幕間 渡辺比奈

人質と化した渡辺比奈

 目を覚ましたとき、比奈は小型の船に乗せられていた。一緒に船に乗っていたニンジャ装束の男たちを見て、自分が彼らに捕まったことを思い出した。

 手足は自由だが、逃げ出そうにも海の上では不可能だ。スマホは奪われたのか手元になく、暇を潰す手段はない。起きていても不安になるだけなので、食事のとき以外は横になって寝ていた。食事は缶詰やカップラーメンなどのインスタント食品を与えられている。船に風呂はない。肌寒い季節だからよかったものの、真夏だったら不快で仕方なかっただろう。


 ――何で、私なんかを誘拐したんだろう……


 何日経ったか、わからない。船の中では時間の感覚がよくわからなくなる。やがて、比奈とニンジャたちは陸地に接岸した。どこの港かはわからない。そこで待っていたワンボックスカーに、比奈は乗せられた。

 車の向かった先は、山奥の小さな木造小屋だった。小さいといっても船よりはずっと広い。ここでようやく、風呂に入ることができた。久しぶりの風呂は気持ちよかった。代わりに風呂のとき以外は手錠をかけられ、食事は黒づくめのニンジャたちによって口に運ばれた。いい年して食事を口に運ばれるのは恥ずかしかった。ニンジャたちはいつも寡黙で、何とも不気味だ。だけども、彼らに乱暴されたかったことだけはほっとした。

 それからしばらくして、手錠をかけられた状態でその山小屋からも連れ出された。連れていかれた先は、コンクリートでできた平屋の地下一階だった。


 そうして今、比奈は背の高い狩装束の女と小柄なゴシックロリータ少女の二人と向かい合っている。背の高い方が「お前ら、下がっていいぞ」と言うと、その言葉通りに比奈の両脇にいたニンジャが立ち去った。


「お客サマへの礼儀ってわけじゃねェが……名前を教えてやる。オレは鱶川ちひろってんだ。フカヒレのふかに川だ。以後、オレらがあんたの身元を預かる」

「大鰐ゆめですわ。鰐は爬虫類のワニ……ってわざわざ言うまでもないですわね」


 鱶川ちひろ……大鰐ゆめ……鱶川の方は詰襟の美青年と同じ苗字だ。だが名乗った名前が本名である保証はない。比奈は疑念の眼差しで二人を順繰りに見つめた。


「そう怖がんなよ。手荒に扱ったりしねェから。でも、いいな……オレの女にしてェぐらいだ」


 ちひろと名乗った背の高い女が、比奈のすぐ目の前に迫ってくる。不意に近寄られた比奈は、肩をこわばらせた。こんな状況でなかったら、化粧もしていない顔を褒められたことを素直に喜んだかもしれない。

 緊張しすぎてて最初はよくわからなかったが、このちひろという女、この世に二人とないほどに整った顔立ちをしている。体つきや声から女だとわかるものの、一見すれば美男子とも見紛う顔貌だ。その真紅の瞳は、美しさと荒々しさのない交ぜになった凶暴な光を放っている。賭場とばの壺振り師のように片肌を脱ぎ、左肩と胸に巻かれたさらしを見せつける装いも、この女の肉体的な美しさとアウトローな荒っぽさの演出に一役買っている。


「ぐぬぬ……悔しいけど、確かに美人さん……」


 ゆめと名乗った少女が、ちひろの後ろで悔しそうに歯を噛みしめていた。比奈は、どうやら自分がこのゴスロリ少女の嫉妬を買ってしまったことを察した。

 「怖がんなよ」と言われたものの、比奈の緊張はちっともほぐれない。当然だ。得体のしれない集団に誘拐されて平静を保てる者などそういないだろう。

 ちひろは比奈の顎に掌を添えると、顎を持ち上げて自分の方へと引き寄せた。いわゆる顎クイと呼ばれる動作だ。二人の顔は、互いの吐息がかかるまで近づいている。


「……あんた、すでに意中の人がいるって目ェしてんな」


 ちひろの言葉に、比奈はどきりとした。自らの胸に手を突っ込まれて、心臓をざらっと撫でられたかのような……そんな感覚が、比奈を襲った。


 ――気づかれた?


 ややあって、ちひろは比奈から顔を離した。


「ははっ、何となく言ってみただけだが……図星だったみてェだな。わりィな鎌かけて」


 連れ去られてからこれまで寡黙なニンジャたちしか周囲にいなかったせいか、比奈は饒舌なちひろに戸惑っていた。どう言葉を返したらいいのかわからない。ちひろはちひろで、勝手にこちらをオモチャにして楽しんでいる様子だ。対照的にゆめの方は不愉快といった風にむくれっ面をしている。


「……何で私を連れ去ったんですか?」


 必死で振り絞った声だった。かすれた声だったが、聞き取れないほど小さくはない。


「はっ、気になるか?」

「……はい」

「オレらの目的はあんた自身じゃねェ。あんたの友達だ。詳しくは言えねェが」

「そうです。あなたなど最初から眼中にないのですわ」

「ゆめ、お前は少し黙っていろ」


 やはり……彼らの狙いはめいだ。このような危険な連中が、めいを狙っている……恐ろしいことだった。比奈は目をつぶり、両手をぎゅっと固く組んで祈った。


 ――めいちゃん。負けないで……どうか無事でいて……

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