母の美里に代わり、夕食を作るのは祖母の役目だった。


 それにしても……カツ丼か。


 痩せようと思った矢先、退院してきた悠里に悠里の一番好きなものをという祖母の気持ちはすごく嬉しい。入院中は味気ない病院食で、量も少なく感じ、そこに大好きなカツ丼を出されたら、これは食べないわけにはいかない。


「おばあちゃん、ありがとう。でも退院してきたばかりで病院食は量が少なかったから食べきれるかわからないし、ご飯は少な目でいいよ」


 そう言ったのに、出されたカツ丼は、どう見てもいつもと一緒だ。


 でも……でも……おばあちゃんのカツ丼、美味しいカツ丼、食べ始めたら止まらなかった。今までも美味しいと思ったが、こんなに美味しいものがこの世にあったのかと、大袈裟でないほど美味しいと思った。今までだって、これと同じもの食べてたのに太らなかった。だからきっと、前のような生活に戻れば、きっと……


 悠里は動いていることが好きだった。小学生の頃には学校が終わって家に帰るなり、荷物を置くとすぐに自転車に跨って家を出て友達と待ち合わせてあちこちの公園に行ったり、また学校に戻って校庭で遊んだりと、外で動いてることが多かったし、中学生になるとテニス部に入り、部活動に励んでいた。それもちょうど校庭の整備のため、悠里の中学の運動部は、市の施設を使わせてもらう期間があり、悠里達テニス部は学校から2km程のところにあるテニスコートまで走って往復していた。それだって、小学生の頃にはマラソン大会で1、2位を争ってた悠里にとっては、なんてことないことでもあった。


 そんな生活だった悠里なので、好きなカツ丼をいくら食べたところで、自分が太るなんてことはなかったし、自分が太ることがあるなんて、全く想像すらできないことだった。


 そんな自分が、たった十日ほどで5kgも増えてしまったのだ。これはもう驚愕の事態であった。が、おばあちゃんのカツ丼を食べながら、今まで太らなかったんだから、前のように動いていればきっと体重も減っていくんだろう。そう思った。


 美味しいカツ丼を食べ終えると、誕生日でもないのにホールケーキが出てきた。チョコレートのプレートには、『退院おめでとう』と書かれている。


「奮発しちゃった」


 嬉しかった。いつの間に買ってきたんだろう。病院の帰りにはどこにも寄らなかったから、お父さんかな。お母さんがいつものケーキ屋に頼んだのかもしれないな。


「誕生日じゃないのにロウソク立てるの?」


「まあ、一応ね」


 母の美里がケーキにろうそくを立て火をつけると、電気を消した。


「退院おめでとう」「おめでとう」


 音頭を取るように美里の言葉のあと、美悠と一番下の妹、悠乃の言葉が続いた。


「お姉ちゃん、もう痛くない?」


「痛くないよ」


「お母さん、夜も家にいる?」


「いるわよ。お姉ちゃんよくなってよかったね。悠乃も偉かったね」


 そうか。気づけてなかった。母の美里がいつも面会時間ギリギリまで病院にいて、まだ2年生の悠乃には寂しかっただろうな……


「悠乃、お姉ちゃんも夜いるから、今日はご本を読んであげる」


「わーい」


 両手を叩きながら目の前に切り分けられたケーキに目を留めると、悠乃は「わぁ」と言いながらフォークを手に取った。


「悠乃、これ半分ね」


 悠里は自分のケーキに置かれたチョコプレートを半分に割ると、その片方を悠乃のケーキに乗せ、もう片方を美悠のケーキに乗せた。


 それにしても……カツ丼のあとにケーキまで食べてしまった。嬉しいし美味しいし有り難いけど、先程目にした体重計の数字がやはり気になる。今まで通りの生活を送っていれば、きっと減っていくだろう。そう思うが……大丈夫だろうか。いや、きっと大丈夫。また動けばいいんだし。


 もともと楽観タイプの悠里は、物事をいい方へいい方へ考えるところがあった。5kgも増えたのは驚愕だし戻るか不安だったが、きっと大丈夫。そう思えるくらいには楽観的だった。


 が、それもまた要注意だったことに気付いたときには、もう手遅れなのではないかと思う状況にまでなりつつあった。

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