第八話 何が嘘でどれが本当か分からない、けど、俺は彼女を信じる。
羽生田護
俺が美結と保助の浮気に気づいたのは、忘れもしない五月のゴールデンウィーク。
二人でデートに向かった遊園地、そこで俺は卑怯にも美結の秘密を覗き見てしまった。
ちょっとトイレに行くと言っていなくなった美結。
何気ない仕草だった、足を組み替えて自分のスマホを見ようとした、ただそれだけ。
それなのに、俺の視界に一台のスマートフォンが目に飛び込んできたんだ。
美結が座っていた椅子の下、床に落ちていたそれは、茶色い手帳型のケース。
一目見ただけで、俺はそれが美結の落とし物だと直ぐに気づいた。
付き合い始めてから一か月、ずっと見てたんだから、間違えるはずがない。
最初は見るつもりもなかった、拾ってあげて、直ぐに美結に返すつもりだった。
運命のいたずら、そうだとしか思えない。
むき出しの画面は、落とした瞬間に開いてしまったのだろう。
俺の手に伝わる、新しいメッセージを知らせる振動。
そして、そこに表示された名前は、備前章保助。
俺と美結よりも先に、公認カップルと呼ばれていたはずの男の名前。
しょうがないだろう? 気になってしまったのだから。それまで保助と美結の接点なんて全くと言っていいほど皆無だったはずなのに、なんでアイツの名前がここに表示されるんだ? 少なくとも俺は知らない。美結の口からも、保助の口からも聞かされていない。
隠すって事は、悪いことだ。
後ろめたい何かがあるから、人から見えない様にする。
五月初め、まだ汗をかくような陽気じゃないのに、俺の頬を一筋の不安が伝い地に落ちる。
信じたくなかった、美結を信じたかった。教室で語りかける、笑顔の保助の事も。
でもな、悪いことってのは大抵当たるんだよ。
俺の不安は、見事に的中しちまった。
美結のロックすらかけていない、不用心なスマートフォンに映し出される保助とのやり取りの数々に、震える手のまま、俺は全てを自分の脳内に叩き込んだ。怒りだったのかな、悲しみだったのかな。分かるのは、完全に脱力してたってことだけだ。
人は、裏切られるとあそこまで落胆できるのかって、初めて知った。
混雑する遊園地、笑顔しかないはずのこの場所で、俺は一人涙を嚙み殺す。
「ごめん、トイレ混んでたんだ」
トイレから戻ってきた美結に、俺は苦笑したままスマートフォンを差し出した。
画面はスリープ状態にして、何も見てないって顔をして。
でもさ、その時の美結の目がさ、それまでの美結の目じゃなくってさ。
狼狽……じゃないと思う、だって、それでも美結の目は笑ってたから。
「ありがとう」と言う美結と、これからどう付き合えばいいのか分からなくなっちまった。
その時思い出したんだ、美結は自分で浮気魔だって言ってたって。
つまりはこの浮気でさえも、美結を美結たらしめる何かなんだ。
だとしたら、受け入れるしかないだろう? いつかは俺の側に戻ってきてくれる。そう信じるしかないだろう? アイツの家に行った美結を見ても、アイツと楽し気に会話してる美結を見ても、美結の口からアイツの名前が出ても、俺は美結を信じることしか出来ないんだ。
恋愛初心者だから、美結しか知らないから。
女性と付き合ういろはも、何も知らない俺が出来る唯一のこと。
自分が惚れちまった一人の女性を、どこまでも信じぬくことしか、俺には出来なかったんだ。
「うん、美味しいよ、桜」
でもな、俺はその時見ちまったんだよ。
アイツのお弁当の上に乗せられたピンク色のそれを。
俺もさり気なく探しちまったんだ、アイツにあって俺にないとか。
きっと美結ならそんな事しないって、信じたかったから。
でも、いくら探しても無いんだよ。
唐揚げの中も、ミニトマトの中も、もちろん白米の中も、全部探したのに。
目を合わせながら保助は隣で微笑み、美結も笑う。
桜さんも頬を赤く染めててさ、俺って一体何なんだって、頭の中ぐちゃぐちゃでさ。
ピエロじゃねぇか、公認カップルとか呼ばれてて、周囲からは羨ましがられてるのに。
これのどこが羨ましいんだよ? どこに羨望される要素があるよ? 苦痛しかねぇよ。
もう二度と悲しまずに済むように、俺はこれからどうしたらいい? 美結との関係を保助から取り戻すことが出来るのか? そもそも、保助が何で美結と浮気してるんだ? いつ出会った? どうやって深い仲になった? なんで俺はそれに気づかなかった?
分からない事が多すぎて、多分、出さない様にしてたはずの俺の心を、美結は見透かしたんだと思う。顔に出さない様に必死に努力してたつもりだったんだけど、それなりに美結は俺を見てたってことかな。
俺のスマホに来たメッセージには、放課後二人で会いたいって。
絵文字もない、文章だけの素気ない言葉。
会わない訳にはいかないだろう? 俺はまだ美結にきちんと確認していない。
周囲からしたら、俺と美結は他の誰もが羨ましがる公認カップルなんだから。
「……何を言えばいいんだ」
部活も終わった静かな校舎に、一人残る。
既に時刻は午後六時を回る、他の生徒なんかいるはずがない。
失いたくない、だって俺が惚れた女なんだ。
一瞬でも両想いになれるって信じちまったんだ。
美結がいてくれる事が心の底から嬉しくて、他に何もいらないってバカになっちまって。
二人でこうして待ち合わせしてるのだって、本当なら幸せのはずなのに。
何を言われるのか、びびっちまってる自分がいる。
「らしくないよ、護」
暗くなった教室、扉の近くに微笑む美結の姿があった。笑顔で、自信満々で、自分には何の後ろめたさもないって顔してて、それでいて、やっぱり可愛くて。
「そんな猫背な男に、私は惚れたつもりはないよ?」
教室の床を歩く高い音、一歩、一歩と近づいてくる彼女を見る事が出来ない。
言葉の全てが信用できなかった。だって、美結は嘘をついているから。
「……ねぇ、護」
彼女の香りが鼻につく。
腕を背に回してきて、顔を俺の肩に乗せた。
暖かくて、甘い香り。鼻にかかる美結の髪をそのままに、俺は自分の手を彼女の背には回さず、椅子の端を握りしめる。本当は抱きしめたかった、俺も一緒になって距離を縮めたかった。でもよ、分からねぇよ。どうするのが正解か、俺には分からねぇんだよ。
ささやく様な小さな声で、美結が俺に問う。
「私のこと……好き?」
欺かれてるとは思えない彼女の言葉。
大好きに決まってる。惚れたのは俺だ、無茶苦茶な告白したのも学校中に告知しちまったのも俺だ。好きに決まってるじゃねぇか。涙がでるぐらいに好きなんだよ。
無言のままに、椅子を掴む手に力がこもる。
「私のこと好きならさ、そのままでいて欲しい。でもね、護は嘘が下手でしょ? 知ってしまったら、今までみたいには出来ない、不器用な男の子でしょ?」
美結が何を言いたいのか、俺には分からなかった。
ただ、信じたくて、自分の気持ちが美結に傾いている天秤が動かなくて。
「愛してるよ、護」
重なる唇は、言葉をふさぐ。
美結とのファーストキスは、暗くなった教室という、恋愛とは無縁な場所だった。
軽く唇を合わせて、その後ゆっくりと彼女の指が俺の頬をなぞる。
さっきまでくっついていた唇がにんまりと下がり、美結の綺麗な目がゆっくりと細くなっていく。綺麗だった、こんな女の子が俺の彼女だなんて、人生出来すぎだろ。それまでの悩みとか、そういうのが心臓の音と共に消え去っていく。
もう一回、目で訴えるも、美結はそれはダメだと距離を取った。
結局美結が何が言いたかったのかは分からない、分からないけど。
俺は、自分の気持ちに嘘はつけない。俺が惚れたんだ、俺が惚れた女が、そのまま俺のことだけを好きになるには、きっとまだ俺たちは若すぎる。寄り道だってするだろう、経験だって必要だろう、それらを受け入れるだけの器を持った男じゃないと、きっと美結の彼氏は務まらない。
「俺、美結のこと信じてるから」
いつかは全てを語ってくれると信じて、俺は美結の背に語り掛ける。
振り返った彼女はいつもの背の高い、王子様の様な雰囲気を振りまいて。
「……護は本当に嘘が下手だね」
そう言いながら、俺へと手を差し伸べたんだ。
教えてくれよとは言えずに、答えのない教室の中で、俺はもう一度美結の唇を奪う。
それだけで俺が俺でいられるから、保助にこれだけはして欲しくないと願いながら。
俺たち四人の関係は、歪なままに夏へと突入する。
相も変わらず公認カップルと呼ばれているが、裏では保助と上奏寺、それと美結。
少し離れて俺がいるこの関係の中で、薄ら笑いを浮かべながら日々を過ごす。
そんな中で上奏寺の奴が提案したんだ、夏休み、この四人で旅行に行こうって。
「なんだかんだでいつも一緒にいるし、いいでしょ?」
上奏寺の提案に、保助が拒否を示すはずもなく。
無論、美結も桜の提案に頷き、俺は美結が行くならとOKを出した。
そして呼び出されたんだ、夏休みに入る前日。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど」
上奏寺桜に、保助の彼女に。
――
次話「錯綜する思いは、きっと間違いじゃない。先が行き止まりだとしても。」
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