酒乱女の血闘伝 ~えっ、酒好きなあたしが最強に?~

武州人也

酒呑坂めいVSクロヘリメジロザメ

サメ、それはB級映画のフリー素材

「あー無理無理……無理すぎてムリムリ星に連れてかれる……」


 古ぼけた安アパート「鮫死森荘さめしもりそう」の二〇二号室。この部屋に住む酒呑坂さけのみざかめいはテーブルに突っ伏していた。テーブルの上にも床にも、空になったストロング系飲料の缶がごろごろと転がっている。これをすべて一人で、しかも一日の内に飲んだと知られれば、きっとアルコール依存症の治療を勧められるだろう。


「うー……」


 やがてめいは立ち上がることなく、冷蔵庫の前まで這っていった。冷蔵庫の中を見た彼女は、生ぬるい息をひとつ吐いた。


「あー……ガラガラのガラガラヘビかぁ……買ってこよ……他に足りないのは……」


 彼女の生命線ともいえる備蓄物資アルコール類は、冷蔵庫内からすっかり姿を消してしまっていた。仕方がない……ゆっくりと腰を持ち上げた女は部屋着のスウェット姿のまま、ダウンジャケットを羽織り、バッグをつかんで外に出た。


「お前の母ちゃん信楽焼しがらきやき……お前の父ちゃん千手観音せんじゅかんのん……」


 鉛色の空の下、めいは妙ちきりんな歌をぼそぼそ歌いながら、アスファルトで固められた海沿いの道をふらふらと歩いていた。短めの髪のあちこちが跳ねたまま、目の下にくまをつくり、背筋を丸めて歩くさまは、かつての美少女の面影をすっかり曇らせていた。


 就職活動に苦戦して、ひいこら言いながら駆けずり回った。やっとの思いで入社した会社は、典型的なブラック企業だった。日夜パワハラ上司と横暴身勝手な顧客との間で板挟みにあい、心は鉄やすりで削られるかのようにすり減らされてしまった。

 そんなめいがすがったものこそ、アルコールである。手っ取り早く酔うことのできるストロング系飲料を一気にあおるのが、このくたびれたOLの飲酒スタイルだ。この日はダチョウの卵よりも貴重な休日であったが、案の定白昼から浴びるほど飲んだ挙句、アルコールの抜けきらぬ内に買い物に出かけたのであった。


 磯の匂いを運ぶ寒風に吹かれつつ、酒臭い息を吐きながら、覚束ない足取りで歩くめい。そこに、一人の男が近づいた。


「おっ、お姉さん大丈夫ぅ?」


 現れたのは、黒いスカジャンを羽織り、髪を金色に染めた若い男であった。典型的なチャラ男といった風貌だ。


「あなたられれすかぁ……?」

「ずいぶんと酔ってっけど、危ないよ。うちで休んでいってホラ」

「ええ……?」


 チャラ男は心配するそぶりを見せて、めいの左腕を担ぎ出した。その顔には下卑た笑みが浮かんでいる。「私は今からこの酔いどれ女を持ち帰ってイイコトします」と宣言しているかのような顔つきだ。この男の所作からは、性欲以外のものが全く感じられなかった。


「ちょうちょ……あっ、あれぇ……」

「おわっ!」


 酔った弾みで、めいはよろめいた。男は寄りかかられて体勢を崩し、咄嗟に彼女のもっていたバッグをつかんだ。しかしめいがそのバッグを手放してしまったため、男はバッグを手に持ったまま、ばしゃりと音を立てて海中へと転げ落ちてしまった。


 突然のことに驚き、手足をばたつかせて岸へと上がろうとする金髪男。その背後の海面が、ゆらりと揺れた。

 

 次の瞬間、信じられないことが起こった。何か大きな魚が現れて、男の頭をバツンと食いちぎったのだ。


「うわぁぁっ!」


 めいの喉奥から、甲高い叫びが発せられた。目の前に浮かぶ首なし死体、海面にぶわりと広がる赤い鮮血……それらを目の当たりにした彼女の顔が青たのは言うまでもない。

 頭を食った犯人は、再び水中に潜っていった。警察に電話せねば……そう思って、めいはバッグの中を探ろうとした。だが……


「バッグ……ない!」


 見ると、さっきまで手にもっていたバッグは海面をぷかぷか浮いていた。そして間の悪いことに、バッグにあの大きな影が接近してきていた。水面から立派な三角の背びれを突き出して……


 水面を破って現れたのは、男を食ったであった。流線型の体に三角の背びれ、灰色の背。どう見ても、それはサメであった。これぞサプライズシャーク!


 このサメ、名をクロヘリメジロザメという。温帯の水を好むサメで、沿岸でよく見られる。やや気は荒い方で、人を襲った記録もあるサメだ。もっとも魚類に詳しいわけではない彼女に、サメの種類を見極める能力などないのだが。


 クロヘリメジロザメはぎざぎざの歯が並ぶ大きな口を開けて、海水ごとバッグを呑み込んでしまった。それは一瞬の出来事で、めいには何もできなかった。


 けれども彼女は、バッグを呑み込んだ魚をこのまま見逃すことはしなかった。


「せぇりゃあ! サメェ!」


 めいの行動は早かった。靴と上着を脱いで身軽になると、冷たい海に何のためらいもなく飛び込んだのだ。とっさに逃げようとするサメであったが、めいがその胴を抱きかかえる方が早かった。

 あのバッグに入っているのは、スマホや財布だけではない。今は疎遠になってしまった幼馴染がプレゼントしてくれたお守りも入っている。それは彼女にとってスマホや財布以上に大事なものであり、絶対に手放すことはできなかった。魚に呑まれたままなどもってのほかである。


「バッグを返せぇ!」


 めいは鬼神もかくやという形相でサメの両顎をつかみ、精一杯の力をこめて外側に開いた。なぜだかわからないが……このとき、めいの体には不思議な力がみなぎっていた。彼女自身さえ、戸惑うほどの……

 サメの顎はミチミチというイヤな音を立てながら裂けていき、赤い血が海中にまぶされていった。めいはそのまま、弱ったサメを岸に放り投げた。海の高次捕食者であるクロヘリメジロザメも、女の執念には敵わなかったのである。


 岸に上がっためいは、ワニのように裂けてしまったこのサメの口に手を突っ込んだ。そして喉奥をかき回すようにして、バッグを掴み取ろうとした。


「……あった!」


 めいの手が、バッグに触れた。そのままずるずると引きずり出すと、消化されかかった小魚がべっとり付着したバッグが姿を現した。生臭い悪臭が鼻を突き、めいは顔をしかめずにはいられなかった。

 バッグに付着したものの中に、光るものを見つけた。よく見てみると、それはふやけた指にはめられたダイヤモンドの指輪であった。どうやらこのサメは以前、人の指を指輪ごと食いちぎった前科者であるらしい。


「え、え、何コレ本物!?」


 めいはそれを気味悪いとは思わなかった。むしろ思いがけない成果物を得て狂喜乱舞したのであった。

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