いと高きところに神の栄光あれ 第3話
ステーシーと、そんな奇妙な会話を交わした後日。
久しぶりに麻仁が神社の勤めで奥宮に向かうことになった。
父が急な所用で外出しており、神職の廣矢も退勤していたので、夕御饌を供える男手が無かった。双子の弟も塾に行っていたので、やむなく麻仁が引き受けた。
麻仁は三方に乗せた御饌を持って、通い慣れた山道を歩いていく。
奥宮の龍穴らしきものが光ったり、頭に響く声がいつ現れるかと未だ身構えてしまうのもある。だが以前とは違い、本来の貴船家にとって正しい夕御饌を供える時間であった。
山の日没は早いし立秋も近いとはいえ、まだまだ夏の陽は高い。
真っ暗な夜とは違い、麻仁もまさかこんな明るい中では異変が起きまいと安心していた。
奥宮の山門が見えてきたので、一礼して境内に入る。
拝殿と本殿とをつなぐ渡り部分にある御饌案の上に三方を置くと、深々と奉拝をする。そして今朝供えられた三方をうやうやしく下げた。
今日はなにも起きないじゃないの――。
そんな一瞬の心の隙を神に見透かされたわけではないのだろうが、案から視線を外に向けると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
蝉の鳴き声も樹々の葉のざわめきも渓谷の水音もしない、一切の静寂。
いくら山の天候が変わりやすいとはいえ、それほど時間も経過していないし、夕立雲が湧きたつ様子も無かったので、面を食らった麻仁は三方を手に持ったまま上空を見回す。
いずれにせよ一雨くるのなら早く戻った方がいいと判断し、急ぎ拝殿から再び一礼し、自宅の方に身体を向けた時だった。
背後に感じる強烈な光。
自分の影が地面に投影されるほどに、後方が明るい。
恐る恐る振り返ると、今しがた遥拝したばかりの本殿が輝いている。御神体を祀る建物の中から放たれた光は、本殿の陰影を霞ませるほどに溢れてくる。
麻仁の震える指先から三方が足元に落ちた。磁器が割れていないか確認しながら慌てて拾い集めるが、その間も光の帯は神々しく境内を照らし続ける。
その時、頭の中にまた声が響いた。
『巫女よ……そなたが……』
麻仁は脳内を攪拌されたような激しい疼痛によって、側頭部を押さえて背中を丸める。
声はさらに呼び掛ける。
『……破滅を……いけません』
声が止むと、痛みはあっという間に引いていった。
額に脂汗を浮かべながら境内を見ると、本殿を照らす光は収まっていた。
それに合わせて、周囲の薄暗がりも消え失せ、虫の声や水音も戻り、いつもの夏の夕暮れのような境内の光景になっていた。
麻仁は顔色を失くし、乱雑に重ねた磁器の皿や御饌を乗せた三方を抱えて、小走りで社務所へ戻った。
自宅に駆け込むと、用事を終えた父が帰宅していた。
「ただいま、マニ。悪いね、急に家を外して」
まだ緊張と興奮で息を切らす麻仁は、震えながら父に向かって悲鳴を上げた。
「お父さん! あたしもう、奥宮にお勤めに行きたくないんだけど!」
「……? またマニの嫌いなクモが居たかい?」
「急に真っ暗になったから雷かと思ったら、また人の声がするし」
「夕立とか川の増水みたいな、集落の緊急放送は無かったけどな」
「あと、奥宮や船形石がライトアップしたみたいになって」
「なんだい、今度は客寄せの話かい?」
麻仁はこれまで奥宮で見た不可解な出来事を全て話した。
しかもそれは一度ではないという事もありのまま伝える。
「そんな話は聞いたことがないな。しかしマニばかりそういうものを見聞きするというのは、当然だろうなぁ」
「どういうこと?」
いまいち納得しきれない麻仁は、少しだけ苛立った様子で父に聞き返す。
「若い子が巫女になれるのは、我々には聞こえない神々の声が届いたりするからさ。感受性が一番豊かな時期だからね。霊媒体質って言うべきかな? 赤ちゃんが産まれた後は、お七夜やお食い初めとかのお祝いするだろ? 神の世界から魂としてやってきた子供の命は、肉体との繋がりが不安定で、ともするとすぐに神の世界に還ってしまう。なので医療の発達していない昔はその都度、無事に成長できた事を祝うんだよ。だから子供には神の能力が残っているんだ。マニもそんなに心配する事でもないさ。年齢を重ねていくうちに多くの人は自然に聞こえなくなってしまうもんだよ」
以前とは異なり、今度は非常に合理的な説明をして娘を安堵させようと図る父の話に、麻仁は不安を抱きながらも次第に落ち着きを取り戻していく。
「それはマニが選ばれて与えられた能力なんだ。気味悪く思うなんてほうが失礼だろ?」
「あたしに与えられた能力……?」
麻仁はその晩、寝室の布団の中で我が身に降りかかった出来事を反芻していた。
頭の中に響いた声は、なんらかの警告を発している。
だが『破滅』が何を意味するのか、今は推し知る術もない。
ステーシーは太古より伝えられる聖遺物――すなわち神宝を<グランマザー>が封印し、龍に守護させたとも言っていた。それがもし『破滅』そのものだとするなら、復活させる悪者が現れるのが近いと考えられる。
まさにあの声の主が<グランマザー>なのかもしれない。
だが、沙羅の首飾りやステーシーから貰った石が輝き出したことは、まだ説明がつかない。
あれこれと思案するうちに無駄に時間は流れ続け、麻仁は眠ったとも起き続けたともつかない、脳が焼け付くような感覚とともに朝を迎えてしまった。
それからさほど日を置かず。
オカ研メンバーから図書館で夏休みの宿題をしようとの誘いがあった。
夏休み中は塾や自宅で勉強をしていた麻仁だが、神社の手伝いもあるし、双子の弟の面倒も見なければいけないので、細切れにしか時間も取れずなかなか集中できなかった。
これ幸いと父に相談して藤谷の奉職できる日を調整し、朝から図書館へと向かった。
合流地点に向かうと、斉藤と小池が先に待っていた。
「ちょっとマニ、久しぶりじゃん。登校日以来じゃない?」
「登校日からそんなに経ってないけどね。でも二人ともあれからまた焼けたね」
「マニは相変わらず白いね。いつも山奥でお手伝いばっかしてるでしょ」
「やっぱ夏はオカルトの季節だからね。マニだってもっと楽しんだ方がいいよ?」
夏休みを謳歌してすっかり日焼けした友人と顔を合わせて嬉しくも、その熱量の差に苦笑する麻仁だった。受験前の大事な夏休みに日焼けをしているのが悪い事か否かはともかく、学生にとって夏休みは気分が高揚する。それもまた太陽神のご加護だろう。
だが、今年の太陽神の活動は旺盛であった。
連日の強烈な暑さで地面は揺らめき、立って喋っているだけでも汗ばむ。
「とりあえず図書館に行こうよ。ここは暑いからね」
避暑も兼ねて、はやく勉強に取り掛かるよう促す麻仁だったが、斉藤たちは首を横に振る。
「マジメか、あんたは。久しぶりの再会を喜べないの?」
「せっかくなんだからアイス食べて、気分を盛り上げてから行こうって! 頭もクールダウンさせないと勉強も捗らないよ!」
図書館も冷房で充分に涼しいのに、まずアイス。
今日の勉強はあまり捗らないかもな――麻仁にそんな予感をさせる始まりだった。
商店街のアイスクリーム店へ向かい、店先のベンチで並んで座って食べる。
直射日光を遮るアーケードの中といえど、迫る熱波はアイスをみるみる溶かしていく。
「オカ研の文化祭の発表はどう? 順調?」
麻仁はふたつの味が楽しめるダブルカップにトッピングでチョコスプレーまで足したものを、スプーンでゆっくり味わいながら、二人に聞いた。
その質問には、バッチリと言わんばかりに指で丸を作る小池。
「いよいよヤバいね。この雨不足と猛暑に加えて、龍が由来の水源はみるみる消えていってるんだよ。こんな真相に迫ったら、あたしたち学校から怒られちゃうかもね」
ではその巷で話題の真相とはいったい何か、麻仁も軽い興味から尋ねてみた。
「それってどんなこと?」
「あのね、マニ。これはオカルト界隈では有名な自浄作用だよ。ガイア理論って言って、わかりやすく言うと、増え過ぎた人間の選別じゃないかなって思うよ」
「どういう意味?」
「地球の新陳代謝だけじゃ効かないくらい汚れてきたってことだよ。人間が自然破壊するわ、大気汚染するわで、地球だって皮膚がかゆい時もあるし、病気になる時だってなるでしょ。だから、背中を掻いたら地震や津波が起きるし、風邪をひいて熱が出たら火山の噴火や干ばつになったりするんだよ」
麻仁はアイスとオカルト、両方で冷やした身体を震わせながら話を聞く。
その様子を見た小池は思わず吹き出す。
「マニが驚いててどうすんのよ。そういう目に見えないことするのが神様だし、それのために祈って清らかに生きましょう、って伝道すんのがマニたち神社の人でしょ」
確かに、言うなれば自然の猛威は神の荒御魂でもある。
よもやオカルト好きから真っ当な指摘を受けて、麻仁は照れ臭そうにアイスを口に含む。
「だから、あたしたちも茶化してるわけじゃないよ。今回の龍信仰の寺社の水が枯れてることは、結構マジでヤバいことだって思うよ。何が起こるかはオカルトでは断言できないけど、何かの前兆だってのは、これまでの歴史で明らかなんだよね」
麻仁はもうひとくちアイスを食べようとしたことで、ふとした疑問が湧いてきた。
「ねぇ、二人はダビデの星って知ってる? 三本足の鳥居のお社がそうらしいとか、神光祭の山鉾に外国の絵が飾られてるとかってやつ」
斉藤は得意そうにアイスのスプーンを振りながら解説を始める。
「それは超有名でベタなやつだよ。それ言ったら、市のマークもそうだし、生徒会長の神社の近所だってシオンが訛ったとか、蘇民将来のお札もダビデの星みたいな模様なんだから」
「ホント? ステーシー先生がそういうの詳しくてさ……この街になにかキリスト教のすごい宝物や魔法の力みたいなものが封印されてる可能性ってあるのかな?」
とても純粋な麻仁の反応に、斉藤は新人を見る先輩のような眼差しでうなずいた。
「キリスト教じゃないけどね。あるかもしれないよ。それを追うのがあたしたちオカ研だもん」
「そういえば、オカ研の追加取材ってどうなった? 生徒会長のお社に先生と一緒に行くって話だったでしょ?」
麻仁の言葉に、斉藤と小池は動きを止めて互いの顔を見合わせる。
「あれ、小池っちは行ったの?」
「斉藤ちゃんのとこには先生から連絡ない?」
瞬きを繰り返す二人を見ながら、麻仁は話を続けた。
「ステーシー先生はあたしが宵宮で巫女舞をした時も見に来てたみたいだし、追加取材で会長のお社にもう行ったみたいだけど……」
それを聞くなり、斉藤は大きな溜息をつき、小池は不快そうに眉を寄せる。
「また、先生ひとりで行ったんだ。あたしたちも現地の生の情報が欲しいし、せっかく部費で経費を落とせるのに、先生の趣味で勝手に暴走しちゃうんだもん。困ったもんだよ」
「とはいえ、部室と予算貰えてるのは先生のおかげなんだけどさ」
ただでさえ気温が高いのに、さらに怒りで熱く沸騰したら、アイスでクールダウンどころではないじゃないか、と麻仁も苦笑する。
「じゃあステーシー先生に直接文句を言ったら?」
「でも、あたしたち先生の連絡先知らないんだよね。次会うのは始業式だっつーのにね」
「えっ、そうなの? こないだもわざわざウチに来たよ? あれもオカ研の取材じゃないの?」
「うそ? マニんちには来てるの? あたし達に内緒で?」
それきり黙ると三人は――特に顧問への不満もある斉藤と小池は訝しそうに、互いの視線を絡ませる。
夏休み前の市内観光の際に、自身が眩暈を感じて沙羅の神社で休ませて貰った時のこと。
ステーシーは確かに沙羅との連絡先の交換をお願いしていた気がした。
しかし自分はまだ連絡先を貰っていない。
やはりいくら友達を称するとはいえ生徒と教員という立場の違いはあるし、単なる方便で言っているだけかも、と麻仁もそれ以上は深く悩むのをやめた。
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