迷走~潤~

第19話 失う

 それを見つけた時、記憶のどこかの何かに引っ掛かりを覚え、1000円なら自分でも買えると思い、ポチッと購入ボタンを押した。


 坂本潤はこの目覚まし時計の何に引っ掛かりを覚えたのか、記憶の深くに入り込んで探してみるも、それに辿り着かない。が、これが手元に来たらそれがハッキリするかもしれない。そう思った。


 高校受験に失敗した潤は、思い描いていた高校生活とはまるで違う男ばかりの男子校で、積極的にそこに溶け込もうともせず、自分はこんなところにくるはずではなかった、もう一ランクも二ランクも上の進学校へ行くはずだった、ここでは行きたかった大学だって目指せるかわからない、この高校のランクではせいぜい中ランクの大学受験しか対応できないのではないか。漠然とではあるがそう思い、悶々とした日々を送っていた。


 そんなふうだから、いつまで経っても親しい友人もできず、いや、もう高校生なのだから学校ゴッコ友達ゴッコしている場合ではないのだからと、ゲームの話で盛り上がっているグループや、何やらアプリの話で騒いでいるグループを横目に、今日も誰とも口を利くことなく、窓の外から見える浅乃川の堤防に並ぶ木々を友に、一人昼食を取っていた。


 なにもかもがどうでもよくなりつつある潤の頭の中では、同じ高校に行くはずだった杉尾真生を思い出していた。そして真生と同じ高校に行った竹原明絵のことも……みんな一緒に城東高校に行くはずだったのに。なんで、なんで俺が落ちたんだ……真生よりもいつもテストの点だって成績だってよかったのに、何がいけなかったんだ!!


 学校に登校するたびに、馴染めないクラスの面々を見るたびに、悔やむ気持ちばかりが膨れ上がり、そのやり場のないやるせなさと闘っていた。


 そうして、あの日がきたんだ。


 あの日は梅雨のジメジメした暑苦しい中にあって、相変わらず誰とも口を利くこともなく1日が過ぎ、自転車置き場で学校にいる時間は電源を入れないようにという校則をくそ真面目に守りスマホの電源を消していた潤は、その電源を入れた。すると、新たな通知が三つラインに届いていた。


 誰だろうと開くと、真生からだった。気を使ってたのか、落ちた自分を憐れんでいたのか、それは中学卒業以来のラインだった。


『久しぶり。ちょっと気が早いけど、夏休みにキャンプを計画しているんだけど、一緒にどう?明絵と、もう一人明絵が高校で仲良くなった子が一緒なんだけど……実はオレさ、明絵と付き合ってるんだ。それでまあ、二人でってわけにはいかないからさ……』


 それを読んで、カーっとなった。頭に血が上るって、こういうことかと実感できるくらいに、頭の中がカッカカッカして、熱を持った顔は鬱陶しい暑さを纏って腕に鳥肌を浮き上がらせた。


 なんでだ。なんで真生は俺が欲しかったものを次々手にしていくんだ。俺が行くはずだった城東高へ行き、俺がずっと好きだった明絵を手に入れ、みんなでキャンプだって?ふっ、ふざけるなっ。


 潤の目の前に広がる闇の光景の中で、手を繋いだ二人が現れた。それは中二のときに行ったキャンプの肝試しで、潤が目にした光景だった。あの時、何か嫌な予感がしたんだった。それがこんな形になって今に現れるとは……


 振り切れない何かを振り切るように、自転車を漕いだ。どんなに走らせようと、振り切れない何かは逃れられない塊となって、潤を包み込んでいた。


 潤は身体中から噴き出るジメっとした汗を纏い、その気持ち悪さから逃れるようにコンビニに吸い込まれて行った。いくつもの冷えた飲み物が並ぶ冷蔵の棚に向かい進むと、ふと、通り過ぎた棚に並ぶ雑誌の表紙が目に入った。テントの前で焼き串を持ち微笑む男女のカップルだ。


 くそっ。


 潤は冷蔵庫から一本の炭酸飲料を手にとり、その支払いのためにレジに向かう途中で小さなガムを一つ手にした。そして通りに誰もいないことを視界に捉えてズボンのポケットにそれを入れた。大して欲しくもない、一つのガムだった。そしてその行為は、潤を引きこもりへと導くものとなった。


 飲み物を買い外に出て、止めてあった自転車にまたがると、店から出てきた中年の男性に声をかけられた。


「何か会計を忘れていませんか?」


「は?」


「すみません、忘れてました」とでも言えばよかったのかもしれない。ちゃんと謝罪すればよかったのかもしれない。が、潤の口から出たのは、「は?」だった。イラッとした顔つきで、イラッとした声で、「は?」だ。


 そして、潤は高校を退学になった。ちゃんと見なかった校則の中に、『いかなる場合であっても、窃盗の行為があった場合は、即刻退学とする』そんな一文があったのだ。


 潤は、ガム一つですべて失った。確保してあった自分の居場所を、自分で捨て去ってしまったのだ。食べたくもなかったガム一つで。



 

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