8-1

 『冒険者の迷宮』は、王宮から馬で十分ほど走った場所にある。街から近いということも、ダンジョンデビューの場に選ばれる理由のひとつだ。

 ダンジョンというものがどうやって生まれるのかを解明した者はいまのところいない。ダンジョンは、突然その場所に現れるのだ。発見するのは冒険者だったり、巡回の騎士だったり、街の民だったりとまちまちだ。気付くとそこに入り口がある、という具合である。現在では、入り口を発見し次第に王宮に報告を入れ、王宮が最初に攻略することになっている。なんの情報もなしに冒険者がいきなり攻略するのは、自滅しに行くようなものである。

 『冒険者の迷宮』は断崖絶壁に扉が現れたダンジョンだ。さほど古い場所ではなく、ただ単に攻略が簡単という点だけでダンジョンデビューに向いている場所なのだ。

 入り口のある断崖絶壁の前で、すでにディミトリ公爵とリカルド、アランが彼らの到着を待っていた。

「おはよう。今日は天気がよくて絶好の攻略日和だな」

 そう言ってディミトリ公爵は笑うが、薄暗い迷宮に行くのだから外の天気など関係ない。冒険者として手練れと言われるレベルだからこそ言えるジョークだ。

 馬から下ろしてやると、エメは真っ先にアランに駆け寄る。そのまま飛びつくので、アランは倒れそうになるのを足に力を込めてどうにか堪えた。

「元気だな」アランは苦笑いを浮かべる。「せっかくのダンジョンデビューだもんな」

 エメは嬉しそうに笑う。ダンジョンデビューも、アランたちとともに行けることも喜んでいるようだ。

「俺も握力を鍛えてきたからな! 今日は手、離さないぜ」

 そう言ってアランが気合いを入れて拳を握り締めるので、ラースは思わずひたいに手を当てた。

「骨は砕かないでくださいよ」


 観音開きの扉をラースとニコライが開くと、ひんやりと冷たい空気が流れ出してきた。ダンジョンには一切の陽が射し込まないため、いつも空気が冷えているのだ。

 ラースが先頭に立ち、公爵家三人とエメを挟んでニコライとエミルが続く。緊張でもしているのではないかとエメを見遣ると、辺りを見回して目を輝かせていた。

「アラン様の戦術は剣メインっスよね」と、ニコライ。「ここって、出て来る魔物はほとんどポケットラットっスけど、大丈夫なんスか?」

「剣で倒せないことはないだろ?」

「まあ、そうっスけど。かなり大変っスよ」

「ニコライたちはいつもどうやって倒してるんだ?」

「魔法使いが魔法でドンっスね。それが一番早いんで」

「ふうん」

 『冒険者の迷宮』の内部は岩が剥き出しの道が続く。ダンジョンの中には、どういう仕組みかわからないが、神殿のような綺麗な壁の場所もある。「冒険者の迷宮」は十階層まであるが、そこまで深く潜るのは腕試しに来る冒険者くらいだ。依頼をこなすだけなら、深くとも五階層ほどで事足りる。冒険者の迷宮はダンジョンデビュー向けというだけあって、攻略し尽くされている。どこに何があるのか、ほとんどの解析が済んでいるとされる。

 冒険者の迷宮はとても単純だが、一階層ずつが広い。端から端まで歩かないと下階への階段がなく、端から端へ辿り着くまでの時間が長い。景色も変わらないため、初級者は油断し、上級者は慢心する、と言われている。

「ポケットラットすら出て来ねえじゃん」

 と、こんな具合である。

「油断するでない」ディミトリ公爵が言う。「ポケットラットとは言え、油断していると足を噛み千切られるぞ」

「アラン様は、冒険者の迷宮は初めてなのですか?」

 エミルの問いに、リカルドが答えた。

「アランは、最下位ダンジョンは嫌だと言って来たがらなかったんだよ。今日はエメが行くからと――」

「余計なこと言うなよ兄貴!」

 顔を赤くしてアランが声を上げるので、エメが目を丸くする。恨めしげに睨み付けてくる弟に、リカルドはおかしそうにクツクツと笑った。

 退屈そうなアランとは対照的に、エメは楽しそうである。初めてのダンジョンなので当然だろう。魔物が出て来ないことは攻略が楽に済んで良いのだが、魔物と対峙するという経験も作っておきたいところだ。

 あーあ、とアランは後頭部で手を組んだ。

「これじゃダンジョン攻略の意味ねーじゃん」

「意味ならあるぞ」と、ディミトリ公爵。「最下位ダンジョンだからと油断しない気概を作るというな」

 穏やかに言う公爵の言葉はもっともで、アランは言い返すことができずに唇を尖らせる。

 エメが、くいっとアランの手を引いた。それからどこかを指差すので視線をやると、岩の陰から何かが顔を覗かせている。ポケットラットだ。

「やっとお出ましか」

 にっと笑ってアランが剣を手にする。それを見たラースは呆れて口を開いた。

「ポケットラット相手に剣で戦うんですか?」

「楽勝だろ!」

 ポケットラットは最下位モンスターだが、動きがとにかく素早い。攻撃を仕掛けてくることはほとんどなく、こちらの攻撃をひたすら躱すだけだ。そのため、剣を持って追い駆けてもほとんど意味がない。その名の通り体も小さく、剣戟は当たらないと考えたほうがいい。

 アランはしばらくポケットラットと追い駆けっこを続けた。そのうち三匹が姿を現したが、あちらこちらに逃げ回るポケットラットを追い駆け、アランは次第に息が上がってくる。止めようとするニコライをディミトリ公爵が制した。これも経験値のためだと言う。

 すっかり疲れてアランが足を止めると、ようやくディミトリ公爵が彼に呼び掛けた。

「気は済んだか?」

 ちぇ、と舌を鳴らし、アランは剣を鞘に納める。手を上にかざすとアランの手のひらから放たれた光が天井にぶつかり、小さな雷となってポケットラットの頭を貫いた。エメは感心して拍手をしているが、他の五人は呆れている。

「剣で倒す方法はねえのかな」

「効率が悪いです」と、エミル。「魔法で倒すほうが確実。ダンジョン攻略に必要なのは、その『確実』ですよ」

「わかってるよ」

 アランはすっかり拗ねてしまい、とぼとぼと戻って来てエメと手をつなぐ。エメは励ますように手を握り返した。

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