【KAC202210】夜、二人、君と

松竹梅

その子は夜を知らない

 二階建ての大きな屋敷。その二階の一室で、今日も僕は目を開けた。


「うーーん……」


 大好きなぬいぐるみでいっぱいのベッドの上で、何度も寝返りを打ってしまう。ベッドに入ってからどれくらい時間が経っただろう。


「眠れない!」


 カーテンを開けたい衝動に駆られるけれど、体が弱くてベッドから自分で立ち上がることができない。お母さんにずっと外に出てはいけないよと言われ続けてきている。外の景色に憧れを持ってはいけないからと、窓を開けてもらったこともない。


 それでも僕は外の世界にあこがれた。唯一することを許された本の中の世界はとてもワクワクした。魔法や不思議に満ちていて、魔獣や魔人が日夜街を徘徊し、英雄や国王が人々を守るために奮闘したり。青々と茂った若草、悠々と駆けていく動物たち、海を進むたくさんの魚、空を泳ぐ大きな鳥。

 とりわけ、夜の世界に僕は目を輝かせた。満天の星、活気に満ちた夜の街。明るい書き方がされることもあれば、真っ暗で何も見えない、妖しいモノが蠢く息苦しい世界と言われることもある。両極端な描写は想像をかきたたせた。


「いつか夜の世界を見たいなぁ」


 そう思いながらすっかり見慣れてしまった天井のシミを数えてもう一度寝てみようとする。


 ガチャガチャ


 突然、何かを開けようとする音が部屋の向こうから響いてきた。今はたぶん真夜中だ。執事の山本さんは家に帰っているはずだし、メイド長の加賀さんもまだ起きていない。

 もしかしたら、僕を夜の世界に連れ出してくれる人かもしれない!

 本の中では、こういうときにヒーローが現れてくれるのは鉄板。ちょっとだけ期待してドキドキしていると、部屋のノブがゆっくり回った。


「お、開いた。外観はあれだけど、中はやっぱりしっかりしてんな」


 パーカーにジーンズ、スニーカーを履いて、目深にスポーツキャップを被った男の子が入ってきた。僕よりもだいぶ年上に見える。

 そんな風にベッドから見守っていると、その男の子と目が合った気がした。ドキッとするけど、ここで引っ込んじゃもったいない……。勇気を出さなきゃ!


「あ、こ、こんにちわ!」

「え……なん、で、人が……あれ?」


 僕に気付いた彼が固まる。声がおかしかったかもしれない、久しぶりに人と話すからかな?反応が鈍いことに動揺するけど、外に連れ出してもらうにも、まずはお互いを知らないと。


「お兄さん、よかったらお話しませんか?」

「え!?……まぁいいけど」

「よかった!僕ずっとこの部屋にいて本しか読んでなかったから、話し相手が欲しかったんです。友達にも会えてなかったので、なんだかうれしいです」

「そりゃどうも……」

「あ、そんなに緊張しないでください!僕、体弱いので何も用意できないんですけど……」

「や、べつに気にしなくていいよ。適当に座るから」


 おずおずとベッドに寄ってきて、丸イスにちょこんと座る。ベッドにもたれかかるように座り直した僕とちょうど目の高さが同じくらいになって、少し恥ずかしかった。


「僕、暁夜あきやです。お兄さんのお名前は?」

白夜はくや、白いに夜って書く」

「一晩中明るい夜の白夜びゃくやですね、素敵です」


 素直な感想を言うと、白夜は帽子のツバをつまんで深くかぶり直した。嬉し恥ずかしな反応を見て、僕も嬉しくなった。前に生の人の反応を見るのがだいぶ前に感じられる。

 相変わらず帽子は脱いでくれなかったけど、彼とは仲良くなれる気がした。


 + + +


 それから白夜はときどき遊びに来るようになった。

 彼は僕の家のすぐ近くにある高校の生徒らしく、今は一人暮らしをしているという。


「じゃあ、いつ家に帰ってもいいんだね」

「まーね。でも帰らないといけないわけでもないから、夜はいろんなところ散歩してるよ」

「やっぱり!今は夜なんだね!じゃあ、白夜さんは夜の街を知ってる人だ!」

「夜の街って……ただ誰もいないところを回るだけだから、お前が思っているような遊びはしてないよ」

「?夜の街は夜の街でしょ?明るくて、たくさんの人でにぎわって、音楽とか美味しいご飯とかがいっぱいあるって書いてあったけど」

「それはお祭りの日とか限定なの。普段の街は何もないよ。まっくらだし、寂れてるし、つまんない」

「そうなんだ……夜はもっと楽しい時間だって聞いてたんだけどなぁ」

「お前の言う夜の街は、俺たち子どもにはまだ早いよ」

「夜って本当にいろんな姿があるんだなー」


 天井の向こうの空を想い浮かべて、軽く息をつく。今、この時間の空はどんな顔をしているんだろう。


 その視線を見てか、白夜がふと思いついたように顔を向けた。


「そうだ、そんなに見たいなら。窓開けてやろうか?」

「え!ダメだよ!お母さんが外は見ちゃいけないって」

「今さら、本でたくさん外の世界のこと知ってるだろ?全部が全部、本と同じ世界ってわけじゃないんだから、見たって変わんないよ。見ても大してすごいモノじゃないし」

「でも……」

「お母さんには俺から謝っておくよ。手を合わせてさ」


 魅力的な提案に僕は少し悩んだ。でも、外の世界がどうなっているのかはすごく気になる。白夜は外がつまらないというけれど、本当にそうなのか、自分で確かめたい気持ちも本当だった。


「……うん、行く。僕見たい、外の世界を見てみたい」

「よし、じゃあ早速」


 窓辺に回った白夜がずっと閉ざされていた窓に手をかける。ギギギと錆の取れる音がして、お母さんにばれませんように、とドキドキしながら見守っていた。

 ゆっくりと、暗かった部屋に外の明かりがこぼれてくる。


 僕は目を見張った。

 黒に白い点々がたくさん並んで、どれもが淡く輝いている。ひときわ大きな白い丸はまるで宝石のようだった。


「うわぁぁ……」


 ドキドキしたまま、僕は窓の方に体を向けた。動かそうとした。


 そのとき――。


「ちょ、暁夜!お前……!」

「え?」


 驚く白夜の声を近くで聞きとめた。顔を向けたすぐ近くに白夜の顔があった。

 


 自分の力で立っていたのだ。今までどれだけ力を入れても動かなかった足はまだふわふわしていたけれど、こんなに夜を近くで見ることができた喜びの方が強かった。


「お前、よかったな。動けたじゃんか」

「うん……うん!すごい、すごいよ白夜!夜ってすごい、広いね!」

「落ち着けって。夜は逃げないから」


 これまでの我慢を解放するようにはしゃぐ僕の手を、白夜の手がつかんだ。温かくて、大きな手だった。


「すごい……きれいだなぁ」

「そんなにか?いつもと変わらないようにしか見えないけど」

「ううん、そんなことない。僕はずっと部屋の中の暗さしか知らなかったもん。たしかに夜も暗いところはあるけど、全然明るいよ。想像していた夜の街よりも、ずっと」

「ならさ、外出てみないか?」

「え!ほんと!」


 白夜の提案に、僕はまた目を輝かせた。胸が熱くなる。


「ああ、どこまでも付き合うぜ」

「じゃあさ、じゃあさ!」


 ずっとやりたいと思っていたことを口にする。部屋の明るさが増す。


「空を飛びたい!」

「は?」


 ぽかんとする白夜を見つめながら、心の底からの願いを反響させる。

 同時に、先ほどまで手をかけていた窓辺からするんと二人分の身体がおどり出た。


「うおおおお!?」

「わあ!あはははは!!」


 急に家から吐き出された二人はぐるぐると回りながら、夜の街に繰り出した。優しく吹く風に流されるように、だんだんと上昇していく。まるで、自由に空を飛ぶ魔法使いになったようだった。突然のことに驚いて目を回している白夜をよそに、僕はふわふわと動く体をどんどんと浮かび上がらせた。

 雲が、星が、月が、どんどんと近づいていき、やがて視界の上半分と下半分がちょうど地平線で分けられるあたりまで来て止まった。


「うわぁ……」


 下には自然の光。上には人工の光。

 出来上がった明るさと、作られた明るさは、どちらも違う趣があって、どちらもきれいだった。


「きれいだ……」

「うん、とても。絵本で見たのなんか、全然かなわないや」


 つい最近知り合った男の子と同じだったことに面白くなり、二人して見合わせて笑い合う。遠くの空が、だんだんと白み始めているのがちらと見えた。暁光を受けた僕の家が、まだ寝静まっているのを眼下に見る。


 白夜が口を開く。


「俺さ、夜って本当につまらないと思ってたんだ。暗いし、何もないし。誰かに会えるかもと思ってたらそうでもないし、新しい発見もなくて面白くないって」

「うん」

「でも、そんなことなかった」

「そうだね」

 僕はうなずいた。


「本の世界と一緒だよ。暗いところももちろんあるけど、夜は広くて、自由で、どこまで行っても怒られない。自分だけの、何でもできる世界だよ。こんな世界があるんだよ」

「ああ」


 大好きな、ずっと憧れていた真夜中が明け始める。


「俺、この景色を忘れない。お前のことも」

「うん、ありがとう。僕も忘れない、ぜったいに」


 キラキラと輝く光の粒に包まれながら、白夜の笑顔を見つめ返した。


 + + +


 明け方。街一番の屋敷に一つの影。


「やっぱり、立派なお屋敷だ」


 玄関には回らず、二階の開きっぱなしの窓の下に立つ。

 手に持った花束を、小さく立てられた暮石の上に置いた。両脇には少し大きめの墓石も立てられている。


 深夜の空家巡りを趣味にしていた高校時代、ここで会った忘れられない友達のものだ。

 ここの領主の家系には、数年に一度使が生まれたらしい。だがみな病弱で、人前に姿を見せることなくひっそりと死を迎えていたという。

 友人もなく、一生を閉じ込められたまま昼も夜も知らずに終わりに向かう日々は、一人の夜なんかよりもよっぽどつまらなかったことだろう。


 けれど。


「お前は知っているもんな。夜がどんなにきれいかってこと」


 手を合わせた目を開いて、もう見ることのない顔に笑いかける。

 密やかに立つ黒石が、曙光に包まれて輝いた。

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