悪魔の契約

岸亜里沙

悪魔の契約

アキヒロは友人から聞いた情報を頼りに、ある金融業者を探していた。


「確かこの辺りだと言っていたが」


だが探せど探せどその会社は見当たらない。

それ以前に、この場所には金融業者はおろか、廃墟と化したビル群が建ち並んでいるだけだった。営業している店舗すら皆無だ。

看板もなければ、明かりもない。


「くそっ!一杯食わされたか?」


アキヒロは友人に対する憎悪が沸いてきた。


「明日までに20万が必要だっていうのに」


そもそも友人の話はあまりにも突拍子もないものだった。


友人曰く、その金融業者は質屋みたいな感じなのだと言う。

あるモノを質草にし、それで金を借りられる。その気になれば100万でもと。


その気になれば、とはどういう事か?

アキヒロには意味が分からなかった。


しかしこの廃墟の中、もうかれこれ20分以上アキヒロはさ迷っていたが、一向にその会社は見つからなかった。


「少し休むか」


アキヒロは舗道のコンクリートブロックに腰かけ、タバコに火をつけた。


タバコをふかしながら、ボンヤリと摩天楼を眺めていると、とある廃墟ビルの中から一人の男が出てくるのが見えた。一瞬見間違いかと思ったがそうではなく、確かに人間だ。アキヒロは脱兎の如く立ち上がり、その男に駆け寄った。


「すみませんが、この辺に金融業者があると聞いたのですが」


アキヒロが尋ねると男は素っ気なく答えた。


「このビルの3階だ」


まさかこの廃墟ビルの中に、本当に金融業者があるとは。アキヒロは男に礼を言うと、ビルの中に足を踏み入れた。

瓦礫が散乱する階段を慎重に上り、3階へと辿り着くと、そこに廃墟には不釣り合いな真新しい扉が取り付けられた部屋がひとつあった。


「ここか?」


扉の前には、金融業者の看板はないが、多分間違いはないだろう。


アキヒロはゆっくりと歩を進め、その扉をノックしてみた。

そうしたらすぐに甲高い男の声で返事が返ってきた。


「どうぞ、お入りください」


アキヒロが扉を開けると、そこは金融業者というよりも、何かの実験室のような印象だ。

人体解剖模型やビーカー、スポイト、注射器などが陳列された棚。

甲高い声の男は白衣を着ている。


──なんだ、ここは?──


アキヒロは訝しんだが、男が間髪いれず聞いてきた。


「お幾らほど必要ですか?」


「え?ああ、20万円貸していただきたいのですが」


「なるほど2年分ですね」


「2年分?」


「はい。当社ではお客様の寿命を、1年お預けして頂く毎に10万円をお貸ししております。早い話、寿命は質草だと思っていただければ大丈夫です。ですのでお客様は20万円必要との事でしたので、こちらでお客様の寿命を2年分、お預かり致します」


「つまり金を借りる為に、自分の寿命を減らすって事ですか?一体どうやって?」


「本来DNAには人間一人一人のあらゆる情報が記されています。もちろん寿命も刻まれているのです。何歳で何の病気になり、何歳で死を迎えるのかが分かります。まずこちらで血液を採取し、遺伝子検査でお客様の寿命がどれだけあるかを確認致します。そこでどれ位までの金額をお貸し出来るのかを判断致します。仮のお話しとして、現在45歳の方で検査の結果、寿命が50歳の方がいらしたとします。そうなると4年分の40万円までしかお貸し出来ません。それ以上は猶予がないのですから」


「どのような方法で寿命を減らすんです?」


「特殊な遺伝子操作薬を注射いたします。そちらを体内に入れることで、人間の体に誤情報がインプットされます。この薬を調整する事で、寿命をコントロール出来るのです」


「もし返済した時には、寿命は戻してもらえるのでしょうね?」


「もちろんですとも」


「分かりました。それで、利子はどれ位ですか?」


「利子はございません」


「え?」


「利子は0でございます。なので本日20万円をお借りになられるのでしたら、どれ程の期間が過ぎても、お借り入れの20万円をお返しくだされば大丈夫です」


「利子も無しに、おたくははどうやって利益を得ているんです?」


「あまり公にはしておりませんが、当社には逆にお金を払い、寿命を増やしたいというお客様もお見えになります。なのでその方達のお支払から利益を得ております。お貸しするお金もそちらから出ております」


「寿命を増やす事も出来るんですか?それなら金があれば不老不死みたいになれるって事ですか?そんな夢のような事あるわけないでしょう?」


「仰るとおり、不老不死にはなれません。寿命を延ばせてもせいぜい10年かそこらが限界です。まあ、お金持ちの方の道楽ですな。寿命を延ばせても、元気でいられるという保証もないのですから」


甲高い声でテキパキと答える男は、医者なのか、研究者なのか。

どう考えても金融業者には見えない。


「さて、どうされますか?私に寿命をお預けになり、お金をお持ち帰りになりますか?それはお客様の判断で結構です。強制ではございません」


アキヒロはじっと考えた。

命は大事だが、金も大事だ。

どうしても明日までに金が必要で、今さら躊躇している場合ではない。


「20万円貸してください」


「畏まりました。ではまずこちらの検査キットで少量の血液を採取してください。血糖値測定キットと同じような物でございます。指に当てていただき、こちらのボタンを押してください。バネ式で針が飛び出します。少しチクッとしますが、すぐ血は止まりますので。血液はこちらのシャーレに少量で結構ですので入れてください」


アキヒロは言われた通り、検査キットを使い血液を採取した。

男はシャーレを受け取ると、机の上に置かれた小さな検査機械のような物の中にシャーレを入れ、何やら操作している。


「3分ほどお待ちください」


アキヒロは部屋の片隅に置かれていた、古びたソファーに腰かけ、タバコに火をつけようとして思い止まった。

このタバコのせいで、自分の寿命を減らしているのではないかと、ふと思ったからだ。仮にあと2年しか寿命が残っていないとなれば、今回金を借りる事は出来ない。


そうなった時はとりあえず1年分だけ借りるか?

いや、どうせ死ぬなら金なんか幾ら持っていも意味がない。

さて、どうするか。


「お待たせ致しました!」


アキヒロがソファーであれこれ考えていると、男が甲高い大きな声を上げた。


「検査の結果、20万円お貸し出来そうなので、ただいまご用意致します。こちらの借用書に署名と印鑑をお願い致します」


「分かりました」

アキヒロは安堵したが、若干の恐怖も覚えた。

だがもう後戻りは出来ない。


アキヒロは借用書に署名をし印鑑を押すと、男は奥の部屋へと入り、注射器と何かの薬品が入った小瓶を持ってきた。


「これが先程言いました遺伝子操作薬でございます。これは寿命を2年分減らす効果のものになります。ではどちらか片腕を失礼します」


アキヒロは内心不安だったが、金を借りる以上仕方がない。ゆっくり左腕を差し出すと、男は慣れた手つきで注射器を操り、アキヒロの腕に薬品を注入した。

特別気分が悪くなる事もない。


「これにて終了です。ではこちら20万円になります。返済期限は特にございませんが、寿命が縮まっておりますので、お早めの方が宜しいかと思います」


そう言うと男は初めてニヤリと笑ったが、その不気味な顔はマッドサイエンティストのようだと、アキヒロは思った。


「因みに、自分の寿命はあと何年なんですか?」

アキヒロは男に尋ねた。


「残念ですが、それはお答え出来ません」


「何故?」


「知らない方が幸せな場合もございますので」


そう言うと男はまた不気味な笑みを浮かべた。


アキヒロは20万円を手にし、足早にビルの外へと急いだ。

自分の寿命が縮まったという実感もないまま、手には借りた金を握りしめている。

その金を眺めながら、アキヒロは考えた。


「本当にこれで良かったのか?」


そして既に薄暗くなってきた空をぼんやりと見上げ、大きく深呼吸をした。


「この金でしっかりやり直さなければ。正しく命懸けで手に入れた金なんだしな」


アキヒロはそう心に誓ったのだ。




時は流れ、3ヶ月後。

アキヒロは金を借りたあの金融業者に再び足を運んだ。

前と同じように瓦礫の散らばった階段を上り、3階のフロアに着くと、すぐに扉をノックした。すると甲高い男の声がまた響いてきた。


「どうぞ、お入りください」


アキヒロは扉を開け中に入ると、男は笑顔で出迎えてきた。


「やあ、こんにちは。返済に来られたのですな。寿命が減ったままでは、生きている心地もしなかった事でしょう。今、寿命を元に戻す薬をお持ちしますよ」


「いえ、、、またお金を貸して頂きたいのです」

アキヒロはポツリと呟いた。

すると男は目を丸くし、しばらく黙り込んだ。


「・・・。また寿命を減らすのですか?お幾らほど必要なのです?」


「もし可能なら80万円ほど」


「8年分もですか?前回お預けになった寿命と合わせますと、10年分寿命が減る事になるのですよ?」


「それでも構いません。お願い致します」


男は再び黙り込んだ。


「・・・。畏まりました。では80万円分お貸し致します。またこちらの借用書にサインをお願いします。今、薬剤とお金をご用意致しますので」


アキヒロは震える手で借用書にサインをした。

金を借りるのはこれで最後にしないと、取り返しがつかなくなる。

やり直そう。やり直そう。アキヒロは涙ながらに俯いた。



それから、10ヶ月後。

アキヒロは借りた100万円を返済する為、寿命を取り戻す為に、死に物狂いで働いていた。

いつ死ぬかも分からない恐怖で、だんだんと神経衰弱になっていく。早く借金を返さなければと思いながら、不安を強いられる暮らし。

安アパートに住み、食費を節約し、昼も夜も働いた。これ以上の借金はしてはいけない。その一心で働く。


そして、なんとか30万円だけは用意出来た。

睡眠不足でふらつく足取りの中、アキヒロは金融業者へ向かう。廃墟ビルの3階。変わらぬ扉。

ノックをし、中へ入る。

甲高い声の男が椅子に座っている光景。何も変わっていない。


「おや、こんにちは。だいぶ窶れてますが、大丈夫ですか?」

男が話しかけてきた。

アキヒロは持ってきた30万円を差し出すと言った。

「すみません、これで3年分寿命を戻してください。いつ死ぬのか分からないままでは、もうおかしくなりそうなんです」


「素晴らしい!」

男は手を叩きながら叫んだ。

「あなたの様な方はなかなかいらっしゃらない。必死で働いて、蓄えたのでしょう。その意志、大変ご立派です。利子が無いことを良いことに、開き直って何年も返済しない方もいらしたりしますからね」


「早く寿命を戻してください」

アキヒロは懇願する。


「本当の事をお話しします。あなたの寿命は最初から減っていません」


「え?」


「寿命を減らす薬剤など、存在しません。あれはただの生理食塩水です」


「本当に?」


「もちろん。そもそも人間の寿命が分かるとするなら、保険会社などが既に審査に取り入れているはずでしょう?ご安心ください。全て嘘です」


「でも何で本当の事を話したんです?自分はまだあなたに70万円借りているのに」


「私は皆さんに知ってほしいだけなのです。お金を得るという事は、自分の体力、精神力、時間を使って得るものだと。だから人間は本来、寿命を減らしながら金を得ているのです」


「確かにそうですね。自分も本当に寿命を削って、この金を稼ぎました」


「そうです。あなたはちゃんとそれに気づいてくださいました。なのでお金の返済は何も要りません。この30万円もあなたにお渡しします。しっかりと生きてください。これは私からのはなむけでございます」


アキヒロは涙がこぼれた。

「ありがとうございます。しっかり生きます」


男は目の前でアキヒロの借用書を破ると、アキヒロの肩を抱きました。


「もうここに戻ってきてはいけません。約束してください」


「もちろんです」


アキヒロはフラフラと立ち上がると、男に深々と頭を下げた。

「最後にひとつだけ教えてください。寿命を増やしたいという人から利益を得ていると言いましたね?寿命を増やした人が早死にしたら、どうするんです?」


「私には関係ないですね。それは仕方のない事です。お金に物を言わせ、利己主義に走ったバチが当たったのでしょう。それに昔から言うじゃないですか。『死人に口無し』ですよ」


そう言うと男はまた不気味に笑った。

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