第26話 ジョニーは貧民窟に行く

「はぁ……疲れた」


 さて、なんとか昨日の会話を穏便……と思える程度に終わらせて次の日。あの後は本当に根掘り葉掘り聞かれてバンシーからも妙な詰め方をされてしまった。アガシオンの能力に興味があったという話に持っていこうとしたら最低と全員から冷たい目を向けられそうになって慌てて軌道修正をしたり……なんでこんな苦労をしてるんだ俺は。

 とまあ、そんな騒動も終わった俺は起きてからすぐに街に出ている。目的は当然、アルバイトの届け物を持っていくためだ。


(……しかし、こうしてゆっくりと街を歩くこと自体が久々だな。というか、借金が判明してから初めてじゃないか?)


 余裕がないと、周りの風景は眼に入らない。

 借金の手付金ではあるが、それでも一時的に返済をするという大変な段階を超えた俺は、ある意味では一番辛い時期を乗り越えたと行ってもいいだろう。それは、周りを見る余裕や歩くときの心持ちに出ているようだ。


(……考えて見れば、学園にいた時はこっちにくることもなかったしなぁ。初めて帰ってからの借金返済をするための激動の時間だったから何も知らないんだよな)


 屋敷から冒険者ギルドまでは一本道だ。というよりも、冒険者ギルドが大通りに面しているので寄り道する余地がないといった方が正しいか。

 冒険者ギルドはダンジョンによって経済の回っている街の顔となる場所だ。だから一等地にギルドを構えることが多い。そして、その周囲にはダンジョンに関連する商売の店が並び。そこから外れていくほどにダンジョンに関係ない商売の店やこの街に暮らす住人の家が増え始める。

 そうしたグラデーションで彩られている道を進んでいくと、徐々にこの町に住んでいる人間達の喧噪も聞こえてくる。


「安いよー! 先日水揚げされた美味しい魚だ! さあ、一匹どうだい?」

「よーし、冒険者ごっこは俺がリーダーな!」

「あの本の新作出たってよ!」

「ねえ、聞いた? ここの管理する貴族さんが違う人になったそうよ」

「あんまり税が高くならないと良いけどねぇ」


 ……最後当たりは、俺の所が関係している話なんだろうなぁ。

 貴族の街を納める権利は売ることが出来る。この街は複数の貴族が管理している面倒な土地なのだが、ダンジョンの需要も高く大きな冒険者ギルドもある。そのため、買い手になる貴族などはいるだろう。屋敷の没収はされないだろうが、何か話が行くと面倒だな。


(また、ちゃんと街も見て回りたいな。こうして、折角歩けるようなくらいには余裕が生まれたことだし。)


 受付嬢さんに教えて貰った本屋と適当に食事を買った店以外は何も知らないのだ。そういう意味では、自分の立場は実家があるとは言え異邦人と変わらない。

 そうなれば、この街も大きなアトラクションに見えてきた。やはり日常の彩りというのは新しい何かを見つけることなのだろう。

 とはいえ、今日の予定はそっちじゃない。手紙と一緒に貰った簡単な地図を見る。その地図に書かれている道は、読みづらいが貧民窟への入り方が書いてある。


(えーっと、裏路地への行き方は……この店の横にある道に入っていって……)


 街の建物の隙間には、所々に人が通らないような道がある。

 この街は複数の貴族が管理しているといったが、そうするとどこの管轄なのか不明な場所も生まれていく。空白地帯には誰も建物も建てられないままになり、悪党や金のない人間が住み着いていき、独自のコミュニティを形成していく。そうすれば、違法な建物などが並び立ち、そこに住み始める。

 そうして、それが巨大化していき住んでいる悪党や貧民の数は膨大になる。今に至っては、貴族も簡単には手が出せないほどに大きな集まりとなってしまった。それが貧民窟の生まれた経緯である。


(右に曲がった後に、こっちの分かれ道を左に……ダンジョンかよ。そして、この路地を通っていくと……ここか)


 貧民窟に入るための入り口。わかりやすい目印などはないが、それでも踏み込んだ瞬間に分かった。

 先ほどまで整頓されて綺麗になっていたはずの道に、ゴミや物が雑多に増えている。足を踏み入れた瞬間似分かるほどに空気が違う。ここからは、表のルールの通用しない暴力の世界だ。


(さて、目立たないようにと……)


 適度に使い古したフードを被って、目立たないように姿を隠す。なにせ、ここに居るのは犯罪組織の人間や生きるために犯罪に手を染めるような困窮した人間ばかりなのだ。普段通りの格好で目立って良いことはない。

 周囲からの視線を感じるが、それは新しく入ってきた人間を値踏みするような視線だ。まあ、通行税のような物だと割り切っておこう。


(ええっと、この道を真っ直ぐ進んでいってか……?)


 薄暗く、更にそこらで住む人間のテントやらゴミやら障害物が散乱している道は非常にわかりにくい。

 正直に言ってダンジョンを歩くよりも、この貧民窟を歩く方が数倍は難易度が高い。もしも、実家に帰ってダンジョンを歩く経験が無かったらもっとおぼつかない足取りで絡まれていただろう。


(おっと)


 わざとらしく道端で誰かに引っかけようとしている足を躱す。

 貧民窟では、何かを踏んだり何かにぶつかるのは御法度だ。ここでのもめ事は貴族は干渉出来ず、被害者と加害者で片が付く。だからこそ、言いがかりを付けて恐喝や強盗をしようという輩がそこら中にいるのだ。下手に揉め事になっても面倒だ。

 これでも、最近では大人しい方らしい。イチノさん曰く、今ではある程度育ちきった犯罪組織によって貧民窟にも一定のルールが生まれたので行きすぎた犯罪は私刑を受けるのだとか。秩序がなければ裏だろうが表だろうが成り立たないと言うことだろう。


(とはいえ、基本的には個人間の小さい揉め事なら不干渉らしいからなぁ。気を抜けるわけじゃないと)


 警戒をしながら徐々に進んでいく。日陰になった裏通りは日中でも薄暗い。さらに積み重ねられたゴミなどが邪魔をしている。

 そうして、道を進んでいき……ふむ。

 この路地を通って……ううむ

 そこの露店を曲がり……よし。


(迷ったな!)


 地図を頼っていたのだが、迷ってしまった。

 どこで間違えたのか……うーん、道なりに進んだけど、もしかしてあそこは道じゃなかったのか……?

 道なのか、住人が勝手に作った通路なのかも分からないのだ。物で塞いだり物を積み重ねて道代わりにする事もあるらしいからなぁ……とりあえずは、自分の位置を把握できそうな場所に出るとしよう。そして歩き始めると突然足音が聞こえた。


「……ん?」

「っ!」


 突然、俺に誰かがドンとぶつかってくる。

 そのままぶつかった何者かは走り去ろうとするが……突如として、その何者かは転けてしまう。自分の体に起こった異変に戸惑っているようで、悲鳴が聞こえる。


「な、なんだこれ!? う、うわぁ! やめろ!」

「……あー、やったのは子供か」


 さて、倒れているのは少し汚れている子供だ。痩せ細っている程ではないが、良い生活はしていないのだろう。その懐から俺の持っていた財布と……魔具も転がり落ちてくる。一瞬で盗まれていたとは……ううむ、恐ろしいな。

 しかし、その体は粘体に拘束されている。ジュルジュルという音と共に体を飲み込んでいく。


「うわ、や、やめろ! 登ってくるっ!」

「まったく、本当にここは油断ならないな。財布と魔具は返して貰うぞ。スライム、良い仕事だったぞ」

「ジュル」


 さて、何をしたのかというと……フードを被ったときに、スライムを召喚して貴重品のあるポケットの下に忍ばせていたのだ。

 俺以外の人間が触れた場合に、そいつを拘束してくれと指示を飛ばしていた。スライムの便利な隠密性能と魔力消費の軽さがこういった運用を可能にしてくれる。

 ちなみに、こんなに便利なのに何故使わないのかというとスライムを契約したままにして魔力を使うくらいならもっと便利な魔法や魔具を使うからだ。それに、スライムを使い込む発想がないというのも大きい。この世界だと、ネズミどころか害虫くらいの存在だからなぁ。スライム。


(……さて、どうするかな。捕まえてこのまま解放してもいいんだが……周りの人間、何も喋ってないし反応してないけど見て入るんだよな)

「ひいい、離れろよぉ!」


 スライムが徐々に取り込んでいく子供の顔は恐怖で引きつっている。

 そりゃそうだろう。何か分からないものに今はもう体の半分以上が飲み込まれているのだ。このまま食われてしまうのかもしれないという想像に行き着くのだろう。このまま逃がした場合、俺が甘い人間だと思われて別方向で絡まれる可能性が高い。

 だからといって、子供に何か酷い事をするというのもなぁ。


「ジュル」

「ん? ……ああ、すまんすまん。ちゃんとご褒美はやるから」

「ひっ……!? し、死にたくない!」


 ……え? あ。もしかして魔力が減ったスライムが不満そうにしてたので魔石をあげようという会話をしたのを勘違いしたのか?

 確かに、思い返すと俺がスライムに食わせるみたいな感じになったな……まずスライムが肉とか食えないんだよな。


「やだよぉ! 許して、ごめんなさい!」

「まあ、待て。俺は――」

「――そこまでだ。動くな」


 突如として声をかけられて振り向く。俺と同じようにフードで顔を隠した何者かが、俺の背後で弓を構えて背中に当てていた。

 ……なるほど、俺が絶体絶命というわけだ。周囲を見渡すと誰も居なくなっている。切った張ったの騒動はごめんというわけか。しかし、何やら聞き覚えのある声のような……


「悪いな。もしも、そこの子供がそっちに粗相をしたのなら悪かった。オレが謝るし補填もする。だから、その子は解放してくれないか? まだ子供なんだ。それに食わせたり、魔術の実験材料にするなんていうのなら……」

「……やっぱりこの前の?」

「ん?」


 やはり、この声や話し方には覚えがあると思いフードを上げて顔を見せる。

 俺の顔をみて、向こうも気づいたようだ。あっちもフードを上げて……やはり、想像通りの人物だった。


「この前の召喚術士!?」

「狩人の人だよな? なんでこんな所に?」

「それはこっちの台詞だ」


 こんな場所で想定外の出会いをしてしまった事で驚きを隠せない。


「そ、それより! 助けて!」

「「……あ」」


 子供のことを忘れていた。

 そちらを見ると、スライムが首から下をすっぽりと飲み込んでいるのを見て慌てて解放させるのだった。

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