いと高きところに神の栄光あれ 第4話
図書館での勉強会はつつがなく――途中で集中力を切らした斉藤と小池は、何度となく宿題の手を止めて、オカルト本を読み漁っていたものの――終了した。
帰宅した麻仁は境内を横切り自宅に向かうと、そこに父がやってきた。
「おかえり、マニ。ちょうど良かった。水祭りの写真がいくつか届いてね。すっかり遅くなったけど、あげといてくれるかい?」
聞けば神社の広報用に掲載するための画像が、カメラマンから送られてきているという。
広く信仰を伝えるため、今のご時世、神社もホームページを管理したりSNSを活用するのも珍しくはないが父は機械の類は不得手なため、管理は麻仁と藤谷に任せていた。
「えっ? ちょっと今更、水祭りなの?」
「写真を送ったってメールもずっと見逃しててね。悪い悪い。頼んだよ」
「もう! お祭りの後にすぐ言ってくれればいいのに」
父は頭を掻きながら、ばつが悪そうに去っていく。
水祭りといえば、七月上旬のテスト期間中にあった神事だ。
麻仁は自宅に入らず社務所に向かい、パソコンのメールボックスを確認すると未開封のメールを発見した。
カメラマンが送付した画像フォルダから写真を確認して、良さそうなものを選別する。この時は平日だったので麻仁は学校で期末テストをしていたため不在だが、本宮では水の神に感謝するため立派な魚介が奉納されたり、奥宮では能の舞が奉納される様子が写されていた。
麻仁はそれらしい原稿を考えながら、画像を添えていく。
「えーっと、『小暑を過ぎ、山の緑は色濃くなりました』……っと」
だが、そこで文字を打つ指を止める。
「もしステーシー先生の言う聖遺物があるなら『悪人さん、無闇に狙わないでもっと信仰しましょう、龍神様ってホントは怖いんですよ』ってアピールした方がいいのかな……?」
パソコンでの作業を止めた麻仁は、父のもとへ向かった。
「お父さん、さっきのブログの内容についてなんだけどさ」
「頼んで悪かったね、どんな内容だい?」
「あのね、水祭りのついでに龍神様のことを書きたいんだけど」
しばし腕組みをして考え込む父。不服なのだろうかと麻仁は心配して待つ。
「いちおうご祭神の水の神に感謝する祭りだからね。龍の話を詳しくするのはどうかな?」
「でも、漢字は同じ龍蛇のたぐいって意味でしょ?」
「うーむ、確かにそうだけどね。あまり水祭りと脈絡ないようにしないでおいてくれよ。それにしてもなんで唐突に龍の話なんだい?」
麻仁は以前ステーシーから聞き、気になっていた質問を父に投げてみた。
「ねぇ、もし船形石や龍穴が本当に大昔からあったものだとしたら、中にはなにか宝物とかも一緒に封印されてたりしないかな?」
「なんだい、龍の話じゃないのか? それは明かされるべきではないと思うがね」
「どうして? 宮司さんなんだからお父さんの許可ひとつで調査するとか……」
「ダメだよ。人間が手に入れられないもの、人類の英知では制御できない神の御業こそが神宝なんだ。それを禁忌として崇め祀るのもまた信仰じゃないかな。神宝が本当に有る無しは別として、見たいって願いが叶わないから、もしくは本当にあって欲しいと願うから神に祈るのが、僕ら人間だろ」
麻仁の父は腕組みをしたまま、足で事務椅子を左右に小刻みに回転させる。娘の親として、奉職者の代表たる宮司として、やや神経質な趣旨の質問に対しても穏やかに答えていく様子を見て、ステーシーよりも学校の先生っぽいと麻仁は思った。
「じゃあ、お父さんの考える神宝ってなに? ここのお社に限らずよ」
「どうかな、日本神話だったら『草薙の剣』とか『
「それ、なんだっけ? 不老不死の実だったかな?」
うっすら記憶はあるがはっきり思い出せない麻仁は、父と同じように腕を組む。
「そうだね。常世の国、つまり隔世の永遠不変の国にあると伝わる木の実だよ。時の天皇の下知で探して来たんだけど、見つけて持ち帰った時には既に崩御されてたって話さ」
「それだわ、きっと」
ステーシーの話と合致した麻仁は、両の掌をぽんと胸の前で合わせる。
「マニ、
「知ってるよ、それくらい。そうじゃないんだってば」
もし時空も越える手段があれば、不老不死を得たり死者を蘇らせるだけではなく、今まさに命の灯を消そうという人を救助したり、目指すべき世界を邪魔する者を暗殺したりと、時代の変換点に立ち会い歴史を曲げる事も出来るし、世界を裏で操り支配することもできるのでは。
麻仁はその不安を父に話す。よもや船形石にそんな宝物が隠されていたら――。
すると父は大声で笑いだした。娘の心配を知らない能天気な親に、麻仁は再びむくれる。
「間に合わなかっただけで実際に見つけてきたんだから、どこかに隠して後世に残されててもおかしくないじゃない! それに『ときじくのかくの木の実』って、漢字で書いたら『時軸』でしょ?『時間の軸を越える
父は手元にあったペンで紙片に文字を書いていく。
「漢字だとこうだ、『非時香果』だね。橘の実だろうってことだよ。常緑樹でいつも青い葉を茂らせるから永遠性の象徴と言われているんだよ。だから不老不死の実になったんだろうね」
いともあっさりと正解を言われ、麻仁は肩から大きく力が抜ける。
「さっきも言ったろ。有る無しは別なんだよ。皆が願えばそれが信仰だからね。マニのそういう気持ちは大切にするべきだと思うし、有ると思うなら信じていればいいんだよ」
そう言って事務仕事に戻る父の背中を見つめる麻仁。だが肝心の有る無しが判然としないと漠然とした不安が解消されず、悶々と考え続けてしまうのだった。
もしステーシーだったら何と答えるだろうか――麻仁は不思議な異国の友人の顔が浮かんでは思考を巡らせていた。
それからさらに日をまたいだ、ある朝。
秋の文化祭の準備も佳境に入っているため、発表や展示の用意に向けて余念のない部活動と同じく、生徒会も諸々の作業が山積していた。
それでも学内は閑散としており、生徒の数もまばらだ。
例年なら盆の完全閉校の時期だけ休止している正門の噴水も、今年は水不足の影響だろうか、夏休みに入ってからずっと停められており、静かに波打つ水面には反転した校舎と大きな白い雲の湧き立つ青い空が、ぼんやりと映る。
施錠されて薄暗くひんやりとした教室の並ぶ廊下を歩いて、麻仁は生徒会室へ向かった。
「よう、マニ。毎日あっつくて、今年は特にイヤになるな」
女子高で男の視線が無いからなのか彼女の性格だろうか、畑中はエアコンが効いた室内でもシャツのボタンを上からひとつ、ふたつと外してプラスチックの下敷きで扇いでいた。
ステーシーといい畑中といい、なぜ胸が豊かな人は惜しげもなく披露できるのか。
苦笑しながらも、通学カバンでなんとなく自分の胸元を隠してしまう麻仁だった。
同じく眼鏡を外して大粒の汗を拭う京極も、涼しげな麻仁の顔を見る。
「やっぱり、マニのうちのあたりはヒンヤリしてるんだね。街の中歩いてたらこれだもん」
「あたしは山奥から電車やバスに乗って、学校のすぐ近くまで来れるからね」
今日の生徒会の予定は、まず朝一番での定例会議からだ。
開始時間を待って着席するも、今日も会長の沙羅はやってこない。
皆が待機する室内には、畑中が扇ぐ下敷きのベコベコと鳴る音だけが響く。
しばらく待つと、やっと生徒会室の扉が開いた。
「すまないな、みんな揃っているか?」
だが、集合予定時刻から少し前に姿を現したのは、また教員だった。
加えて、やって来たのは生徒会の担当教諭ではない。三年生の学年主任だ。
「今日の定例会議は中止だ。八坂くんが来られなくなったそうだ。もう今日は解散だ。せっかく来てもらったが帰っていいぞ」
にわかにざわめく後輩たち。
祭祀の期間中、沙羅は家業を手伝うため欠席なのはよくあった。今回も欠席だが、学校から定例会も中止、生徒会も解散という指示に一同は違和感を覚える。
「先生、夏休みの間に後輩がまとめた議事の決裁もそれなりにあるんで、今日もあたしたちだけで少し進めちゃまずいんすか?」
畑中は小さく挙手をして、教員に問い掛ける。
「いや、とにかく今日はもういい。一、二年生も含めて皆帰りなさい。寄り道をするんじゃないぞ、まっすぐ自宅に向かうんだ」
後輩たちと共に、麻仁ら三年生も訝しげに促されるまま退室することとなった。
今しがた登校したばかりの道を並んで歩く三年生たち。
「まったくやる気あるんだか、ないんだか……家が忙しいなら、生徒会長選なんか立候補しなきゃよかったのにな」
畑中はカバンを肩から背中に引っ掛けて歩く。
もし沙羅が立候補しなければ自分を含む誰かがその任を負うことになっていた可能性が濃厚なのだが、それもお構いなしにぼやいていた。
「でもさ、他の部活も解散したらしいよ。これから緊急の教員会議っぽいってさ」
京極が得た情報に、麻仁も尋常でない事態に心配して顔を曇らせる。
宵宮の巫女舞と、首飾りの石が光った際の衝撃。沙羅に聞きたいことはたくさんあるのに、まるで大きな力に阻まれて、彼女に会えないように感じてしまうのだった。
仲間と別れた麻仁はふと空を見上げる。
上空の澄んだ青を隠すように高く伸びた雲が、次第に重なりあい黒く濁り出す。
この二か月近く雨らしい雨など無かったのに、珍しくこのままだと降りだしそうな空模様だ。
それはまるで自身の心の中に湧き立つ不安の芽であるかのように、雲はみるみる大きく育つ。
麻仁は嫌な感情を払うように小さく頭を振ると、早めに帰宅することにした。
麻仁が自宅に戻ると、父が電話をしていた。
なにやら神妙な雰囲気で慎重に言葉を選んでいるようだった。
帰宅した娘に気づいたか、父は慌てていくつかのあいさつをしてから電話を切った。
「ただいま。またお葬式なの?」
「マニ、おかえり。いや、そういうわけじゃないんだ。心配しなくていいよ」
妙によそよそしい父の様子に、麻仁も訝しそうに自室へ向かう。
「そういえば、こないだ八坂さんから宵宮のお礼を頂戴してね。学校でお嬢さんにお会いしたら、巫女舞のお礼を伝えといてくれないか」
「でも八坂さん最近、学校に来ないんだよね。今日も先生から欠席って聞いて、生徒会や他の部活までそのまま解散になっちゃったんだもん」
「そうか……わかった」
それきり父は何も言わず、自宅から社務所へと戻っていった。
自分の部屋に戻った麻仁は制服を脱ぎながら、今の父とのやり取りを反芻していた。
確かに沙羅とのわだかまりを解かねばならないが、まさか巫女舞の礼を伝えるなんて、逆鱗に触れないかどうかが不安でもあった。
「でも、なんでお父さんは急に会長の話をしたんだろ?」
その時、着信音とともにスマートフォンが振動で机の上を滑り出した。
その物音に驚いた麻仁は相手の電話番号を見る。
公衆電話からの着信だったので取るべきか一瞬、躊躇したが麻仁は通話ボタンを押した。
「……はい。もしもし。貴船ですけど」
『マニ?』
受話器の先の声には聞き覚えがあった。
「もしかしてステーシー先生ですか?」
『そうよ。ワタシとマニは電話番号を交換してなかったもんね』
「先生、急にどうされたんですか?」
相手はどこから掛けているのか、ステーシーはしばらく黙っていた。かすかに電話の向こうから音楽や人の声が聞こえる。やがて彼女は声を抑えて囁く。
『マニとゆっくり喋れる機会が無かったわね。すぐにマニに伝えたいことがあったんだけど、なかなか時間が取れなくて、伝えられないことがあったの』
「あたしに伝えたかったこと?」
『今日、教員や講師を対象とした緊急会議があったわ。生徒会もオカ研も、部活動や委員会は当面ぜんぶ禁止になったの。その理由なんだけどね。あのサラが行方不明だって彼女のパパから連絡があったのよ』
それを聞いた麻仁は、スマートフォンを持つ手を震わせる。
声を出そうにも、舌が脳の回転に追いつかないようで、咄嗟には喋れなくなった。
『……マニ?』
「あっ、すいません……あたしもちょっと驚いちゃって……」
『そうよね、気持ちはわかるわ。でもここからもっと大事なことを言うわね』
ステーシーの神妙な予告に、麻仁は受話器の向こうにも聞こえているかも、というくらいに大きく固唾を呑んだ。
『それがね……ワタシのところにサラから連絡が来たのよ。あの子は無事よ。家出をしたものの、ある場所に居るからワタシに会いたいって。もしよければマニも一緒に連れて行きたいわ。同じ生徒会だし、マニなら他の三年生よりは彼女を説得できるかもしれないと思ってね』
「ホントですか! あたしも行かせてください!」
麻仁はステーシーの提案に、一も二も無く返事をした。
沙羅が先日の宵宮の件をまだ怒っているなら自分が謝罪したいし、おこがましいかもしれないが、巫女として宮司の娘として悩みがあるなら、同じ立場の者どうし話をしたかった。
『オッケー、もう一度サラに連絡を取ってみるわ。でもパパや学校には内緒にして欲しいって言ってたから、マニも家族には秘密よ。あと、ワタシが上げたお守りの石も忘れちゃダメよ?』
「はい、わかりました」
『そしたらワタシの電話番号も教えとくわね。メモの用意はいいかしら?』
通話が切れると、麻仁は時計の時間を見る。
落ち着きなく部屋を動きながら、ステーシーからの連絡を今かと待ち続けていた。
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