第2話 600km/h on Rail 秘められたチャンピオン

 2021年、仙台・利府新幹線総合運輸センター。

「新幹線技術輸出? なんでまた。中国での失敗にすっかり懲りたと思ってたのに」

「あのときとは違うさ。今度はフルシステムで輸出できる。くだらぬ予算競争もない。先方は純粋に技術的な先進性を求めている。とくに先方の担当者さんは日本の新幹線、東海のN700Aと我が東のE5/H5にこの前試乗してすっかり魅入ってしまったという」

「先方? どこだろう」

「だが、ここで向こうさんの要求性能がやたら厳しくてね」

 彼は口ごもった。

「厳しい?」

「最高速度は500キロオーバーを発揮してほしいという」

「そんなに無理よ。それならリニアを売るべきよ。日本では新幹線は試験車300Xで443キロまでしか出せなかった。でもリニアなら500キロオーバーは余裕でできる」

「それは無理だ。向こうはリニア敷設は無理だと言ってる」

「なぜ? たしかに仏TGVが試運転で500キロオーバーを発揮しているとは言え、鉄軌道で500キロオーバーはどうやってもきついわ」

「彼は『日本の鉄道も騒音などの問題のない我が国では可能なはず』と」

「だからどこなの? 先方って」

「向こうは貨物列車がメインだが、その間を縫って高加速力の極高速列車を走らせたいと。できるな?」

「ALFA-Xでもそんな極端な高速度は計画してないわ。あとできるといったら……」

「できるクルマ、あるよな」

「あるといえばあるわ」

 車両基地の片隅で整備を受けている赤い秋田新幹線用の新幹線電車が見える。その姿はよく知られたE6系新幹線とは違う。極端に長いノーズは先頭車の半分以上の長さがあり、そのかわり客室窓は2つ分しかない。そしてノーズの先端にはなんと一対の動翼、カナードがついている。

「E6系900番代。ALFA-Xまでのつなぎとして極秘に設計変更した空力整流カナード付きのE6系新幹線で、E6系唯一の利府配置編成。あれと熟練した運転士なら……もしかすると」

「向こうはおえらいさんに圧倒的な性能を見せて一気に契約したいと言うんだ」

「でも、それってどこ?」

「それは」

 彼は言った。

「シベリア鉄道だ」

 彼女は驚いた。

「ええっ!!」



 神戸。山崎重工鉄道輸送カンパニー神戸工場。

「普通はALFA-Xで十分と思うだろう」

「まだ誰も挑戦してない鉄道へのアクティブ動翼制御技術にかけられるのはこの時しかない」

 スーツ姿の女性がコーヒーを飲んで言う。

「だからといって1両だけのあの先頭車にどれだけ金注ぎ込んだんだ?」

 もう一人のスーツの男が聞く。

「その価値があると判断したのは私よ。もう普通のことをやっているだけでうちの会社がやっていけるわけがない。幾度も繰り返してきたわが鉄道輸送システムカンパニーの輸出の失敗に国内保守作業ミスとミス隠し。この行き詰まりを解決するには、思いきって新しいことをするしかない。このE6系900番台はそういう意味。ただの1両だけの先頭車改造の話じゃないの」

 女性はそう言い切る。

「とはいえ1両ほどんどをロングノーズにして運転室の後ろ、客室は窓2個分しかない。その車内を区分室とするとはね」

 部屋にはそのE6系900番台の先頭車の設計クレイモデルが置かれている。

「往年の151系パーラーカーに倣ったのよ」

「そしてその特別なE6を運行するのが北急電鉄周遊列車事業部か」

「北急電鉄が全国周遊に運行している周遊列車『あまつかぜ』の異常時バックアップ用とはな。そのために全車グランクラス座席にアップグレードして簡易食堂車も連結。頭が痛くなりそうだ」

「『あまつかぜ』のツアー中断時にサービスレベルを落とさずに振替輸送するためよ。北急電鉄とはそこで意図がマッチする。北急電鉄もその問題を認識していたから」

「まさに針の穴を狙うような鋭いニーズ分析でJR東とも合意して実現できたってわけか。女性初の取締役の面目躍如だな」

「でも、まだまだよ。重工の改革はまだ始まったばかり。いまだに女性への風当たりも厳しい。私もまだ重工の中では異物扱いだもの」

「他の重役の抵抗があるのか」

「あるわ。いまどきそういう時代じゃないと思いたいけど、うちの会社は重厚長大の化石みたいな会社だから」



「五木和雄。JR東日本秋田運輸区新幹線運転士・機関士資格保持。運転歴はJRとしてもトップクラス。無事故運転賞に運転技能大会入賞はJR最多の5回。運輸区センター賞、感謝状多数に、賞詞、賞詞、賞詞。お召し列車運転こそまだないが『トランスイート四季島』北急電鉄『あまつかぜ』乗務指定運転士」

 運輸区の副長が履歴を読み上げる。

「恐縮です」

 五木はその彫りの深い顔でニヤリと笑った。

「褒めたわけじゃない。それなのに未だに現場の運転士。普通なら上級助役を超えて運輸区センター長になってもおかしくない」

「JR東日本の謎です」

 五木が答える。

「口を慎み給え」

 運輸区センター所長附が咎めた。

「すみません」

「かつて秋田新幹線の営業列車運転時、輸送指令の指示を無視してその日秋田支社のイベントで運転中のC61蒸気機関車の臨時列車と本線上で長時間並走。営業列車をいったいなんだと思っている?」

「臨時列車と乗務列車双方の乗客サービスのつもりでした」

「ダイヤこそあとで運転で帳尻を合わせてコロ(誤差0秒)のマルにしたからいいものの、できなければどうする気だったんだ?」

「できると確信してやりました」

「口を慎め」

「すみません」

「本来なら処分相当、運転割から外し謹慎もありえるのだが……」

 五木の顔が変わった。

「君に指名があった。仙台の新特別プロジェクトの主任運転士だそうだ」

「光栄です」

「口を慎め」

「すみません」

「まったく、うちの会社が何に考えてるかわからん」

「同感です」

「口を慎め」

「すみません」

 運輸センター長はため息をついた。

「向こうへの転籍の手続きを。転籍は1ヶ月限定だ。行ってこい」

「承知しました」

 五木は嬉しさで体を浮かせそうにしながら振り返った。

「鉄道運転士は滅びる職業だ。うちの会社でも運転の自動化を進めている。上越新幹線でも本線上試験が始まっている」

 部屋を出ていこうとするその背中に運輸センター長が言い、五木は立ち止まった。

「自動システムはいちいち上司に反駁しない。指示されたダイヤと規定と指定を守る。正確に、裏切ることなく。日々トイレに行き飯を食う電車運転士は滅びる職業だ」

 五木はちょっと考えていった。

「たしかにそうでしょうね」

 センター長がその五木の厚い唇を見つめる。

「普通ならそうでしょう。でも普通なんてくそくらえですけどね」



 五木はロードスターで線路脇の道路を走るのが好きだ。新幹線はE6系が特に好きで、ロードスターもそれに合わせた色を選んでいる。ガソリンを燃やして走るクルマが滅びると言われるこのEVの時代、それでも五木はクルマにこだわる。

「利府への転勤、終わるのはいつ頃?」

 隣に乗る女性がオープンにした助手席の風に負けまいと大声で聞く。

「知らん。3ヶ月になるか、3年になるか、もう戻ってこないか」

「家はどうするの?」

「大家さんに鍵を預けた。もとより運転士人生に賭けてるから私物もたいしてないし、冷蔵庫も缶ビールと酒のほか入ってない。食事はほとんど外食で済ませてるからな」

「そんなことしてて大丈夫?!」

「俺はただの仕事で運転士やってるつもりはない」

「じゃあ何なの!」

 五木はハンドルの指をトントンと鳴らしニヤリと笑った。

「なんなんだろうね」

 そのとき後ろから東京行きのE6系が加速してくるのが見えた。

「大曲までの在来線区間はランデブー走行できるからいいんだ」

 アクセルを踏む五木。ロードスターのエンジンが吠え、国道のアスファルトをタイヤで蹴り出す。軽量の車体が優雅に、力強く初春の国道を駆けていく。

「道路の法定速度60キロなのに? 無茶よ!」

「でもゴールド免許なんだ。警察が取り締まる場所は知り尽くしてる」

「そういう問題じゃなくて!」

「じゃあどういう問題なんだよ」

「いいわよ。めんどくさい!」

「そうか」



「速度試験は仙台から宇都宮の間で実施する。途中速度制限がいくつもあるが、それをクリアして最高速に挑むのはこの区間だ。直線の平坦線を加速し、速度はこの終端で600キロになる計算だ。600キロをマークした直後、R7000のゆるやかな左曲線7パーミルの下り勾配に突入することになる。600を出した直後の速やかな減速が失敗すると容赦なく列車はオーバースピードに突入する。そしてその先には300キロ制限がある。減速に失敗したらそこでATCの非常ブレーキが作動するがそれで済めばまだいい。300キロを大幅に超えての非常ブレーキ、しかも曲線下り勾配では挙動が乱れ、最悪脱線転覆の可能性がある。しかし平坦線での加速時間を稼ぐにはこの終端まで目一杯力行するしかない。600を出した直後のブレーキ操作の繊細さ、大胆さが求められるが、そのためには平坦線への進入速度からすでに先を読んでいないと失敗する。通常の最高速度試験なら500キロで十分だからこんな曲芸はいらない。だが今回は通常ではない」

「そのために自分が呼ばれたのだと思っています」

「できるか」

「できないのにここに来る理由がないです」

「よく言った。だがこの600キロ計画、本社でも異論が多い」

「きっちり600キロ出してねじ伏せます」

「そうか……」


「本社から局長が来る! 下りE5『はやぶさ』に乗車中だ!」

「早くないか? 明日のはずでは?」

「今夜の最終に乗ってこの計画の中止を言いに来るつもりらしい」


「五木、終わりだ。降車しろ。局長が計画中止を言いに来た。それもわざわざ最終列車に乗って」

 五木は考え込んだ。

「輸送司令! 今本線、空いてますよね」

「ええっ」

「最後のアタック、やりましょうよ」

「計画は中止だぞ」

「まだ中止ではないです。局長がまだここに来てない。そして最高に整備されたE6Xがある。ここまでやって、ただ今夜のんびり眠って明日計画中止にするんですか?」

「とはいえそんな無茶な」

 その時だった。

「き電システム、準備できてます」

 電力司令が口にした。

「ATCおよび信号系統、異常なしです」

「施設セキュリティも異常なし」

「輸送管理も異常なしです。最終列車を除き、本線は全てクリアです」

「指令、速度試験準備、すべて理想位置です」

 輸送指令は言葉を失った。

「局長の列車が到着します」

 少し静寂があった。

「E6Xの本線への進路形成を」

 輸送指令の言葉に、指令センターの皆が歓声を上げた。

「E6X、進路開通」

 E6はインバータ音とともに整備線から発車し、定められた進路で本線に向かう。

「最終列車とE6X、すれ違います!」


 仙台にアプローチするE5系「はやぶさ」の車内で局長は降りる準備をしていた。

「あれ? こんな時間にすれ違い列車がくる」

「回送列車かな。形式はなんだろう」

 そのすれ違う瞬間、E5系は猛烈に揺さぶられた。

「くそ、あいつか!!」

 局長が毒づく。

「E6Xを止めろ!」

 だが田端運転指令所の通信指令は答えた。

「応答がとぎれとぎれで伝わらないようです」

「なんだと!」

「おそらく太陽黒点運動の影響ではないかと」

「ふざけるな! き電を停止してでも止めろ!」

「お言葉ですが、そうするとほかの列車にも影響してしまいます」

「営業運転は終わるところだろ!」

「でも回送列車が残っています。彼らを止めると明日の始発の運転が」

 局長は毒づいた。


 E6Xはなおも速度を上げていく。

 新幹線ATCが330信号から420信号表示に切り替わる。ここからはほとんどの新幹線運転士がその運転士人生で見ることのほぼない表示である。

 そして驀進するE6Xの速度が410キロに到達したとき、550信号が点灯した。

 まだいける!!

 E6Xはなおも加速を続ける。

 もともと低重心化を図られた車体は安定していて、搭載された400kwを発揮できるMT207Xモーターもそれに電力を送る5200kVAを誇る主変圧器TM214Xも順調に動作している。DT210X/AX台車も超高速走行の振動に負けずにレールに車輪を追従させ続ける。振動はさすがに大きくなってきたが、それでもE6Xは負けない。

 車輪がレールとディープキスしたまま、車速はついに500キロを超えた。さすがに不安定で接地感が弱まってきたが、コンピューター制御の動翼が働いてダウンフォースを作ってそれを補う。真価発揮である。

 そしてついにこれまでリニアが出した最高速度505キロをこえた。非公式記録にしかならないのだったが、五木運転士と新在直通超高速新幹線E6Xは世界最速の列車とその運転士になった。

 そのあと最高速度597キロをマークして五木運転士は加速ノッチを切り、ブレーキハンドルを操作した。繊細に超高速からの減速でバランスを崩さないようなブレーキ操作で、長い長い減速距離をE6Xはなおも走った。

 そしてE6Xが停車したのは仙台よりはるか南、宇都宮へあともう少しというところだった。E6Xはそのあと宇都宮駅に入線し、そこから折り返しで仙台利府に戻った。

 宇都宮駅での出迎えはほとんどなかった。ひっそりと入線するのに3名の夜勤の駅員が歓声を上げてくれただけだった。

 だが、この速度記録は、非公式でも、刻まれたのである。



 2022年2月、E6Xの技術実証計画が終了、契約はほぼ決定し、あとは大統領のサインを待つだけとなった。

 シベリア鉄道をゆく極高速列車の計画が現実になろうとしていた。


 しかし、その大統領のサインは直後のウクライナ侵攻のためになされることなく、この計画ごと歴史の闇に消えたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る