下っ腹の佐藤

「し、下っ腹の佐藤……? よくわからないけど、ニンジャさんたちの有名人なの?」

「ぐふふ……左様さよう。拙者は小娘の殺害も仰せつかっている。覚悟せよ!」


 言うが早いか、黄色ニンジャ佐藤はめいに向かって突進してきた。ニンジャらしからぬ、単調な仕掛け方だ。百超えどころか二百キログラムはありそうな巨体だが、ヒグマと戦った後ではさほど大きく見えない。


「後悔しても知らないから! 酔滅シャークパンチ!」


 めいは向かってくる巨体を押し返すように、右ストレートを繰り出した。その拳は腹にめりこみ、生温かい脂肪に包まれた。脂肪が分厚すぎて、その下の骨や内臓にまで攻撃が響かない。


「なっ! 脂肪がクッションに……!」

「無駄だ! 蓄えられた拙者のぜい肉は鉄壁の守りだ! どんな拳法だろうと通じない!」

「くっ……それでもぉ!」


 そのとき……体内に残留したアルコールが、めいに力を貸した。


 ――今の力で拳を通せないのなら、もっと力を込めるまで!


「せぇぇぇぇぇいっ! 酔滅突貫拳とっかんけん!」


 めいは地面を蹴って駆け出し、全体重を拳に乗せた。脂肪の中にうずまった拳は、とうとう体内の五臓に衝撃を響かせたのであった。バネが弾むように巨体が吹き飛び、その丸い体が仰向けに倒れた。


「き、貴様……この“下っ腹の佐藤”からダウンを取るとは……」

「まぁヒグマよりは楽な相手だったかな……」


 そう。佐藤はきちんと考えていなかった。「全世界のニンジャ業界を震撼させた“下っ腹の佐藤”」といえど、所詮それは人間界という枠組みの評価にすぎないということを。おごり故か、彼は対戦相手である酒呑坂めいがサメを引き裂きヒグマを撲殺してしまうような女であることを考慮に入れていなかったのだ。

 人間の規格を外れた女、酒呑坂めい。人間の蓄える脂肪ごときが、彼女の拳を防げるはずもなかった。


「……ふっ、ははははは!」

「何がおかしいの!?」

「先刻、小娘の殺害も仰せつかっていると申したが、あれは真っ赤な嘘だ。ニンジャは噓つきであるからな。拙者の目的はあの男を連れていくことだ。そなたと遊ぶのは余興にすぎぬ!」

「あの男……?」


 佐藤の背後に、動く小さな人影が見えた。それは佐藤の部下と思しき二人のニンジャであった。彼らは脚にクナイが刺さったままの寺島を、まるで神輿のように担いで走っていた。あの脂肪たっぷりの肥えた体でよくぞ、と思えるほどの俊足だ。腐っても鯛、ならぬ太ってもニンジャということか。


「目的は果たされた。三十六計逃げるに如かず……我があるじが好まれるお言葉だ。さらば!」


 そう言って、佐藤は懐からベージュ色の玉を取り出して地面に投げつけた。着地した玉は二つに割れ、そこから灰色の煙が吐き出された。煙幕だ!

 灰色の煙は、みるみるうちに辺りを覆い隠してしまった。しばらくして煙幕が晴れると、もう佐藤の姿は消えていた。


「何だったのあれ……」


 佐藤の最後の言葉、どう聞いても負け惜しみにしか聞こえなかった。が、もうどうでもいいことだ。今の自分たちに課せられた使命は穴持たずの巨大なヒグマ「クビオリ」を退治することである。

 あの寺島なるヒットマンが連れ去られてしまったせいで、めいの命を狙う者に関してはろくな情報を引き出せなかった。そのことは何とも惜しいが、仕方のないことだ。

 

「どうした、さっきの太ったモンは」


 後ろから、本山の声がした。そういえば、さっき佐藤と戦っている間、この老人が何をしていたのかめいは知らなかかった。


「寺島を連れて行ってしまいました……」


 答えながら、めいは本山の方を向いた。するとその手には、大きな銃が握られていた。これは……さっき寺島が使っていたものだ。これを拾いに行っていたのか。


「これな。寺島の置いていったライフルをもってきたすけ、これがあればクビオリば狩れる」


 小柄な本山が持っていると、寺島のライフルは不釣り合いなほど大きく見えた。こんなライフルを軽々持ち上げるこの老人は、やはり只者ではないのだ。


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