真夜中の製図室

富士之縁

課題:集合住宅

 前期の期末試験が近付いてきたある日の昼休み。


「ごちそうさまでした」


 トレーに手を掛けて立ち上がろうとした時、隣の席に突っ伏している人が視界に入った。丸まった背中や服装を見るに、恐らく女子だろう。肩甲骨の下ぐらいまで伸びた髪は、先端の方に向けて紫のグラデーションを帯びていた。染めている割には毛先が少し荒れている。

 こんな外見の学生、うちの学科――文学科には全然いないなぁ。

 丼に顔を突っ込み、右手に箸を握りしめたまま動かない。

 ……どうしよう。

 大学は善人だけの場ではない。荷物を盗られる可能性もあるだろうし、それ以上の何かに巻き込まれる可能性もある。

 かく言う私も聖人ではない。知り合いとの話のタネにするべく、1枚写真を撮った。

 シャッター音で意識を取り戻したらしく、女子が動き出した。


「ゲホゲホッ……撮った?」


 鼻筋から頬、顎にかけて丼の跡が残り、およそ普通の食事では付くわけがない場所に米粒をつけた女子がこちらを見た。

 笑いを堪えながら、


「すいません、珍しい光景だったので、つい……」

「そう」


 怒られたり、写真の削除を要求されたりするのかと身構えていたが、あっさり食事に戻った。結局食べるのか。

 このまま席を離れるのも具合が悪い。せめて軽い挨拶ぐらいはしておこう。


「随分お疲れみたいですね」

「徹夜明けだから」


 食べながらなので返答は短い。


「卒業論文か何かですか?」

「私、まだ2年なんだけど」

「同じ学年ですね。それじゃあ、趣味やサークル活動的な?」

「違うわ。課題よ」


 課題? たかだか大学2年生の課題で徹夜なんて信じられない。締切ギリギリまで放置するタイプの人なのだろうか。


「その、すごく出来が悪い人間を見るような目で見るの止めてくれない? 言っとくけど、うちじゃ普通よ」

「はぁ。失礼しました。でも、徹夜して間に合ってよかったですね」


 自分の発言が間違っていたのだと明らかに分かるほど、相手の反応は芳しくなかった。夏なのに少し肌寒い。

 慌てて訂正する。


「あっ、じゃあ今日も頑張ってください。身体に気を付けて……」


 返却口に向かおうとしたが、手首を思い切り掴まれた。


「アンタ、この後空いてる? あたしの写真は高いよ?」

「ごめんなさい。消しま」

「ダメ。人手が欲しいのよ。このままだと、間に合わない」


 目に大粒の涙を溜めて訴えられると、こちらも断りきれなかった。


「今日はもう帰るだけでしたし、手伝うのはいいですけど、猫の手ぐらいにしか役に立てないと思いますよ?」

「大丈夫。小学生でも出来ることだから。あたし、校倉あぜくらあざみ。よろしく」

「私は立石たていしたつみと申します。よろしくお願いします」


 食事を済ませ、大学生協に。

 手伝うにあたって必要なものがあるらしい。普段はほとんど行かないコーナーへと足を運んだ。ミニチュア模型を作るための材料などが売られている場所だ。

 何故学校にこんな売り場があるのか前々から疑問だったのだが、利用する学科もあったのか。コミックなどの売り場のように、一部の学生の趣味の需要に応える場所だと思っていた。

 校倉さんは慣れた様子で商品を手に取り、私に押し付けてくる。


「荷物持ちがいるだけでも全然違うね~」


 実際、彼女の言葉通りで、渡された商品は大きい。謎の白い板や大判の紙を何枚も持たされた。

 小さな人の模型やカスミソウのドライフラワー、その他もろもろを抱えてレジへ向かう。流石に会計は校倉さんが支払ってくれたけど、意外と高い。課題のためにこんな出費が発生するなんて恐ろしい学科だ。

 キャンパス内を歩きながら、今後の予定を尋ねる。


「校倉さんの部屋で作業するんですか?」

「ううん。学内だよ。……あっ、ところで立石さんって家近い?」


 質問の意図を計りかね、恐る恐る答える。


「近場で独り暮らしをしていますけど、それが何か?」

「今日はバイトとかサークルもない?」

「恥ずかしながら、そういうのやってなくて……」

「いいね! じゃあ、今夜も来れるね!」

「今夜も、って、まさか徹夜ですか?」

「あたし、今日は一回帰って終電で来ようと思っているんだよね。でも夜には生協閉まっちゃうから、先に買い物したってわけ」

「終電で、来る……?」


 あまりにも聞き慣れない言葉だったので思わず聞き返してしまったが、校倉さんは慣れているのか笑っていた。

 話している間に、目的地に着いたらしく、校倉さんが一つの建物に入った。

 そこの三階にある、2年生製図室と書かれた部屋の扉が開かれる。

 大講義室ぐらいの広さの部屋に、大きな机っぽいものやロッカーなどが整然と並んでいる。

 部屋の中には作業をしている人が予想以上にいた。男子と女子が半々ぐらいだろうか。

 教室の窓際の方の席に向かって歩いていると、


「立石さん、そこ、足元注意ね」

「へ?」


 明らかに床より柔らかい何かを踏んでしまい、視線を落とす。

 すると、床に段ボールを敷いて眠っている女子学生の姿が目に入った。

 危うく人間を踏みつけるところだったが、段ボールだったのでセーフということにしておこう。まさか床で寝ている人がいるなんて思いもしなかった。


「これがあたし用の製図台ね。空いてる椅子や製図台は適当に借りていいよ。家で作業している人は締切まで来ないと思うから」


 向かいに座って作業していた学生数名に会釈すると、対面の女子が笑顔で返してきた。この人も髪を派手に染めている。建築学科、怖い。


「実を言うと、まだ模型の型紙が印刷できてないんだよね。だけど、作業の概要と全体像だけは今のうちに伝えておこうかなって」


 パソコンを開いてこちらに見せてきた。粗い3Dモデルが表示される。

 6本の柱にフラットな屋根の2階建て。外に階段が付いているというシンプルなもの。いくら締切が近いからと言って、人手不足を嘆くようなものには思えない。


「えっと、これの模型をつくるんですか?」

「そう。ちゃんと中までつくってもらうからね」

「中って、この1階にある店っぽい部分と、2階にあるお風呂とかトイレとかのことですか? こんな小物まで作れるか自信ないですけど。それにしてもお風呂やトイレ、多いですね」


 フッ、と校倉さんが子どもっぽい笑みを浮かべた。自信がないことを馬鹿にされているわけではなさそうだが……。


「立石さん、いや、たっちゃん。これはね、集合住宅の課題なんだよ」

「つまり、この2階建てのやつを複数つくるってことですか?」

「ノン」


 画面が切り替わり、間取りみたいな図面が表示された。さっきよりも格段に複雑そうに……あれ? 待って。建物の外周に沿うように6部屋描かれている。こんなもの、さっきのモデルには……等と考えていると、突然口から言葉が出てきた。


「ひ、人柱だ」

「そう。この柱は部屋なの。んで、後は屋根と1階の床に6人ずつ住んでいるの。2階にある風呂とかトイレは柱のところに住んでいる人用のやつね」


 絶対住みたくない、という言葉を押しとどめ、さっき買ったスチレンボードなる白い板の切り方を軽く教わり、模型製作に関する本を借りて一旦解散した。



 深夜。指定されていた時間に製図室へと赴く。

 こんな時間に大学に来る日が来るとは思っていなかったし、開いているとも思っていなかった。

 製図室のある建物は、こんな時間帯だというのに多くの部屋の明かりが灯っていて、喧噪も外まで響いてきており、不夜城と言うほかなかった。

 2年生用の部屋も、昼に訪れた時より人が多く見えた。

 作業のしやすさを優先したような服装に着替えてきたらしい校倉さんがこちらに手を振った。


「たっちゃん、お疲れ。早速だけど、この紙に沿って切ってくれる? 何ミリのスチボを使うかは紙に書いておいたから、ちゃんとチェックしてね。切ったやつはそれぞれ袋にまとめて。私は組み立てたりプレゼンボード仕上げたりする作業をするけど、分からないことがあったら遠慮なく聞いてよ」

「うん。とりあえずやってみる」


 まず1枚の大きなスチレンボードを、作業しやすい大きさに切り分ける。

 その後、スチレンボードに型紙をマスキングテープで貼り付け、型紙に印刷されている線に沿ってカッターで切っていく。切る時は1回で切ろうとせずに、3回に分けて切り、勿体ないと思ってもこまめに刃を折る。その方が最終的には早く美しく仕上がるらしい。

 作業中、雑談をしたりイヤホンなしで音楽をかけたりする人が多いので賑やかな空間だった。私も、校倉さんや、話しかけてくれた人たちと話しながら作業を進める。

 途中、誰かが持ってきたおやつを皆で食べたり、数人が集まって歌い始めたりして、文化祭の準備みたいな雰囲気だった。まあ、私の高校は夜まで残って作業するのを禁じていたので、あくまでイメージでしかないのだが。

 これだけパーツが多いと、切るだけでも大変な作業だ。

 校倉さんは、私が切ったやつを組み立てたり、土台となる土地の部分を作ったり、図面などを提出用のサイズの紙に印刷したりしていた。

 本格的な模型だと、ここに着彩などの作業も加わるらしいので恐ろしい。

 窓の外が明るくなり、普段1限のために起床している時間帯にようやく完成した。

 これを更に、写真を撮るための部屋に持って行って撮影・印刷して私の手伝いはほぼ終了した。


「疲れた……。少しフラフラします」

「たっちゃんありがとう~~。これで単位確定演出だよ!」


 校倉さんに抱き着かれる。押し返す気力もなかった。

 彼女の集合住宅が、先生たちからどんな評価を受けるのかは分からない。だけど、この出会いがなければ一生経験することがない、貴重で楽しい出来事だったとは思う。何度も経験したいとは思わないが。


「あ、連絡先交換しようよ。来期もよろしく」

「え」


 結局押し切られてしまった。

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真夜中の製図室 富士之縁 @fujinoyukari

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