午前4時の音

岳谷佐保

今日も私の24時間は無意味でした

 高校生最後の年の、その本当に最後の3ヶ月を残したある日、私は『駄目』になってしまった。理由なんて分からない。

 学校に行けない。

 何か辛いことがあって行きたくないわけじゃない。受験勉強が苦しくなったわけでもない。どうしてか生活リズムがぐちゃぐちゃになって、毎朝布団から出られない。

 午後の授業だけとかそういった工夫は効果があったから、友人たちに心配されながら少しずつ単位は稼いで、なんとか卒業は出来ることになった。なんとか卒業出来るくらいには、私はそれまできちんと学校に通えていたのに。


 どうすれば前のような生活に戻れるのかちっとも分からないまま、70日程が過ぎた。

 両親をこれ以上困らせたくなくて、卒業式には出席した。前日から徹夜して、いつも布団から出られない私を無理矢理封じ込めて、およそ3ヶ月振りに午前中から学校に居た。目はずっとしょぼしょぼしていたし、昼前には頭がぐらぐらしていたけれど、友人たちとの別れを惜しんだり、校門をバックに母と写真を撮ったりして、私の気分は普段よりとても前向きになっていた。頑張れば出来る、そんな風に思った。

 家に帰った私は、着替えもせずにぐっすりと眠ってしまって、気が付いたのは夕食の頃合い。3年間付き合った制服はしわくちゃになっていたのに、私の中にはまだ達成感があった。家族で食卓を囲んで団欒し、順番に風呂に入り、おやすみと言い合って1日を終える。いつも通りのそれらのことが、どうしてかその日はとても正しく美しいように思えて、『駄目』になった私も明日になったら『大丈夫』に戻れる気がした。


 けれど結局、私はそんな人間じゃなかった。


 いつまでも1日が終わらない。明日にならない。

 眠れない。

 昼寝をしたのがまずかったのかもしれないと暗闇の中でひとり後悔するけれど、もう遅い。電気を消して自分のベッドに潜ったのは日付が変わる前、それで一体今は何時なんだろう。枕元のスマートフォンで確認したくなる気持ちを、言い様のない恐怖が拒んでいた。画面の光で余計眠れなくなったらどうしよう、思っているより時間が経っていたらどうしよう。

 明日もまた『駄目』な私だったらどうしよう。

 考えすぎると眠れないのは分かっているのに、ぐるぐると思考が止まらない。落ち着きのない寝返りも。


 不意に耳に届いた音があった。それは急速に音量を上げて、私の部屋の暗闇を震わせる。たった1台分の、けれど静謐の中で力強く響いたバイクの音だ。


 新聞配達のバイクが、明日を連れてきた音だ。


 世界はもう明日になってしまったらしい。私はまだ1日を終えられていないのに。

 おおよその時刻が分かった。私が『駄目』なことも分かった。

 涙が出た。


 重いまぶたを開くと、部屋には暖かな春の光が満ちていた。あの後泣きながら眠ったのかもしれない。体に染み付いた動きで手に取ったスマートフォンは、午後2時14分を示していた。

 その日から、私は朝を失くしてしまった。




 あれから1年が経って、私はもう駄目な私に慣れてしまった。夜明け前に眠り昼過ぎに目覚めるだけの日々を繰り返して、ただ息をしている。

 多少の会話はあれど、両親は引きこもりで無職の私を責めるようなことは何も言わない。それがかえって息苦しいと思うのは、我儘が過ぎる話なのだろう。


 あらゆる感覚が麻痺していくような日々だ。それでも、眠る頃にやってくるバイクの、夜明けを告げる唸り声を聞くたびに、今日もまた自分は世界に置いていかれるのだと強く思い知らされて、酷く虚しくなるのだった。

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午前4時の音 岳谷佐保 @twentyseven

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