第23話 3回目

「潤、おかえり」


「ただいま」


 なんのことはない、何事もないいつもと同じ一日だ。万引きなどしない、退学を言い渡されることなく済んだこの日も、家に帰ると母親がいて、台所からは貝の味噌汁だろうか?そんな匂いが鼻を捉えた。


「今夜って、なんだっけ?」


「海鮮丼にしたわ。お父さんが食べたいって言ってたから」


 海鮮丼か……そんなもの、あの日に食べたっけ?記憶にない時間に思いを馳せ、帰ったらすぐに寝てしまおうと思った潤だったが、夕食を家族で囲んでからでもいいかと思い始めた。あの日、できなかったことだ。


 部屋に行って着替え、ベッドにダイブした。そうしてたった今、脱いでハンガーにかけたブレザーに目を留めた。あの日以来着ることのなかったこのブレザー、今日に戻って明日も着られるといいな。着たくもないと思いながら毎日腕を通していたブレザーだったが、また着たいと思う自分がなんだか可笑しかった。


「ふぁ~あ」


 なんだか眠いや。長い一日だったな……そうか、二回もやり直したからか。今夜は海鮮丼だったな、いつもの魚屋で買うマグロは美味しいし、俺の好きな甘エビも乗ってるだろうな。いつも俺のだけ甘エビが多いもんな。いい匂いだ。―――アサリの味噌汁か……美味しいな。夢の中で家族で食卓を囲み、何事もない一日に、これが幸せっていうことなのかなと、薄っすら遠のく記憶の中で意識を終える瞬間、誰かに呼ばれた気がした。



「じゅーん、起きなさいよ~」


 呼び声にハッとして目が覚めた。閉じられたカーテンの向こうは、もう上がり始めた気温を感じさせるくらいには明るかった。手にしたままの戻り時計を枕元に置くと、ハンガーにかかっているブレザーに目が行った。


「よかった」


 ハンガーにかかったままのブレザー、片付いたままの部屋、机に並んだ教科書、高校入学時に買ってもらった通学用のリュックがそこにある。戻れたんだ。何事もなかったいつもの日に戻れたんだ。


 ―――トントン


 叩かれたドアから母親が顔を出した。


「潤、大丈夫?」


「え?何が?」


「何がって……昨夜は遅くまで真生君に付き合ってたでしょ。昨日のお葬式……潤もショックが大きかっただろうから、何なら今日、学校休んでもいいんじゃないかってお父さんも言ってるから」


 は?


 何が起きた……何が起きたんだ?葬式?昨日?……そう思った瞬間、背筋が怖気だった。


「あんたたち、仲よかったもんね」


「起きるよ。学校にも行く。ご飯、食べるから」


 部屋から母親を追いたてたくて、そう答えて机にあるスマホに手を伸ばした。


~真生、大丈夫か?~


 ~大丈夫じゃない~


~かける言葉がない~


 ~変な慰めもらうよりいいよ~


 ~あいつ、絶対許さない。出てきたらぶっ殺してやる~


~ぶっそうなこと言うな。そんなことしたら明絵が悲しむ~


 ~悲しまないよ。明絵はもういないんだから~

 


 明絵がいない……そうだ、昨日は明絵の……なぜだ、なぜだ……


 潤はいくつかのネットのニュースサイトで明絵が命を落とした経緯を知った。


 明絵はあの日、潤が万引きで捕まった……いや捕まるはずだった日に事故に遭っていた。そしてその事故の加害者があのコンビニの店長だった。しかも、ただの事故じゃない、あいつは息のある明絵を助けることなく逃げた。すぐに病院に連れて行けば、明絵は助かったかもしれないのに。


 明絵は頭を強く打ち、意識不明のまま機械に繋がれ、一度も目覚めることなく二週間後に、その命の灯は消えた。


 あの日、真生から明絵と付き合っているラインを読んだ日、明絵は部活の真生とは別行動で、友達と駅の南口にある図書館に行った帰り、浅乃川の堤防を自転車で走っていた。いつも潤がぼんやりと眺めている浅乃川の堤防だ。車が二台、対向車となんとかすれ違えるほどしかない道路幅で、小中学生は通学路にしない堤防を、明絵は自転車で走っていた。いつも学校帰りには通らない道だ。暗くなったその道で、走ってきた店長の車が明絵と接触して、明絵は自転車のまま堤防から河原へ転げ落ちた。街灯と街灯の間の暗い堤防で、そこに転げ落ちたことに気付かれることなく、走ってきたバイクが、いつも視界に入る景色の一瞬に、いつもと違う何かを感じ河原に目を向け、人が転げ落ちていることに気付いて119番をしたのは、明絵が落ちてから1時間近く経っていた。帰りが遅く連絡のつかない明絵を探した明絵の両親は、いつも通っている道を探していたため、連絡がついたときは城東高校にいたそうだ。


 あの日、なぜそんなことが起こったんだ?まさか、オレがその流れを変えてしまったということか?そりゃそうだ、本来は起きていなかったはずの事故が起きているんだ、オレのせいに違いない。


 明絵が死んでしまう未来……ダメだ。そんなのダメだ。


 そう思うと心臓が早鐘のように鳴り始めて、だがすぐに鎮まった。潤は冷静だった。そりゃあそうだ、やり直せることを知っているのだから。

 

 やり直そう。あと1回使えるのだから。

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